7 zemnaria(ゼムナリア)
(なかなか楽しんでいるようで重畳である)
闇の中、女の声が聞こえてきた。
だが、それは厳密には声と呼んでよいものかはわからない。
直接、こちらの意識に語りかけている、というのが正解なのだろう。
なにしろ言語の壁など無視して、直接、自らの意思らしきものをぶつけてくるのだから。
死の女神のようなものが、また闇のなか、頭巾の奥で微笑を浮かべている。
(死の女神のようなもの、ではない。わらわは、死の女神そのものぞ。ゼムナリア、と呼ばれておる。汝がいま住まう地ではの)
ゼムナリア。
それは死にまつわる、不吉きわまりない単語に似ているとなんとなく覚えていた。
(然り。わらわは、死である。あるいは、死をもたらす者である。ゆえにわらわは死の女神である)
(死の女神さまかよ)
(汝はまだ理解しておらぬようだが、この世界では神々は汝が考えているよりも重く見られているのだ。汝も、少しは神々について学ぶべきではあるな……)
鳥の鳴き声が聞こえてきた。
ぼんやりと、目を醒ます。
妙に体が痛いと思ったが、ヴァルサがものすごい力で首元にしがみついていた。
量感のある胸のふくらみを意識する前に、すでに股間は突き立っている。
朝になると男の部分がいきり立つのは、この世界でも変わらないらしい。
さすがに気まずくなって、モルグズは寝たままよだれを垂らしているヴァルサの腕をなんとか首からほどき、寝台から降りた。
裸足の足から木材の感触が伝わってくる。
部屋の隅に置かれた桶に、派手に放尿した。
これは昨夜、すでにmagsepだとヴァルサから聞いている。
magsepとは、要するにトイレのことだ。
この中身は、窓から外にそのまま落とすらしい。
すでに太陽は少しずつ昇り始めていたが、いまが何時かはわからない。
そもそも、この世界の「一日」は地球と同じ二十四時間ではないだろう。
もし太陽のまわりを惑星が公転しているなら、一年も地球とも違うのが自然だ。
つまり、ここでは地球での時間の単位はほぼ無意味なのだ。
ひょっとしたら、公転周期は地球より遥かに短いかもしれないし、逆に長いかもしれない。
ヴァルサは地球人から見れば十三、四くらいと外見で推測していたが、実は五歳かもしれないし、三十歳かもしれないのである。
ただそれも、惑星が公転してもとの状況に戻ることを「一年」と数える文化があれば、の話だった。
多少は言語を覚えたとはいえ、ここが「地球とは異なる世界である」という現実は、なに一つ変わらない。
安らかに眠るヴァルサの寝顔を見た。
心底、安心したといった感じの表情だ。
それはアーガロスから開放されたのと、無関係ではないだろう。
娘、とまではいかなくても、ヴァルサにはほとんど家族に似た意識を感じている。
強いていえば妹、あたりだろうか。
だが、そのあたりの感覚が曖昧なのは、たぶん地球ではそういう相手がいなかった、ということなのだろう。
別に、それはそれで構わない。
この世界に来たのならば、そこで物事の優先順位を決めてもいいではないか。
ヴァルサを守る。そう決めた。
妹でも娘でもないが、守りたいのだ。
こんなことは、たぶん地球にいたころはなかったと思う。
自分はいつも己のことを考えながら、その実、自らもどうでもいいという破滅的な思考をしていた気がする。
これは、神が与えた二度目のチャンスだ。
より正確にいえば「異界の死の女神に与えられた」というべきかもしれない。
硝子もはられていない、ただの空洞となっている、一応は上に鎧戸らしいものがある窓から外を眺めていると、人々の動きが見えた。
木造の建物からでてきた者たちが、畑に向かっている。
また家畜小屋らしいところから、牛に似た動物を出している者もいた。
近代以前の社会では、牛はきわめて重要な獣である。
農村におけるトラクターのようなものだ。
たとえば作物の種を撒く前に、重い鋤を雄牛にひかせるということはかつてのヨーロッパでは一般的だったらしい。
ただ、いまは鋤や鍬を用いる時期でもないらしく、牛たちは牧草地へと誘導されていた。
地球の牛よりも雄牛の角は鋭く、まるで三日月のようで地球の牛の原種のオーロックスを思わせる。
morguz...
少し寝ぼけた感じの、ヴァルサの声が聞こえてきた。
van fo+sel..
良い朝。
これは、朝の挨拶である。
van fo+sel,varsa.
彼女は亜麻布の肌着一枚という、かなりきわどい姿だった。
頭からすっぽりと肌着をかぶる、西洋のシミューズに似たようなものだ。
ときおりヴァルサの感覚がわからなくなる。
豊かな胸の形がくっきりと浮き出るのに、今はそれほど恥ずかしがっている様子はない。
女は謎、というのは容易い。
だが現実には、この世界の男女関係について、自分がまだ理解してない、というべきなのだろう。
それにしても、平和だ。
昨日、アーガロスを殺し、死体を放置したままだというのに。
昨夜の夢のようなものが脳裏に浮かぶ。
何気なくヴァルサに訊ねた。
zemnaria wob era cu?(ゼムナリアはなんだ?)
途端に、ヴァルサの顔が漂白されたように白くなった。
yuju:r ned jod marnazo!(その名前を言うな!)
予想を超えた激しい反応に、モルグズは驚いた。
ers mig rxo:bin zerosama marna.(それはとても恐ろしい女神の名前)
本気でヴァルサは恐怖していた。
まさかそのゼムナリアという女神が自分をこの世界に招いた、とはとても言える雰囲気ではない。
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