4 na:gs wob ers cu?(権利ってなんだ?)

 reysi rxobis yuridreszo.gow reysi joynos yuridresle.(人々は魔術師をrxobisする。だが人々は魔術師にjoynosする)


 rxobisはさきほどの形容詞rxo:binに酷似しているので「恐れる、恐怖する」というような動詞かもしれない。

 ただjoynosはまったくわからなかった。


 joynos wob ers cu?(joynosはなんだ?)


 また長い沈黙の後、ヴァルサが答えた。


 napreys nas fog sewfule.(誰かが鳥になりたい)


 突然の発言に、モルグズは言葉の意味を間違えたのかと思った。


 napreys joynos sewfule.(誰か鳥にjoynosする)


 少女は鳥がぱたぱたと羽根を振るように腕を動かすと、次は空をみあげてうっとりと見つめるような演技をした。

 やはりヴァルサは相当に頭がいい、としか思えない。

 的確にこちらに言葉の意味を伝えてくる。

 なにかになりたいという感情が、joynosだ。

 日本語でいえば「憧れる」という表現が一番、近いだろう。

 つまり、人々は魔術師を恐れながら、その力に憧れているとも言える。

 侮蔑は嫉妬心からも生まれるものだ。


 cod koksa yujuwa joynor tus.(この気持は言う joynor tus )


 tusはよくわからないが、joynorは活用したjoynosの元の形、不定形だろう。


 reysi rxobis yuridreszo.duvanas.megas.gow reysi joynos yuridresle.(人々は魔術師を恐れる。duvanas.dusonvas.だが人々は魔術師に憧れる)

 

duvanasとdusonvasはたぶん悪い意味だ。

 語頭にdu-がつくものは、あまりいい単語ではないとすでに知っている。

 しかし、それでも人々は心のどこかで、魔術師の力に憧れているのだ。


 codi koksari yujuwa magyur tus .(これらの気持ちは言うmagyur tus)


 セルナーダ語では、単語の複数形の作り方は簡単だ。

 語尾が子音の場合はi,母音の場合はriをつければいい。

 問題はmagyurという言葉だった。

 魔術師に対する恐れや他の負の感情と、憧れの入り混じった気持ちを意味する動詞だ。

 日本語には……対応する言葉は存在しない。

 当然だ。

 現代日本では魔術師はあくまで架空の存在なのだから、そうしたものに対する複雑な気持ちを表現する言葉など、あるはずもない。

 ここで、モルグズは言語の限界を感じた。

 地球の日本語には存在しない概念が、このセルナーダの地にはある。

 また、単語の意味なども、日本語とすべてが同じ、というわけではないに違いない。

 日本語でも、プライヴァシーやニュアンスといった英語を元にした外来語が存在する。

 この二つの単語を「日本語で言い直す」とすれば、相当に長い言葉を使わなければ不可能だろう。

 もともと、日本になかった概念なので、英語をそのまま日本のカタカナ風にして取り入れたのである。

 同じ世界の言語でもこの調子なのだから、魔術が実在する世界では、さらに異質な、あるいはモルグズには理解できない概念もあるに違いない。

 ただ、それは逆の場合も考えられる。

 試しにモルグズは訊いてみた。


 na:gs wob ers cu?(権利ってなんだ?)


 ヴァルサがきょとんとした。

 いきなりなにを言いだすのだ、といった表情だ。


 ers,,,,satma na:gs.suyma na:gs.fi+to na:gs.ta...(……土地の権利。水の権利。家畜の権利。それと……)


 reysma na:gs wob ers cu?(人の権利はなんだ?)


 reys? reysma na:gs cu?(人? 人の権利?)


 明らかに困惑している。


 reys avas fen reysuzo cu?(人が人を所有すること?)


 vekev.mende era ned.(わかった。問題ない)


 想像通りだ。

 別の表現をする可能性もなくはないが、この世界での「権利」とは、土地や水、家畜などを所有、あるいは使う権利、あたりの意味しかないのだ。

 人の権利、つまり「人権」はここにはない。

 前近代段階では当然のことではある。

 地球における人権という概念は、フランス革命、あるいはアメリカ独立宣言あたりになって登場してきたのだ。

 さらにもう少し前、イギリスのマグナ・カルタに遡るとしても十六世紀あたりまでである。

 そして人権思想が生まれる土壌には一神教的思想が必要だ、とモルグズは考えていた。

 唯一の神、という絶対者がいて初めて「絶対者のもとでの人間の平等性」が成立しうる。

 東洋思想の「天」のようなものだ。

 だが、食事の祈りのとき「神々」というように、このセルナーダの地は多神教の土地なのだ。



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