3 alova(ありがとう)

 食事は味気ないものだった。

 今日はほとんどなにも食べていないのでもっと空腹を覚えてもよさそうなものなのだが、あまり味がしない。


 era zaduman cu?


 若干、疲れたような顔でヴァルサが訊ねてきた。

 vanumanは美味い、だったがzadというのは「悪、悪さ」を意味する。

 まずいか、と言っているのだろう。


 mende era ned.era mig vanuman.(問題ない。とてもおいしい)


 一応、そう答えたがヴァルサはどこか自虐的な笑みを浮かべていた。

 お世辞、という概念はこの世界にもあるらしい。

 いま、二人が夕食を取っているのは厨房だった。

 狭い空間だが卓があり、食事は採れる。

 かつてはたぶん、この椅子にはアーガロスが座っていたのだろうと思うと、なんとなく落ち着かない気分になる。

 料理はいつもと代わり映えのしないものだった。

 なにかの豆を煮込んだものには、塩漬け肉が入っている。

 それと、黒褐色のやたらと固い無発酵パンに、やはり硬いチーズ。

 これが粗食なのか、贅沢なのかは他の人々の食事と比較しなければわからない。

 もっとも、発酵調味料や香辛料のおかげで、それなりに食べられる味にはなっている。

 木の匙の他には、フォークもナイフもない。

 すぐ近くの厨房には包丁のようなものが並んでいるのでナイフはあるかもしれないが、フォークはこの世界にはない可能性もある。

 卓の中央には小さな燭台があり、そこで蝋燭が燃えていた。

 さきほどから少し悪臭が漂っているが、獣脂を用いているのかもしれない。

 だが、普段からわざわざ蝋燭を使うのだろうか。

 ヴァルサはその気になれば、魔術の明かりを生み出すことができるのだ。

 あちらのほうが頼りない蝋燭一本の炎より、よほど明るいはずだった。

 彼女にとっても魔術を使ってこちらがあれほど動揺したのは衝撃だったのかもしれない。

 パンをスープにひたし、少しは柔らかくしてなんとか口に入れる。

 

 alova zorosile.(神々に感謝をする)


 alov zorosile.(神々に感謝をする)


 モルグズもヴァルサと同じように食後の挨拶をした。

 食前にも、同じ言葉が用いられる。

 alovaとalovは、一人称大地形と火炎形の活用の違いによる。

 早い話が、男ならalov、女ならalovaを使うということだ。

 すでに規則動詞の活用は、さすがに暗記していた。

 人称などにより現在形で五つ、過去形で五つ、あわせて十種類の活用をするのだが一度、覚えてしまえばさほど難しくなかった。

 不定形の語尾により、ar形、ir形、or形、ure形とさらに四つにわかれるので合計、四十種類の活用を暗記する必要がある。

 ひどく大変そうだが、たとえば二人称現在の場合は、どの形でも-ato,-ito,-oto,-utoと全く同じ活用なので、実際には結構、楽に覚えられた。

 ただし四つに分けられているだけあり、人称によって細かい部分が間違い探しのように違ってはいる。

 それでもどうやらかなり記憶力がよいほうらしい、と最近は自分でも気づいている。

 ときおり、ヴァルサも驚くほどだ。

 食後になると、気まずい沈黙が落ちた。

 ヴァルサが空になった木製のスープの皿をもって立ち上がろうとしたが、モルグズは手を使ってその動きで制した。


 varsa.cuchav fog tocho.(ヴァルサ。俺はあなたと話したい)


 ヴァルサが再び、椅子に腰を下ろした。


 reysi nadum mavs yuridreszo cu?(人々は魔術師をどのように見るか?)


 しばしヴァルサが沈黙した。


  reysi nafas yuridreszo ers ned reys.(人々は考える魔術師を……は人ではない)


 直訳すると、そんな意味になる。

 よく考えてみると、この文章には動詞が二つ存在していた。

 nafasとersだ。

 nafasの主語はすぐにreysiだとわかる。

 ただersの主語が例によって落ちているのでわかりづらいが、本当なら活用の形からしてersの前にはaz、つまり「彼」という主語が入るのかもしれない。

 つまり、

 

 reysi nafas yuridreszo az ers ned reys.(人々は考える魔術師を、彼は人ではない)

 

 というのが完全な形の可能性がある。

 これだと文章としてすっきりする。

 ただ、いちいち主語を言うのが面倒なので、省略されるようになったのだろう。

 だとすれば英語の関係代名詞あたりとは、いささか表現方法が違う。

 二つの文をそのままつなげた、あるいは後ろの文が前の文を修飾している感じだ。

 より詳しくいうならは、yuridreszo(魔術師を)という言葉の意味を、後ろの文で説明していると言うべきか。

 ただ、これはかなり大きな一歩だった。

 いままでヴァルサと話していた言葉のほとんどは俗に単文と呼ばれるものだった。

 つまり、一つの主語と一つの動詞からなる述語だけの単純なものだ。

 これに対し、いまヴァルサが話したのは二つの主語と動詞を持ち「複文」と呼ばれる。

 これでいままでに比べ、より複雑な文章を理解できるかもしれない。

 とはいえその内容を考えると複文の表現がわかった、と喜ぶ気にはとてもなれなかった。


 yuridres ers ned reys cu?(魔術師は人ではないのか?)


 自分でも非常にきわどい問いだとはわかっていた。

 だが、いつまでも「魔術師の存在」から逃げていたくはなかったのだ。

 ヴァルサがたとえまだ力が弱くとも、魔術師であることには変わりがないのである。


 yuridres ers ned reys.gow yuridres ers reys.(魔術師は人間ではない。だが魔術師は人間である)


 文章としては矛盾しているが、なんとなくヴァルサが伝えたいことはわかった。

 つまりこの世界の人々は「魔術師を人間として見ていない」が「それでも魔術師は人間だ」といいたいのだろう。


 varsa era yuridresa.ta varsa era resa.(ヴァルサは魔術師だ。そしてヴァルサは人間だ)


 それを聞いた瞬間、ヴァルサの目から涙が流れ出した。

 つっと涙が白い頬を伝っていく。


 alova.


 感謝する、だけではなくたぶん「ありがとう」。

 そういう意味だとわかった。


 mende era ned.(問題ない)


 ne+do.mende era ned.(はい。問題ない)


 泣きながら、ヴァルサは微笑んだ。

 一瞬、ne+do、つまり「いいえ」と言われたかとどきりとしたが、これは英語と同じやり方だとすでに知っていた。

 つまり否定文である medne era ned を肯定する場合、そのまま否定文を用いるのである。

 これで魔術師の置かれている状況が、少しは理解できた気がする。

 やはり彼らは、一般人からはかなり特別視されているようだ。

 ある種の差別をうけている可能性すらある。

 ただ、魔術師はその気になれば恐ろしい力を行使することも出来るはずだ。

 人々は魔術師を侮蔑しながらも恐れている。

 その力の微妙な均衡が、社会に存在しているのだろう。

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