2 se+gxon yurfa(正しい言葉)

 だが、ヴァルサの言うことが確かならば、この地には領主がいて、あたりの土地を所有しているという。

 つまり、封建的制度が生きているということだ。

 いくら考えても答えは出そうにない。

 ヴァルサの生み出した光に照らされながら、例の文字が書かれた本の頁をめくっていった。

 ふと絵の描かれたところが目に入る。

 あまり写実的ともいえないが、なにをしているかはかわかる程度の人の姿が描かれている。

 どこかマンガのように動きを強調したその絵の下に文字が書かれていた。

 人が寝台の上で眠っているようにしか見えない。

 その下にはいささか大きな字でsxupirと書かれている。

 sxupir。

 似たような言葉は何度か聞いた気がするが、それはすべていろいろ細かい部分が違っていた。

 たぶん、活用したためだ。

 これはあるいは、動詞の原形、あるいは不定形と呼ばれるものかもしれない。

 セルナーダ語のように多様な活用を持つ言語にはたいてい「もとの形」というものがある。

 それが原形、あるいは不定形だ。

 活用が定まっていないときの動詞本来の形である。

 さらに下を見ると、vis,va,vo,toなどという主語になる代名詞の隣に、活用した形が並んでいた。

 あるいはこの書物は「セルナーダ語話者が文字を覚えるための教本」なのかもしれない。

 だとすれば、ここは想像していたよりも文明レベルが高い可能性がある。

 かつては地球でも多くの社会ではごく一部の特権階級を除き、文字の読み書きを庶民はできないことのほうが圧倒的に多かったのだ。

 しかしこの絵入りの教本は、むしろ下層階級を意識しているように感じられる。

 さすがに発音までは実際の表記だけではわからないので誰かに教えられることを前提にはしているだろうが、それでもこうした教本があれば学習はだいぶ容易になるだろう。

 問題はこの教本がどの程度、普及しているか、そしてなにより「誰がこんなものをわざわざ作ったか」である。

 改めて紙の質を確認してみたが、さきほどのネルサティア語の書物の羊皮紙のようなものとはまた別物だった。

 ごわごわとして分厚い。

 地球では、西洋だと羊皮紙の他に衣服のボロ屑から作った紙というのがあったはずだ。

 亜麻や木綿を使ったものだが羊皮紙などに比べてインクが滲みやすく、あまり文字などを書くのには向いていない安物扱いされていたと記憶している。

 そこで、おかしなことに気づいた。

 この紙はたぶん、衣服の屑を寄せ集めて作ったものに思える。

 だとすれば相当の滲みが文字にありそうなものだが、それがない。

 まさか、この世界ではすでに活版印刷のような技術が存在しているというのだろうか。

 試しに文字や絵の上に指を滑らせてみたが、なにも変化がなかった。

 どんな技術にせよ、もしインクなどを使っていれば、紙の繊維にその元の物質が染み込んでいるはずだがその形跡がない。


 wob ers cu?


 このところ、ずっとセルナーダ語を学んでいたせいか独り言までこの調子だ。

 指に唾液をつけて、文字のある部分にこすりつけてみる。

 なにかが染みているなら、字はぼやけそうなものだ

 あるいは、まったく未知の技術がこの本にも使われているとでもいうのだろうか。

 気味が悪くなったが、さらに頁をめくってみた。

 絵図の下に文字、そしてその活用形という似たようなものが並んでおり、さらにその下に妙な印のつけられた文字がさらに数多く存在している。

 しばらく考えた末、これはおそらく本来の活用とは別の形になった、つまりは「間違った活用形」ではないと推測した。

 他の頁も調べてみたが、だいたい似たような感じだ。

 しばらくそうしたものを見ているうちに、直感的にこの教本の真の目的のようなものがわかってきた。

 そもそも今のセルナーダ語は、どの程度の地域で使われているのだろう。

 そしてどのような歴史的な経緯で、この言語は成立したのか。

 もとの言語はネルサティア語らしいが、相当な変化をしているように思える。

 さらにいえば、広範囲で使われているとすれば、そうした言語にはある種の宿命が伴う。

 訛りだ。

 訛り、といえばまだ可愛らしいが、実際は地球のヨーロッパでも、近代国家が成立する前は地方によって、同系列の言語の話者でも会話が困難なほどだったのだ。

 日本でも幕末に会津藩の武士たちが京都に向かった際、現地の人々とも、また他地域の武士とも会話が成り立たず苦労したという。

 これは日本に限ったことではない。

 ドイツでも低地ドイツ語と高地ドイツ語は近代になって強引に一つの言語にまとめられたし、イタリアも確かトスカーナ方言を中心として現代のイタリア語が成立したはずだ。

 日本も、明治維新後には明治政府が「標準語」という言葉を作り上げ、それをもとにした教育が始められた。

 あるいは、この教本も似たような目的があるのではないだろうか。

 つまり、地域ごとにあまりにばらばらになりすぎたセルナーダ語を一つにまとめるという意図があるとしたら……。

 だが、だとしたらこの教本を制作した団体は相当に中央集権的な権力を持っていることになる。

 それはもはや、中世の封建制レベルでは不可能な領域だ。

 かなり近代国家に近い力、あるいは概念を持つ者たちがすでに存在していることになる。

 この教本の作者は魔術師たち、ということはありえないだろうか。

 領主とかいう者たちもいるかもしれないが、実際にこの世界の、少なくともセルナーダ語の使われている地域で実権を握っているのは、魔術師かもしれないのである。

 気になって改めて本の表紙を確かめてみた。

 se+gxon yurfaと書かれている。

 「セッギョン」という日本人からすればいささか奇妙な響きの単語のことは、はっきり覚えていた。

 それは「正しい」という形容詞なのだ。

 つまり直訳すればこの本の題名は「正しい言葉」ということになる。

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