11 aagaros zemgo.(アーガロスは死んだ)

 他に風呂のような施設があるかどうかはわからないが、この塔の水浴するための場所はごく単純なものだ。

 井戸があり、そこから地下水を組み上げ、大きな桶、もしくは盥のようなものの中で身を清める。

 しかしこの世界での男女の間の関係について、モルグズは考えずにはいられなかった。

 羞恥という概念は、間違いなく存在する。

 だから、さきほどヴァルサが部屋から出てきたときはまた言われたのだ。


 maviir ned!(見るな)


 大きな桶のようなもので体を洗い、部屋から外に出たモルグズの裸もヴァルサは見なかった。

 用便の世話もされたので男性器などは見慣れているはずだが、いまは状況が違う、ということだろう。

 ヴァルサにはゆったりとした長衣を与えられた。

 大きさからしてアーガロスのものとは思えないが、別の弟子でもかつていたのかもしれない。

 この世界では衣服そのものが貴重品のようだが、モルグズとしてはその材質が気になった。

 感触としては、亜麻布に似ている。

 色合いからして染色も漂白もされていない、生成りの亜麻布のようだった。

 ただしなにしろ異世界なので厳密には「亜麻布のようなもの」なのではあるが。

 久々に体を洗い、返り血もぬぐい、比較的、清潔な衣服をまとうと精神的に落ち着いた。

 とはいえ、それだけではまずいということもわかっている。

 アーガロスを殺したことにより、これからどうなるのか。

 そのあたりのことを、真面目にヴァルサと話し合わねばならない。

 そもそもアーガロスという魔術師は何者であり、この社会においてどんな地位にあったのだろう。

 そしてもし、彼を殺したことが周囲に露見したらどうなるのか。

 言語の壁という深刻なものが自分とヴァルサの間には横たわっている。

 正直、お互いに言葉がなかなか通じないことにときおり苛立ってはいるが、こればかりは仕方なかった。

 まだ、セルナーダ語が日本語や英語などに似た言語なのだから満足すべきかもしれない。

 地球には他にもさまざまな言語が存在する。

 中国語のような声調のあるもの。

 能格言語。

 有気音と無気音を弁別するもの。

 肺から息を吐き出す以外の、吸着音や入破音、放出音といった音のある言語。

 そうした言葉に比べれば、まだセルナーダ語は異世界の言語とはいえ、かなりわかりやすいほうなのである。

 しばし考えてモルグズは告げた。


 aagaros yas ned.


 「アーガロスはいない」と言ったつもりだ。

 本当は「いなくなった」と言いたかったのだが、「いなくなる」の表現法や過去形の活用がわからなかったのだ。

 yasというのは「いる、ある」という意味だが、活用の仕方が独特なので不規則動詞の可能性が高い。

 動詞の活用はいまだに悩まされることもあるが、ある程度の規則性はすでに掴んでいた。

 だが、その法則とyasは一致しないのだ。

 英語のgo.went,goneあたりと比べるとわかりやすいかもしれない。

 普通は英語の動詞の過去形は語尾に-edをつけるが、goedとはいわず、wentとなる。

 seeもsee,saw,seenと変化する。

 seed、などとは呼ばないし、第一、これでは別の意味になってしまう。

 そして不規則動詞の一番、厄介な点は「よく使われる動詞ほど活用が不規則になる」という点なのだ。

 しょっちゅう使っている単語が、多用されるために時代の変化とともに変わっていった。

 逆に、あまり使われない単語が、いちいち独特の活用をさせるのが面倒なので規則的になっていった、のかもしれない。

 言語学をちょっと齧った程度の知識しかないモルグズにはそこまではわからなかったが、不規則動詞はとにかく「深く考えずに暗記しまくるしかない」ことは知っていた。


 aagaros zemgo.morguz zemges azuz.


 ぽつりとヴァルサがつぶやいた。

 zemgo.zemges.

 この二つの単語が似ているのは、偶然とは思えない。

 最初のはaagarosが主語になっているので「死んだ」だろう。

 次はmorguzが主語になっているで「殺した」と考えられる。

 これは「彼を」を意味するazuzが後続しているのでかなり可能性が高い。

 つまり「アーガロスは死んだ。モルグズが彼を殺した」とヴァルサは言っているのだ。

 だが、別に詰問しているわけではない。

 単純に事実を述べている、と言った感じだ。


 zemges fen aagaroszo ers zaace cu?


 「アーガロスを殺したことは悪いか?」という意味のつもりでモルグズは尋ねた。

 真剣な表情で、ヴァルサが考え込む。

 たとえ暴力的な世界であろうと、殺人が無制限に許されるとはちょっと思えない。


 abova ned ers zaace.gow...


 abovaは「思う」に似た意味だといままでの経験で推定している。

 後ろに否定のnedがあるのだから、たぶん「私は悪いと思わない」だ。

 問題は、gowだった。

 これは「だが、しかし」のような意味合いを持つ。


 sxumreys tudas foy morguzuzo.(sxumreysがモルグズをtudasするかもしれない)。


 また未知の単語だ。


 sxumreys wob ers cu?(sxumreysってなんだ?)


 sxumreys avas cod satzo.(sxumreysはavasこの土地を)


 それを聞いて、ぞっとした。

 avasは「持つ、所有する」といった意味だと知っていたからだ。

 つまり「sxumreysはこの土地を所有する」とヴァルサは言っているのだ。

 領主、という言葉が脳裏に浮かんだ。

 いままでの経験で語尾にreysがつく名詞は「なにかをする者」ということが多かった。

 たとえばyuridresは魔術師のことだ。

 この場合、reysがresと短くなっているが、前の音節が一音節でない場合、短縮化されるのだろうと勝手に推測している。

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