3 morguz(牙)

 大きな木製の皿にはスープらしいものが入っていた。

 匙もやはり木で出来ている。

 スープの中身は、どうやら豆類が主体のようだが、ときおり肉とおぼしきものも混じっている。

 皿と一緒に、ヴァルサは黒褐色の板状のものも持ってきた。

 はじめは食器の一種かとも思ったが、違う。

 たぶん、パンだ。

 ただし自分の知っているパンとはおよそ別の代物に彼には思えた。

 そこそこ分厚く、固そうだ。

 おそらく無発酵のパンではないかと推測した。

 なんとも貧しい食生活という気もするが、さきほどから腹が鳴っていたので贅沢は言えない。


 ers maasu.


 ヴァルサはどこか自慢げに言った。

 ersは、たぶんコピュラだろう。

 コピュラとは、繋辞とも呼ばれる。

 英語のbe動詞、また日本語の「です、だ、である」といったものがここに含まれる。

 地球の言語では、コピュラは言語によってはいちいち言ったり、表記したりする必要はないこともある。

 だが、この言語では、常に必要とされる節があった。

 こうしたところも英語と似ている。

 だがいまはとにかく腹が減っていてそれどころではなかった。

 ただ、後ろ手に鎖で手首を縛られている状態では、自分では食べられない。


 firaar gxutzo.


 にこにこしながらヴァルサが言った。

 gxutは確か「口」という意味だったので「口を開けて」ということだろうか。

 年端もいかない小娘に、と少し反感を覚えたが、いまは余計な抵抗をしても意味がない。

 おとなしく口を開けると、ヴァルサが皿から匙でスープの中身をすくってくれた。

 口の中にそれが入った瞬間、率直に言って驚いた。

 美味い。

 もちろん空腹のせいもあるだろうが、決してそれだけではない。

 独特の旨味のようなものが、スープの味付けからは感じられたのだ。

 それどころか、明らかに香辛料らしい刺激的な風味もあった。

 少女の風体から、ここは地球の中世ヨーロッパ的なところかもしれないとぼんやりと想像していた。

 それは間違いだったようだ。

 この地ではなんらかの発酵調味料が存在している。

 さらに、香辛料もある程度、普及しているようだ。

 古代ローマの頃はガルムと呼ばれる魚醤、つまりは発酵調味料が料理に盛んに使われていたが、西ローマの滅亡からヨーロッパではそうした文化はほぼ無くなった。

 ここでは違うらしい。

 だが、無発酵パンのほうは、とにかく固く、噛むだけでばりばりと音が鳴った。

 おそらく地球の大麦のような穀類から作ったものでグルテン質はほとんどないのだろう。

 そこで改めて、思った。

 ここは「地球ではない」のだと。

 そもそも地球と同じ物理法則が働いているかどうかも、わからない。

 たとえば、いまだに部屋を照らす光の源は未知のものである。

 ふと、ある馬鹿げた考えを思いついた。

 あるいは、あれは「魔法の光」なのではないか。

 光源もなしに虚空に光が生まれるというのが、どうにも納得できない。

 そんなことを考えながら、肉らしいものを噛み締めた。

 噛みごたえがあるが、あっさりとした味で、地球で食べていた肉とはいろいろ違う。


 ers vanuman cu?


 ヴァルサの問いに答えた。


 vanuman.


 また、ヴァルサが微笑んだ。

 いまのは、「おいしいか」みたいな問いだと思ったのだが正解だったようだ。

 ただ、まだわからないことが多すぎる。

 そもそもここはどこなのか。

 自分は「地球」を断片的に覚えているが、本当にそこからきたのか。

 そしてなぜ、こんな少女が自分の世話をしているのか。

 食事を終えて人心地ついた途端、己がどんな姿をしているのか気になった。

 いままで、そんな当たり前のことを考える余裕すらなかったのだ。

 下をみると、材質不明の腰布のようなものは身につけていたが、あとはほぼ裸のようだ。

 ただ、この腰布からも糞便の強烈な臭気が漂っていた。

 一体、どれだけの間、ここにいたのだろう。

 とにかく謎だらけだが、それもヴァルサと会話をして情報を聞き出す他、解決する手段が思いつかない。

 ふと、口の中に違和感を覚えた。

 さきほどの食事になにか妙なものでも入っていたのだろうか。

 違う。

 確かに食事が原因ではあるが「物を噛んだことで意識が一時的に口腔内に集中した」ためにその存在に気づいたのだ。

 舌を使って確認してみたが、やはりそうだ。

 犬歯が、不自然なほどに大きい。

 そこで、重大なことに気づいた。

 そもそもこの体は「誰の体」なのだ?

 いまは自分のもののようだが、そもそも元の世界、地球にいた頃の体は……。

 猛烈な頭痛に襲われた。

 思い出すな、と精神が拒絶している。

 心臓の鼓動が妙に激しくなった。

 不安げな目で、ヴァルサがこちらを見つめている。

 無理やり、自分のなかのさきほどの感覚を誤魔化すように、わざと犬歯をむきだしにして尋ねた。


 wob ers cu?


 いまのは、彼女が名前を訊く前に発していた言葉だ。

 なんとなく、これは「なんですか」という疑問文のように思えた。

 なぜか、金髪の少女はわずかにひきつった表情で答えた。


 cod ers morguz.


 ersがコピュラであることはほぼ確定している。

 ということは、codはこれ、それなどという代名詞の可能性が高い。

 そして、犬歯のことはmorguzというようだ。

 なぜか、妙にその響きが気に入った。


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