Case2 蓬莱池のホッシー(2)

「――はい、お待たせ。すっごく冷えてるよ」


 ヘロヘロになった身体を引きづりつつも、女性に優しい紳士的な男であるところを見せようと、必死に自販機まで行って買って来たコーラの一本を俺はベンチに座る乙波へと差し出す。


「ああ、ありがと……ん……」


 いったいどこで売っていたものなのか? 濡れた前髪を〝ナスカの地上絵〟がプリントされたピンクのスポーツタオルで拭いつつ、顔を上げて礼を言おうとした彼女だったが、俺の手の中にあるコーラの缶を見た瞬間、その表情が見て取れるほど嫌そうに歪んだ。


「あ、もしかして炭酸ダメだった?」


「ううん。そうじゃないんだけど……」


 強張ったその顔に俺が尋ねると、乙波は申し訳なさそうな様子で首を横に振り、またちょっとトンデモが入ってるその理由を説明してくれる。


「せっかく買って来てもらって悪いんだけど、コーラって骨を溶かす成分が入ってるんだよ? だからわたし、絶対飲まないようにしてるんだ。上敷くんも飲まない方がいいよ?」


「いや、それはただの都市伝説だと思うんだけど……」


 無論、なんら医学的根拠のない都市伝説である。でなければ、今頃メタボなアメリカ人なんざ、ことごとくタコみたいな軟体動物になってしまっていることだろう。火星人が来襲するのを待つことなく、アメリカは既にタコ人間の国だ。


「ううん! 絶対そうだよ! むしろ、そうやって都市伝説だっていう嘘を広めて、みんなを煙に巻こうとしてるんだよ! ここだけの話……わたしが思うにはね、おそらく世界を牛耳ってる某秘密結社が自分達以外の人間を弱体化させるためにコーラを売ってるんじゃないかな? もちろん、みんなを弱らせて支配しやすくするためにね」


 だが、彼女はまっこうからそのガセ情報を信頼し、さらには周囲に目配せをした後、小声になって自分独自の陰謀論まで付け加えてくれる。


「都市伝説ってのはね、もっとこう、科学的根拠がまるでないもののことをいうんだよ。そういうとこ、ちゃんと見極めないといけないよ?」


 いや、コーラの話も充分、根拠がないと思うんですが……そして、あなたにだけは科学的云々ということを言われたくはない。


「そうだな、例えば……あ、そうそう! この目之頭公園にまつわるこんな都市伝説は知ってる?」


 醒めた眼差しで見つめる俺を他所に、彼女は顎に人差し指を付けてしばし考えると、また何かトンデモネタを思い出したらしく、嬉々とした表情で口を開く。


「あのね、ここの公園でボートに乗ったカップルはなぜだか絶対に別れるんだって。ああ、そっか。もし、これでわたし達も別れたら、その都市伝説が真実だってことが証明されるね」


 ……乙波さん……痛い……ものすごく心が痛いです……。


 なんら躊躇いも見せず、むしろ愉しそうに無邪気な笑顔でそう告げる彼女に、俺は心の中で密かに男泣きに泣いた。


「ハァ……」


 そして、そんな傷心を紛らわすべく、手にした缶の栓を乱暴に開け放つと、炭酸たっぷりのコーラを無駄に呷ろうとする。お酒は二十歳になってからだが、本当ならアルコールでもかっ食らいたい気分だ。


「ああ! 飲んじゃうの? 骨、溶けちゃうよ?」


「いいんだ。今はタコにでもなって、深いマリアナ海峡の底にでも沈んでしまいたい気分だからね……ああ、深海ならタコよりもダイオウイカかな……」


 それを見て、乙波が真剣な表情で止めようとするが、俺は遠回しにそう嫌味を言うと、炭酸と心の傷に胸を痛めながら、その骨を溶かす悪魔の飲み物を一気呵成に飲み干した。しかもヤケクソになって、彼女の分も含め350㎖を立て続けに2本。


「うぷ……さて、一休みしたし、これからどうしようか? もうそろそろお昼だし、なんか食べに行く?」


 炭酸ガスで胃の中は充分満たされていたが、時間が時間なので彼女のことを考え、俺はそう提案をしてみる。心はズタズタに引き裂かれたが、それでもまだジェントルメンとしての埃だけは失っていない。


「そうだね。でも、時間もったいないからコンビニでおにぎりでも買ってすまそうよ。早くホッシー捜索の続きをしなきゃ」


 だが、彼女は仕事熱心にも年頃の女子とは思えないほど食べることに感心を示さず、いるかいないかもわからないUMAの捜索をなおも続行しようとしている。


 まあ、さっき「一息・・入れよう」と言ってボートを下りたので薄々予想はしていたが、俺はまたしても、あの孤独な重労働に戻らなければならないということだ。


「え? まだ続けるの? ……ねえ、これって、デートなのかな?」


 それを考えると思わずそんな言葉が俺の口をついて出てしまう。カップルでUMA探し……しかも、彼氏はただの漕ぎ手役だなんて、俺の知っている〝デート〟というものとは明らかに次元の違う代物のような気がしてならない。


「うん。デートだよ。デートって、カップルで行きたいとこに行って、したいことすることでしょ? じゃあ、わたしはホッシーの捜索がしたかったんだから全然問題ないよ」


 しかし、彼女はまるで疑問を感じていない様子で、相変わらずのカワイらしい笑顔を惜しげもなく披露しながらそう答える。


「あ、ああ、そうだな……うん。これはデートだ。デートに違いない。これ以上にデートらしいデートがどこにあろうか……」


 惚れた者の弱みか? はたまた男という愚かな存在に生れついたが故の悲しきさがなのか? 完全無欠な彼女の笑顔にもうそれ以上、何か反論するようなこともできず、俺は独りブツブツと念仏が如き暗示の言葉を自分に言い聞かせるようにして唱え、拭いきれぬ疑問も強引に拭い去り、無理矢理感極まりなくも、そう思い込むことにしたのだった。


 その後、コンビニにぎり(俺はスタンダードなカナダ産キングサーモンと紀州産梅干しだったが、彼女は〝NASA監修・宇宙食にぎり〟などという、初めて目にする得体の知れないものだった…)による軽い昼食を挟みつつもホッシー探しは夕方まで続き、遠くの空が綺麗なオレンジ色に染まり、池の水面も黒々と辺りが薄闇に包まれ始めた頃、ようやくにして彼女とのデートらしきもの・・・・・・・・はお開きとなった。


 無論、俺が腕に極度の筋肉痛を負っただけで、謎の未確認生物発見に至らなかったのは言うまでもない。


 だが、その帰り際……。


「今日はつきあってくれてありがとう。じゃ、明日は赤毛山あかげやまへハイキングに行こうね!」


「…………え?」


 薄暗い黄昏時の公園で、恋人達が密かにちちくり合い始めるロマンティックなシチュエーションの中、そんな短い会話により、次なるデートの計画が彼女の独断で一方的に決められたのであった――。

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