Case2 蓬莱池のホッシー(1)
そして、今週末の土曜である。
「――こうしてボート漕ぐのなんてっ……昔、親と遊びに行った時以来だよなっ……」
あの時かわした約束通り、現在、俺は天根乙波と
この目之頭公園は市内有数の市民憩いの場であり、デートスポットとしてもそれなりに人気のある場所だ。
水上から園内を見渡せば、家族連れに混じって若いカップルもあちこちに確認することができ、また大きな蓬莱池では古くから貸しボート業が行われているので、俺達同様、ベタで古風なボートでのデートを楽しんでいる者達もちらほらと見受けられる。
「……なかなかっ……一人でオール漕ぐのってっ……体力っ……要るねっ……」
だが、がんばってオールを漕ぎながら話しかけても、一緒に乗っているはずの乙波はまるで返事をしてくれない。
「……そろそろっ……限界っ……ハァ……ハァ……もしも~し! 乙波さ~ん! 何か見付かりましたぁ~っ!?」
俺は乳酸の溜まって鉛のように重くなった両腕を休めると、激しく肩で息をしながら1メートも離れていない彼女に向かって大声で叫ぶ。でなければ、おそらく彼女の耳には届かないからだ。
「………………」
だが、それでも聞えなかったのか? 波風のない静かな湖面同様、舟上にはまたしても時間が止まったかのような沈黙が流れ、独り大声で喚くけったいな俺の言動に、近くを通り過ぎるボートのカップルが不審そうな目で視線を注いでゆく。
ま、例え俺の大声がなかったとしても、そんな目で見られるのも当然のことだろう……なにせ、今、俺の目の前では、乙波が水中眼鏡とシュノーケルを装着し、人目もはばからずに池へ顔を突っ込んでいるのだから。
「…ぷはっ……どうしたの? ボート止まっちゃったよ?」
俺の声は聞こえなくとも、どうやらボートの失速には気付いたらしく、水中から顔を上げると、彼女はシュノーケルの吸い口を吐き出しながら訝しげに尋ねる。
「…ハァ……ハァ……どうしたもこうしたも……てか……ハァ……ハァ……なんというか、まあ……」
そのフリルの付いた女の子らしい萌黄色のワンピースに、水中眼鏡とシュノーケルというアンバランスでシュールなファッションもこれまたものスゴイ眺めだ。
常識ある一般人諸氏の方々は「なぜ彼女がこんなことをしているのか?」という大いなる疑問に当然、捉われていることと思う。かく言う俺だって、突然、彼女が池に頭突っ込んだの見た時にはそうだった。疑問に思わない方がどうかしている。
だが、彼女は何もふざけたり、ウケ狙いでこんなことをやっているのでもなければ、そうしたお茶目な一面を見せることで、「まったくもう、このカワイイやつめぇ」と俺の気を惹いて、よりいっそうデレデレにさせようという、あざとい作戦を取っている小悪魔なわけでもない。
そのような浮ついた気持ちなど微塵も差し挟む余地がないほど、彼女としてはいたって真剣なのだ。
周りの痛すぎる視線をものともせず、白昼の公園で堂々と、乙波がこんな奇妙な行動を取っているその本当の理由……それは最近、この蓬莱池で目撃されたというUMA(未確認生物)、通称〝ホッシー〟を探すためなのだ。
なんでも、そのホッシーなる怪物は背にノコギリ状のヒレが生えた爬虫類的な生き物で、一週間ほど前、水上へ覗かせたそのヒレで湖面を波立たせながら泳いでいる異様な姿が、早朝、ジョギングをしていた一般市民によって目撃されたらしい……。
ローカルなテレビニュースでも取り上げられ、ちょっとした騒ぎになっていたので俺でもその話は知っている。簡単にいってしまえば、いわゆる〝ネッシー〟みたいなやつで、太古の昔に絶滅した首長竜、特にプレシオサウルスの生き残りである云々という説が今のところ有力だ……無論、トンデモの間限定であるが。
悲しいかな、そもそも乙波がこの公園でボートに乗りたいと言い出したことからして、別に俺とここでデートがしたかったわけではなく、
けして認めたくはない、できれば目を逸らしたくなるような現実なのであるが……俺はデートの相手というよりも、いうなれば彼女の捜索を手伝う助手といった存在なのだ。
「……ん? 上敷くん、なんか息が荒いね。大丈夫?」
濡れた前髪を掻き上げつつ、水中眼鏡をツルツルなおでこの上へとずらした彼女は、小首を傾げながら暢気な声で尋ねてくる。
「…ハァ……ハァ……あ、ああ、ちょっと疲れただけだから……で、何か見付かった?」
「ううん。それが全然。アノマロカリスの一匹すら見付からないよ……」
大丈夫じゃないほど肉体も精神も疲労していたが、男としてはカノジョの前で弱音を吐くこともできず、多少見栄を張って平気な顔を装うと、乙波はそんな俺の心中も知らず、首をふるふると振って残念そうに項垂れる。
「アノマロカリスて……」
アノマロカリスとは古生代カンブリア紀に生息し、その時代、食物連鎖の頂点に立っていた水棲絶滅生物である。
見た目、口元から牙のように二本の巨大な触手が伸びた、身体の側面にヒレ状の脚がたくさんあるエビみたいなやつだ。
確か〝スカイフィッシュ〟という透明で空を飛びまわる昆布のような形状のUMAは、そのアノマロカリスがぢつは絶滅せずに生き残り、生息圏を空中にまで広めたばかりか、肉眼では捉えられぬほどの超高速で飛べるように進化したものだという説が一時期あったような……。
ま、その後、そうした超常現象系のスペシャル番組で、実際には飛んでるハエなどをカメラで撮影した場合、機械上の問題で映る残像がその原因だったという説明がなされていたと思うが……。
「はぁ……わたしも疲れたから、一息入れようか?」
「ああ、そうしてもらえると助かるよ……」
現在、朝の9時から始まって早や2時間が経つ懸命の捜索においても、ホッシーどころか、そのトンデモ系と親和性の高い古代の絶滅生物すら見付からず(いや、見付かったらその方が大ごとなのだが…)、大きく溜息を吐いてそう提案する彼女に、俺は内心、胸を撫で下ろしつつ、その意見に賛同した――。
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