Case13 千里眼

「ハァ……」

 その翌朝も俺は深い溜息を吐きつつ、生徒で賑わう廊下を教室へと向かっていた。

 だが、昨日と大きく異なるのは、最早、俺の心に迷いがないということである。俺はもう、乙波と別れることを固く心に決めているのだ。

 あの後、家に帰ってからも眠れぬ夜をじっくり考えに考え抜いてみたが、結局のところ行き着く答えは、もうこれ以上、彼女とつきあい続けることが俺には不可能であるという、やはり同様の結論だった。

 それに有尾から聞いた話では、案の定、乙波はクラス内で少し浮いた存在になっているらしい……もし、ここで俺と別れれば、昼も教室でクラスの女の子達とおしゃべりしながら一緒にお弁当を食べ、トンデモ以外のことへも目を向けて、真に女友達とも打ち解けられるようになるかもしれない。

 そうだ。やっぱり俺達はお互いのために、この辺で別れた方がいいんだ……それが、俺達にとっての最良の選択なんだ……。

 今日、彼女に会ったら、ちゃんとそのことを伝えよう……。

「あ、上敷くん! ちょっと来て。話したいことがあるんだ」

 しかし、そんな俺の固い決心は、朝の挨拶もそっちのけで声をかけてきた乙波に出鼻を砕かれてしまう。

「え? あ、ああ、こっちも大事が話ある……」

 いつものトンデモ話をしてる時以上に真面目な顔をして言う乙波に少々面食らいつつも、俺も真剣な表情になってそう答える。

「でも、ここじゃあれだな……他人に聞かれるとマズいから、どっか誰もいない所に行こ?」

「ああ、わかった。それじゃ、屋上にでも行こうか?」

 すると、目だけを動かして周囲を気にする乙波に、俺はそう提案すると彼女とともに屋上へと向かった――。


 二人とも無言のまま階段を登り切り、朝の清々しい空気に包まれた屋上へと足を踏み出す……思った通り、こんな早い時間帯ではサボりの生徒も昼寝…いや朝寝はしておらず、俺達以外、動くものの姿はまるで見当らない。

 朝のHR開始まではまだまだ時間がある……その時・・・は思ったよりも早く来てしまったが、これは考えようによってはいい機会だ。今ここで、はっきりと別れの言葉を彼女に伝えよう……。

 そういえば、この屋上は彼女に告白をした場所でもある……彼女との恋はここに始まり、ここで終るのか……うん。なんだか一本筋が通っていて、それもなかなか悪くはない。

 天の采配か、突然訪れた運命の時に俺は改めて決意を固くする。

……だけど、さっき乙波の言ってた話ってのは一体なんなんだろ? 妙に真剣だったし、他人に聞かれたくないってのは……。

 朝露に湿ったコンクリートの床に二人して立ち、微妙な距離間をとって彼女と向かい合いながら、俺は不意にそのことが気になってしまう。

 もしや、向こうから別れを切り出すつもりだとか? それはなんか、ちょっと嫌だな。もし彼女の方から見切りを付けられたなんてことになったら、それこそ俺は伝説として末代まで語り継がれてしまう……。

 史上初の天音乙波にフラれた男……そんな不名誉な称号を持って呼ばれる未来を想像し、俺はよりいっそうブルーな気持ちになる。

 ……いや、それは考え過ぎってもんか。乙波のことだ。どうせまた取るに足らないトンデモなデンパ話に違いない。そんなもん気にせず、とっとと言うこと言ってスッキリしてしまおう……。

「あ、あのさ…」

「となりの失踪事件、あれはやっぱり宇宙人による誘拐だったんだよ! ほら、その証拠にわたしにも脅しをかけてきた」

 一瞬、不安を覚えるも気を取り直し、意を決して口を開こうとした俺だったが、そんなことをあれこれ考えている内にも彼女に先手を取られてしまう。

「……え? 脅し?」

 しかも、まあトンデモ話だったというところは予想通りであるが、先に開いた彼女の口より聞かされたのは、俺の決心など一瞬にして吹き飛んでしまうような、その予想を遥かに上回る、ありえない報告だったのである。

「うん。脅しの手紙だよ」

 言うとともに、乙波は俺の方へ一通の白い封筒を差し出してみせる。受け取って両面を返し見ると、宛先はカタカナで書かれた彼女の名前だけで住所はなく、送り主も記されてはいない。切手なども貼られてはいないところからして、郵送されたものではないらしい。

「今朝、うちのポストに入ってたんだよ。見てみて」

 つまり、誰かが直にポストへ入れてったってことか……。

 乙波の指示通り、俺は中の手紙を取り出してみる。すると、その折り畳まれたA4サイズの白い紙には、次のように短い文章だけがシンプルに印刷されていた。

 

 アノ日、見タコトハスベテ忘レロ。モシ誰カニシャベッタラ、命ハナイモノト思エ。


 ……なんとも物騒な内容である。しかも、ミステリの脅迫状では王道の不気味なカタカナ表記……それ以外には何も記されていないが、確かにこれは脅し以外の何ものでもないだろう。

「にしても、これは一体……」

 ただの悪戯にしては悪ふざけが過ぎる……あの黒尽くめは刑事だったし、まさか妄想の中のMIBからこんな脅しが来るなんてことは……ひょっとして、乙波の自作自演?

 あるはずのないその脅しに、俺は最初、そんな疑いを持った。だが、それが最も低い可能性であるとすぐに気付く。

 ……いや、それはないだろう。嘘吐いて周りの関心惹こうとかしてるただの目立ちたがり屋さんならともかく、こいつはガチでUFOやMIBの存在を信じているのだ。

 そして、これまでに付き合わされたトンデモ調査でも明らかなように、こいつはトンデモでもトンデモなりに、一応、真剣にそれを検証しようとしている。だから、そういった工作をする必要は微塵もないし、むしろ、そんなことしたら自分で自分を否定してしまうようなものだ。

 いや、でも……だとしたら、一体、誰がなんの目的でこんなものを……。

「それに昨日うちへ帰る時、誰かにつけられてるような気がしたし、夜もカーテンの隙間からこっそり覗いてみたら、電柱の影に黒尽くめの男が立ってて、じっとうちの方を見張ってるのが見えたんだよ」

 まるで妄想を現実化するようなその手紙に目を奪われていると、乙波はさらに気になることを付け加える。

 誰かにつけられた? 家を見張ってる? ……それも、妄想の話ではないのか?

 ……警察がそんなことをするとは思えない。乙波は事件とまったくの無関係であるし、そもそも警察が捜査しているのはあくまでも失踪事件であって、今のところ、まだ犯罪性があるかどうかもわからないのだろう? まあ、すべては彼女の勘違いかもしれないけど、それじゃあ今、目の前にあるこの手紙はどういうことになる? いずれにしろ、乙波に悪意を持つ何者かが存在するということか?

 何がなんだかさっぱりわけがわからない……けど、妙に胸騒ぎがするっていうか、どうにも嫌な予感がする……。

「こうやって脅しをかけてくるってことは、あの失踪事件に宇宙人が関与しているのはもう明白だよ! こうなったら宇宙人の仕業だっていう証拠を絶っ対ぃ、突き止めてやるんだから!」

「い、いや、これは悪戯や冗談なんかじゃないかもしれない。もうこの件からは手を引いた方がいい」

 逆効果にもますます意気込みを見せる乙波を、俺は不安に顔を強張らせながら真剣な声で制する。

「ううん! これしきの脅しなんかにわたしは屈しないよ? こんなUFOや宇宙人の存在を証明する絶好のチャンス、もう二度と来ないかもしれないからね」

 だが、彼女は首を横に振ると、頑として俺の言うことを聞こうとはしない。

「いやそうじゃい。これは脅しなんかじゃなくて、本当に危険かもしれないんだ。うまく説明できないけど……とにかく、今回だけは遊び半分で首を突っ込んじゃいけない気がするんだよ」

「遊びなんかじゃないよ! いつだってわたしは本気だよ! どうしてそんなこと言うの? いつもは調査に協力してくれるのにさ。今日の上敷くん、なんか変だよ!」

 それでも諦めずに説得しようとする俺に、乙波は目を吊り上げると声に怒気を含ませる。

「変なんかじゃないよ。ほんとに危険だって言ってるんだ!」

「危険なんて前々から承知の上だよ! そんなこと言うんだったらもういいよ! 上敷くんはつきあってくれなくたってさ。あとはわたしだけで調査するから」

「どうして!? そっちこそ、どうしてそこまで拘るんだ!? そんなにまでして、どうして、こんなたかだかトンデモなことに!?」

 聞きわけのない彼女に、今度は俺の方が思わず声を荒げてしまった。

「………………」

 いつになく怒鳴り声を上げた俺に、乙波は目を大きく見開き、口も半開きにポカンとした顔をしている。

「……あ、いや……だから、どうしてこんな……その、UFOとか都市伝説とか、そういう系のことにそんなに拘るのさ? もしかしら、ほんとに危険な目に遭うかもしれないっていうのに……」

 思わず怒鳴ってしまった後で言ってはならないことを口にしたと気付き、俺は一気にトーンダウンさせた口調で改めて乙波に尋ねる。

「……そっか……上敷くんもやっぱりそう思ってたんだね……ま、普通はみんな、そうなんだよね……」

 すると、彼女は不意に淋しげな笑みをその顔に浮かべ、何かを悟ったかのように告げる。

「この話を他人にするのは久しぶりかな? ……そんな質問、ずっと誰からもされなかったからね……」

 そして、屋上の縁へゆっくり近付くと柵の上に腕を乗せ、遠い空を見つめながらおもむろに昔語りを始めた。

「実はわたしの死んだおばあちゃんね、千里眼を持ってたんだ」

「せんりがん?」

「そう。〝千里の先も見通せる眼〟って意味で千里眼。未来を見たり、透視をしたりできる力のことだよ。生まれつき勘の鋭い子だったらしいだけど、あたしぐらいの歳に開花したみたい。でも、本人はそれが普通だと思ってたから、意識なくその能力を使って近所の人の失くし物を探してあげたり、亡くなる人や天災とかの予知もしたんだって」

 ……ああ、急に改まって何かと思えば、そういう超能力のことか。また唐突にスゴイ話だが、嘘か真か、そういう力のある人間の話はなんとなく聞いたことがあるような気もする。

「当然、その力のことはすぐに評判になってね、まだ若い頃には、どっかの大学の先生が研究したいって言ってきたこともあったんだって。それで、その先生と透視実験をやることになって、新聞で取り上げられたこともあるって言ってたな」

 いつもながらにトンデモな内容ではあるが、どこかいつもと違うその話し方に、俺はツッコミを入れることも忘れて、じっと彼女の声に耳を傾ける。

「でも、ちやほやするのは最初の内だけ。すぐにマスコミも周りの人達もおばあちゃんをインチキだの、詐欺師だのと罵って、おばあちゃん、それはそれは大変な思いをして生きてきたみたい。わたしが生まれた頃にはもう、その力のことは周囲に隠して暮らしてたからね」

 だろうな……それは今も昔も変わらない。いや、インターネットが発達し、SNSの炎上が頻発する現代社会の方がもっとひどくなっていると言っていい……いつの世も、マスコミや大衆はそういう身勝手で無責任なものなのだ。いい時には持ち上げるだけ持ち上げておいて、ちょっとでも何かあれば、すぐに責め立てる側に恥ずかしげもなく転じる……それまではあんなに熱狂してたのに、あたかも最初から信じてなどいなかったというようにだ。

 普段、乙波や彼女と同じ属性の者達をトンデモ呼ばわりしている俺ではあるが、彼女の語る人間の業を凝縮したようなその不条理な話に、俺はなんだかやるせない気持ちになりながら、自分のことを棚に上げて、そんな柄にもない社会への憤りを覚えてしまう。

「だけど、わたしは知ってるんだ。おばあちゃんが本当に千里眼の力を持ってたってこと……だって、わたしが物を失くしてもいつも簡単に見付けてくれたし、悪い予感がするって外出を取りやめて、危うく事故に巻き込まれるのを避けられたことだって数え切れないくらいあったんだから」

 ……それは、ほんとの話なのか? やはり、今回はいつものトンデモ話と違ってなんだか妙に現実っぽい……。

「それなのに、他のみんなは誰も信じてくれない。友達に言っても嘘吐き呼ばわりされるし、先生に言ってもはぐらかすだけだし……それにおばあちゃんにも、この力のことはもう誰にも言っちゃいけないよって、淋しそうな顔で注意されたしね……すっごく悔しかったな。本当のことなのに誰も信じてくれないし、誰にも言っちゃいけないだなんて……わたしもおばあちゃんも、何も間違ってなんかいないのにね……」

 きっと、彼女は祖母のことが大好きだったのだろう……朝の澄んだ空を映す彼女の黒い円らな瞳も、その美しさの中になんだかとても淋しげな色を湛えている。おばあさんが乙波を注意した時の顔も、今の彼女のように切ないものだったのだろうか?

「だからね、わたし決めたの。おばあちゃんの力みたいに、世間の常識なんていう嘘に歪められて、あるわけがないことにされちゃってるものの存在をこの手で証明してやろうって。そんでもって、おばあちゃんが本当にすごい力を持ってたってことを世間に認めさせてやるんだぁ……これが、わたしの超常現象や都市伝説に興味持ってる理由かな?」

 意外なことに、律儀にもその突然始まった昔話は俺の暴言に対する彼女の真摯な答えだったらしく、そう話の最後を切り結ぶと乙波はこちらを振り向き、ちょっと気恥ずかしそうに、そして、やはりどこか淋しさを含んだ笑みをその顔に浮かべてみせる。

 その美しくも儚げな笑顔に、俺は自分の人間としての小ささを悟り、大きな罪悪感を覚えた。

 彼女の祖母が本当に千里眼の力を持っていたかどうかは今となってはわからない……彼女の主張する現象はどれもトンデモで、とても信じられるようなものなんかじゃない……だけど、乙波がそれを追いかけようとする気持ちは本物じゃないのか? それはけして嘘や偽りではなく、誰にも馬鹿になどできない、人間として持っていて当然の、あるべき純粋な気持ちなのではないだろうか?

 ……それで……だから、乙波は………。

 俺は、そんな彼女のことが愛おしくて堪らなくなった。惚れ直したと言ってもいい。しかも、今度は見た目だけではなく、彼女の内面にもだ。

「でも、これはわたしの事情だからね。上敷くんまでそれに嫌々付き合わせるのはよくないよ……うん。ここらが潮時だね。いい機会だし、ここで別れよう? 今まで付き合わせちゃってごめんね。それから、どうもありがとう」

 浅はかにも愚かな決心などしていた自分を恥じ、懺悔の念を抱きながら立ち尽くす俺に、乙波は無理にぎこちない笑みを作りながら、何かを悟ったような顔で別れの言葉を告げる。

 きっと、これまでに何回も、彼女はこんな風にして別れの時を迎えてきたに違いない……それは、俺が思っていたようなものでも、尻合や他の連中が噂するようなものでもなかったのだ。

 相手に別れ話を切り出された時、彼女はけして平気でなんかいやしなかった。その度ごとに、こうして悲しい思いをさせられ、人知れず心を痛めてきたのだ。そして、今回も……。

「ちょっと待った。誰が別れたいなんて言ったよ。つきあう時、宣言したはずだろ? 例え火の中、水の中、どこへだって君とのデートにつきあうってね」

 だが、俺は手を前に突き出してその口を塞ぐと、少々気取った調子で改めて乙波にその決意を表明する。

「上敷くん……」

 俺のその言葉が予想外だったのか、彼女はまたポカンと目を見開いて、俺の名前を譫言のように呟いている。

「けど、こんな脅しをかけてくるやつもいるんだ。今回のこの件に関してだけは本当になんだか嫌な予感がしてならない……」

「で、でも…」

「だから、これからはどんな調査をする時にも、絶対に俺と一緒に行動すること! それが、俺達がつきあうに当っての改めての約束だ」

「はぁ! ……うん!」

 今度は淋しさなんか微塵も混じっていないとっびっきりの笑顔で、乙波は大きく俺に頷いてみせた。

 キーンコーンカーンコーン…♪

 と、そんな時、この感動の場面をぶち壊すかのように、始業を告げるウエストミンスターのチャイムが間の抜けたテンポで学校内に響き渡る。

「……あ! ヤベっ! ホームルーム始まっちゃうよ! よし、急ぐぞ?」

「うん!」

 二人一緒に朝からサボりとは、皆にいろいろと勘繰りを入れられそうな大変マズイ事態ではあるが、俺と乙波は再び笑顔で頷き合うと駆け足で階下へと通じる階段へ向かった――。

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