第6話 「過去にも二例ほど、同様の現象は確認されていまして……」
第二章
「買い取れない!?」
ギルドの酒場。
クエスト受注カウンターの一角で、エインズ・エルテンシアは叫んだ。
仕事帰りや準備中の討伐屋で賑わう酒場の視線が、C級装備を身に纏った、小柄な彼女に集まった。が、エインはそれに気づく余裕もない。
「ど、どういうこと!? え、アタシ何か手続き間違えた!?」
「い、いえ。手続き等に不備はなかったのですが……」
相手がC級装備の凄腕――ということになっている――なこともあってか、応対する受付嬢の顔は緊張やら困惑やらで青ざめている。
「も、申し訳ございません……その、私どもの方で回収にうかがい、ご報告にあったD級・粘竜の遺骸は問題なく回収に成功したのですが……」
「じゃ、じゃあおかしいでしょ! 回収したからには払うもん払うのが筋でしょ!」
「ご、ごもっともです。で、ですがその、正直なところ私どもの方も混乱しておりまして」
基本的に、討伐した竜の遺骸はクエストを発注したギルドが買い取る。
希望すれば武具の素材となる部位はその竜を討伐した討伐屋に報酬として与えられ、希望しない場合も、査定にかけた上で相応の金額が、規定の報酬に上乗せして支払われるシステムになっている。
今回、粘竜一体分の素材だけでは武具に変えるには量や種類が足りないこともあり、赤青コンビの了承の下、エインたちは換金を選んだ。
木っ端微塵ではあってもD級の遺骸だ。
相応の査定額が期待できるものと踏んでいたエインたちは、まさかの買い取り拒否の回答に面食らっている次第である。
唯一、こうなることを予見していたかのように、酒場の端のテーブルに突っ伏している、F級のコミュ障を除いての話だが。
「ど、どうか信じていただきたいのですが……そして間違ってもその背中の大太刀を抜き放つことのないよう心の準備をしていただきたいのですが……」
ちらりと、受付嬢の視線がカウンターの奥、各々の仕事に集中しているように見えて実は手を止め、固唾を呑んでこちらをうかがうスタッフたちの方を見る。
気づけばエインたちの両脇は数人の、いかにも屈強そうな討伐屋たちに固められている。中にはD級装備の精鋭まで交じっていた。
理由を聞かされたエインが怒りで暴れ出した際、すぐさま制止できるようにだ。
無論、実情を知らない彼らの方も、ほんの数人がかりでC級装備のエリートを制圧できる自信などなく、その顔には一様に緊張がにじんでいた。
そのただならぬ気配はエインたちにも伝わった。
エインはごくりと喉を鳴らし、赤青コンビも怯えた様子で身を寄せ合っている。
「い、いいわ。暴れたりしないから大丈夫。言ってみて」
「ほ、本当ですか? 本当に本当ですか? あの私、私事ですがまだ幼い弟妹を養わねばならぬ身でして、ま、万が一のことあったらあの子たち、ろ、路頭に迷……っ」
「いーから言えっての! 言わないなら今すぐ」
「ああああごめんなさいごめんなさい言います言います粘竜の『加護』が消えてるんですぅううううううううううっ!」
「なるほど。『加護』が消えてたの。それじゃしょうがなわけあるかああああああっ!」
「いやああああああごめんなさい嘘じゃないです助けて誰かぁあああああっ!」
エインはバンッとカウンターに両手をついた。
つもりだが、C級装備の膂力である。実際に鳴り響いたのはバンッではなくバキィッ! で、単なる木製カウンターはごっそりエインの手の形にえぐれた。
「やべえやっぱキレたぞ!」
「う、受付嬢ちゃんを守れぇえええ!」
「お、おぉおおおおっ!」
待機していた討伐屋たちがエインに殺到し、その四肢を押さえようとするが――、
「っ、ひああああああ!? アタシに触るなああああああっ!」
ちょっとしたトラウマ体験からまだ日も浅いエインの逆鱗に触れ、力任せになぎ倒された。
群がってくる男どもを千切っては投げ千切っては投げ。飛ばされた何人かの身体は、突っ伏しているF級の頭上を襲ったが、もちろんエインは気にしない。
気にするべきは、受付嬢の言い分だった。
「『加護』が消える!? そんなわけないでしょ! 木っ端微塵になったって相手は竜よ、竜の『加護』よ!? 竜が死んでも『加護』は生きてるから装備だって作れるんでしょうが! アタシにだってそれくらいわかるわよ!」
『加護』とは、言い換えれば竜の肉体それ自体が宿している魔力である。
これは何も竜に限ったものでなく、ほかの動植物も、人間も、『加護』と呼ばれる
魔力自体はその身に宿しているものだ。生まれつき強い『加護』に恵まれた人間は、身に宿す『加護』を魔力として自在に操る術を学び、魔術師と呼ばれる職に就くこともある。
が、竜がその身に宿す『加護』は、魔術師と比較しても桁外れに強い。
こと戦闘に関しては魔術師などより、竜の遺骸で作った装備を身に纏う討伐屋や兵士の方が強い。それゆえ魔術師も、各種ポーションの調合や装備、魔導器の製造等で活躍している者がほとんどである。
人間の個体差による『加護』の強弱など、竜の遺骸の持つ『加護』と比べれば誤差のようなものなのだ。
さらにもうひとつ、竜の『加護』には特徴がある。
人間やほかの動植物とは異なり、竜自身が生命活動を止めようと、竜の遺骸から『加護』は消えない。なぜ竜の遺骸だけ特別なのかは不明だ。竜は『不死身』で、たとえバラバラの肉片にされてしまっても、実はまだ『生きて』いるなんて説もある。
そんな説の真偽はともかく、竜が死んでも『加護』が消えない事実については常識だ。消えていれば討伐屋の強力な『装備』など作れない。
「おおおおっしゃる通りではあるのですが……っ! こ、こちらをご覧ください!」
「は? 何これ」
取り乱しながらも受付嬢がカウンターの残骸の上に並べたのは、いくつかの書類だった。
事務用の羊皮紙の束だ。インクで羅列されているのは竜の特徴。発見場所。この街の近くのようだが……。
「過去にも二例ほど、同様の現象は確認されていまして……」
「同様の現象?」
「は、はい。前例では誰かが討伐したのではなく、バラバラになった竜の遺骸が発見されただけなのですが……発見された遺骸からは、やはり『加護』が消えていまして」
発見された遺骸はどちらもE級の竜のもの。
竜同士の争いの結果にしては、食い散らかされた跡はなく、討伐屋の手によるものにしては、どんな武器を使えばこうなるのかと不思議なほど破壊が徹底し、しかも討伐した者が名乗り出る様子がない。
不思議ではあるが、E級でも竜の遺骸は貴重な収益だ。
報告を受けたギルドは回収班を向かわせ遺骸を回収。鍛冶職の魔術師に査定を頼んで目を剥くこととなった。
「どちらの竜も、遺骸からは『加護』が失われていました。皮も骨も普通の刃物が通るほどやわらかく、肉はなんら魔術的な加工を加えていないのに、家畜の餌として問題なく食されたぐらいで……査定の結果も、『加護』が消えているとしか考えられないと」
「で、でもそんな、ええ……? ありえるの……?」
竜の肉は強靭すぎて、魔術的な処理をしないと食べられない、食べても消化できない、消化できるのはほかの竜ぐらいだと、実家のシェフが言っていた。
エインが困惑を深めると、受付嬢もうなずいた。
「通常、ありえません。それであの、これは別に、エルテンシアさんの成果を疑うわけではないのですが……」
遠慮がちに前置きされて、エインは少し怯んだ。
粘竜を討伐したのはエインということになっている。まさかF級のあいつに助けられたなどと他人には言えない……というだけの理由ではなく、それが当のF級本人の希望でもあったからである。
理由を聞いても「知ってるんでしょ俺の秘密。なら言う必要ないよね?」と、人の悪い笑みではぐらかされた。
あれはエインが本当は秘密なんて知らないと、悟っている笑みだった。
たしかに、せっかく声をかけてやったF級に拒否されたので意地になり、知られたくない秘密のひとつや二つ誰だってあるだろうと、はったりをかましたエインが悪い。でも気づいているならそう言えばいいのに。アイツも相当性格悪い。
実際助けられてしまった手前、そう強くも出られないのだが……。
「エルテンシアさん?」
「え、な、何?」
「確認させていただきたいのですが……その、今回の粘竜、どこか様子がおかしかったりはしませんでしたか? 遭遇した時点で怪我をしていたとか、弱っていたとか」
受付嬢の質問の意図がわからず、エインは小さく眉をひそめる。
「……? や、そんな様子はなかったと思うけど」
「そうですか……あ。その、実は当ギルドとしましては、今回の件を含め過去の二例も、未発見の新たな竜の仕業ではないか、という推測、見解を持っていまして」
ギルドの職員が詳しく観察したところ、件の竜の遺骸はどちらも、まるで内側から破裂したかのように弾け、木っ端微塵だった。
たとえば、この地域の近くに特殊な『毒』を持つ新種の竜がいるとする。
それを受けた竜が内側から破裂し、かつ遺骸からは『加護』は失われる、そんな前代未聞の効果のある『毒』だ。
粘竜が別のどこかでその『毒』を受け、エインたちの前に現れてから体内の『毒』が真価を発揮し、破裂に至ったのだとすれば、一応のつじつまは合う。
毒のほかにもひたすら気性の荒い、敵対した者を細切れにする習性のある竜とか、色んな説があるが、今回、エインの目の前で粘竜が弾けたというなら、毒説が有力になる。
いずれにしろ、こんな現象、ほかの竜によるものとしか思えない。
まだ人的被害は確認されていないが、D級竜すら『加護』を含めて死滅させるこの力、ことによるとA級の危険度すら想定される。
ギルドの方ではそう考えているのだ。
「あー……そういうことね」
と不意に呟いたのは、エインの背後に控えていた、赤青コンビの赤い方だった。
妙に冷めた様子で自分の爪を気にしていたその鋭い視線が、振り返ったエインを射貫く。睨んでいるようにも見えた。いや、粘竜討伐以後、やたらとこっちを疑うような、探るような視線を向けてきていた気はしたが……。
「あたし、目ぇいいんだよね。弓使いだし」
「え、ええ。そう言ってたわ……ね……」
言いかけてエインは気づく。
多少防御力を犠牲にしても、敏捷性や特殊効果を重視して鎧を選ぶのが弓使い。彼女が戦闘中に被っていた兜は、シールド部分に視力補助の効果もあるとか言っていたはず。
つまり。
こちらから見えない距離まで遠ざかってはいても、
「どう見ても手も足も出てないのに、あの体勢で粘竜倒せるわけないんだよね」
見られてたーっ!
あの醜態を! ほとんど痴態と呼んでもいい姿を!
「それとわたしは耳がよくってえ」
続いて言ったのは青い方。
にこやかだが細められた目の奥は笑っていない。魔砲使いの彼女は、足を止めての長いチャージ時間中、目標とは別の竜の不意打ちを喰らうことを危惧し、聴力強化の兜を被っている。
「全部は無理だけど、甲高く泣き喚く声はいくつか聞き取れたわ。たとえば『C級なんて嘘』とか、『パパに買ってもらった』とか」
ざわ、と酒場の討伐屋たちが動揺を見せる。
「つまり……どういうこった?」
「あのC級装備、親が買い与えただけだってのか?」
「どんな親だよ」
「竜討伐の大家がどうのって話はどうなった?」
「いやでも、たしかにエルテンシアって、今じゃ討伐屋より銀行屋として有名じゃねぇ?」
「まあ買ったもんでもC級装備ならそれなりに……」
「聞く限りそのC級装備でD級相手に手も足も出なかったんだろ?」
さーっと青ざめていくエイン。
親に買ってもらった装備で凄腕討伐屋の『フリ』をして、あまつえさえ本物のC級装備で、D級相手になんにもできなかったとバレてしまった。
怯えていたはずの受付嬢も、「え。それって……」と訝しげだ。
「それでも粘竜がああなった以上、あんたが何かしたのかと思ってたけど」
「まさか単にほかの竜の『毒』で運よくああなっただけなんてねえ……」
「ちょ、ちょっと待って。ごめん、ごめんなさいアタシ……」
あわあわと取り繕い始めるエインに、しかし、赤青コンビは笑顔を見せる。
「いや気にしなくていいって。E級だけでもそこそこの実入りにはなったし」
「ええ。探索中の資金も出してもらったおかげで儲かっちゃった。天幕も快適だったし」
「え。そ、そう? じゃ、じゃあこれからも――」
「「それは無理」」
「なんでよー!?」
声を揃えて拒絶され、エインは涙目になる。
「や、いくらC級装備でも、さすがにド素人に命預けるのはやだし」
「その装備譲ってくれるなら考えてもいいけどねえ……」
さすがに親にもらったものを簡単に譲れはしないし、そもそもこの装備がなければエインなどあっさり死にかねない、実際死にかけたので譲れない。
そんな内心が顔に出ていたのだろう。
「ま、わりと楽しかったけど」
「今後ともエインちゃんのご活躍をお祈りしています、ってことで」
「や、ま、待っ」
「「さようなら」」
こうして、赤青コンビは離脱した。
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