第5話 「粘竜ってメスいないんだよね。で、だいたいほかの動物のメスの胎内に卵を――」
土煙を巻きあげ、距離を詰めるそのスピードはさすがのC級装備である。
D級とはいえ粘竜の動きは緩慢。肉迫まではそれこそ一瞬だ。
エインは手にした大太刀を袈裟懸けに振るい――、
――ばよん、と。およそ肉を断ったものとは思えぬ音が響いた。
「え。あ、あれ? このっ!」
ばよん。
ばよん。
ぼよん。
エインは続けざまに太刀を叩きつけていくが、粘竜の表皮を包む粘液は中途半端に硬化して、刃を跳ね返す。
ひと通り斬撃を試すと、エインは慌てた様子でまた土煙を巻きあげ、こちらへ戻ってきた。
「な、ななな何アレ。嘘でしょこれC級装備なのに効いてないんだけどっ! あいつホントにD級!? B級じゃないの!?」
「……刃筋が全然立ってないし。B級以上の武器でもなきゃ打撃は効かないよアレ」
「さ、さっきはちゃんと斬れたもん!」
「E級相手にC級武器なら打撃でも効くし。さっきのは斬るっていうより抉るって感じだったからなあ……」
大太刀が使いこなすのが難しいと言われる所以である。
全武器種中随一の斬れ味を十分に発揮するには、対象に対し刃筋を垂直に立て、かつ刃先が触れると同時に滑らかに柄を引くという、繊細な操作を要求される。
大剣に次ぐ重さと長さのせいで振るうのもひと苦労で、その点、きちんと振るえているだけエインは大太刀を「そこそこ」使いこなせている。
が、常に刃筋を垂直に保てるほどの熟練度ではなく、そして、刃筋がきちんと立っていない、カミソリでぶっ叩くような打撃混じりの斬り方では、粘竜の粘液は貫けない。
「き、斬るのがダメなら刺突! 一点にパワーを集中すればきっと!」
「あ。いやそれは……」
止める間もない。
エインはまた一息で粘竜との距離を詰め、大太刀の切っ先を片手で突き出す。
はたしてズブリと、切っ先は粘竜の粘液を突き破り、その表皮へと潜りこむ。
潜りこんで、そして。
「あ、あれ。ちょ、ちょっと待ってね? んーっ、く、んーっ! ……タイム」
再びエインが駆け戻ってくる。
はぁはぁと肩で息をした後に言う。
「あ、あの。刺さったまま抜けないんだけど」
「中の筋肉で絡めとられたね。粘液も硬化してるから、ちょっとやそっとじゃ抜けないよ」
「だから先に言いなさいよーっ!」
「だから言う前に行っちゃうから……」
エインは見事に徒手空拳となった。
わずかに涙目になったその顔に、巨大な影が落ちる。
見あげれば二人のすぐ眼前まで、粘竜の威容が迫ってきていた。
ぼこぼこぼこ、と。
全身から何本もの触腕が立ちあがり、
「お、お食事の邪魔しちゃったみたいね? あ、あの……ごめ」
ゴッ、と目にも留まらぬスピードで、エインの小さな身体を鞭のように打った。
「……あ。や」
ば、とジンが漏らす間もなく。
吹き飛ばされたエインの身体を急いで抱き止めたジンは、あえなく自身の足も地から離して吹き飛ぶ羽目に陥った。
背中で地面を削るように数度跳ね、ガッと巨樹の幹にぶつかってようやく止まる。
「いっっったぁああああああい!?」
エインが絶叫する。ジンも小さく呻き声を漏らした。エインのC級装備のおかげで威力はだいぶ死んでいたが、F級装備でこの衝撃は骨にくる。
「む、無理無理! あんなの無理! もうやだ帰る! アタシ帰る!」
むき出しのお腹を押さえてうずくまったエインは、そんな今さらな泣き言を喚いた。
それからやけになったようにジンを振り返り、
「ア、アンタ男でしょ!? なんとかしてよ!」
「……それを言うなら君C級でしょ。なんとかしてくれ」
「違うもん!」
「何が違うの?」
「……っ」
とっさに言い返してから「しまった」という顔で、エインは口をつぐむ。
だがそれも一瞬だ。キッと眼差しを怒らせて、なかばパニックなのかヒステリックな声をあげる。
「そうよ嘘よ、C級なんて嘘!」
「……装備は本物に見えるけど」
「パパに買ってもらったの!」
決めた。
エルテンシアの当主の旦那、会ったら殴る。
「……どこの世界に娘にC級装備買い与えるバカ親がいるんだ」
「いるわようちに! わ、悪い!?」
「いや悪いでしょ。E級装備で揃えた軍隊ひとつ買い与えるようなもんだよ」
誇張ではなく、値段も維持費も戦力も、C級装備にはそのぐらいの価値がありコストもかかる。値段だけでも城とか田舎街を丸ごとプレゼントみたいな、そういう次元だ。
「で。君はド素人なのに、せっかく買ってもらったC級装備があるからと、『試し』に討伐屋になってみたと」
「……そ、そうよ。今じゃほとんど金貸し屋だけど、うち、一応竜退治で有名になった家系だし……ちっちゃい頃から剣の練習だってしてたし……」
やってみたかったと、エインは呟いた。
やってみたかった程度でやってみちゃダメな業種だと思うんだけどなあ……と、ジンは心中で嘆息する。まあ、そこそこは大太刀を振るえていたのは練習の成果か。
「剣の練習してたならせめて大剣にすればよかったのに」
「大太刀の方がなんかカッコよかったんだもん」
「見た目ぇ……ていうか、単独でC級討伐したとかB級討伐間近とかって話は」
酒場で野次馬が言っていた「噂の美少女討伐屋」のくだりを思い出したジンが問うと、エインは気まずそうに目をそらす。
「……………………サ、サクラ」
「雇ったのか……」
わざわざ。凄い自分の演出のために。
あのいやに丁寧な野次馬の解説を思い出す。わざとらしいのではなくわざとだったとは。
「まあ。これに懲りたら二度と討伐屋なんてやらないように」
「え。ちょ、ちょっとアンタ、もしかしてなんとかできるのアイツ!?」
ジンの忠告から「今回は助けるけど」というようなニュアンスを感じ取ってか、エインは期待に満ちた眼差しを向けてくる。ジンは応じた。
「いや来世の話」
「来世!? やっぱ死ぬのアタシ!?」
この期に及んで危機感が足りない。
粘竜はまたゆっくりじりじり、こちらに向かって近づいてくる。
全力で逃げようと思えば逃げられない速度ではない。
が、それは粘竜の本体に限った話で、触腕はその限りではない。こちらが動かないから本体ごと近づいてきてはいるが、その気になれば触腕を伸ばして捕まえにくるだろう。
「や、やだやだ、嫌よ! こんなとこで死にたくない!」
「あーまあ。君はすぐには殺されないと思うけど」
ジンが補足を入れると、泣きかけだったエインがまた期待に瞳を輝かせた。
「え。ど、どうしてそう言えるの!?」
「粘竜ってメスいないんだよね。で、だいたいほかの動物のメスの胎内に卵を――」
「絶対に嫌ぁああああああっ! 殺して今すぐ殺してっ!」
死にたくないと言ったり殺してと言ったり忙しい。
いよいよ泣きじゃくり完全なパニックに陥ったエインは、立ちあがるや全力で駆け出した。
その様子を見て、ジンはひとつの確信を得る。
少し鎌をかけてはみたが。あの様子なら、エインはまず間違いなく、
「えっ、嘘、ぃ、やだぁあああああああ!?」
ジンの『秘密』を、知らないはずだ。
鋭く伸びた触腕に捕まり、宙吊りにされたエインを眺めつつ、ジンは推測を再検討する。
「ひゃっ、ちょ、気持ち悪……ひあああっ、ばっ、どこ触ってんのよ変態バカえっち!」
なぜ知りもしない秘密を知っているようなことを言ったのか。
そもそもなぜそこまでジンにこだわったのか。
「う、嘘嘘ごめん、ね? 嘘だから、ねえ謝るからそれ以上はほんと、やだ、やだよぉ……」
エインの性格を考えれば見当はつく。
単に、ジンに断られたのがプライドを傷つけただけだ。意地になって、ほかのE級装備の男で妥協すればよかったものを、ジンにこだわり無理やり同行を承諾させようとした。
「あっ、アンタもアンタで何見てんのよ!? 見てないで助けなさいよバカこのF級!」
あるいは酒場での、あの声の大きい青年たちの会話を聞いていたか。
一人寂しくF級に甘んじるコミュ障の存在を知り、上から目線で救いの手を差し伸べてやろうとしたとか。それなら拒否されたことに驚愕し、そして意地になりそうだ。
単にコミュ障なだけなら、自分のような美少女に誘われて固辞する理由がない。
きっと何か人には話せない事情、秘密があるはず。
そんな風に考えたのならまあ、ひと通りの説明はつく。
「ね、ねえお願い! ほんと、絶対、こんなのやだ! 竜の卵産まされるなんて嫌なの! 今までのこと謝るからごめんなさい! ひっ、お願い助けてやだやめ、助けてくださいお願いしますなんでもするからぁああああっ!」
――冷静、かつ打算的に考えるのなら、ジンはエインをこのまま見捨てるべきだ。
彼女はジンの秘密を知らないようだが、ここで彼女を救えば結局、彼女に秘密を知られることになる。
それは、まずい。
ジンの秘密は、そうそう誰かに明かしていいものではない。
だから、見捨てるべきだ。
頭の中の、冷酷な部分はそう告げていた。だが。
『……けて』
脳裏に『あの声』が木霊した瞬間、ジンの取る行動はもう、否応なしに決まっていた。
だからジンは、口を開いた。
立ち上がりもせず。
剣も握らず。
たった一言。
声を発する。
「死ね」
刹那。
粘竜の巨体は――木っ端微塵に、破裂した。
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