第4話 「……いやアレ、D級だけど」
通常、クエストには時間がかかる。
たとえF級でも、竜討伐となれば相応の準備と時間を要するものだ。
理由の第一に挙げられるのが、まず移動である。
この大陸の大半は、竜が棲む未開の土地に占められている。竜の棲息圏が大海なら、人間の都市や街、村のある土地は、大海に点々と浮かぶ島だろう。
とはいえ、街の外に一歩でも出ればそこはもう竜の棲息圏、ということもない。
人の定住する街と竜の棲息圏との間には田畑や、竜が棲むには狭すぎる森、荒野などが広がり、それらを抜けるのに、馬車で三日は要する。
それぐらいは距離がないと、竜が人里に襲来しようとした場合、対処も避難も難しくなるからだ。
E級クエストに臨む今回のジンたちも、この樹海までは馬車で三日間ほど移動した。
街を出立してからは今日で七日目になる。
では、樹海に到着してから四日間、何をしていたのかといえば、
探索である。
竜を倒すにはまず竜を見つけねばならない。竜の棲息圏はおおむね広い。場所や竜の習性によっては、探索だけでひと月かかるケースも珍しくはないという。
ジンたちが請けた今回のクエストは、この巨樹の樹海に棲むE級竜の討伐だ。
樹海の外縁をなぞる街道、そこを通行する商隊が最近、たびたび被害を受けているという。
討伐対象は一体。通称『蛇竜』だ。その名の通り蛇のような身体を持ち、頭部はワニのそれに似ている。巨大かつ長い身体で、音もなく巨樹の枝から枝へ這い回る生態こそ探索時には厄介だが、見つけてしまえば強さ自体はE級下位で、E級のクエストとして入門レベルだ。
街道沿いを中心とした探索を始め、四日目に対象と接触できたのも、樹海の広さを考慮に入れれば妥当の範疇だろう。
だからそう。
おかしくはない。
C級のエインが、
「わあ。お見事~」
「さっすがC級。あたしら出番ないし」
あっという間にターゲットを屠ってしまったことも、おかしくはない、のだが。
「……え。あ、ごめん、な、何か言った?」
「? お見事って」
「さすがC級って」
赤青コンビの称賛に、不自然な間を空けて応じたエインは、聞き直してからようやく誇らしげに胸を張る。
「ふ、ふふん、まあ当然よね! アタシにかかればこの程度! むしろ二人の見せ場を奪っちゃって反省してるぐらいよ!」
「まぁねー。でも」
「そこは別に。楽でいいっしょ」
長く巨大な蛇竜の死骸を前に、三人はそんな言葉を交わしている。
赤青コンビは気にした様子もないが、ジンはエインの態度に少し、違和感を覚えていた。
赤青コンビの得物は大弓と魔砲だ。一撃一撃、魔力を溜めて放つため戦闘中はかなり距離を取っていて、エインの細かい動作は観察できなかったのかもしれない。
ジンはといえば、盾と片手直剣という基本中の基本装備。
一撃の威力もたいして重くない武装だ。E級の竜相手にできることはあまりなく、ほとんど見ているだけだったのだが、二人よりはエインの近くにいた。
そしてエインの得物は大太刀だ。
東国特有の湾曲した刃物を参考にした武器で、刃渡りはゆうにエインの身の丈を超す。
盾で相手をいなしつつ、片手で相手を刺し貫く機能を重視している直剣と異なり、斬撃を得手とするその刃は、直剣より使いこなすのが難しい。
脇で見ていた限り、エインはそれを、そこそこ使いこなしていたように思う。
ただしそう……そこそこだ。
F級とはいえジンは新人ではない。この二年近く、訓練場や現場で、何度かほかの討伐屋の太刀筋を盗み見る機会もあった。
その経験を踏まえても、エインの技量は同じ太刀使い――E級装備の者たちと同程度かそれ以下に見えた。正直、以前見たD級の太刀使いの方が上手かったような。
だがエインは、C級竜の単独討伐に成功するほどの猛者のはずだ。
戦う前の妙に緊張した様子といい、戦闘中のどこかぎこちない動きといい、そうは見えなかったというのが正直な感想だが……。
「な、なによ。なんか用?」
「…………あ、いや。別に」
じっと観察していたせいでエインに睨み返されてしまい、ジンは目をそらす。
まあ、きっと気のせいだろう。C級装備は伊達や酔狂で揃えられる代物ではない。
いずれにせよこれでクエスト終了だ。
あとは蛇竜の死骸から稀少な素材を回収し、残りをギルドの回収スタッフに任せるだけ。肉を含めほとんどの部位はギルドの収益に変わるが、武具の素材になる部位を中心に、換金性の高い部分は討伐屋に報酬として分配される契約である。
そして当然のようにその作業はジンの担当らしい。
動く気配のない三人をよそに、ジンは回収用の肉斬り包丁を取り出し――、
――べちゃ、と。蛇竜の死骸に、白っぽい粘液が落ちるのを見た。
べちゃ。べちゃ。べちゃちゃ。
粘液は次々に降り注ぎ、たちまち蛇竜の全身を包みこむ。
そして。
「「き」」
空を覆う巨樹の枝の隙間から、巨大な影が、落ちてきた。
「「きゃあああああああああああ!?」」
響き渡った悲鳴は赤青コンビのものか。
気持ちはわかる。ジンも悲鳴をあげたいくらい、それは気持ちの悪い光景だった。
降ってきたのは粘着質な山。
身近な生物でたとえるなら、暗緑色のナメクジといったところか。
そのナメクジ――通称『粘竜』は、全身を広げ、蛇竜の死骸を包んだ。べき、ぽぎ、ごきゅ、と、粘ついた全身を蠕動させ、死骸を咀嚼し呑みこんでいく。
「ちょ、ちょっと何してんのよコラぁ! それアタシの獲物!」
さすがと言うべきなのかなんなのか、エインは一瞬、その様相に怯んだものの、すぐ粘竜へ怒声を浴びせた。
ぴたり。と、粘竜の蠕動が止まる。
ぞろりと音をたてて、ちょっとした丘ぐらいはある全身の一部から、一本の触腕が立ちあがる。触腕の先端についているのは眼球だ。眼球はゆっくりと周囲を見回し、エインを睨んで動きを止めた。
「な、なによ。やろうっての? いいわよ来るなら来なさいよ」
エインは威勢よく、背に負っていた大太刀を鞘から外してひと振りし、臨戦態勢に入る。
その背後に庇われた形の赤青コンビは、
「ほ、ほんとにさすがだねえ……」
「あ、あたしら邪魔だろうし、ちょっと離れたとこいんね?」
言うが早いか踵を返し、一目散に駆け出した。超速い。
ジンも見習って逃げるべきだろう。
が、一応、違和感の件もあったので、エインに一声かけてみる。
「……あの。俺も逃げていい?」
「は。当然でしょ。むしろ邪魔よ。E級の竜ぐらいアタシひとりで何匹だって――」
「……いやアレ、D級だけど」
「E級だろうがD級だろうがアタシにかかっD級!?」
ジンは思わず目を覆う。
やっぱりわかってなかったようだ。
「ちょちょちょちょっと待って、え、なんで!? これE級のクエストでしょ!? なんでD級の竜なんて出てくんのよ!?」
こんな初歩的な情報を、まるで初めて知ったような慌てぶりで問い返してくるエインに、ジンは嫌な予感を抱きつつも応じる。
「……いや別に、E級とD級の竜の住処が明確に分かれてる場所ばっかじゃないし。ほとんどD級以上と出くわす危険のない場所じゃなきゃE級に指定はされないけど、まあ、ほとんどであってまったく可能性がないわけでもなく」
「せ、説明長い! あいつめっちゃ睨んでるんだけど! 早く! もっと手短に!」
「運が悪けりゃ普通に出会うよ?」
「嘘でしょ!?」
「現実」
言ってジンは粘竜を指し示す。
ずるずると身を引きずって、こちらににじり寄るあの竜は、D級以上の装備がない
とクエスト受注を許可されない強さの獲物だ。
身に纏う粘液の用途は多様。一部の竜が持つ毒液に反応して無害化したり、酸性の粘液で獲物を咀嚼しやすくしたりする。今まで粘竜がのしかかっていた蛇竜の死骸も、すでにドロドロに溶解してあちこち骨が露出していた。
「そこまで好戦的な竜でもないはずだけど」
「じゃ、じゃあこのまま逃げれば――」
「食事の邪魔をされた時はその限りではなく」
「先に言ってよ!?」
言う間もなく邪魔しちゃったんだよなあ。
まさかC級装備の討伐屋が知らないはずもない、常識であったし。
じっとりとしたジンの眼差しに気がついて、エインはハッと表情を改める。
「じ、実はアタシ、ちょっと座学が苦手なのよね。知識より実戦派っていうか? いっつもさっさと倒しちゃうから、細かい生態覚える意味ないみたいな?」
「……へー」
「あ、ああ安心なさい! アタシはC級! E級なんて楽勝だったし、D級に上がった程度、なんてことないわ!」
「…………」
やっぱり根本的な常識が足りない。
E級とD級。格付けにすれば一段階の違いだが、F級とE級の差と、E級とD級以上の差は明らかに異なる。
国内の討伐屋の人口は数万人。
このうち、F級はほぼ新人のみ。
そしてベテランを含め残りのほとんどの討伐屋はE級である。
D級となるとひと握り。C級以上ともなればひとつまみ、数万人中、千人を割る人数しかいない精鋭だ。一度そこまでのぼり詰めてしまえばまず食いっぱぐれることのないA級に至っては、現在百人に満たないのだったか。
D級以上は経験のみならず、才能と運がなければ手に入らない装備なのである。
D級以上は指定されている竜の種類も極端に減る。だからこそF級のジンですら、ひと目であのナメクジがD級・粘竜だとわかるのだ。
なにしろE級以下一般の討伐屋にとって、D級以上は「出会ったら即逃げる」のが常識、種類や習性ぐらいは覚えておかないと命に係わる。今や姿も見えないE級の赤青コンビが即逃げ出したのは、むしろ当たり前の行動だった。
「覚悟しなさい!」
というような事情を手短にどう説明したものか、ジンが一瞬迷っている間に、エインは地を蹴り突進していた。
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