第3話 「なにこのスープ。薄くない?」

 縁もゆかりもないエインがなぜジンの『秘密』を知っているのか。


 なぜジンをクエストに同行させたいのか。エインの真意はいまだわからないが、ジンには選択の余地などなく、同行を了承せざるをえなかった。


 なにせそもそも、その秘密こそ、F級のジンが単独でクエストをしている理由なのだ。同行者がいると万が一の際、秘密がバレる恐れがあるため、一人でいることを選んだ。


 ……いや、コミュ障でなければもう少し上手に立ち回って、秘密がバレる可能性を限りなく低く抑えながら誰かとパーティを組むこともできただろうが、そんな自信はない。


 むしろ秘密を理由にして他人との交流を限りなく減らしている自覚も、なくはない。


 …………まあ、考えようによってはだ。


 エインの真意はともかく、これはチャンスでもある。


 上位装備を揃えられるほど大量の素材は集まらずとも、今回手に入れる素材の換金だけで、ほかの働き口を探す間の食費ぐらいなら稼げるはずだ。


 だから同行を承諾した後は、いっそ前向きにクエストに臨むことにした。


 ジンが承諾した直後、酒場の常連たちが異様に生温かい眼差しをこちらに向けていたり、あの声の大きい青年に至っては涙ぐんでいる気さえしたが、そこは見なかったことにしたい。


 で。


 前向きになってみたはいいものの、


「お腹すいたー。ねえまだー?」


「ちょっと手ぇ遅いよねー」


「てか使えねー」


 君らが手伝ってくれればもう少し早く準備できるんですけどねえ……と言いたい気持ちを堪えつつ、ジンは手を動かす。


 石を組んだ即席の竈の上で鍋をかき回し、焚き木にかざした肉の焼き加減を目の端で追い、サラダに盛りつける果物の皮を丁寧にそぎ落とす。


 分厚い表の皮はもちろん、食べようと思えば食べられる中身の薄皮も丁寧に剥く。


 ここで手を抜くと「皮やだ。苦いまずい。もういらない」と不平を言われ、そしてその不平と機嫌の悪さは翌日の夕食まで続くと初日に学んだ。


 たしかに野菜だ果物だは長期間摂らないと全身から血を噴き出して死ぬ、と聞いたことがあるから必要性はわかるのだが、十日やそこらで終わるクエスト中、さすがに「美容」を理由に毎食要求されると面倒だった。


 二日ごとに新鮮な野菜と果物を討伐現場に運んでくる人を雇う金があるなら、いっそ専門の料理人も雇っておいてほしいものである。……ジンのように『秘密』という弱味でもない限り、途中で逃げられそうではあるが。


 なにしろ、


「なにこのスープ。薄くない?」


「肉焼きすぎかも」


「てかあたしこの果物苦手だったわ」


 十分な調理器具もない野外、一日中パーティ全員の荷物を背負って歩きづめた後、可能な限り素早く作り終えた料理にこの言い草である。


 女性の方が男より味覚に敏いとは聞いたことはあるが、味見させた時は「いんじゃない?」とか言ってただろうが。肉はごめんなさい。果物は最初に言え。


 感謝しろとまでは言わない。


 今回、標的の竜はE級だ。F級のジンが役に立てることはほとんどないだろう。だから飯炊きと荷物持ちぐらいは役割として割り切れる。


 が。


「男のくせに料理も満足にできないの?」


「モテなさそう」


「いやモテる要素ないっしょ」


 もうやだ実家帰りたいっ! そんなもんないけど!


「………………あの。一般的に、料理は女性の方が上手いものでは」


「は? なにそれ古くさ。ウケる」


「女性差別?」


「世間の男ってすぐ『女のくせに』とか言うんでしょ? アタシ知ってる」


 たった今『男のくせに』とか言った口で何言ってんだこのアマ。


 ジンの絶句をどう解釈してか、エインはなぜか得意そうに、中途半端な胸をそらす。


「うちのパパとか料理すっごく上手いし。『女のくせに』なんて口を裂かなきゃ言わないし」


「ウケる。そこは『口が裂けても』っしょ」


「それじゃ口を裂かれたことあるみたいに聞こえちゃうよね」


「? ママに何回か裂かれてたよ?」


 お父さん逃げて。超逃げて。

 ジンはまだ見ぬエルテンシア家ご当主に尋常ではない親近感と同情心を覚えたが、


「へー。お母さん凄いね」


「物理的に旦那の口裂くとかマジ女傑」


「まあね。うち女系で当主はママだから。パパ婿入りだし超立場弱いよ?」


 ご当主ですらなかった。


 赤青コンビ二人はジンへの仕打ちを若干楽しんでいるというか、冗談まじりの悪ノリ雰囲気だったが、エインだけはナチュラル、当然のものとしている感じなのは、そうした家庭環境のせいなのかもしれない。


 ちょっとお父さん可哀想すぎ――


「その割に超浮気するけど」


 ――るとも言えねえ。


 勇者なのかバカなのか。


 浮気を罰する奥さんの態度が常態化した結果、娘さんがこう育ったのなら責任取ってほしい。


「ふあ。なんか眠くなっちゃった……」


「もう寝ましょうか?」


「んじゃ片づけよろ~」


 ジンが胸中、エインの父親への恨み言を呟いている間に、エインと赤青コンビは天幕へと引っこんでいく。


 通常の大木の十数倍はあろうかという、巨樹の茂る樹海。


 壁のような巨樹のひとつを背に、竜の骨を組んで建てた、立派な天幕である。それ自体が武具でいえばD級に相当するような素材で組んだ超高級品で、エインの私物だ。王侯貴族の諸国漫遊ぐらいでしか使わないような代物を、たかだかE級のクエス

トに持ってこないでほしい。


 重量軽減の『呪符』を貼っても恐ろしく重いし、ジンひとりで組み立てるのは文字通り骨の折れそうな労働だった。


 なおジンの寝床は、当然のように天幕の外である。


 火山棲の竜の鱗を継ぎ合わせた絨毯で暖められた天幕の中と違い、初冬の野外は冷える。


 片づけと火の始末を済ませたジンは単なる布と革の寝袋にくるまって、それでも疲れ切った身体はすぐさま睡魔に襲われた――。


『グルァアアアアアアア』


 直後、巨樹の間を吹き抜ける咆哮に、ジンは疲労も忘れて跳ね起きた。

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