第2話

 そこはいつも薄暗い木造建築の教室から始まった。まだ鉄筋コンクリート製の校舎が普及せず、床、天井、壁と、おおらかな時代特優の木材が使われていた場所だった。使用されていた多くの板には、「死に節しにぶし」が抜け落ちた穴があった。「死に節」とは、枝打ちの際の節や、成長の過程で枝が折れたり枯れた枝で出来る節のことを言う。「生き節」に比べて光沢がなく、節の周りがボロボロの穴状や黒く柔らかくなっていて、板にした際、時と共にこの節がよく抜け落ちて穴になった。この教室には大小の抜け穴が多数あり、その穴はあたかもこの教室自体が呼吸をするかのように点在した。そしてそこを流れるすきま風は、天井裏や床下に広がる暗闇が醸成した黴びた時の匂いを運んだ。


 私の机下には床裏の乾いた地面が見えるほどの抜け穴があり、私の椅子はその穴によく脚をとられた。頭上の天井にも気付いただけで四つあり、この穴は耳を澄ますと微かな息吹が聞こえた。そして時としてその息吹の主、アシダカグモが顔を見せた。私の掌てのひらほどになる長い八本の脚を伸縮させ小さい穴にそれらを通した。蜘蛛の頭胸部はこの穴より少し大きいのだが、そこを器用に通り過ぎる姿はとても華麗に思えた。それは水槽の底で鎖に縛られた奇術師が、慌てることなく腕や足を巧みに動かし脱出する姿を想い起こさせた。アシダカグモは網を張らない徘徊性の蜘蛛で、この為、出糸突起部を含む袋状の腹部は、網を張る蜘蛛の腹部に比べて著しく小さかった。アシダカグモの豊かな頭胸部とスリムな腹部を合わせたその姿は、さながら逆三角形のボディビィルダーのように端正で攻撃的だった。夜行性のため住人が寝静まると天井や壁、水洗い場に姿を現し、かさかさと布をこするような比較的大きな音を立て徘徊した。幼い頃、この音にその姿以上の怖れを抱いたものだった。怯えては母に駆除を訴えたが、彼女はこのアシダカグモを家屋の神のように遇した。この地方では夜に姿を現す蜘蛛は縁起が良いと伝えられていた。幼い息子にそのことを説き聞かせ、病気を運んだり、人を咬むことはないと母はなだめた。そしてこの蜘蛛が住まうことによって当時家屋に当たり前のように生息した油虫が居なくなると教えた。怯えは決して消えることはなかったが、そう諭されるとその蜘蛛の六つ眼に、光を感じるようになった。その頃この光が何なのかはっきり知ることはなかったけれど、その光が伝える不思議な感触は子供の心にすとんと落ちた。蜘蛛は小さな虫でありながらも別な存在へと変身していた。命の役割を全うする知性を備えた存在と感じると、それは人と等身大の存在感を持つ生き物へと変身した。駆除されるべき害虫は雲散霧消し、言葉は交わせないけれどお互いを認め合う個のつながりを見出した。


 幼い心に自然に機能していたこの回路はいつのまにか消失していた。存在していたことさえ忘れていた。それを気付かせない何かの支配を知ったのはこの教室に来てからだった。この教室の抜け穴にはアシダカグモの姿は最初からなかった。しかしその穴はこの光の感触を私に放ち、息吹を吹き込んだ。この教室にどうやって来たのか、そしてどれくらいここに佇んでいるのか思い出せなかった。全てが曖昧でぼんやりしていたが、その穴だけはなぜか私にしっかりと碇いかりを下ろし、私がどこかへ流れようとしても、そこから延びた糸が私を引き止めた。それは一時的な覚醒を促す暗い鏡のように働いた。いつもは見逃してしまう心を掠めるだけの淡い煙がそこには映り込んだ。しかしそんなものは気に留めず、いつの間にか無意識に手順を省略しお決まりの回答に帰着させる回路を私の心は構築していた。この教室は私に定点観測を促した。放埒な私の心の発煙を、つぶさに観察する単純な作業だった。それは微かに灯る光を一つ一つ丁寧に捉え、その光が伝える不思議な感触を拾い上げる作業だった。それらの作業はどこかしら懐かしくそれでいて新鮮だった。あたかも仄かに(ほのかに)受精したばかりの数少ない胚を大切に温める行為に思えるのだった。


 記憶には様々な耐久性を備えた殻が存在すると定点観測は教えた。解体は一度に完了するのではなく、消去と回想を繰り返す。そうやってゆっくりとその殻を浸食し切り崩す。殻の弱い記憶はいとも簡単にこの河の水に希釈された。殻を失った記憶が水の中をしばらく漂い、記憶に付着した想いは永久に消えた。「アシダカグモはずいぶん硬い殻に違いない」私は定点観測を続けながらそう感じた。しかし同時にアシダカグモの眼光に再び火をともそうとすると、定点観測に組み込まれた解体作業が生に死が必ず伴うように開始されるのだった。私の身にじわじわと近づくぬめりがその灯火を掻き消そうとした。それは湿った表皮を持つ蛇のように私の身体に纏まとわり付いた。その蛇はゆっくりと私を取り込みながら、私を深くへ引き戻した。まるで蛇に催眠療法を施されているように。私は沈みながらその声を聞いた。その水には時を希釈する知があると大蛇は伝え、大蛇の河の先にある恍惚に似た無の地帯へ進むよう水を向けた。私は沈みつつも水面に浮かんでいる小さな蜘蛛の影を見つめていた。その小さな蜘蛛から伸びた細い糸が私を引き留めてくれるような気がした。しかし私はまだ手元にその糸を手繰り寄せられないでいた。その糸口を探せば探すほど、その水は私を深い懐に誘いとろとろとしたまどろみで包んだ。私は複雑な心境を得ていた。この教室での定点観測は見えない解体作業の過程が伴い、それが帰結するところの根幹はサーチ・アンド・デストロイという戦術に違いなかった。私は大蛇の河が伝えるとおり、自らの手で耐久性のある記憶を一つ一つ葬り去る作業に精を出していた。


 暗い鏡に映り込む発煙の定点観測は、目の前の事象に興味深い考察を繰り返し加えた。それはあくまでも確証のない直観に過ぎないのではないか、身勝手な妄想ではないのか、それらを客観的に精査する手立てまでは「某」の私には思いつかなかった。この教室には他の生徒も居るには居たが、客観的な意見を尋ねるにも皆は、輪郭を持たなかった。私は放埒な気性だけを頼りに、ずるずると思考の放浪に身を任せるだけだった。「独房に収監され精神を病み始めた受刑者」という声もあり得ると否定はしなかった。私の肩を叩き肉声を発する会話へと導く生身の人間が懐かしく感じられた。ただそれも少し懐かしいだけで、実際に姿を現すと億劫に感じられるのだろうという声も反響した。ここには確固とした主体はなかった。生身の存在の煩わしさもなかった。教室には「某」という文字の上に小さな埃のような記憶を付着させていた私と、私と同じように定点観測と解体作業を同時に進める煙のような存在、輪郭を持たない四人の生徒が居るだけだった。点在して座る他の四人が誰なのか、どんな服を着、性別や年齢、体格、人種はと、触手を伸ばしてみてもさっぱりわからなかった。窓にうつりこむどんより曇った外光の変化に対して、彼らの気配も時より揺らいでいるように感じられるだけだった。この教室の窓の外光が示していたことは、ここでは決して日は暮れないという感覚だった。そのぼんやりした外光の不定期な濃淡の変化によって、この教室に微かな時の淀みが生じ、久遠くおんと一時ひとときが皆既食のように重なった。その時はほとんど止まっているように感じられ、午後四時の辺りを行ったり来たりしているようだった。他の四人の煙が色濃く増すこともあれば、最後の一人が揺らいで消えることもあった。外光の微妙な明暗でこの教室に時の瀞とろが生まれ、生徒の気配はそれらの変化に干渉された。この教室で私に課せられた自習は、定点観測で何かが起きる事を待つことだった。それは予約を持たずに過ごす待合室と変わらなかった。回想と消去を繰り返していたけれど、私の名を呼ぶ者は誰一人いなかった。それでもこの教室で待たされることは不思議に苦にならなかった。時間は常に午後四時の辺りを行ったり来たりしていた。

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