愁(解決編)

「聞いた話だと、あなたは幽霊を祓う事が得意なんだそうね」


 表情を崩さずに秋心あきうら先輩は言う。


「……なんのことだか」


 先程の質問とは裏腹に俺は嘘を吐いた。

 言葉のロジックを覚悟していたはずなのに、脆弱な盾を構えることに理由は否めない。これ以上、咎められる事が嫌だったからだ。


「隠さなくても良いわよ。幽霊を殴りつけて祓うなんて……馬鹿らしいかもしれないけれど、似たやうな事ができる人をあたしは知っているし、なんならあたしも同じ事をした事があるわ」


 俺と同じ力を持つ存在に驚きはある。でも、ありえない話ではない。俺ができる事を他の誰かが出来たとして、それはなんの不思議もないのだから。

 俺がなんの特別な存在でもないことくらい、俺が一番知ってるんだから。


「彼女も成仏させたい……そう思ってるの? ならきっと無駄だからやめておいた方が良いわ」


 沈黙を許さず言葉は紡がれる。静けさは言葉の輪郭をより強くなぞっていた。


「なんでそんなことわかるんですか?」


 前提を無視して彼女の言葉に対して問う。別に俺はすさみを成仏させたいだなんて思っていないし、その必要もない。

 ただ一緒にいるだけでいい、それはきっと本心なのだ。つい最近になって気付いた心なのだと。


 胸中を読み取らずに彼女は言う。


「あたしも伊達にいくつも怪異に触れて来たわけじゃないの。今まで何度も身の危険を感じたことはある。

 彼女には、それと同じものを感じるの」


「何の根拠にもなってませんけど」


 それは言わば唯の感だ。秋心あきうら先輩の推測に他ならない。

 でも、それが何の意味も持たない訳じゃないものだと言うこともわかる。

 彼女の目は本物だった、誤りは無かった。ただ、認める事はまだ早すぎるから口答えをしてみただけだ。


「それに、傷付くのは注汲つぐみくん、あなたの方よ。

 ……あなた、あの子に恋をしているでしょう?」


 口を噤む。

 秋心あきうら先輩の言いたい事は予想できた。俺がわかっていることくらい、この人にはわかっているのだろうとそんな風に思えた。


「何かきっかけでもあったんでしょ? それもそんなに古い出来事じゃないんじゃないかしら?

 正直な話、昨日たまたまあなたを見てそう思ったの。突然なものよ、自分の心に気が付く事なんて」


 勘の良さに寒気すら覚える。


「別にそれを責めたりなんかしないわ。だって、それが恋なんだから」


 ボールの幽霊と対峙してからまだ一週間も経っていないのだから。ちょうどあの日の今頃、俺はそんな好意に気付かされていたわけで、それまでは唯の鬱陶しかったすさみが特別になった瞬間を覚えている。


「でも、その恋はあなたを苦しめる。

 あなたにとてもよく似た境遇にいた人を知っているの。幽霊に恋をしていた時のその人は……とても見ていられなかったから」


 だから忠告したくなったのだ。


 そう彼女は続けた。言っている意味はまるで理解出来なかった。


「先輩には関係のない事です」


 反発は強まる。しかし、語気を強める事ができないのは俺にもわかっているからだ。この先にハッピーエンドが存在しないと言う事を。

 それでも逃れたかった。認めたく無かった。


 秋心あきうら先輩はそんな想いを許してはくれない。


「……あなた、あの子に触れられるの?」


 唇を噛んだ。

 俺は今まで一度もすさみに触れた事はなかった。

 それは俺の体質に由来する。

 これまで幽霊に触れた事はない。今まで俺にはない。それで幽霊を消し去って来た。拳が彼等を捉える時、まるで空を切るかのようにそこには何も残らなかった。そこにもともと何も存在していないかのように、虚無だけが残った。

 その瞬間が堪らなく悲しかった。


 触れただけですさみがどうなってしまうのかを想像した事は何回もあり、その結論を導き出せずにいた。彼女は出会った頃から特別だった。それは今抱く好意とは別の感情だったのだとしても、失いたくないなんて想いはきっと最初からあったのだ。


 試す事も出来なかった。

 仮に他の幽霊に触れただけでソレが存在を失ってしまおうものなら、すさみだって例外ではないだろう。

 それを知ってしまう事は、とても怖い。

 今、その恐怖はこれまでと比べ物にならないくらい大きい。


「好きな人と触れ合う事ができないのは、とても悲しい事……少なくともあたしはそう思う」


 その通りだよ。

 何も言い返す言葉なんて思いつかないさ。


 そばにいるだけで良いなんて綺麗事だ。

 でも俺はそれでも良いと思える。でも、でも、

 俺は後者だ。

 どんなに愛おしくても俺がすさみを消してしまうのなら、その手を取る事はできない。頬に手を添えることすらできやしない。

 命の無い彼女に、体温があるのかどうかを確かめる事も出来ないんだ。


「……出来るだけ早く、あなたの悲しみが淡いうちに覚悟を決めなさい」


 そう言い残し、彼女は教室を後にした。


 積み上げられた用無しの机達だけが、俺の握りしめる拳を見て笑っていた。


 その感情を嚙み潰しつつそう遠く無い未来、また彼女と出会うことを俺はまだ知らない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

放課後のすさみちゃん さし @nemutai610

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ