愁(遭遇編)

 その人は薄らと笑みを浮かべて俺を見つめていた。

 彼女こそはこの学校一の有名人であり、そして唯一のオカルト研究部員である秋心あきうら先輩その人である。


 物語を進める上で必要であるかどうかはさておいて、まずは彼女について僭越ながら説明せねばなるまい。


 とりあえず、秋心あきうら先輩の名前を聞いて首を傾げる奴なんて見たことがない。

 それだけ彼女の名前は校内に浸透していた。いや、もしかしたら学校の枠を飛び越えても彼女は知れ渡っているのかもしれない。そう思わせるだけの存在感と噂話が存在するのだから。


 理由は二つある。

 一つ目は、オカルト研究部として数多の怪異を解き明かして来たことにある。『校内人体発火事件』や『夏休み明けの幽霊』、『ミスコンのジンクス』などなど、俺が入学する前から語り草になっているものの他に『白い傘の呪い』や『踊る老婆の怪』なんかも解き明かしたと聞く。その後者については俺も実際に遭遇したことがある怪異であるが故に、噂の信憑性は折り紙つきだった。少なくとも俺にとっては。

 つまるところ、オカルトについてのスペシャリストとして名が通っているのだ。

 しかし、今年三年生になった彼女は受験勉強のため活動を自粛しているらしい。今年になってから一度もオカルトに関わった話を聞いていない。何より、たったひとりではできないことなのかもしれない。去年まではもうひとり彼女の一学年上に男子部員がいたのだが、彼の卒業は一つの終止符だったのだろう。まぁ、その人のことはあんまり印象に残っていないから覚えていないけど。


 そして二つ目。

 秋心あきうら先輩はあまりにも美しすぎるのだ。

 なんか色々説明口調でつらつらやっているけど、実際に彼女を目の前にしてみると改めてその美しさにそれ以上の言葉が出ない。

 うわぁ……やっぱめちゃくちゃ美人だ。そこら辺の女子生徒なんてみんな別の生き物なんじゃなかろうか。一瞬で心を奪われそうになるよ。

 ……いや、特別なのは確実に秋心あきうら先輩の方だろう。人間じゃないよ、この人。作り物みたいに整った顔と放つミステリアスな空気は誰しもの心を揺さぶる。吸い込まれそうな大きな瞳は僅かに赤茶色にきらめいているようにも見える。ただ、ひとつだけ文句の付け所があるとすれば、胸がほんの少しだけ小さかった。

 せっかく携えた緊張感を空間に溶かしながらうっとりと彼女を見つめている最中、秋心あきうら先輩はその薄い唇を離した。


「突然呼び出してごめんなさい。あたしは三年でオカルト研究部部長の秋心あきうら。あなたは……二年生の注汲つぐみくんよね?」


 何よりも彼女が俺を知っていたことに驚いた。言わずもがな、彼女の自己紹介には意味がない。何度も言うように、この人のことを知らない人間なんてこの学校にはいないのだから。

 対して俺はしがない唯の二年生である。友達と呼べる友達も数えるほどしかいない。俺の存在を認識している奴なんて、きっと両手で数えるくらいしかいないんじゃなかろうか。あぁ、言ってて悲しくなってきた。

 しかし、秋心あきうら先輩一人で百人分くらいのポイントを持っているだろうから、言い換えるなら俺も有名人の仲間入りだね。


「俺のことを知ってるんですか?」


 当たり前の疑問をぶつける。

 それにしたって美人だ……。何度反芻したって足りないくらいに。過去にはファンクラブまで存在していたのも頷けるなぁ。


「知ったのは今年になってからだけどね。ある意味、あなたは有名人よ」


 今し方の自分の言葉を否定されるようなありがたいお言葉。全く見当のつかない物言いに首をかしげるべく俺はぎこちなく笑うしかなかった。

 気持ち悪っ!


注汲つぐみくん、あなた幽霊が見えるらしいわね」


 ここがオカルト研究部である事を思い出す。当たり前と言えば当たり前の理由だった。

 何の特徴もない俺に、唯一と言っていいアイデンティティは人ならざるモノが見えると言うその一点だけだった。

 入学当初にやらかして以来、その事は口にしないようにしてきたけど噂とは怖いものである。きっとそんな話は皆の好奇の対象としては面白おかしいものに違いない。

 それが秋心あきうら先輩の耳に届いているのも至極当然だ。


 否定も肯定もせず、ただその無言の返答は首を縦に振るのと同じ事だった。


「それで、その……ご用件というのは? まさか、オカルト研究部に入れとか?」


「違うわ。別にあなたを勧誘しようとか、そんな風には思っていないもの」


 何となくがっかりした。

 まぁ、当然の事である。今まで何人もの生徒がこのオカルト研究部の門を叩いたと聞くけれど、誰一人として迎え入れられる事はなかった。その多くが秋心あきうら先輩目当ての不埒な輩だったということもあるけど、本当の理由はもっと深くにある。何よりも彼女にとってこの部活がとても大切なものである事を物語っているのだ。

 彼女にとってオカルト研究部はとても意味のあるものだと、俺にはそう思えた。


「そうね……勿体ぶっても仕方がないから単刀直入に言わせてもらうわ」


 黒髪が赤に溶けるように光っている。

 まさかまさかだが、愛の告白でもされるのだろうか。待て待て、まだ心の準備ができてないぞ!

 ……いや、今俺の心を横切った姿に刹那胸が締め付けられる。


 その人物の名前は、秋心あきうら先輩の口から漏れた。


月叢つきむら すさみと関係を持つのをやめなさい」


 放たれた言葉は鋭く尖っていた。

 驚きはしなかった。何故なら、この言葉を予想していたのだから。


「……どうしてですか?」


「あなたもわかってるくせに」


 無意味なやりとりが響く。俺がすさみと交わす無意味な日常とは違い、意味のある無意味さが言葉には込められている。

 不思議と怒りは無かった。


「『アレ』がどんな存在なのか、知らないわけじゃないでしょ?」


 しかし、その言葉には目を瞑るわけにはいかなかった。


 すさみを『アレ』と呼ぶことに抵抗があったからだ。

 知っているさ、あいつが人間じゃないことくらい。


 命があるモノじゃないなんて事くらいは。

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