愁(日常編)

注汲つぐみ君、何だか今日は落ち着かない様子だけれど……どうかしたの?」


 すさみの言葉で我に帰る。気が付くと後は帰宅を残すだけの時間。今し方のチャイムが最後の音を残して、クラスメイト達は次々に席を立つ。

 いつものように放課後の自由を人よりも多く余らせている俺とすさみはのんびりと、焦りと離れたところでまだ腰を下ろしていた。彼女の大きな伸びも欠伸混じりな言葉も、日常と何ら変わりはない。遜色のない光景。毎日の紅い色。

 しかしその顔を直視することはできなかった。


「い、嫌なんでもない……」


 生首の幽霊の一件以来、俺はどこかよそよそしかった。それを自覚している。

 すさみの目を見つめる時間が減った分、彼女の横顔を眺める時間が増えた。空間を切り取り確かに存在するその姿には、全くの不自然は無い。すぐ目の前にいる筈なのに、言葉はどこか遠くから聞こえている気がする。


「本当に? 熱でもあるんじゃない? 難しいことを考えちゃダメよ、あなたは人より馬鹿なんだから簡単に知恵熱が出るわ」


「心配すんのか馬鹿にすんのかどっちかにしろよ……」


 すさみはあら、いつもの注汲つぐみ君に戻ったわと笑った。久し振りに視界の真ん中に移るすさみの笑顔はとても眩しい。


「やっとあたしを見てくれたわね」


 細めた目元に長い睫毛が影を落としている。そんな表情に思わずドキリとする。


 生首についての俺の考察が正しいのなら、俺はどれだけこいつのことを大切に思っているのだろうなんて恥ずかしい結論に至ってしまう。それがすさみを見るに見れない理由だった。

 思い返すすさみの俺への言動を掘り返しては顔から火が出そうになる。俺をからかってなのかどうなのか、繰り返し言葉にされた好意を素直に受け止めることがむず痒かった。

 意識し始めるとそれは加速度的に走り、すさみがどんどん俺の世界の真ん中に据えられて行く。

 だからだろうか、最近になって気付くことも多かった。すさみはよく見たら、結構な美人である。冗談交じりに好きだのと言うその唇はとても柔らかそうだ。


 また目を伏せる。

 すさみは視界の外から言の葉を零した。


「今日の放課後、またかなえ書店に行かない? たまには雪鳴ゆきなりさんに会いに行かないと、彼女も寂しがるわ」


 いつかの放課後をデートと呼んだ日を思い出していた。


「あぁ……申し訳ない。今日はどうしても外せない用事があるんだ」


「よ、幼児!? 注汲つぐみ君、子持ちだったの!?」


「ち、違うやめろ声がでかい! 『用事』だよ! 無理があるだろその間違え方には!」


 外せない幼児ってなんだ、他の幼児は着脱可能なのか。どんな装備品だよ、効果を教えてくれ。

 こちとらまだ高校二年生で女の子と付き合ったこともないわ。自分で言わせんなよ、悲しくなる。


「そうよね、注汲つぐみ君、結婚はおろか付き合ったこともないものね。安心したわ」


 人に言われるのも腹が立つもんだな。そして余計に悲しくなるもんだ。


「じゃあ、その用事って何? あたしもついて行って良いかしら?」


 期待を込められた眼差しは重たく拙い。

 だからこそ、断るには多少なりの勇気が必要だった。


「いやごめん、ついて来てくれないでくれ……」


 ここから始まるすさみの追求。それをなだめるので精一杯だった。

 本音を言えば俺ももう少しだけ彼女との時間を過ごしたいとも思う。それでも今日という日にすさみの存在はあってはならない。敢えて悪く言うなら、邪魔だった。

 ついには放課後の教室が空になるまで続いたその尋問に何とか耐え切って、頬を膨らませたまま教室を後にしたすさみを見送って、俺は重い腰を上げた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 西日の射す廊下。上履きが床を叩く音は乾いて響く。掃除の行き届いていない端っこをさけて、出来るだけ真ん中を歩いた。

 入学当初は広大に感じた校内も、実際に歩いてみれば凄く狭い世界だと感じた日、とても悲しくなったのを覚えている。

 知り得ない事は世界を広くする。言い換えるならば、事を知らない俺はとても小さく、時間と経験で体が、心が大きくなったのだろう。それが幸せなのかは知らないけれど。


 とある空き教室を目の前に立ち止まり、一度深呼吸をする。


『放課後、ひとりで来るように』


 そう書かれたノートの切れ端を握りしめてもう一度息を吐いた。


 ここはオカルト研究部の部室である。

 呼び出しの意図はわからない。ひとりで来るように、の意味もまた同じだ。

 我が高校のオカ研はある意味でとても有名だ、校内でその存在を知らない者がいないくらいに。現在はたった一人の部員が所属している……とは言っても、学校が正式に認めた部活動じゃない。だから、その一人も正しくは俺やすさみと同じ帰宅部員なのだ。それでも放課後の自由をこの部室に繋ぎ止めているのには何か理由があるのだろう。

 そして、オカルト研究部が有名たる所以はそのたった一人の部員に起因する。

 その三年生の女子は、この学校で一番の有名人なのだ。俺に緊張感を与えるには十分すぎるくらいに、世界にとって必要で重要な存在なのだから。


 握り拳をつくりドアを二度叩く。中からどうぞ、と透明な返事が返って来た。

 扉を開くと、橙の満ちた空間に積み重ねられた机の中に、その人は立っていた。

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