第18話 涙

あの後、私は彼を家まで送った。

お節介かもしれないが、目を離せば今にも消えてしまいそうだったから。



「…今は、1人になりたくない」



そう彼がぽつりと呟いたので、私は戸惑いながらも家に上がった。


家の中には、2人で住んでいた形跡が何処かしこに見られる。


玄関にある、可愛らしい靴。

ハンガーにかかった、女の人の上着。

そして、ピンクの歯ブラシ。



しかし、どれも私の目には寂しげなものに映った。


一か月前まで、使われていたもの。

今まで自分とは無関係だと気にしていなかったあのニュースが、急に私の中で生々しいものに感じられ出した。



私はドライヤーを借りて台本を乾かす。



「ごめんね、俺のせいで濡れちゃって…」



髪を拭きながら天野さんがそう言った。

でも、無理に辛い気持ちを押し殺している顔だった。


無力だ。

今の私にはどうすることだって出来ない。


「これは私が勝手にしたことなので……」



それ以上は何も言えなかった。


無言が続く。



彼の顔をふと見てみると、頬が少しだけ痩せコケていた。



「お腹空きませんか?」



返事は無かった。

けれど私は、彼の家の台所へ向かい、勝手に準備を始める。


このまま全てがどうでも良くなって、食べることさえ放棄されたら……。

少しだけ、亡くなった兄を思い出した。



手短に料理を終えると、私は食器に入れ、彼の元へ持っていく。


リビングは、私がいない間、ずっと時間が止まっていたように静かだった。



「少しでもいいので、食べて下さい」



彼は箸を掴むと、ゆっくりと口に運ぶ。




良かった。ちゃんと食べてくれた。




しかし一口含んで、彼は涙を零し出した。

過去のことを思い出したのだろうか。


「分からないんだ」


私は彼の背中を撫でる。


「めぐみが居なくなって……口にするものの味が分からなくなったんだ…」


そうか。

婚約していたくらいだ。

ご飯だって、きっと彼女が作っていたのかもしれない。



「なんで……。まさか、死ぬなんて思ってなかったから……」



私はとっさに、彼の縮こまった肩を抱いた。

彼の身体は酷く冷えていて、心まで凍えているように思えたから。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

声優業のススメ しま @YDRkaeruQ

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ