応援コメント

§8-4-7・フリードマンの唯一の間違い「子供にチケットクーポンを配るんだよ、ハゲ!」と、子どもたちに課せられた唯一の義務「ガキのうちは必ず勉強しろ!」について…m(_ _)m」への応援コメント

  • 自由化で起きようとする児童労働は「学ぶことの義務と就労の禁止」で解決するですか、なるほど。益々悪い大人に囲まれた子供を守る執行機関が重要ですね…虐待があってもロクに子供を守れず死なせてる児相じゃとてもじゃないけど無理そう。

    義務教育してるからって児童労働してないか、っていったらそうでもないですよね。
    全世界の自動車ファンなら知らぬものはいない「RE雨宮」の創業者・雨宮勇美は14歳で学校をバックれて上京して仕事してたそうで。コンプラのコの字もない1960年頃かつベビーブーマー世代だからいちいち一人ひとりに構っていられない時代ゆえでしょうねえw

    作者からの返信

    ひめたま様(^^)/
    いつもありがとうございます…m(_ _)m

    まずは「言わねばならない」と思うことがあります。それはどんなシステムを導入したとしても、教育行政は完全にはならないということです。つまり、これだけやればバラ色ハッピーとか完全無欠のシステムとか、もしくは犯罪や汚職、子供による犯罪や子供に対する犯罪が完全消滅する…ということは「如何なる教育システムであっても」不可能だと諦めています。ありえないのです。
    以前、本文中に「子供の性善説を信じる」と書きましたが、性善説に立っても社会から悪徳が完全に消滅しない限りは「染まる」子もいるという事、なにより(現在までの)生物学的な見地からしても「ある一定数のペテン師」が存在することはゲームの理論で証明されています。よって全ての悪が消滅することはなく、また子供に関わる悪徳がなくなることも「ありません」。そんな天国はこの世には存在しません。しかし義務教育のような「唯一無二の優れた制度のはずだ」的な傲慢さもありません。あるのは、犯罪は失くならないが別に絶望はしない、子供が犯罪に巻き込まれない、子供が犯罪を犯さないように教育する…ということです。また再起を支援することも必要です。

    しかし性善説に依拠するものの、全ての子供や社会(大人)が善性ではないことも(避けようのない現実として)認識されるべきなのです。残念ですが…(๑¯ω¯๑)

    よって教育バウチャー制度になっても子供を巡るトラブルは耐えないでしょう。そのため法律や執行機関などは存在し、時に現在の義務教育よりも厳しい対応がなされるかもしれません。またしつけ等に関しても「国家主義的」な厳しさが復活する可能性もあります。しかし民主国家において、民主政体を維持する事を主眼とした教育を展開する上で必要とされる道徳に関しては、仮に厳しくてもなされるべきという正しい判断がなされることと思われます。例えば米国がそうです。米国は一見、社会が荒れているように見え、実際、その傾向もあります。しかし荒廃した貧困地域にあって尚、基督教的な倫理観を見出すことはよくあります。崩壊した家庭もありますが、片親の貧困層にあってなお、子供への教育としつけ…特に倫理観に関しては漫画やドラマなどと違い、親が子に厳しく義務と責任を教え込んでいるというのはよくあることなのです。よって貧困層は社会のクズというのは偏見か単なる勘違いであり、古典的な倫理観・宗教観が死んでいるということも無いのです。これらの保守的な傾向は、教育バウチャー制度においても変わることはないと思われます。無政府主義・無秩序は弱者にのみ犠牲を強いる「悪」だと判っているからです。弱者であっても救済される社会の構築が文明の一側面ならば、文明化≒ルールも必要ということです。

    この「文明化」こそが「教育」です。よって義務とされる必要があるのです。ただし義務教育が国家主義的な色彩を帯びていて、それが現在においては問題を引き起こし、なおかつ改善飲み込みがないのなら、放置することだけは避けるべきです。無論、義務教育が国家のエリート層の構築と(仮にエリートになれなくても)一般人の文明国家での生存に必要な知識の習得…という意義があったことは認めるべきとは思います。しかし個人の抑圧が過ぎ、子どもたちがドロップアウトしたり多数の自殺者が出ているという深刻な現状を「そういうもの」と放置するには現状の悪化は深刻過ぎるのです。この義務教育の改良発展版が教育バウチャー制度であって、これは義務教育がフォロー出来なかった「個人主義」を徹底的に追求するという意味で「より現代的」という事です。この個人主義に立脚する教育バウチャー制度によって構築される社会が(新たな)文明化(された世界)であり、なので文明化のためにルールが必要であり、このルール(秩序と知識)を習得すべきということです。なので「唯一」、義務が成立します。学習することは義務なのです。教育は義務なのですが、義務教育であるべきではない…ただそれだけのことです。


    また子供の労働についてですが、途上国では未成年が貧困のために奴隷的労働に駆り出され低賃金で過酷な労働を強制されたり、幼女が嫁に嫁ぐ(≒カネで売られる)悪弊が世界中で見られています。これは子供の未来を抹殺する愚行で、いかなる理由が有っても辞めさせねばなりません。途上国の罪です。また意外なことに欧米などでも「かなり見られる」ことでした(驚愕)。特に移民や難民の子が未成年年齢であるにも関らず低賃金で肉体労働に従事していると言うことが問題になってる…というニュースを見たことがあります。これには果樹園での収穫作業から始まって児童売春のようなものまであります。これらは非常に深刻な問題で、たとえ移民や外国人の子であろうが国籍がなかろう(≒不法就労者の子)が「防止すべき」事柄です。なぜなら子供は自分でカネを稼ぐ能力にかけていて、市場参加者でもなければ納税者でもなく(実際は納税者だが大抵は親が払う)そのため選挙権がないので政治的に社会の不正にプロテストする方法が無いからです。よって彼らの権利もまた社会が保証すべきなのです。「少年法」の基本になる考え方です。このため子供には教育を受ける義務が生じるのです。
    たしかに高度な教育を施すことは、確かにカネのかかることですが、その後、納税を経て国庫に返納されるべきカネと考えれば良いだけのことで、むしろ奨学金などという「借金」を作るのならば、国が教育にカネを投資する≒子どもたちは借金したことにして、成人後に納税・健保・年金などで「完済」させればよいのです。

    昔は学校ドロップアウトして立身出世した人もいたのは事実で、そういう人も確かにこの世には多いのですが、それは「成功談の一つ」に過ぎず、実際には奴隷労働や人身売買によって人生を棒に振る人たちのほうがケタ外れに多いのです。よってやはり未就学児童労働や学業からのドロップアウトはやめさせねばなりません。そして実際、社会としても彼らを奴隷から一自由市民に戻し、消費者および生産者として社会の中に組み込むことの方が国富の増強には遥かに役に立つのです。奴隷制度(農奴を含む)の時代よりも現代社会のほうが遥かに豊かで優れているのは単に時代が進んだからでは「ありません」。現代の爆発的な国富の増強および技術文明の進展はまさに資本主義の確立発展と、それに伴う個人の権利獲得の動きの結果、富が個々人に広く行き渡り蓄積した結果に他ならないのです。奴隷制度の国家では不可能な豊かさであり、全体主義的な国家では無理な文明力です。

    勿論、中共のような「全体主義的な国家がなんで世界第二位の国になってるじゃん(๑¯ω¯๑)?」に関しては、「だから〜産業国家を回す時には高金利の債権を建てればインフレ成長できるから」に過ぎず、そのために実に16,000兆円もの債務を建ててるんじゃないのか?+自転車操業と踏み倒しで債務破綻を先延ばしにしてるみたいだが「インフレは悪魔で、いずれは必ず取り立てに来る」借金取りだという事に気づいてないんだろ? 元が共産主義者だから??…というだけの話であって、「現代に蘇る科挙」こと最凶最悪の義務教育と言える中国の教育制度「高考(ガオカオ)」が如何に中国青年と家族を蝕んでいるかは言を待たないことです。まだ彼らは国として若く、そのため苦難をこれから支払うことになるのです。「元気なのは若いうちだけ」の、時機を得た若年国家なだけで、これから年をとるにつれ足腰にガタがくるのです。その時、彼らも多額の債務問題などと同様に「高考(ガオカオ)」のような既存の義務教育システムの弊害に苦悩することになります。どのような解決方法を採るのかは不明ですが…(๑¯ω¯๑)

    子供の尊厳を守れば、子供の学習意欲は高まる…これに期待し、実現しようとするのが教育バウチャー制度です。あくまでも子供一人ひとりのためにあるメカニズムで、子供を顧客として捉える資本主義的なアプローチが特徴なのですが、これは実は「接客する側」つまり教師の側にもメリットがあります。これは今後、本編で述べるつもりですが、「誰もがなれる」ということから社会で経験を積んだ人が教師になれるということです。そしてこの「教員免許を全く必要としない」メカニズムは、実は現在、「塾」という形で大成功しています。子供に教育を賦ける時には、特に教員免許など必要でもないのです。「なれる人がなる」…この需給バランスこそが人間という資源の最適化の達成に繋がります。現在の日本のように教師のなり手が少なく、なったところでカネがない。なぜなら学校教育が公教育であり、予算は国の税金に寄って補填される。なら国が不景気やデフレになれば租税収入が減り、このため文教予算は削減されてしまう。なので教師は非正規雇用のまま…では「全く意味がなく、教師が救われない」のです。現在の日本であり、世界の主だった国の教育現場です。教師の自己犠牲によってのみかろうじて維持されている「教師の搾取」が教室で行われているのが現在の教育システムだったのです。

    なら、日本の塾や予備校のように「誰もが教師になれる」「生徒が教師を選ぶ」というシステムに変えたら良いのです(^^)/ しかも日本では大成功してる「実績のある」システムです。要するに教育バウチャー制度とは日本の学習環境である私塾に公金を入れる…というだけのことだったのです。家庭教師や自宅学習でも「公教育とみなす」とするだけで子供も大人も、生徒も教師も皆がいまより遥かに楽に楽しく学習できるということになるでしょう。特に日本なら大丈夫です。多分、うまく行くでしょう。他の国よりも、です(^^)

  • 人間関係や勉学で悩んでいる子供たちはみな同じことが言える。

    これは真理ですよね。というより、深刻かどうかの差があるだけで、悩まない子はいないし、悩まない大人もいない。などと思います。

    作者からの返信

    厚労相の2021年度の速報値によれば、19歳未満の自殺者が512人というのは、結構心配な数字ですね。小学生が17人、中学生が143人、高校生352人で、特に男子高校生は207人と全体の1/3を超えてます。事由は学業不振が最多の104人、入試以外の進路の悩み84人、入試に関する悩みが40人という事で、40%以上が学業の悩みでした。

    要するに勉強のプレッシャーがひどすぎるということです。勉強はそもそも「キミが社会で生きていくのに必要な知識」のはずなのに、勉強のために死を選ぶでは全く意味がないのです。つまり「競争」や「社会からの要求」のために子供を圧殺している非人道的な社会が現在の社会なのです。これは義務教育を採用していることに由来しているor義務教育ではもはや改善の見込みがないと考えるべきでしょう。なぜなら改善可能ならば、もうやっていなければおかしいからです。そして改善し続けているのなら、学業に関する悩みで自殺する子供の数が減っていなければおかしいからです。しかも子供は少子化により「母数が減っている」にも関らず自殺者が増えているのです。

    これ以上の放置は大人の無責任です。
    子供が雁字搦になっていて、しかも子供は大人社会を変革する権力を持たない以上、大人が自らと子供を変革しなければならないのです。ワイは義務教育をやめることがまずは第一歩と考えています。

    多数の死者をこれからも出し続けるべきではないのです。「しょうがない」では済まない問題なのですから…(T_T)