§8-4-3・教育バウチャー制度とは「義務教育を廃止する」こと…m(_ _)m

○教育バウチャー制度とは「子供を顧客と捉え、顧客満足度の極大化を図る民主的なシステム」


1000年以上前、アンドロメダ星雲に覇を唱えた偉大な先史文明・白色彗星帝国はしかし、残念なことに社会の混迷を招いていた。教育環境が荒廃しきっていたのだ。新自由主義的改革でゼムリア人の社会は生き返った。しかし同時にカネが全てという「間違えた短絡的な思考」が蔓延はびこった。新自由主義とは独裁や集団主義やファシズム・マルクス主義を嫌い、思想的な全体主義を嫌うだけの人たちの集まりのはずだった。個人の自由と尊厳…つまり「自分の生き方・自分の存在意義」を重視するのであって、拝金主義とは違うはずだったのに…だ。またカネとは本来「国債」のことであり、国債は「通貨」と「金利=経済成長=インフレ」に帰着するというだけのことだった。


しかしゼムリア人は間違えてしまった。拝金主義がはびこり、所得の優劣が社会における自己の立場の優劣に直結するような国家に成り下がっていた。所得格差のために貧しいものは満足な教育が受けられず、教育を受けたものは間違えた教育プログラムによって拝金主義へと走る…という醜態だった。貧乏人という「個人」を抑圧する社会に落ちぶれていたのだ。これは「いかなる個人であっても、他人からの束縛や奴隷的拘束を受けるべきではない」という新自由主義のセントラルドグマを揺るがす哲学的な問題にまで発展した。貧困の解消が人間性の復活につながるとしたら、教育が貧困を克服する術となるべきだったのは言うまでもない…


当初は彼らも義務教育を採用していた。全ての子どもたちに貧富や人種、性別、宗教などの違いを越えて平等に公費によって教育を授けるべきと考えていたからだ。だがその結果は悲惨で、戦後の日本がそうであったのと全く同じ問題を抱えこんだ。教育現場は荒廃し、イジメや不登校が蔓延した。必然、学力は低下し、これを補うために高額の私塾に頼ることになった。教育費はかさみ、貧乏人はますます教育のチャンスを失った。カネ社会はコネ社会。コネ社会での出世のためには学閥エリートとなる必要があり、それらエリート大学教育には桁外れのカネがかかった。その結果、「奨学金」という名前だけは誠に奇麗な「借金」によって子どもたちの将来は奪われた。社会に出て自活し、家族を持とうにも奨学金を払いきれず、結局、結婚や出産を諦めるしかなくなってしまった。そのくせ少子化対策などという無駄な税金負担は増える一方だった。根本的な解決が必要だった。


しかし、ここで出てきた考え方もまた新自由主義を信奉するゼムリア人らしいアプローチだった。教育を「子供が受益者となるサービス」と捉え、子供を「顧客」とみなした。そして顧客一人ひとりの満足度を高めつつ、ふさわしい対価…つまり子どもたちが支払うコストを「公的負担」で賄うことができれば、これは義務教育にとって変わる事が出来ると考えたのである。これは「商売」だった。


例えばお店に行った時、店の品揃えが気に入らないとか、そもそも商品がなかったとする。この場合、その店にはいかない。また店員の対応がよくないor高圧的だったり、ましてやイジメや脅迫をうけるような場合には、もういかなくなるだろう。逆に自分に必要な品揃えがあり、適切なサービスを受けられれば「お気に入り」になり頻繁に通うはずだ。店もそうなれば売上が伸びる。良い事だらけだ。この当たり前の資本主義的行動を「学校」という場所で再現すればよい…と考えたのである。


子どもたちという顧客が「教育現場」という「お店」に行く。ある子供にとって必要な「教育カリキュラム」という商品を、「教育現場」から顧客である子供が選択し「購入」する。この時の購入代金を「公金」が支払えばよいのだ。「教育カリキュラム」という商品は「教育教材」であり、時にこれをレクチャーする講師or教師が提供するサービス(授業)と一緒に提供される。よって当然、「子供が教師や教材を選ぶ」のである。これら教育財サービスを子供が選び、大人が税金で買い与えるのだ。おもちゃを買い与えるように、「教育」を買い与えるのだ。


子供が学校もしくは教育サービスを「自分で選ぶ」…顧客なのだから当然ではあるが、子供が自分のレベルにあった教材と教師、学校などの教育環境を自分で選ぶ、というのが教育バウチャー制度の真骨頂だった。「子供が自己責任で自分の師を選び、自分のペースで自らの意思で学び、会得する」のである。よって自分に合わない先生や環境なら「別の教師や学校、もしくは教育環境に乗り換えればよい」のだ。


これは劇的なパラダイムシフトだった。

子どもたちは自分に合わない学校に強制的に行かされるのではなく、自分にあった教育環境を自分で選べるようになったのである。よって嫌いだったり、行きたくなかったら「行かなくていい」のである。イジメられる環境からは「逃げて良い」のであり、そもそも行く必要がなく、別の環境に乗り換えればよいのだ。嫌な店に二度といかないのと同じように、だ!


同時に教育バウチャー制度は国家や納税者にとってもメリットが多かった。教育が義務でなくなった。強制ではなくなったのだ。嫌がる子供を無理やり連れて行く必要はなくなり、教育バウチャー制度によって初めてイジメや不登校に対する現実的な解決法が提示された。「義務教育」とは本来、子どもたちに教育を与えるために大人に課せられた義務…であったが、実際には子供に「学校に来るように!」と課す義務=命令であり、徴兵制と同じ「国家による個人支配」に過ぎなかったのだ。これをやめることにした。強制は全体主義であり、新自由主義とは相容れないからだ。

教育は単なる商品とあり、教育行政は「商売」になった。よって「商売」であるがゆえにコスパの極大化を計ればよいだけとなった。これは納税者の税負担を劇的に減らすだけでなく、効率と結果を高め、また監査手続きの簡素化により不正会計を防止する事を可能にした。同時に全納税者が「株主」となり、株主総会に相当する「親の意見の速やかな反映」を可能にした。義務教育によって失っていた柔軟性・即応性を復活させ、地域コミュニティにおける民主主義の復活を約束した。


また管理技術も従来から使っている資本主義的な諸会計制度が演繹できたことも重要だった。強大な産業力を誇り、充実した市場と経験を蓄積していた資本主義国家・白色彗星帝国にとって、教育現場を擬似株式会社化したことでカネと教育とのバランスを帳簿上の問題として検討査閲することが可能になった。透明性が著しく向上したのである。

これなら結果が不良だった場合、その原因の追跡と対策の検討が出来る。複雑な教育問題の解決には専門の民間ソリューション企業のノウハウが期待でき、教育行政を経営技術として管理運営することから、従来の悪習慣であった「教育現場の学校・教師たちに何もかもをブン投げ」ていた無責任さも駆逐できた。苦悩する教育現場に対して、潤沢な知識・情報・経験を持つ民間のソリューション企業がサポートすることも可能になり、教師の負担を減らせることが期待された。

生徒だけでなく教師もまた自分の本来業務である「勉学」に集中することが出来るようになったのである。おまけに教育費の横流しによる公金および私募(≒学校の給食費など、みんなの家庭から徴収するカネ)の使途不明金を撲滅し(←大抵はPTAの連中が飲んだり食ったりカラオケ行ったりなんかに使われていた)、教員労組による政治活動から子どもたちを守ることも出来た。無駄金や不正会計、政治的な思惑を「監査」によって検証・駆逐することが可能になったからである。


教育バウチャー制度は、問題だらけの義務教育を抹殺できる鮮やかなメカニズムだった。資本主義というシステムの長所と、個人主義という立脚点の正しさが「義務」を強要する国家主義的な教育システムを「全体主義者の遺物」として葬り去ることを可能にしたのだ。


また子供を顧客として考えたことは、「まだ未熟で判断力がなく、親の庇護にあるべき存在」という「子供は親や社会の従属物」という概念を変えた。子供はどんなに小さくても、大人と同じ人権が保証されるべきだったのだ。子供が泣いて嫌がる事を「させてはならない」。学校に行きたくないのなら「行かせてはならない」のである。恐怖と暴力と不安とイジメのある学校に行っても不登校の問題が解決するはずはなく、「学校に行けばきっとうまくいく」と大人が無責任に考えるべきではないのだ。そうではなく、大人が考えるべきことは「子供が勉強したくなる環境を整える」ことだけだ。それも、最も低いコストで最大の効用と顧客である子供の満足度を得る…このアプローチを整えればよいだけだった。極めてシンプルで、ゆらぎや虚飾が一切なかった。後の「少年法」を構成する思想のバックボーンとなった。


シンプルさは新自由主義者のあつまりであるゼムリア人の好む思考構造だった。柔軟でわかりやすく、しかも強靱で嘘やいつわりが少ないばかりか管理しやすく発展性の余地を十分残していた。大人たちの合理的期待形成も可能だった。よって彼らは検討の末、既存の義務教育を廃止し「教育バウチャー制度」へと移行した。では具体的に彼らはどういう教育メカニズムを構築したのだろうか? カギは「教育チケットクーポン制度」だった…



 ※     ※     ※



○子供に「教育チケットクーポン」を配る。これだけ…


ゼムリア人たちのアプローチは、やはり単純だった。「選択の自由と、その結果責任」という自己責任論に立脚していた。また強制を極力排除することにし、子どもたちに幼いときから「自らのレゾンデートルを認識させる」という意匠を含ませた。


まず子どもたちに、年齢に合わせた教育カリキュラムを作成した。例えば小学校一年生には「国語」「算数」「理科」「社会」などと科目別に分け、この中に「履修すべき内容」を提示した。例えば「算数」ならば「足し算」「引き算」「掛け算」「割り算」とか「九九の暗唱」などと、生徒がクリアすべき項目と内容を明示した。ここまでは義務教育となんら変わりがなかった。違いはこの後だ。


この「履修すべき内容」にはそれぞれ「ポイント」がついていた。これは教育の受益者である子供が保有するポイントでもあった。そして子供は「履修すべき内容」を学習し、会得していれば「誰が何処で教えても良い」ということにした。

たとえばこうだ。学校で授業を受けた。しかしよく判らなった。そこで自宅にかえって親に教えてもらった。そしたら今度は「子供が理解できた」…とする。この場合、子供に教育を与えたのは学校や教師ではなく「実の親」だ。なら「先生は親だった」。なので親は、実の子供という「生徒」を指導した「教師」であり「教育費」をもらう権利があった。


ここで「教育チケットクーポン」が活用される。

教育チケットクーポンは、履修すべき内容の難易度に合わせてそれぞれ一定のポイントが付いていた。たとえば「足し算」という内容については「1ポイント」、「連立方程式の解」については2ポイント。「空間座標とベクトル」なら10ポイント、「数論その1」なら1000ポイントとそれぞれ固有のポイント数が与えられており、この「ポイント数=現金」とされた。1ポイント=1円とか、1000ポイント=1000ドル…とかである。


このポイントは履修内容に付与されていた。よって履修者である子供が「履修できた」と確認できれば、そのポイント分を教育費用として負担することを考えればよいのだ。勉強が出来たら、子供は「誰から学んだか?」という申請を公的機関である教育省に申請する。子供がポイントを「誰に与えるか?」を選び、「選ばれた者=子供に教えた人」の認証サインを得て教育省に送られ、その後、選ばれた者=子供に教えた人の銀行口座にポイント相当のカネが振り込まれる。そして、このポイント分のカネは税金で賄われる…というシステムだった。よって前述の例をひけば、自分の子供に足し算を教えた親は、「足し算」という履修科目相当分のポイントを「教育費」として国からもらうことが出来たのである。



基本的には、たったこれだけだった…m(_ _)m

子供が学習し、会得できた履修内容相当分の教育費を、履修内容の質と量に従って「公教育費用」として税金で負担するというやり方だった。信じられないほどのシンプルさだった。必要なことは、子供に必要な教育履修内容を細かく設定することとと、付与するポイントの量だけだった。他は「全て自由」とされたのである。


しかし本当にこんなシンプル過ぎる「教育バウチャー制度」は機能したのだろうか?

結論から言えば「した」。それどころか唯一無二の最強のメカニズムとして長く君臨した。他の教育システムは全て駆逐され、かえりみられることもなかったほどだ。


事実、この教育バウチャー制度を乗り越えるシステムはたった一つ…人間の体内に量子コンピューターを埋め込み、その体内コンピューターおよび外部から量子ネットワークを通じてアクセスする「全人類知性のデータバンク」の情報を脳内に瞬時に直接読み込み、かつ生体脳と有機的に融合した機械演算システム〜つまり遺伝的・物理的に生体改造された「ホモ・サピエンスの亜種」が出来るまで続いた。この別種の人造人間は学習する代わりに、白色彗星帝国が蓄えた全知性を最初からデータバンクとして胎内に保有していた。よって学校に通う必要はなかった。始めから履修科目をデータとして胎内に書き込んでおけばよかっただけだからだ。仮に足りない知性や情報があったとしても外部のデータセンターにアクセスすればよいだけのことだった。学ぶことを忘れたと言ってもいい。


後に「ガトランティス人」を名乗り、ズォーダー氏に率いられた「後期白色彗星帝国人」のことだったが、連中の事はまた後で詳述することとして、まずは教育バウチャー制度がゼムリア人の子供・親・教育現場・納税者(=子供のいない人もいる)そして学校制度や国家そのものにどれほどのメリットとインパクトを与えたのかを、更に詳細に調査することにしたい…m(_ _)m

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る