§8-4-2・死闘!神よ、古代進さんのために泣け!(後編)〜古代進というガミラス戦役の勝者にして義務教育の敗者

○子供の受験の事を考えてセックスしないと出られない寝室へや

 80年代から現代まで続くヤマッテの国の苦悩について…


現代の子どもたちには想像も出来ないかもしれない。少しだけ言い訳もする。2020年代と一つ違うことがある。「いずれ人類は核戦争で死ぬ」というモヤモヤとした不安感の時代でもあったのだ。

当時の中学校はいまよりもはるかに政治的な色彩が強かった。「冷戦」と言われた時代で、米国とソ連(後のロシア)主導による世界二分割の時代であり「民主主義・資本主義vs共産主義・マルクス全体主義」の鋭い核戦争寸前の対立の時代だった。この「いつか始まる全面核戦争」の漠然とした不安はまた、当時の日本の三軒茶屋のごく普通の「荒れた中学校」に通う子どもたち一人ひとりの頭の上にさえ、のしかかるようなプレッシャーを与えていた。


「エリートにならねばいけない」という我らの社会は同時に、一瞬の政治的・軍事的判断ミスによりアッサリと消滅するほどもろい世界でもあった。こんな不確実で不安定な社会を生きるために、なぜ僕らは全人生をすり減らす過酷な学歴生存競争をしなければならないのか?…当時の子どもたちが、一度は語り合った「大人の社会の絶対矛盾」がこれだった。親もそうだった。多くの子供が心がすさみ、学級崩壊に伴うイジメ、暴力、混乱と教育費の負担から親もどうして良いのか判らないようだった。激しい学歴競争は、激しい受験競争を生んだ。子供の数が多すぎた「団塊の世代」でもあった。


「こんな時代(=子供の数が多い時代)にオマエを生んで、ごめんね…」


当時の子供なら、一度はこんなセリフを親から聞いたことがあったかもしれない。実に馬鹿げたセリフだった。セックスするタイミングを、社会情勢を見ながら考えねばならないような奇妙な異世界…それが当時の日本だった。子供だけでなく親までも惨めにさせる狂ったメカニズムが存在していたのだ。子供だけでなく、大人の人間性をも圧殺する教育システム。「人口統計を調べないと出られない部屋」…それが当時の新婚夫婦の寝室だったのである(呆れ

よってシニカルで刹那的でもあったのだ。イジメや不登校がなくなるわけがなかった。愚かで脆い世界にしがみつきて生きていくしかない弱者たちは、仲間や友人と競争し、より弱い者を叩き伏せてわずかな勝ちを得た。教育現場という闘技場で、見世物にさえならない下らない殺し合いをさせられていた奴隷以下の剣闘士こそ1980年代の日本の子供たちだったのであり、「愛」が何処にもなかったのだから心がすさむのは当然の事だった。


子供は大人社会の鏡。ひどく歪んでいた。写った自分の姿の醜さに愕然とすることも多かった。この歪みは、そのまま現代まで続く…


 ※     ※     ※


90年代、この余りにも悲惨な学級崩壊を前に、大きな改革を始めた。せざるを得なくなってようやく動き出したというべきか? しかしその結果は教育内容を大幅にオミットする事だった。これは過度な詰め込み教育が問題の根源とされ、ならば教育内容を絞り込み必要最低限の内容だけに止め、受験競争を緩めようと試みた社会的実験だった。「ゆとり教育」のことである。


このアプローチは明らかに間違いだった。子どもたちの「知ることの楽しみ」を大幅にオミットしただけでなく、大人の社会の根本問題だった「学歴偏重格差社会」の是正が遅れていたからである。ウクライナ紛争における露助のあほんだらどものように、まともな戦闘教育を受けていない素人動員兵が、この世のものとも思えないほどの苛烈な受験戦争の最前線に立たされる事になったのだ。少年兵たちの屍累々しかばねるいるいという惨状になったのだ。子どもたちが最初にこの現実に気づき、不安を口にするようになったというのだから、もはや話にならない。発展途上国の子どもたちのように「勉強がしたい」と日本の子供たちまでもか言うようになったのだから…(ド呆れ)。実際、世界的に見てこの時は日本の教育水準は複数の指標で国際順位を下げていたと言われている。当然の結果だった。


「オマエら大人のくせに、そんなことも分からんのか…ಠ_ಠ;??」


教育現場は混乱し、教師だけでなく子どもたちからもこんな不安な声が上がるほど政治家や文部科学省の役人はバカだった。「アンタら、なんのためにエリート大学出たの?」と突っ込まれるほどで、これまでの学歴偏重型義務教育の欠点が改めて露呈するほどだった。


公的教育の不安…特に子どもたちの「よりまともな教育を!」という期待に応えたのは、またも私塾だった。義務教育で足りない分を塾でカネを払って補填するという動きが広がった。私塾は義務教育の規制がなく、自由で柔軟だった。80年代までのマスプロ化されたシステムを廃止し、いち早く「個人指導・対面授業」に切り替え、一人ひとりの底上げを図る方向へとシフトしていく。これは「子どもたち・親御さんからの要求」に答える形であったが、「カネがかかる」という問題を改めて提起した。

困ったことに、時代はバブル崩壊からデフレへと向かう。「いくら働いても、親の所得が伸びない」という時代に、教育費はますますかかることになったのである。これは大問題だった。親の資本力によって教育格差が生まれる構造が固定化したからだ。義務教育の長所であった「限りなく無料で、良質な教育を提供する」という根本理念はカネの側面からも既に崩壊していた…


21世紀はこれを受けて、更に苦悩を深める20年間となった。

「所得格差が子供の教育のチャンスロスとなってはいけない!」…これは日本人に共通するコンセプトになった。驚くべきことは日本の義務教育の現場で、阿呆な文科省の判断ミスの皺寄せを一身に引き受けた地獄にあってなお教師たちは義務を果たした。彼らは学校の膨大な量の雑用をこなしながら、低給料で無休で子どもたちの教育水準の向上に取り組んだ。その結果は確実に現れた。2000年代、複数の世界の教育水準指標で下がっていく一方だった順位が2010年代には回復しつつあったのだ。


この指標は大抵は中国のような新興国家が上位を占めた。これはよくある傾向で、経済勃興著しい途上国で、1960-80年代の日本に起こった学歴競争社会が現出しただけのことだった。社会環境がほぼ同じということで、求められた教育も詰め込み型受験戦争教育となり、その結果、学力指数が上位を占めていただけのことだった。この中にあって韓国や欧州諸国などの、かつては教育水準が高いロールモデルといわれた国々がジリジリと下げていったにも関らず、日本は逆に少しづつだが上昇している…と考えられていた。無論、指数は多数あり、何を重視すべきか?…で国際順位は大きく変わるが「暗記重視の教育」に関しては順位は踏みとどまっていた。


確かに柔軟性を問う出題傾向の強い国際テストにおいては、日本はいまだ低いままだったが、教員への過大な負担を鑑みれば此処が限界で、それでも十分過ぎるほどの偉大な功績と考えられた。また、かつてのように日教組が左翼思想を宣伝する政治デマゴーグの場から、子どもたちへの教育サービスの提供の場へと少しだけ変わったとも言える。これは公立学校教職員団体組織率の減少と軌を一にしており、文科省が統計を取り始めた1958年度は公立学校の全体加盟率がほぼ95%だったのに対し、2022年は約40%で46年連続で低下し、日教組への加入率も45年連続の低下の約20%にまで下がった。教師の多様性が進んだことや、労組に時間を割く余裕がなくなったことや、なにより教師が非正規雇用のアルバイトで簡単にクビになっていた事も関係しているが、不景気による公的教育費用減少による教員リソース低下にあってなお、現場の教師一人ひとりが国の支援も得られないままに(政治闘争よりも)「自分が受け持つ生徒たちのため」に必死に奮闘し、全ての自分の時間を注ぎ込んだ結果…というべきだろう。


 ※     ※     ※


社会も変わった。多様化し、必ずしもエリート出世街道以外でも生きていける時代ともなった。これはバブル期までに日本国が国債を大量に発行し、その結果、国民資産M2が900兆円以上にもなる金満国になったおかげの「贅沢」だった。多様性は贅沢品であり、このカネのおかげで暫くの間は「働いたら敗け」の時代が続いた。これも当然だった。


日本は長期デフレ国家に変容した。このため「カネの価値は下落しない」ままだった。インフレの逆の現象がそのまま出ただけだ。よって働く=労働者という「モノ」の価値はデフレ化して下がっていく一方だった。労働賃金が低下し続けたことがその証左であり、取り崩すカネが残っているのならば「カネの価値は高いまま」の物価安の世界だったので、仕事しなくても生きていけただけである。これまで述べた通りの話であって、全ては財務省が「国家破綻Gaー」と騒いだ挙句、超低金利政策を採用した結果の成長失速時代の悪影響だった。働いたってカネにならないのだから、働けというのが無理な話。同時にカネ(M2)は潤沢にあったので、その余力のためにエリートになる以外でも生活できるだけのゆとりが出来ていた。なら狂ったような受験戦争など、参加するだけ無駄なことだった。


カネは偉大であり、カネを生み出す国債は素晴らしいツールだった。

バブル崩壊でもなお債務総額の倍ちかい国民資産を溜め込んでいた日本は、エリートにならなくても生活できる国に化けていたのである。逆にエリートになっても労働賃金は上がらす、社会的な圧力や負担ばかりが増えるデフレ化地獄になったために、結果として「社会の多様性」が進んだのである。

カネで見れば実に分かりやすい現象だった。よって当然、受験競争圧力は減少した。同時に多数の大学設置も進み、大学進学率が上昇した。当然、大学の質はトータルで下がり、Fラン大学では九九の演算からやり直さねばならないという程だったが、それでも1/2人は大学にいく時代にはなった。


政府も変わった。保守的な日本にあっても社会は柔軟性を失ってはいなかった。「一人ひとりの個性や人間性をより重視する」という世界のトレンドを横目に、「良さげなものは、慎重に評価した後でゆっくり取り入れる」というしたたかさがあった。このため各種の少子化対策や、維新橋下政権下で打ち出された高等教育無償化などの「公費のかかる」教育改革を進めるのである。カネはなかったが、それでもやった。橋下徹はコメンテーターとしてはバカ丸出しだが、大阪府首長としての業績は(誰がなんと言おうと)優秀だった。よって大阪では維新がこれからも相当長いこと政権与党のままだろう。たった一回しかなかった「政権与党」というチャンスを確実にモノにした橋下の能力を立憲民主党は素直に見習うべきだし、我々関東人も正当に評価すべきだ(嫌いだけど…)。唯一の問題は、大阪府はいまでも8兆円を超える公債を償還できない「破綻寸前の」地方政府のままの事だったが…。



 ※     ※     ※

 


こうした教育に公費がかかりすぎることは重大な問題だった。日本は2020年をしてもなお経済成長の著しく低い国であり、このため政策予算の伸びも止まっていた。「カネがない」のである。大規模な子供向け投資は確かに意味があり、やるべきだが、カネがない現在に「子どもたちへの借金」をも付け回すのは如何か?…という根本問題が残ったままだった。将来世代への「奨学金」となりかねない愚行だった。


問題は他にもあった。柔軟で即応性の高い教育は私塾によって補填されていた。公的教育機関は機能不全を起こし、そのままだった。恐ろしい事に公的教育機関が私塾から教師を招いて授業を展開する…ということまで常態化しつつあった。学校よりも塾の方がトータルで優れているということであり、これでは何のための公教育なのか存在意義さえ失われつつあった。当然、私塾にはカネが必要だった。もともと公教育は貧乏人に適切な教育を施すのが目的だった。いまやこの目的も果たせなくなっていた。なら何のための公教育なのか?


まだある。イジメや不登校の問題だった。要は「学校に行きたくない」「いけばイジメられる」の繰り返しで、子ども一人ひとりの問題を十分にケア出来ない欠陥システムが現在の義務教育の姿だった。子供の未来を作るために教育システムを整備してきたはずなのに、学校に行くことが出来ない程、子どもたちを追い詰める「監獄」に成り下がっていたのだ。しかも満足な解決法さえ提示できていない。聞こえてくるのは「子供は学校に行け」という声ばかりであり、「いけない」という子供に対する根本解決策にはなっていない。イジメも残置されたままであり、時々、自殺する子供が出てネットで大騒ぎになることや、この事件を隠匿しようとする教育現場の陰湿な体質も何も変わっていなかった…。

より重要な問題は「いつになったら解決できるのか?」の見通しが全く立っていないことだった。学校という監獄が地獄のまま延々と残り続ける恐れしかなかったのである。こんなところに自分の子供を突っ込まねばならない時代に、どうやって多産を推奨することが出来るのか??



 ※     ※     ※

 


これらの問題は80年代には既に出尽くしていたはずだった。時間はたっぷりあったはずだった。しかし40年以上も未解決のまま放置されてきたのだ。これはおかしい。現在、少子化が進んでいるはずなのに、なぜ「子供の数が多すぎ」が原因のはずの学歴社会・教育格差問題が解消できないのか? イジメや不登校にいまなお対処できないのは何故か? イジメられる人間が悪いからか? 不登校は子供のせいなのか? なぜ「子供一人ひとりに適応した、学びの喜びのある基礎学力の授与」という公教育の当初の基本理念が何時までたっても達成されないのか? 国家の将来を担う子どもたちを救うことが出来ずして、異次元の子育て支援などあろうか?



なぜ子どもたちは何時までたっても救われないのか??



この重大な問題に唯一の正解を出したユダヤの賢人がいた。ミルトン・フリードマンだった。彼は言う。「諸悪の根源は義務教育というシステムそのものにあり、機能不全を起こしているのだから即刻廃止すべきだ」と。そして従来の無能で権威主義的で前時代的な義務教育に変わる新たなメカニズム「教育バウチャー制度」を提案する。


この教育バウチャー制度とは「全ての義務教育を廃止し、全てを民間に委ねる」というシステムだった。では、全ての公教育を民間に委ねる…という形で本当に子どもたちに充実した教育を授けることが可能なのだろうか? 少なくとも、この考え方をテロン人は2202年に至るまで完遂したことはなかった。出来なかったからこそ、古代進氏のような苦悩する若者を量産し続けてきたのだ。しかし「教育バウチャー制度」と同じ概念にたどり着き、テロン人の遥か以前に実際に実践して実績を作った国家があった。ゼムリア人…つまり前期白色彗星帝国がそれだった。


そこで10世紀以上前に実践され、混迷する彼らの社会を救った偉大な教育バウチャー制度について、白色彗星帝国の過去の記録から検証してみることにする

…m(_ _)m

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