§8-3-7・負の所得税と経済成長政策 〜日本における『第三の矢』とは本来、どうあるべきだったのか?について

○完全キャッシュレス化とマイナンバーカード制導入

 〜そして経済政策『第三の矢』について


中間層の拡大強化による国家経済の持続的な成長を目論み、大規模な税制改革を断行した白色彗星帝国のゼムリア人だったが、もともとエラく頭のキレる連中だったこともあり、個人法人で脱税やロンダリングが絶えなかった。まあ、ある意味、当たり前だった。金持ちから貧乏人まで、誰一人として喜んで税金払いたがる人間などいない。国税局の職員でさえ、だ…


また経済規模の拡大により、硬貨紙幣および国債の物理的な発行負担に直面してもいた。製造・印刷・管理・輸送保管に莫大な経費が必要になっていた。と同時に高度な数学的知識と情報通信量子エレクトロニクス技術に長けていた。そこで帝国は抜本的な対策を講じた。物理的通貨の全廃、すなわち『完全キャッシュレス化』だった。


硬貨紙幣という現物を廃止し、全ての決済と管理を電子化(量子化)したのだ。

これまで通り国債も紙幣・硬貨も『発行している』事にして現物だけ無くし、固有のデータと総発行量と流通経路の全てを『情報化』することにした。増え続ける一方の膨大なデータだったが、高度技術をもつ彼らは帝国本星および星間情報管理システムを絶えず整備増強することで対応した。コストダウンは二の次で、目的は言うまでもなく『税の完全収奪』←これこそが電子マネー導入の真意なのだ。


この全キャッシュレス化に伴い、旧紙幣・硬貨を新電子通貨に切り替える『通貨切り替え』時に併せて、限定された預金封鎖とデノミを行い、事実上の増税も行った。行き掛けの駄賃でさえ無駄にはしない。マイクロソフトのビル・ゲイツは世界最強の大金持ちだが、それでも道に落ちている一セント硬貨を必ず拾う。強者はゼニカネに容赦がないものだ。


完全キャッシュレス化を補完するために、全国民および在留外国人を適切に管理・追跡するための全戸籍管理システム『マイナンバーカード制度』が導入された。これにより国民資産のほぼ全てを国が管理することになった(良し悪しはともかくとして)。このシステムは不完全なカード認証制度からすぐに体内埋め込み型マイクロチップ→顔認証→個体認証→DNA固有認証技術を経て完全カードレス化に結実する。お店での買い物は、ただ単に会計ゲートを通るだけで良くなった(カネの入金がない人間は、その場で捕まるのだが…)。


現金のキャッシュレス化は究極、この形に収斂しゅうれんする。通貨および国債の発行そのものが情報化されるのである。

おそらくどの高度文明でもコストと規模の問題に直面し、『物物交換→硬貨・紙幣の発行→情報化・量子化』の流れを採るだろう。この過程で通貨は『決済ツール・価値の交換・富の蓄積』の三つの機能を受け持った。と同時に『中央銀行』と『国債』の二つのツールが開発され、相互に組み合わされてインフレ・デフレの管理と経済成長・失業率という「文明活動」そのものを支える重要な役割を担うまで進化していくのである。

勿論、高度な産業技術と数学的な知識が要求されるが、ゼムリア人たちはテロン人の数千年先を行くモデルケースでもあったのだ。


完全キャッシュレス化とマイナンバーカード制度導入により、すべての決済が情報化されたことは劇的な効果を産んだ。

最大の利点は『全国民の資産が利子を生み出す原資に化けた』ということだった。国富がすべてイールド(配当利回り)期待を持てるようになったのだ。


支払いと決済そして預貯金等に関わる全ての国民資産に対し、必ずなんらかの電子決済金融機関が関与することになった。これは全てのカネの流れが一旦、金融機関に集約されるということでもあった。よって市中金融機関には常に潤沢な資本が蓄積することを意味していた。金融機関はこれを産業投資・金融投資に振り向ける原資に出来たのである。


国にとってもありがたく、経済政策上必要な国債の増発に国内金融機関が応じる事が出来、これが長期金利の安定化と国家破綻リスクに対する抗堪性こうたんせいに貢献した。勿論、言うまでもないことだが、この民間金融機関の情報は国税局と共有されていたから、公私の別なく納税処理が確実かつ迅速に行われるようになった。国家はいつのまにか「全てのカネの在り所を知ってるのだから、税金からは絶対逃れられない」監獄へと変貌したのである。

また地下銀行や海外違法送金などのマネーロンダリングのかなりの部分を制圧出来るようになった事も大きい。町金・闇金・違法高金利融資などの金融犯罪も進化したので、全てが上手く行ったわけではなかったが、当初の主目的である脱税阻止には相当の効果があった。


個人に対しても劇的な効果があった。まず『壺の中に現金隠しておく』類いの、原始的だが効果的な脱税が不可能になった。さらに電子決済は金融機関を通して行われるために個人の資産状況も全て明らかになる。当然だが。この結果、子や孫へのお小遣い・身内同士でのカネの貸し借りの全ての流通経路を追跡することが出来た。

『負の所得税』導入時でさえ、子供らへの資金供給は不正な相続税対策とされ、いくら渡したかを所得申告することが義務化されていたのだが、技術的に徹底できなかった。今回、電子決済化とマイナンバー制導入により、旧来の贈与税対策・相続税対策は木端微塵になった。いまや子供へのお小遣いは『子供の総所得』に加算され、親がこの分の税負担を強要されることになった。


もう一つ大きい意義としては『タンス預金』を駆逐出来たことだった。

タンス預金…つまり現金を自宅で大量に保管していることは、実は悪いことなのだ。投資や消費に回らず、銀行の資本強化の役にも立たない。国民経済に何の寄与もしないのだ。また利子も産まないだけでなく、成長インフレによって価値そのものが摩滅する。タンス預金は真の『死蔵』だ。これに気づかない人が実に多いことは困りものだ。しかもカネを『家に隠している』ことで、総資産がいくらなのかが不明瞭なことは国税局を悩ませ続けた。これが駆逐出来た事は偉大なことだった。


勿論、「銀行が潰れたらどうしよう?」とか「セキュリティ大丈夫なん(-᷅_-᷄๑)?」は白色彗星帝国でも常につきまとう不安ではあった。しかしこれを絶えざる技術革新と法律でカバーした。例えば銀行は破綻に備えて、ある一定額の元本保証制度を確立したし、システムへの物理的破壊やクラッキング等の個人情報の漏洩・損失に対しては、多重バックアップとセキュリティ技術が政府・民間企業・個人により絶えずアップデートされ、災害や犯罪者とのいたちごっこを繰り返しながらも急激に進化・強靭化していった。必要は発明の母。良し悪しはともかくとして、対犯罪セキュリティ企業が勃興し、市場の有望株を占めるまでに成長したのだ…。


さらにマイナンバー制度と完全キャッシュレス化のリンケージが深化拡張するにつれ、政府・中銀・民間銀行および全金融機関が有機的に一体化され、情報は可能な限り共有された。広大な星間帝国全土は超高速通信と量子コンピューターによる即時決済システムが急速に整備され、後に証券・債権・先物・為替市場ともリンケージし、巨大な流動資産市場を形成するに至った。


これこそが負の所得税による税制改革に続く、次のステップだ。確立した税収を歳出として国富増強政策を打つべきときだった。その際、特に重視されたのは『金融資産』増強による国民所得の増額政策だった。


帝国は先進国だった。製造業では低価格競争で発展途上国に負ける事は判っていた以上、モノを作って得る『勤労所得』だけでは中〜下層階級所得が伸び悩み、貧困化する事を知っていた。逆に金融力は強大で、他国を優越していた。この優位性を最大限活かすことで、所得不足・貧困問題の解決を図った。


なにしろ『金融所得>>【銀行通帳の0の数+1-2個】>>勤労所得』という事実があった。金融所得ほどの豊かさは金融所得でしか獲得出来ないのだ。そして金融緩和策でカネはばらまいた。あとは全国民がこの『カネ』を回収する番であって、それは『労働・失業対策』などではない事は明らかだった。『カネの回収』とは、債権・証券の利払い『配当金イールド』だったのである。むしろコレをやらねば金融緩和の意味などないのだ!


この目的のために、株式国債等を始めとした証券・債権に対する規制緩和と投資家保護を推し進め「金持ちから貧乏人までより安全に債権投資が可能になる」ことを徹底して推進した。


たとえば投信や株式など証券債権購入に際し、個人に対して『必要経費実額控除』扱いにして税の還付対象にするとか、会社法改正で株式会社化を推進し起業・廃業の負担を減らしつつ、自社株購入費用の大幅減税等の各種対策が採用された。これらは特に富裕層に歓迎された。税金でむしられる前に会社を建てて資産を逃がす事が出来たからだ。


特に金融投資ファンド設立には支援の力が注がれ、税制だけでなく、社会が投資へと向かうよう金融銀行行政諸法の整備と罰則規定の改定および証券環境の整備に注力された。結果、高額資産家からは後の有力な投資ファンドや銀行家へと転身するものが続出した。高額所得者によるトリクルダウン効果は存在が認められなかったから、可能な限り活用することを基本とした。仮に破綻しても耐久力は強いと考えられたために、資産を吐き出させて起業させ、国家経済に貢献させると同時に有力な国債購入者となる金融資本家に育てていくことにしたのだ。


一方、中・低所得者に対しては銀行に次ぐ第二の金融機関として、証券債権投信への投資を盛んにするための制度改正が進められた。彼らには無理に個人事業化せず、個人資産の安定運用もしくはリスクヘッジに重きがおかれたのである。基本は分散投資と情報開示の徹底および裁判制度の拡充による制度的な保護の他、損害に備えて別途、保険保証サービス制度の拡充で対処することに留めた。過度な規制が市場を歪めることを嫌ったからだ。特に変わったところでは、当初は個人投資家(非企業家)には、個人の保有資産額に応じた信用取引制限があった。つまり担保や原資無しで信用買い/売り(←要は借金して建玉の枚数を増やすこと)を制限したのだが無論、法人格になれば始めから話しは別で、知識に薄い個人を守る方策も時代に併せて様々に変わっていったのである。


逆に業者による詐欺まがいの行為は厳しく罰せられることになった。

当時問題になっていた事例に『外貨建て保険・年金』があったが、利益ではなく元本に対して高い手数料支払いを強要され、また海外建てなのでよほどの自国通貨高(日本なら円高)にでもならないかぎり常に元本割れするような酷い金融商品だった。これは業者が手数料を盗み取るための詐欺であり、しかも一般人には分かりにくく説明されたために、後に被害が拡大した。このような業者による専門性を悪用した行為は徹底して取り締まられた。主に解約・返金責任と民事裁判による多額の報復的賠償命令、そして罰則規定のある刑事罰化がそれだった。


 ※     ※     ※


こうしてどの階層においてもカネを溜め込まず、吐き出させることが目的だったのである。そして、吐き出したカネに利子を付けて返してやる…というのが先進国における新しい所得倍増計画の骨子だった。


大規模金融緩和による成長インフレの創造を国家成長戦略の『第一の矢』とし、負の所得税導入による国家の構造改革を『第二の矢』としたなら、『第三の矢』とは先進国たる長所を活かした『全国民の金融所得向上化』であり、国策として『金融大国化』に邁進することであった。しかし、特に真新しくも複雑でもなかった。米国においては1960年代から世間一般によく行われていたことであり、株式運用を専門のファンドにまかせて、運用益で子供たちの学資などに備えていた(ただし主に中産階級の白人家庭ばかりではあったが…)。


よって株式・債権等の証券保有は中〜下層階級にまで強く推進された。金融資産による可処分所得の増加を目指したからである。株式・ベンチャー・先物・金融・為替市場の整備拡大と国内金融投資家の育成は断固推進された。外国人大口投資家に対抗する意味合いもあったのである。全ては金融投資によって国民全層を潤すための施策だったのである。



 ※     ※     ※


この大改革の結果、帝国は劇的に復活した。経済は再び力強く成長へと進み、年インフレが3%近くに達することもあった。これだけの成長率があれば国民所得は増加し、税収入は自然増により潤ったから国民皆保険制度も充実していった。株式市場を始め各種金融資産は長期安定して成長が望めたから、投資環境も安定した。国内外に対する持続的な投資が帝国のGDPの四割以上を占め、カネがカネを生む好循環が始まった。そして積極的な金融大国化政策のリターン収益が国民各層に行き渡った。これこそが先進国における金融緩和策の最終目標だった。先進国には積極的な金融大国化が必要だったのである。

この結果、高所得層から低所得層まで全国民の底上げが可能になった。たとえ貧困層であっても銀行に預貯金があり、また株式国債などの証券を保有してることも、ごく普通のこととなった。そのため負の所得税による貧者救済負担も減っていくほどだった(≧∀≦)



良い事だらけヽ(^o^)丿



…のはずだった。実際、長いこと、かなりうまくいった。

しかし半世紀も過ぎる頃になると、別の問題が生じ始めた。なんと社会が荒廃しはじめ、富が再び偏りだしたのである。背景は『教育問題』だった。


高度な知識(金融知識を含む)が庶民全般に必要な時代になった。そのため教育に力が注がれた。しかしこの過程で教育費の高騰が大問題になり、結局、高所得層の子弟だけが大学教育を受けられ、彼らが社会の上流階級を構築し富をより蓄えて行く時代に逆戻りした。一方で金銭的な面から教育を諦めるしかない人たちも出てきた。彼らは社会のエリートにはなれない運命だった。仮に大学に進んだとしても高額の授業料を『奨学金』という、まこと名前だけは綺麗な『借金』で賄うしかない生徒たちが続出し、大人になっても借金を返しきれずに自己破産する者まで現れてきた。


未成年就学児童の方にも深刻な問題が浮き彫りとなってきた。過度な競争や人間関係の悪化から不登校やイジメの問題が顕在化してきた。教育現場は荒廃し、責任の多くを押し付けられた教師・学校現場は疲弊した。子供のための教育がなされていたはずだったが、とうの子どもたちでさえ心を病み衰弱していくという、救いのない状況に陥ってしまった。

教育におけるあらゆる解決困難な問題が顕著になってきたのである。この問題の本質は『教育の質』だった。子供一人ひとりのための教育がなされず、形骸化していたことが原因だった。


『負の所得税』による税制改革は『大人の社会』の改革案だった。次に成すべきことは教育、すなわち『子供の社会』の改革だった。これに応えたのは『教育バウチャー制度』と呼ばれる大改革だった…。

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