§8-3-6・新自由主義的社会民主国家の誕生…貧乏人を生み出す強力な力を、貧富の格差を是正する力に変えた国家(後編)

○税制によって国家は姿を変える…ヮ(゚д゚)ォ!


『負の所得税』の導入は、中間所得層の増強と国家経済の再生の切り札だった。

よって、これまでのほぼ全ての税を負の所得税一本に切り替え、現金収奪と管理の一元化・効率性の向上に勤めた。中間層を手厚く保護すると共に、貧困層を資金的に支援しにかかった。人はロボットとは違い『多額の消費』が必要な存在だった。なので『人数』が多ければ単純に消費活動が増える事を意味した。そこに経済活性化の鍵が落ちていることも知っていた。これが公的扶助執行のバックボーンとなる考え方だった。


負の所得税により貧困層に現金が直接支給された。

身障者や働けない者にはより手厚く充当され、また年金生活者にも現金が供給された。このため負の所得税の税率は、個々人の状態にあわせて可変とされた。


とはいえ、実のところ貧困層に対しても「現金は支給した」が完全充足ではなく、健康な人たちは本当に最低限ギリギリであり、足りない分は嫌々ではあったが働くしかなかったが、『働けば働くほど手取りの増える生活保護』である負の所得税だったので、他にしたいことに精力を割きたい人たちなどを含めて、ほんの少しくらいは働こうという意欲が出ていたのは狙いどおりの結果だった。

大抵の人たちは「ウザい人間関係にわずらわされない程度に」社会に出てバイトなどをし始めたのである。それでなんとか食えるようにはなったからだ…。


他方、富裕層に対しては従来よりも遥かに高い税率が広範囲に設定された。特に上位1%前後の超富裕層には徹底的に課税された。溜め込んでいても、所詮、『国家の死に金』にしかならないのなら国が奪い取ろうという算段だった。特に税制改革の初期は国内が革命寸前の緊張した状態であり、超高所得者に対する怨嗟えんさの声も大きかったことが、これを助長した(後に少し緩くなるが…)。


ただし、この税制改革期は政治的に「超高所得者は左派寄り」という傾向が強かった時代だった。なにしろ多国籍貿易で財を成し得た成功者たちだったので「自由・平等・グローバル化」というテーゼを信奉しやすかったし、またマスメディアも政治的に批判的な左派で、世界平和や自由主義を全面に押し立てて保守勢力と争っていた時代だった。これらの人たちは得てして政権与党(=大抵は保守系)からは嫌われた。

なにしろ此奴こやつらエスタブリッシュメントは『政治的正義ポリティカリー・コレクト』と呼ばれたエリート層で、女性の権利拡大・妊娠中絶の容認といった、「まあまあマトモな意見かもね?」程度を遥かにぶっ千切って…


「肉喰う奴は悪魔」

「不法移民もドリーマー」

「何でもかんでも人種差別」…挙げ句の果てに、


「牛乳飲む奴は、どいつもこいつも白人至上主義者(きりっ!」


…など、およそ正気の沙汰ではないイカれた新興宗教団体構成員のような偏狭な狂人たちで、おまけに自分と少しでも意見が違えば誰彼構わず噛み付くという、右翼も真っ青な超攻撃的な平和主義者でもあった。警察に捕まっても「黙秘します」というような連中だったのだ。よって嫌われていた。


そこで政権与党側に、この民衆の『声なき声の多数派』を政治的に悪どく利用して「この際、パヨクをぶっ潰しておくか?」みたいな調子のいい魂胆があった事は事実だ。つまり『政局がらみ』でもあったのである。逆に言えば、そんな時期でもなければ大胆な税制改革などしなかったかもしれない。


税制改革は常に政権与党と富裕層と中下層階級との三つ巴の駆け引きによって決まる。タイミングが重要で、富裕層に激しい非難が集まった割には、彼らが政権与党からは離れていたというベストタイミングで仕掛けられたものだった。プロの政治家という鳥は右翼タカでもなければ左翼ハトでもない。世間の風読む風見鶏かざみどりに過ぎない…


これらに対して中間層は幅広く育成対象になっていたから、累進課税制度も緩やかに適応された。特に未成年児童を持つ夫婦世帯には緩やかに、成人独身者にはより厳しい税制が設定された。いわゆる『(逆)独身税』だ。無論、少子化対策の一環でもあった。

ということは、負の所得税を課税する際によく言われている「個人に課税するのか? それとも世帯に課税するのか?」に関して言えば「世帯」に対して課税することにした。子供や老人などの扶養家族がいる場合は税率もそれ相応に控除対象配慮がなされたからである。なにしろ子供は税金かけても払えないことは判っていたからだ。


結局のところ、福祉予算を削減しつつ、(市民広汎な層からの支持の元で)大金持ちから大量に税金をふんだくることが出来るようになった。要は実質、増税だった。なんとなく21世紀前半のアメリカのような政治情勢であり、混乱した状況下を逆手に取るように一気呵成に負の所得税が導入された。その結果、長期の安定的な財源確保が可能となり、カネのかかる国民皆保険制度も整備拡充され、あらゆる所得階層に基本サービスが提供されるようになった。特に社会的弱者にはより手厚く保護が行き渡るように配慮がなされた。ただしこちらは富裕層にも全く同じように低負担で提供された。


加えてもう一つ。不動産所得や贈与所得などに関しては、例えば公示地価評価額を元に算定された現金が総所得に加算されたし、家賃収入や「コミケで同人誌売ったった(^^)v」にも、その収入が全てあまねく『総収入』に加算され、総収入に課税された。特異だったのは子供や孫へのお小遣いなどもまた課税対象になったことだった。世帯内での株式譲渡なども一切例外はなかった。


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これらの結果、通常の負の所得税の場合、所得税率が一定だった時には総所得と可処分所得とを記述したグラフは右上がりの『/』の形になるのだが、貧者に手厚く高所得層に厳しい『可変型』所得税率を採用したために、同グラフは『J』型になった。累進課税制をより強化したのである。

これは、貧困層は中間層に可能な限り低コストで速やかに引き上げ、富裕層からは可能なかぎり低コストでぶったくり、究極は中間層に人々を集中させ、ここから幅広く徴収するという全国民の『家畜化』が累進課税制度の本質なのだ。


よって累進課税制度は貧乏人救済のためだけではなく『国家のため』の制度でもあった。負の所得税は、実は国にとって最大の効用がある制度だったのである。


また、これとは別に相続税が設定された。

負の所得税は生前課税であるが、相続税は死後課税だった。相続税に関しては、もともと設定していない国も多い。しかしゼムリア人はこれにも情け容赦はなかった。仕事熱心ともいえた。中間層が小さな庭付きの家を持つことは、数世代に渡って許容しても、それ以外は生きている時には負の所得税で、死んだら相続税で現金を取り上げるつもりだった。なにしろ公的扶助や国民皆保険制度、国防、財政投融資などカネは幾等あっても使い道に困ることなどなかったからである。よって死後課税科目として、追加で別途設定されたのである。


不動産や個人金融資産(動産)には地価や保有財産額に応じて課税評価額が算定され、相続税として別に金納が強要された。特に住んでいない土地(賃貸など)に対する課税は大きく、大土地所有者には厳しい内容だった反面、農地など経済活動に関して貢献度があると考えられた一部科目には低減税率が課せられていて、一律ではなかった。


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次に法人税と各種サービスに伴う税に関してだが、特に法人税は高めに設定された。まずは個人負担を減らし、彼らのカネを消費に回す必要があったからだ。なにしろGDPの約60%以上は個人消費なのだ。よって個人にカネを使わせねばならない。そのための負の所得税でもあったのだし、個人消費が伸びれば企業も利益が上がる。よって法人税は個人課税よりは高めに設定された。これは全ての法人が課税対象となったが、学校法人や社会福祉法人だけは低減税率が課せられて、一応優遇はされていた。完全例外は国や地方公共団体が運営する法人で国民金融公庫や地方公共団体などがソレにあたり、基本、無税であった。


課税方式は当然「課税所得×法人税率−控除額」であり、これは負の所得税と軌を一にする。無論、控除額以下になればその年は課税されないが、当然、国税局の査察が飛んでくるのは覚悟するしかない。また税率は法人により『可変』であり(その一例が学校法人や社会福祉法人など)一律ではなく、また法人税率は経済状況や政府歳出、財政状況に応じて毎年変わった。


常に問題視されたことは、対外投資などで内部留保金を大量に抱える企業が多かったことだが、これに直接課税することは一度もなかった。二重課税になるからである。逆に内部留保金が多いことは労働者等への支出を出し渋っていることでもあったので単純に企業への課税強化で対応した。また雇用状況で正社員数が多いとか、もしくは非正規雇用者へのボーナス配当などがある企業への課税は(その年は)より低く抑えられた。雇用の安定と労働者への可処分所得増配が強く期待されたからである。


これとは別に酒やタバコなどは『国民皆保険の資本原資』とされて製造業者に課税されたり、資源開発税を環境保護対策費などとして別途企業などに課税することもあった。ただ、これらは不景気時には一時的に課税対象から外れることも多かった。企業税収の調整弁として使われていたようである。


この他に対外関税などの第三の税制があり、直接国庫を潤すことになる。国もしくは地方公共団体の収益だ。

個人・法人の他に半官半民の企業体だったり公益事業収益だったりだ。特に宇宙港などの関税収入は大きかったし、政府系ファンドによる国内外への投資とリターン収益も大変大きかった。GPIF(年金積立金管理運用独立行政法人)などは1/4を海外投資に当てていた。主に証券購入だったので、単年度では莫大な損を出すこともあったが、安定した成長の見込める国における証券投資は『長期保有がベスト』だ。この結果、ロングスパンで見れば、かなりの収益が見込めたのである。


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負の所得税は、貧者を救済しつつなおかつ貧富の格差の是正に最も適した優秀な累進課税制度と言えた。他の税制に比べて単純で効率がよい事と、貧者に救済と自律を促す社会保障制度であり、特に目立った欠点が無いことも長所だった。時代の要請があったにせよ、負の所得税は高度先進文明を支えるに相応しい税制であり、この税制の導入により社会民主主義的国家の持続的な経営が可能になった。


どこの国の歴史を紐解いてみても、常に税制が政府を形作る『顔』だったことが判る。税の非効率・不平等さの度合いとインフレ率とのせめぎ合いの結果が国の歴史であり、最悪、政府は破綻する。フランス革命直前のように不平等な重税がかかれば革命になるし、戦争による重税がロシア革命の端緒になったように…。

よって、税とインフレをどうコントロールするかは、ときの政府の永遠の課題でもあった。結果、先進文明ゼムリア人にとって負の所得税導入は、福祉国家制度の導入と国民意識の変化を呼んだ。

もともとは個人の自由をなによりも尊重する国家であったはずのゼムリア人文明だったが、苦難の末の負の所得税という税制導入により『共和』の方向を指向するようになったことは大きい。自由も大切だが(所得の)平等もまた大切という方向へと変化したのだ。


税制によって国家は姿を変える。よって税は単に「カネが足りないから消費税すればいいや」…みたいな安易で考え無しでやるべきではない。税はその国の知性の一つでもあるからだ…


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しかし、問題がなかったわけではなかった。それは負の所得税固有の問題ではなかった。つまり『脱税』の問題である。

『負の所得税』には源泉徴収とほぼ同じ効果があった。要は『誰にいくら払ったか?』が分かればよいというシンプルな税制だった。そのため企業に対しては、支払いに関しての監査が大変厳しくなった。脱税を阻止するためである。


しかし法人はグループ化や経営規模から連結納税か個別納税を選択し、国税に申告・監査の上で支払いに応じる事になっていたために、ここを使っての脱税を阻止できなかった。特に債務を別会社に付け回すという手段の脱税が横行した。また外国に移動させた資産への課税も問題だったし、地下銀行などを使ったマネーロンダリングは特に重大な懸案事項だった。


個人の脱税も頭の痛い問題だった。本来は個人が支払調書を回収し、この合算を申告して課税するだけではあったのだが、実際に個人の総所得を完全に追跡することは難しかったのである。他にも前述のように『子供へのお小遣い』として多額の資産を逃したり、こっそり自宅で隠し持っていたりなど脱税を完全に阻止出来なかった。


大変困ったことだった。特に金融知識に長けてている者による犯罪が、知識のない一般庶民の反感を高めた。そこでゼムリア人は、極めて大胆な決断を下した。

完全キャッシュレス化で、硬貨・紙幣ともに全廃したのである…

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