§7-4・なぜテロン人はガミラス人と手を組んだのか(その3) 〜普仏戦争・日清戦争の『通貨発行益』について考えてみる

○大日本帝国の近代化 〜金融制度の確立


 1870年、ヨーロッパで歴史を塗り替える大戦争が起こった。普仏戦争である。戦争の規模自体は小さいが、意味は重大なものがあった。この戦争以前、世界最強の陸軍大国はフランスだった。ナポレオンの頃からの最強の皆兵国民軍と、高度な先進科学技術を持つフランスは、海でこそ英国の後塵を拝していたものの陸戦隊国として恐れられていた。江戸幕府がフランス式の軍制を取り入れていた理由でもある。この大陸軍グラン・ダルメ国が新興プロイセンに敗れたことは衝撃を与えた。同時に分裂していたドイツの、国民国家化という近代化が進んだ。後にドイツ第二帝政を迎える。世界史が書き換わった戦争と言っていい。


 しかしもう一つ、非常に重要な側面があった。プロイセンがフランスに多額の戦時賠償を請求したことである。これ自体はよくあることだった。

 しかし特異だったのは、この時のフランスからの戦時賠償の一部を、後のドイツマルクの資本の裏打ちとするために国策銀行にリザーブしたことだった。つまり正貨兌換の準備金としたのだ。


 この多額のカネを元手にドイツは統一した通貨を供給し始め、それがドイツの国内産業への投資に回ることになった。ドイツの経済成長は急激で、1880年代にはフランスを追い越し、1900年代には英国に迫るほどだった。この爆発的な経済成長を可能とする原資〜金融体制を構築したのだ。事実、ドイツ・イギリスは20世紀になると激しい対立を繰り返すが、英国の艦船の鉄鋼はドイツのクルップ社からの輸入・・・ということも、もはや普通の出来事だった。政治と経済は別モノということと、ドイツが金融制度の整備によって極めて短期間に経済力を付けてきたということなのだ。


 我々は既に『国家の産業発展のためには原資が必要。原資は民間金融機関の資本力増強が必要』ということを知っている。ドイツの場合は国策銀行と、政府の直接投資といういわば『原始的』なレベルであったのだが、それでも『金融資本が整理されれば、産業革命はどの国でも起こっても不思議ではない』という話しは既に拙文第27・28話・49話・50話を始め、あらゆるところで述べてきた。同じことがドイツでも起こっただけのことだった。

 しかし特に重要なのは、強国フランスを叩いたプロイセンは、国家統一と欧州最強国ドイツ帝国の構築が可能になっただけでなく、産業国家化への足がかりを戦時賠償によって得た・・・ということだった。凄い財テクだった・・・。


「・・・ (;一ω一) ジィー」


 これを横目で見ていた国があった。大日本帝国である。

 帝国はこの普仏戦争の結果を受け、帝国陸軍の軍制をフランス式からプロイセン式に改めた。たとえば参謀本部制度の採用などだ。

 しかし同様に国家の資本力増強の方策もまた、この戦争から学習していた。後発劣等国だったプロイセンが超大国フランスを始末し、彼らから戦時賠償なる略奪を行って、これを自国の経営資本の増強に活用したという手法を目の当たりにしたのだ。そして、全く同じことを清国相手にやり始めた。日清戦争がソレだった。


 日清戦争開戦時、日本が超大国・清に勝てると考えていた者は一人もいなかった。日本人でさえ、である。当時の記録は少ないが、清国は日本を明らかに下に見ていた一方、日本は清国の強大さ・歴史的影響力に怯えていた節さえあった。筆者は戦争に関しては全然わからないので戦局の展開に関しては割愛するが、結果、大日本帝国がほぼ一方的に勝利した。ナゼ勝ったのかは、筆者が軍人でないのでわからない。まあ、信じられないよね(・.・;)?

 日本に賭けていたヤツはボロ儲けしただろう。2015年のラグビー・ワールドカップ、日本vs南アで日本にカネ賭けていた日本マニアの外国人が狂喜したようなものだ。ブックメーカーでは1:34だから、ある意味、万馬券だ。


 とはいえ、これも地域的な勝利・・・戦術的な勝利の連続に過ぎないものだった。個々の戦闘での勝利の積み重ねに過ぎず、戦略的な勝利ではない。

 事実、現在のGDP比で言えば清国と日本とは比較することさえバカらしいほどの差があった。日本以外の欧州列強との戦いに敗れまくっていたものの、清国はいまだに超大国として健在であった。彼らが体制を立て直し、国家総力戦トータルウォーに移行できれば、国力の劣る大日本帝国に勝利はない。


 しかし清国は別の、より安易で間違えた選択肢を掴んだ。対日講和である。この結果、領土の一部の割譲と賠償金・庫平銀2億テールという、当時としてはそれなりに大きな金額の支払いに応じた。

 ということは、この条約締結の段階で・・・つまり戦術的な勝利を政治的(=戦略的)な勝利に結びつける事が出来、この段階で始めて日本は戦争に勝利した、という形になった。よって日清戦争は日本の勝利に終わった。これは敵国の政治体制の殲滅による直接支配という方法を除けば、戦争における唯一の勝利条件と言えるだろう。


 この2億両という金額は、Jetroの資料によれば、1895-1902年の分割支払い総額が当時の金額で約3800万ポンド・日本円でおよそ3.8億円ほどに相当する。ちなみに1895年次の帝国歳入(税収入など)が約1.2億円だから、帝国歳入の実に約三倍の金額になる。これを金額収支で見てみる。

 日清戦争時の日本のGDP(←にあたるもの)は大体13.5億円。戦費はおよそ2億円少々。なので、教科書などで書かれているような「途方もない支払い要求」と言うほどでもなかった事がわかる。ただし戦費は余裕でまかなえたことになる。なにより、「カネ無い(T_T)」と騒いでいた大日本帝国ではあったが、GDPは意外と大きかったこともわかるはずだ。「やりくり出来るレベルの戦争」ということだった。


 これが『コスト管理に成功した戦争事例』の典型例でもあるのだ。国力で遂行出来、結果として失うもの以上の富を得た。無論、中国人(漢人or満州族)の死だけでなく、日本人という自国民の死を強要することによって得た『割の合う』戦争だ。こういう戦争なら、国家としては『魅力的な』戦争と言えるだろう。事実、現代の戦争はこの形態が多い。


 第二次大戦時にGDPの350%もの出費をしたアメリカだったが、ベトナム戦争・イラク戦争ではともに同比10-15%前後と『安い』。これは米国の軍事力が突出していて敵対国が事実上、存在していないことや、なによりも米国の金融・経済力が巨大なために、戦時体制に移行すること無く、国力の範囲内で十分に戦争出来ることを意味していた。そのくらい経済力が強く、この経済力を金融力が支えているからなのだ。


 一方、戦争で負けた清国はどうだったか? 「大したこと無い」とは言っても清国をしても支払いに四苦八苦していた。負け続ける清国政府の賠償目的の公債など、買うバカは殆どいなかったからだ。

 なので清国は賠償金を外債に求め、主にフランスとロシアがこれに応じた。理由があった。ロシアは極東における対日牽制のために、フランスは清国およびインドシナ領の保全のために清国救済に傾いたからだが、遥かに重要なことは日本側は受取りをロンドン・支払いをポンドで求めたことだった。これは後に重大な意味を持つことになった。


 日本はこの賠償金でポンドを売り払って金・金貨のような現物資産を手に入れた。またポンド債を大量に購入した。95%は軍事費や産業振興策に使った。

 より重要なことは、残りのおよそ5-6%を日本円の裏打ちとなる正貨準備金として溜め込んだことだ。当時の通貨は兌換銀行券であり、額面に記載されている額で金と交換出来た。金と交換できるということで紙幣に価値と責任をもたせることが出来たのだが、逆に言えば、ある程度のきんが常に必要となる。


 このための元ガネがこの5%相当分なのだが、これを現物の金ではなくポンドで持っていたということが意義あることだった。地金のきんだと市場価格に左右され、暴落の危険もあった。それに比べ『日の沈まぬ帝国』・英国国債は暴落の危険がより少なかった。なにより利子が付いた。大量に保有しているのなら、地金のきんよりも利ざやが稼げた。

 このカネをベースに大日本帝国は自国の金融体制を構築していくのである。


 要するに、これが国債の使い方の一つなのだ。強国の国債を保有することは弱者にとってメリットが大きい。自国の通貨に信用を与えることが出来るし、国内に使えば自国の富が増える。これは外国からの投資もしくは外国資本の直接注入に匹敵するからだ。また、対外貿易でポンドを使えば帝国円を使うよりも安全かつ割安になる(リスクヘッジの保険金などの支払いも不要or最小になる)だけでなく、より汎用性が高い。ポンドやドルは信頼されているからだ。よって、いつの時代でも最強国の国債(←通貨)を購入・保有することは、意味ある重要なことなのだ。


 大国に『寄りかかる』ことで、自国の通貨に『自国の現在と未来の可能性+保有している超大国国債分の価値』を載せることが出来る。自国一国よりも遥かに信頼度があがり、実際、外国債の購入分を自国の通貨供給量の増加に回せる。しかも『単なる担保金』なので、何倍も増やせるはずだ(自国経済が良好であるのならば、だが・・・)。


 大日本帝国がポンドを購入するという知恵を持っていたことには驚く。特に四半世紀前は鎖国状態だったのだから、欧米文明の新参者にしては大変上出来だったと言うべきだろう。事実、このポンドを担保にして日本の金本位制は確立していく。


 だが、自国通貨の価値づけと同じくらい極めて重要な事もあった。

 日本は英国国債の一大保有者になったということだった。


 それは植民地経営などで常に財政が火の車だった大英帝国にとって、大変魅力的なアジア人だったのである。中国のように彼らが戦闘で叩いて香港のような植民地を手に入れ、開発と維持管理しつつ利益を出す・・・よりももっと手っ取り早く、向こうからカネ、持ってきてくれる上玉じょうだまのアジア人だったからである。


 そこで次回は、強国の国債を弱国が保有することの政治的・金融的な意味に力点をおいて、更に論を進めてみる・・・m(_ _)m


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