§7-3・なぜテロン人はガミラス人と手を組んだのか(その2) 〜江戸末期のインフレによる、徳川幕府破滅という国家破綻について考える

 単刀直入に問う。『貧乏な劣弱国が、一瞬で強国になる方法はあるか?』

 ある!

 自分より、遥かに強い国を叩き潰し、征服すれば良いのだ。

 では、そんなことが可能か?


 ま、不可能ですね・・・(^_^;)



・・・そりゃそうだ。国家総力戦においては『GDPに劣る国が、勝る国に勝った試しは一度もない』からだ。そもそも一等国に勝てる程の強大な戦力は、一等国のような強大な経済力・技術力・財政力によってのみ可能となる。一所懸命勉強して偏差値を徐々にアップさせた実力のあるコの方が、骰子さいの目勝負でマークシート試験に臨むコよりも合格率が高いのは当然のこと。国家は博奕打ちとは違うからだ。


 しかし、条件を変えればこれも変わる。

 国家総力戦ではなく、ごく一部の局地戦における戦闘での勝利を外交上の勝利に結びつけることが出来れば、これも可能になる。強国が何かの理由(おもに政治的理由)で継戦能力を喪失し、劣弱国がこれを条約等の形で強要することができれば『コストが安く』勝利する事が出来る。劣等国でも『勝てる』のである。そして世界の歴史は、大抵はこっちの方だった。


 対象国に対し一戦し、これの勝利によって自国に有利な講和を結び、体良ていよく搾取の対象とする・・・実のところ、ガミラスの地球に対する政策もこれだった。ただしテロン人が思いの外、好戦的で忍耐力があり、挙げ句、無敵能力を授ける女神が野蛮人の味方になってしまったために、この目論みが外れただけのことだった。


 要するに対外戦争は、総力戦でないのならば、相手国の富を簒奪するのが目的だ。戦時に略奪が横行したのも、そもそも略奪が目的だったからに他ならない。国家においての略奪とは、将来の植民地化や現在の賠償金の支払い要求に相当する。しかし同時に侵略者にとっても、そんなのは不確実な未来と現在の浪費に過ぎないのも事実だし、より洗練された現代においては、維持管理にカネがかかり、しかもテロの危険が高い植民地経営はとっとと廃れたし、戦時賠償も『条約交渉』という、より安くて効果的な恫喝によって置き換えられた。

 よって現代では、国家間が安易に戦争を選ぶことはない。同じことが戦闘ナシで出来るようになったからだ。そんなワケで、この『戦った・勝った・儲かった』の歴史はすたれた。


 そのため、この中に極めて重要な内容があったことを覚えているものは少ない。それは『自国通貨の価値づけ』という、特別な意味合いだ。典型的なのが大日本帝国だった。


  ※     ※     ※



○討幕運動とは、インフレによる国家破綻の典型例


 大日本帝国建国時、帝国は劣弱な貧乏国家だった。欧米列強に比べ、軍事力・経済力・市場規模・科学技術・基礎学術力の全てが劣り、なおかつ敗者は植民地化・奴隷化を強要されるという厳しい世界情勢の中、新生帝国は財政においても問題を抱えていた。帝国の基盤となる『円』の基盤が質・量ともに圧倒的に足りなかったのである。分かりやすく言えば、地金の金・銀の保有量が圧倒的に少なかったのである。そこでこうなった理由をまず先に述べる。

 江戸末期の日本の状況について、である。。。m(_ _)m


 そもそも江戸時代→文明開化の流れもまた通貨の貨幣的問題によって生じた変革だったのだ。ペリーが来たとか世界情勢がどーのこーのではない。単に『経済破綻を起こして幕藩体制が崩壊した』のである。明治維新という政治変革もまた所詮しょせん、国家破綻の一例の結果に過ぎない。

 大まかに言うと、貨幣の改悪による悪性のインフレにより庶民生活が打撃を受け、これが社会騒乱を引き起こし、国家(幕府や主だった諸藩)は資本の蓄積が出来ず、また財政が破綻して滅びた・・・が真相だった。


 特に1820-30年代のいわゆる江戸時代最後期の『文政・天保の貨幣改悪』が江戸幕府にとどめを刺した。幕府の財政難を理由に、金銀含有量をおよそ半分程度に減らした銀貨を鋳造した(江戸全期を通じて八回)が、今回の改鋳に際してはワザワザ『額面』が記載され、この額面通りでの市場流通を強要した。これは実におかしなことで、たとえば金+合金の貨幣が100-円だった時に、金の含有量を半分に減らした新貨幣を鋳造したとする。これを・・・


幕府「100-円ってことで流通させろ!(# ゚Д゚)!」


・・・と、無体なことを言い出したようなものだ。金の含有量を減らしたのだから、それ相応に新貨幣の額面価値も下げるべきはずなのに、だ。当然、悪性のインフレが発生する。物価高になるのだ。新貨幣の価値が半分の40-50円程度しかないところに「それでも100-円で使え!(# ゚Д゚)!」だったら、物価は倍にならねば金勘定が合わない。新貨幣を二倍くらい貰わねば、割が合わないということだ。たとえばコンビニでタラコスパを一個400-円で買っていたのに、明日になったら800-円以上になっていた・・・という感覚だ。そして実際、そうなった(さすがに一日で倍にはならなかったが・・・)。


 江戸初期の慶長金はだいたい85-88%の金含有量があったが、この頃になると半分程度にまで下がった(その代わり、貨幣の大きさを小さくした)。さらに問題だったのは銀貨の方だった。銀貨の銀の含有量は25%程度にまで下がっていたから激しい物価高が頻繁に発生した。

 そしてもっと悪いことは、減った銀の含有量を埋めるため、この粗悪な銀貨を大量に発行するより他がなくなったことだった。減らした分の銀を、量で補うことになったのだ。つまり『通貨供給量が増えた』のである。これは、いままでこのコラムで延々と述べまくった『通貨量増加=インフレ』そのものだ。


 貨幣改悪により出目が生じ、この分だけ硬貨発行体である幕府は儲かった。しかし庶民生活は物価高と通貨供給量増加のダブルインフレパンチを浴びて死にかけた。通貨改悪は大抵、このような悪影響しか及ぼさない。


 さらに追い打ちをかけるように悪いことが起こった。この銀貨(一分銀)が大量に日本国内に出回ったことにより、世界との金:銀比率のバランスを失ったことだった。この当時、貨幣はその重さで価値を決める秤量貨幣ひょうりょうかへいであった。この比率を世界と比較した時、世界での金銀貨幣の比率は金1:銀15程度の割合であったが、江戸末期の日本では金1:銀5程度の割合になっていた。金貨の金の含有量を減らし、一方で粗悪な銀貨を作りまくったせいだった。これは白人が金貨一枚を15枚の銀貨で交換していたのに対し、サムライの方は金貨一枚を銀貨5枚で交換できた・・・ということであった。これは世界標準からしたら『全ての貨幣が額面割れを起こしている』ということでもある。なので対外通商を始める時、米国などから、


ハリス駐日大使「金銀含有量の低い、額面割れしたカネでやり取りなんか出来るか (# ゚Д゚)!」


と、当然の反発を食らう原因ともなった。要するに、金銀比率を1:15くらいにしてくれ→つまり貨幣改良により良貨を発行し、インフレを終熄させ、世界標準の貨幣制度を整えてくれということだった。この場合、米国の言っていることのほうが正しい。インフレ起こしてる悪貨が国際通貨として流通するワケないからだ。しかし、その元となる金銀の産出量がもう無いのだ。出来る相談でもなかった・・・。


 しかも幕府はこれまで出島でのオランダ等との取引に際して、特に為替で問題が生じていなかったから、あまりピンと来なかったのかもしれない。江戸中期までの出島貿易は、江戸時代の日本の貨幣市場の爆発的な進展に比べれば貿易量が相対的に小さく、また幕府の管理通貨貿易だったこと、実際のやり取りには銅貨が用いられたために、特に重大な為替事案は発生しなかったとされている。


 ハリスたちが金銀銅の適正な含有量を元にした固定相場を提案し、半ば強引に了承させるのだが(←これは確かに正しいやり方)、このときにも幕府は「日本国内に外国貨幣が流通するのは困る」と言い出した。より良貨である外国貨幣が国内に浸透することを恐れたのだ。それは言うまでもなく、幕府よりも外国政府を信頼するということに他ならないからだ。現代の破綻国家のように、自国通貨よりもドル紙幣の方が遥かに市場で流通している・・・そんな事態を恐れたのだ。


 インフレ起こして生活苦を引き起こしたバカ政府など、信頼するバカはいない。特に当時はまだ近現代的な意味でのナショナリズムを日本人は知らなかった(←嚆矢は1820年代のギリシア独立戦争と言われている)し、そもそも幕藩体制は国家主義・国民主義によって構築された政治体制でもないから、ヘタすれば生活苦から本当に外国政府の下に自ら植民地化してくれ・・・とお願いするような事態にさえなりかねなかった。

 そのため、本来の両国間の取り決めでは日本の貨幣の海外流出はしないことになっていたのにも関らず、幕府発行の金銀硬貨での直接取引が行われるようになった。当然、


ハリス駐日大使「そんなことしたら、お前たちが損するんだぞ、いいのか? このバカ!(# ゚Д゚)!」


・・・と、連中の方が渋ったというのだから、ホント、幕府の連中はどうしょうもない。。。(T_T)

 結果、彼らの言うとおりになった。そもそも出目は『金銀の本来の価値+製造コスト <<<<<<< 額面』なのだから、逆に言えば、貨幣の価値がインフレや為替差損などで下がれば『市場価格より安く手に入る金(銀)のカタマリ』に化ける。

 そこで外国人が、まず自国の銀貨→日本の一分銀などに等価交換する。金銀比率は日本の方が3倍ほど高い(欧米は金銀比1:15。日本は1:5)。ならば日本で手に入れた銀貨で、


(*^◯^*)「コノ小判、クーダサイ」


・・・と言い出せば、理屈からいえば連中は三倍も得をするのだ。あとは持ち出して溶かして金を取り出せばいい。

 この理屈で幕末期、海外に金(←小判)が流出した。量はそれほど多くないと言われているが、それでも膨大な量が流出し、更なるインフレ悪化を招いた。これが更なる貨幣発行体である幕府の威信の失墜を招いた。進行するインフレが庶民生活を破滅させたのと相まって政治体制の抜本的な変革要求が国内各地で沸き起こり、結果、明治維新を迎えたのだ。


 江戸時代の『ええじゃないか』騒動や討幕運動の根源は、これら通貨現象の悪化による悪性のインフレが主原因なのだ。


 日本史の教科書では突然、江戸末期に日本全土で騒乱が起き、これは外国からの植民地化圧力に対する危機意識・・・みたいな事を書いてあったりもするが、そんな政治的な問題、全然関係ない(断言)。通貨供給量と供給形態の問題から、国家破綻を起こした結果なのだ。江戸時代を通じて発展してきた通貨供給量の増加と金融技術の向上に、為政者である幕府がついていけなかったことによる破滅だったのだ。おまけにハリス自身も、これでボロ儲けしたというのだから、酷い有り様だ。


・・・出来れば無関係を装いたい炎上ぶりですね


 拙文第11話で『硬貨は対外貿易では使わせない』つまり外国に持ち出してはいけないということにしている理由の一つでもある。金銀銅などの希少金属が、市場価格よりも遥かに安価に海外に流出してしまうからだ。交換比率が世界標準でなければ、こんな酷い目に合う。ということは通貨の価値を守ること・・・良貨を作るために金・銀の保有量を増やすことが国家の要諦ようていとなる。


  ※     ※     ※


 国家破綻をおこした江戸幕府は大政奉還によって消滅した。その後、明治政府が統治することになるのだが、しかし『日本、カネない』の状態は何も変わらなかった。政治政体が変わったことと、あと国の名前が変わったこと意外、何も変わってはいないのだ。看板を建て替えただけで、経済力が急激に上昇するわけもなかった。

 しかし、新生大日本帝国においてもカネは絶対に必要だった。植民地戦争で勝ち残るための軍事費の捻出・国民経済の進展による国力の増進・科学技術産業全域における発展深化の必要性など、国家の近代化・産業革命化が絶対に必要だった。だが、これを支える資金的供給量が官民合わせても無かったのである。


 当然、増税で対処したのだが、もともと長年のインフレで苦しんでいた江戸→明治新政府期の日本には、蓄積した富はなかった。しかもそもそものベースとなる経済レベルが低い。鎖国のせいで西ヨーロッパにおける産業革命の流れから逸脱していたし、世界経済から切り離されていたために多国籍貿易による利益も無かった。

 しかも当時は固定相場制だったから金銀銅の産出が必須だったが、既に掘り尽くしていた(金と銀は)。日本は地震や火山噴火などが非常に多い国だが、その結果として、本来、金銀の蓄積量は膨大なものがあった。古代においては『金の国』〜黄金の国ジパングと呼ばれ、石見銀山は16世紀、全世界の金の流通量の三割を占めるほど豊かに産出していた。しかし明治時代には、もうそれらも枯渇していた。なにより、世界は弱肉強食の帝国主義の時代を迎えていた。弱者は敗者にかならないという厳しい時代だったのだ。

 

 苦悩する大日本帝国。将来の行く末が見えない時、ヨーロッパで地政学上の大激変が起こった。


 普仏戦争ふふつせんそうである。

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