§6-2・対GDP200%の国家債務を背負ったガミラス帝国の起死回生の一手とは?(その1) 〜ガミラス帝国前史〜デスラー家勃興からアベルト治世前夜までを振り返る (`・ω・́)ゝ

 1945年から2199年に至るまでの日本の経済的展開を主に通貨の役割を重視して流れを追ってきた。


 しかしこの間、日本人の全く知らないところで、似たような問題に直面し、苦悩する国家があった。

 17万光年かなたにある『大ガミラス帝星』〜通称『ガミラス帝国』である。


 ガミラス帝国はこの時期、まだ大マゼラン星雲全域の支配を確立しておらず、また国内にあっては貴族による領邦主義を採る分裂国家であった。当時は正式名称さえ異なっており『ガミラス大公国』を自称していた。このガミラス大公国(以後『ガミラス帝国』および『ガミラス』と略表記)の末期、地球の暦で言えば大体23世紀の始め頃、同大公国は財政破綻の危機を迎えていた。国家債務(←主に国債)が大公国のGDP比で200%ほどにも膨れ上がっていたのである。


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 当時のガミラスだが、貴族領邦制をとっていた同大公国のなかで有力貴族の一門であったデスラー家が勇躍成長し、分裂していた大公国の統一事業を進めていたデスラー家支配の初期に当たる。

 ただし統一までの道のりは決して平坦ではなく、長い時間が掛かった。最有力貴族にのし上がった強大なデスラー家による統一事業が進む一方で、最後までデスラー家の支配に抵抗する貴族も複数いたからだ。実際に統一政体として一応の完成をみるのは統一事業より半世紀以上も後のデスラー紀元74年にエーリク・ヴァム・デスラー大公の時代・・・つまり、結構最近の事だった。


 エーリクによる統一以前の、いわゆるデスラー家と彼らに従う貴族領邦による支配統治は『小ガミラス主義』と呼ばれ、歴史的区分としては『小統一期』と呼ばれる。百年くらい前から、ここ30-40年くらい前までの時期にあたる。

 一方、全ガミラス領の統一・すなわち全ガミラス民族の大統一政体を『大ガミラス主義政体』と呼ぶが、この大ガミラス主義に従って全土が統一されたのが紀元74年のエーリクによる統一で『大併合アンシュルス』と呼ばれていた。


 この大併合アンシュルス以後、暫くの平和のあと、数十年前に勃発した内戦を経てアベルト・デスラーを永世総統とする『大ガミラス帝星』として統治体制を刷新さっしん。封建的貴族政体から、一元的な民族主義的近代国家化の過程を辿る。これがいわゆる『帝政期』である。つまり大ガミラス帝星は、まだ極めて若い国家とも言えた。大体、地球で言えば第二次内惑星戦争のちょっと前くらいだろうか?


 ということはガミラスと日本との関係は、南北戦争を経て統一国家となったアメリカ合衆国が、十数年後に黒船を率いてやってきた・・・に、感覚的には近いものがあるかもしれない。

 あと一部書籍等にはこの帝政期のことを、統一前の分裂していたガミラス大公国を第一帝国、デスラー家による支配からエーリクによる大併合〜内戦終結までの時期を第二帝国として、アベルト治世の大ガミラス帝星期を『第三帝国』と称することもあるが、比較的、まれである。


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 デスラー総統による大ガミラス帝星建国後の帝政期は対外侵略戦争が激しくなる一方、帝国内での貴族制度の廃止や、恭順の意を示した国家・民族には帝国臣民(ただし制限のある)の地位を保証したり被征服民族の同化政策を行うなどの一連の開明的・先進的な改革も行った激動の時代でもあった。


 国内の民族・階級・貧富の格差や領邦制の悪影響による統一民族意識の薄いガミラス人と、新たな被征服民との統合を目指すアベルトが『大ガミラス主義』の相克そうこくを乗り越え、「高度な先進技術文明をもつガミラス人が率先して未開の野蛮人たちに啓蒙を与えるという聖なる使命を実行し、ガミラスの元で平和と幸福と高度な文明社会を共に享受する」とする『デスラー・ドクトリン』を掲げはじめたのも、この頃だ。

 そのためかアベルトへの忠誠心を誓うものはガミラス人だけでなく、新生大ガミラス帝星下において、自らの出身民族の『当然の正当な地位』を確保すべく奮闘した二級帝国臣民の間においても高い支持があった。


 このようにデスラー総統は業績においては功罪の大きい為政者であるのと同時に、高邁な理想を体現しようと苦悩した魅力的な人物であり、人格的には知的・聡明・自信家にして時に寛容で哲学的であったとされている。情熱的であった反面、特に治世晩年はやや退嬰的たいえいてき・・・むしろ怠惰たいだとさえ言えるほどの冷淡さ・無気力さを見せていたという相反する証言もあるほどで、端正な顔立ちと立ち振舞いの元貴族らしい秀麗さとが相まって、いまなお興味の尽きない歴史上の偉人の一人である。あと声も無駄にかっこよかった。声優として十二分にやっていけるほどだった。



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○アベルト・デスラー以前のデスラー家政府によるガミラス統一過程の『小統一期』、ガミラス国債は爆発的に増えた


 アベルトに先立つおよそ100年くらい前、このデスラー家による小統一後しばらくして、ガミラス大公国は大きな経済危機に直面していた。

 もともとガミラスは有力貴族のゆるやかな連邦政体であって、『政府』と呼べる強い組織は存在していなかった。そのためガミラスを実質的に支えていたのは官僚機構と中央銀行だった。その意味では典型的な『破綻国家』だった。そしてデスラー家が支配権を確立した後は、デスラー政権を支える屋台骨として大公国の復興に粉骨砕身して機能した。


 この当時のガミラスはいくつかの問題点を抱えていた。

 まず国内においてはデスラー家が統一作業を進める上で、それなりに戦いが発生したのでこの費用捻出をどうするかが問題になった。当初、分裂していた大公国は『政府』がほぼ存在していないという状況だった。このため、戦費や政治工作に必要な費用は全てデスラー家が個人で金融業者等から借り入れるしかなく、結果、莫大な債務があった。


 デスラー家がガミラスの支配権を確立した後はこれを全額、ガミラス政府が引き継ぐこととなった。デスラーにカネを貸していた連中は『救国の忠臣』だったからである。これにはガミラス国債が当てられた。デスラー家の将来性を見越して、彼にカネを貸し込んでいた金融業者はこの後、この国債を原資として帝国の巨大金融財閥へと成長し、後の帝国の侵略戦争と帝国経営を支えることとなるが、まさに『奇貨居くべし』ということわざ通りとなった。


 次に、デスラー家による統一以前のバラバラの状態の時でさえ、時々の政府の累積債務はあったために、こちらの債務保証もする必要があった。

 新生デスラー政府としては、カネの貸手は同じ帝国臣民であったから損をさせるべきではなかったし、彼らへの確実な債務履行はデスラー政府への信頼度を高めるためにも絶対に行う必要があった。

 同じことは対外的にも言え、旧ガミラス大公国の外債もデスラー政府が引き受けることになった。これらの支払いにはまずは増税が当てられたが、一部はガミラス債で支払われた。


 デスラー家政府による包括的な経済成長政策の実施を条件に、長期返済(すなわち事実上の債務繰り延べ)でまとまった債務も多かったが、ガミラスの元々の強大さから考えれば、貸手である国内外の債権者は「政府が安定してくれれば心配ない」とも考えていた。デスラー家には、そういう期待も大きかったのである。


 と同時に疲弊した国内の民業の保護・育成が必要だった。混乱する帝国の経済体制を再建することは必須だった。まだデスラー家のガミラス支配に抵抗する有力貴族が複数いて、彼らに対する財政的優位性を維持する必要もあったし、来るべき民族統一(反抗貴族勢力に対する武力統一。しかし大抵は平和統合に向けた不断の努力)に必要な資金源にも成り得る。仮に内戦になっても、十分なGDPを育成していれば戦費は相対的に少なくて済む。内戦後にも復興資金は必要だろうし、内戦が無くても統一国家の更なる経済成長は対外的な備えの観点からも必要であるから、計画的な国力の伸暢しんちょうは避けて通れない喫緊きっきんの課題だった。

 勿論、国内外債務返済のための原資が必要で、時に増税がなされたが、可能な限り成長インフレによってもたらされる税収入の自然増の方が良かったのは政治的・経済的にも言うまでもない。この経済発展のためには元ガネが必要だ。


 このためにガミラスの金融業を整理統合し、金融資本の蓄積と投資能力を高めると同時に、金融・先物・證券・債権市場の整備に乗り出し、同時に『闇金』『高金利債務』抑制のための様々な法律上の施策と、破産法を含めた債務・債権者間のトラブル解消の為の立法を次々と策定し、弱者救済と民間活力の活性化を政策として後押しした。


 特に政府は金融業者に対し、過当競争の防止・分野調整・金融業の破綻防止のための様々な相互保証と経営の健全化および預金者保護対策の推進、さらに投資分野の調整と統制などの行政指導を強力に推し進める『護送船団方式』と呼ばれる官民挙げての金融行政により、金融業者の弱者の破綻を未然に防止し、市中への資金の安定供給を可能にした。これがガミラスの富国に大きく貢献し、またこの護送船団方式は他の農工鉱・サービス産業の多くに対しても適用され、弱体化していたガミラス経済を下支えした。

 その後、自律的な経済成長が可能になった段階で政府による干渉も減少し、帝国は民力を回復し、個人消費が帝国経済を押し上げた。民間公私にわたる資本の蓄積も可能になった。


 この後で、持続的なガミラス国債の増発による帝国金融力の強化と通貨『ガミラスマルク』の市場への放出という『公開市場操作』によって成長インフレを作り出した。他に方法は無かった。結果として大成功し、ガミラスは強大な国力を急速に回復させていったのだが、デスラー政府の債務であるガミラス国債は爆増した(←逆にガミラス臣民の『資産』でもあったから、国富は増大した)。

 このガミラス債という政府の借金は、ガミラス臣民の資産となり、いわば借入金によって民間活力=実体経済の規模の拡大を図っていった。


 ただし、このデスラー家個人の借金の国債化+過去の債務引き受け+国力増進のための国債発行によって、ガミラス政府には債務が増えた。こうなると心配なのは「利払いが可能かどうか?」だった。長期国債の金利上昇と、ガミラス領域におけるインフレ率との兼ね合いの問題といえた。

 幸いなことに安定した治世が続いたために、ガミラス臣民の『手取り(=可処分所得)の増加』が経済成長率に追いつく前に一気に爆発的に成長でき、ガミラス全土において、実質成長率が実に10%を超える時期が10年以上も続き、いわゆる『所得倍増計画』が実現できた。まずは帝国経営は軌道に乗ったのである。でも、政府の借金=国債は増えたけど・・・





○ガミラスの平和的な対外貿易戦略


 この時代、対外的には平和的な時代が続いた。デスラー政府のガミラスは、前述のように大統合に反対する勢力が生きていた。このような状態では、大規模な対外戦争はなかなかに勇気のいる決断だった。そのため可能な限り戦闘は避けた。事実、対外全面戦争はアベルト・デスラーによる一連の帝国近代化後のことで、これより遥か後の時代の話になる。


 よってこの時代は、まだ周辺諸国とは商品・金融サービスを含めた幅広い産業交流があった。幸いなことにガミラスは科学技術力・金融力において他国に優越し、デスラー家体制以前から既に大マゼラン星雲において『ガミラス一強』の時代が続いていたのは事実だった。もともと巨大な国だったのである。分裂していただけで・・・。


 デスラー家によるガミラス少統一以後は、それまで各公国貴族領ごとに行われていた輸出入取引が一元化され、煩雑な大公国時代の貿易が劇的に改善された。同時に関税障壁・参入障壁撤廃等の改革などもあり対外貿易はガミラスに空前の富をもたらした。また為替業務・国際金融取引がデスラー政府の下で整理統一され、効率よく機能し始める。

 特に経済成長後、資本を蓄積した民間による国内外株式・国債・外国債券市場への参加者増加が市場規模を膨らませただけでなく、自律的で持続的な成長と、市場によるより公正で客観的な価格決定メカニズムを復活させ、安定した金融市場の醸成と、カネがカネを生む好循環を作り出した。


 この時、ガミラス帝国が採用していたのは金本位制ではなく管理通貨制度であり、また対外的には超光速通信を利用した変動相場制であった。


 元々は金本位制を採用した兌換紙幣制度であったが、ガミラスの科学技術力を持ってすればきん(や銀・銅・プラチナ・ダイヤモンド)を大量に掘り出すことは実に容易であり、そのために金などの貴金属価格はその都度、ハデに暴落した。反面、投機目的で大規模な買占め騒動も頻発したことから価格が安定せず、このためガミラスマルクの価値の維持のためと、発展を続けるガミラス経済での通貨供給量の過不足によるインフレ・デフレを防止するために、管理通貨制度へと移行した。数百年も前のことである。

 これは庶民にも歓迎された。投機筋の動きの所為で価格が安定しなかっただけでなく、出目(現物価値と硬貨の額面上の価値の差分)を狙って政府が粗悪な貨幣を大量に作っては、悪性のインフレに陥って庶民生活が困窮するということが続いたためである。


 事実、貨幣に関して再鋳造されるようになったのはつい最近のことで、アベルト・デスラーの独裁政権下で金・銀・銅・プラチナ・コバルト・ダイヤモンドなどの貴金属の(特に先物)取引市場が帝国領全土で整備されたことが大きい。これは大マゼラン星雲のガミラスによる強力な軍事的統一の効果の一つでもあった。取引市場を整備強化したことで需要サイド優位による価格設定が可能になり、価格が安定したからである。なにより巨大なガミラス帝国内で、巨大な市場(=需要)と採掘能力(=供給)の二つを持っていることから、大マゼラン星雲内における貴金属・希少物質の価格全般をガミラスがコントロールするという圧倒的な存在感を見せつけるに至った。


 それはまるで、1970年代にはopecのような石油生産国が石油の市場価格を恣意的に決定していたのが、巨大な需要と自国内でも大量の石油供給能力を持つアメリカがWTIを始めとした商品取引市場を整備したことで、石油の価格決定の主導権を(需要サイドであるアメリカが)取り戻した事によく似ていた。

 それでも密採掘と精錬、投機などから価格の乱高下を起こすこともあるため、コインはおしなべて超低額の額面設定がなされている。これだと出目が出て、ガミラス政府にある程度の硬貨発行益があったのは事実だが、作るのに手間かかるし、運搬・保管などのコストもバカにならない。重いし多いし面倒くさい。

 それどころか、超低額硬貨に至っては製造原価の方が高くつくことさえあるのだ。日本の1円玉や10円玉のように、だ。ガミラス帝国にとってコインの鋳造はもはや負担でしかない。なのでカード決済が進んでいるのだ。ただし、溶かして現物として売買することは違法行為である・・・。


 一方、外国為替は変動相場制を採っていた。

 ガミラスに比べ他国は経済力で劣っており、固定相場制を採用した場合、ガミラスは一方的に損する危険性があった。他国との間で固定相場制を結べば、当然、ガミラスマルクよりも他国通貨が安く設定され、固定される。この状態が長く続けば、為替の安い他国製品・サービスがガミラスにドッと流れ込んでくる危険性があった。まるで戦後の日本とアメリカの関係、もしくはドイツとアメリカの関係のようになってしまう。そんなの( ゚ω゚ )お断りします。


 またガミラス経済が強い場合(そして、得てしてそうだったが)、固定相場制では対外投資に際して損が出てしまう。実際のガミラスマルクの価値が固定相場で設定された価格よりも高くなった場合には特に、だった。さらに他国の経済破綻や財政崩壊の悪影響がガミラス経済に及ぶのを阻止し、柔軟な為替変動が対外投資や投資回収のリスクを減らす役割も果たした。


  ※     ※     ※


 管理通貨制度と変動相場制の採用という意味では、地球人と同程度の経済概念を持っていたのである。少なくともデスラー家によるガミラス統治は、19-20世紀前半の金融植民地帝国英国に似たようなパターンとも言えた。

 ただし『国際金融のトリレンマ』・・・『資本の自由な移動』『固定相場制』『帝国独自の金融政策の実施』の三つを同時に実現することは不可能という事も知っていたから、ガミラスは帝国国益追求のため(主に大資本家・大規模金融業者や一級市民の権益保護のため)に固定相場制を捨て、残りの二つを実現していた。要するに『現代的な帝国主義的資本主義国家』ということだった。そして経済成長には民主主義は全く必要もなかった。21世紀の中華人民共和国の大繁栄の例を引くまでもないことだ・・・。



 そこで、次回からガミラス大公国の小統一後の、こうした一連の経済財政政策によって、ガミラスの収支がどうなっていたかを確認してみようと思う。。。m(_ _)m

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