§5-4-11・2150年代末、日本は通貨危機を迎える(その1) 〜結果、デフォルトへと至る道を考えてみる

○2150年代、日本がデフォルトもしくは金融危機を迎える可能性を考えてみる


 2150年代の日本は、大体、2020年代の頃によく似た経済・財政状況になっていた。そして理屈だけ考えれば2020年代だろうが2150年代だろうが日本がデフォルトを起こすはずはなかった。

 ここで国家破綻を起こす可能性を整理してみる。以下の場合は財政が破綻するだけでなく国家自体が破綻する可能性がある。


  ※     ※     ※


・経常収支が赤字続き

→政府が借金を重ねるための原資がない、と考えられてしまうから。またその国に(国力を増強するための)生産力がないとも考えられるから。

 ただし経済成長している国が経常収支で赤字を出している場合は、必ずしも大問題にはならない。経常収支の赤字は『財産が減少している』のではなく、『経済活動において国内では足りないものを他国から輸入』しているので赤字を出していると考えられるため。なので逆に国のGDPが縮小している時に海外に資産や資本が逃げている状況での赤字は大変マズい。



・外貨準備高が少ない

→政府が持っている資産が少なく、金融危機時に対処する財政的余力が少ない。

 自国通貨の価値の裏打ちである資産が少ないため、特に『基軸通貨との換金性が低い』と見做されると、潜在的に自国通貨が紙切れ程度の価値しか持てなくなる。つまり金融危機に対して本質的に脆弱。



・高金利債務を抱えている

→国内外を問わず、政府・政府が出資している企業が返済不能に陥った時、即デフォルトになる。高金利は利払い負担が大きく、元本がなかなか減らないためにトータルの返済額が巨額になる。特に外資を呼び込むために国債を高金利に設定していた場合などがこれに当たる。


 これとは別に、半官半民の事実上の国策企業や国営企業などが高金利の建設債などを発行していたり(これは国債とは別の社債扱い)、住宅公団などが不動産投資などで高金利の債券を発行していた・・・などの場合も破綻の可能性がある。半官半民・国営企業の場合も発行体がデフォルトを起こした場合、理論上は国家デフォルトとなる(現実には国家が破綻しかけている場合の話しであって、通常ならば政府財源に余力があるはずなので、デフォルト以外の対策が采られるのが普通)。



・外債に頼っている

→金融資本の蓄積が遅れている発展途上国に多いパターンで、国家の運営資金を外資に頼る場合、自国の経済力が低下or第三国でより魅力的な投資先が現れたりした時には、一気に資本を引き抜かれるとデフォルトを起こす場合がある。



・国家の経済力自体が弱っている

→国力の低下は現在の財政だけでなく、将来性への赤信号となる。更に債務があると債務償還能力が疑われる。


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 これとは別に、以下の場合には国家は財政破綻しない、もしくはしにくいと考えられている。


・国家や国民が多額の資産を抱えている国は破綻しない

→債務返済に必要な資金を増税で補えるから。また増税が間に合わない場合(会計年度をまたぐような場合)、政府が臨時補正予算などを組む余裕がある。また資本がある事自体が、その国の信頼性を担保すると考えられるため。



・変動相場制国家は財政破綻はしない

→国家破綻とは自国の通貨の価値が大暴落することで、変動相場制下では実際に市場を通じて自国通貨が下落する。この過程で債務が目減りし、インフレ発生と相まって債務の実質的価値も暴落し、反面、輸出力が高まり資本蓄積が可能となる。対外資産がある場合、これらがより高価値となる・・・と考えられるから。

 国民はインフレ(自分の預貯金の価値が下がるということ。実際には物価高)と通貨の下落(カネの価値自体が下落する。自国通貨建ての預貯金は目減りする)、そして大抵は大幅増税という『国民の負担』で国家債務を責任をもって解消したと考えられるので、国家(=政府)の信頼も回復できる。



・管理通貨制度を採用している国は財政破綻しにくい

→経済の規模を金や銀などの現物に依存しないために、現実の経済発展に応じて通貨供給量を増やせる。このため通貨不足によるインフレ・デフレが発生しない。また通貨供給量を市場操作を通じて管理出来るためインフレ・デフレへの対処が可能で、通貨暴落の時には紙幣の増発も可能(その後発生するインフレはこれまた市場操作で沈静化出来る)等、国家財政の安定化に寄与できる。


 この反対に兌換制度の場合、特に自国が貿易赤字の時、実際に金や銀などの『現物資産』が海外に流れていく事を意味する。しかも貿易赤字で失ったきんを取り戻すのは困難で、そもそも経済力が足りなくて赤字の場合はなおさら。このため頻繁に金輸出禁止令や兌換一時停止令が出て、通貨の信頼を毀損する。またデフレ下の場合、紙幣の増発が(金などの資産を増加保有出来ないならば)大変難しい。これらの問題がない管理通貨制度の場合、財政破綻が起こりにくい。



・強力な中央銀行がある場合

→最悪、足りない分を輪転機を回して補充すればOKだから。ただし、悪性のインフレ要因になるので国民生活は厳しくなることが予想され、また外国人から見ると『保有していた当該国の金融資産が下落させられた』と考えるので、国内外からの信用を失いかねない。

 そのため通常は政策金利を大幅に上昇させることにより、自国通貨の価値を守りつつ、政府に無責任な財政支出を抑制するように市場を通じて圧力を加える。

 このため金融政策担当者が政府に対して独立性・中立性を保ちつつ、国民の犠牲を顧みずに適切な政策を採用することが大前提。



・世界経済が持続的に成長している場合

→不足分を、他からの投資で補える場合があるから。ただし例外もあって、たとえば最も安定した巨大市場のアメリカが好景気過ぎるような場合、

『バブル阻止を目的にFRBが利上げ → 米国へ大量に投資マネー流入 → 他の国が資金不足 → 途上国デフォルト』 ・・・という実例があるので、必ずしも確実とは言えない。


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 しかし日本の場合にはこれらとは違った。まさに『人為的ミス』による国家破綻であった。


 長いデフレの時期、永久与党と言われた自民党はデフレへの無策と相次ぐスキャンダルで国民の信を失っていた。ここで日本国民は最も悪い選択を行う。労働組合系が母体の万年野党『民主国民立憲と左翼のなかまたち』というバカ左翼に政権を渡してしまったことだった。


 そもそもこの『バカ左翼のなかま民主』の成立は、朝日新聞・毎日新聞・東京新聞・神奈川新聞と言った『反自民が民主主義』という、そんなのは政策論争でもなければイデオロギーでもなく、民主主義でもなければ知性でもないタダの『夢想家のタワゴト』に過ぎないのですよ・・・を、あたかも正義であるかのように喧伝し、世論誘導した『メディア・ファシズム』の結果だと言えた。

 まるで1990年の左派・日本社会党の躍進『おたかさんブーム』や、2009年の民主党への政権交代という『捏造ブーム』という煽動政治ファシズムが2150年代でも繰り返されてしまった。

 まあ、だからといって産経新聞や読売新聞、経済論評で間違いも多い日経新聞なら良いのかと言われれば、


 ( ´ー`)フゥー...・・・なのもまた事実だが。


  ※     ※     ※


 この時代、真の問題はアホメディアが図々しくも生き残っていた事ではない。また、日本国民がバカ左翼に騙されたことでさえ無い(もちろん、騙されるのは(・A・)イクナイ!! ではあるのだが)。


 真の問題は、日本人の知性のなかに『生きる=経済』という意識が欠如していた事だった。

 つまり『経済=通貨的現象』という真理の欠落だった。この現象面をトレース出来、その結果を政策に反映できる政府こそ正しい政府なのだ。


 よって政権選択の判断材料はただ一つ、『どういう経済理論で武装した派閥か?』・・・これだけだ。その理論武装が過去の実績とデータに裏打ちされているか? 現在において実践可能か? 実践のためのツールは何か? ・・・という「上手く行ったらノーベル経済学賞」という政府であるべきなのだ。


 そもそも国家の責任は自国通貨の価値を守ることだ。通貨の番人が中央銀行であるように、通貨に信頼を与えるのが政府の役目だ。よって政権選択は内政で選ぶべきで、内政とは財政のことだ。憲法問題を含めても、他はオマケに過ぎない。


  ※     ※     ※


 日本は2150年にあってなお、太陽系内国家の中でGDPで第三位の大国のままだった。経常収支は大幅な黒字で、しかもGDPがデカい中での黒字だった。これは輸出入の総量が大きいというだけでなく、国の総生産力に対する外国への依存度が低いということでもあった。実際、極端に低く、せいぜい20-25%前後で、これは世界的に見ても最も小さかった。デフレ下にあってなお、日本は国内市場が強いということだった。


 また外貨準備高が莫大で世界一位のまま。高金利債務はなく、それどころか長期国債の利率は0.01%程度に過ぎないほどだった。国民資産はGDPの三倍、対外純資産もGDPの二倍にも膨れ上がっていたし、万が一の経済損失に対しても、独自の柔軟な金融政策が打ち出せ、しかも変動相場制を採っていたから外乱に対しての耐久力も十分にあった。また国債に対する外資の割合はせいぜい8%程度と、他の国にくらべて1/4-1/8程度の割合と、これまた極端に低かった。しかも換金性は低いものの政府自体がほぼGDPと同じだけの資産を溜め込んでいたから、たかだかGDP比で二倍程度の債務を抱えていた程度では破綻する可能性などなかった。たとえ長期デフレでも破綻の可能性はあり得なかった。


 同時期、中国や欧米などは平然とGDPの2-3倍近い債務を抱えていたし、挙げ句、かなりの割合が高金利・多重債務でもあった。実に厄介なことは、日本みたいに神経質に公表されることも殆どなかった(つまり隠していた)から、「無いもの」と考えて、平然と生きていたくらいだった。無論、ジリジリと不景気・国民生活の窮乏という「なんでこうなってんの?」的な『謎の貧乏生活感』が蔓延していたが、その理由さえ判らなかったことだろう。「バカめ!」だ。


 これでは円高に推移するのは当然で、唯一の心配は債務が減らないということくらいのものだった。

 もっと言えば、デフォルト等によって一部政府機能が麻痺したとしても、日本の場合には即国家破綻ということにさえ成るはずがなかった。日本は官民合わせて資産が豊富で流動性の高い動産も多数あった。なにより国家の生産力も残っていたし、弱っていても国内に強力な市場が存在していた。こういう国は、何かの理由でデフォルトが起こっても、その規模が小さければ『そのままスルー』ということさえもあり得る。


 実際の例に21世紀前半で頻発したアメリカの事例が挙げられる。民主・共和両党が、それぞれ連邦予算を人質に取った党利党略争いを頻繁に繰り広げ、結果、一部政府機関がデフォルトを起こして執行停止という事態に陥ったが、さりとて米ドルが大暴落するということもなかった。市場は「所詮はコドモのケンカ」と割り切っていたし、米国の強烈で有望な経済力・成長力を考えれば、このデフォルトは国家破綻へと繋がるものではないという冷静な分析がなされていたからである。

 しかし米国は当時、世界最大の債務国であり、国家債務の総額は他国より遥かに多い2,000-兆円もの債務を抱えていたし、貿易と財政の赤字も確かに存在していたから、理屈から言ったら暴落してもおかしくなかった。


 そうならなかったのは、米国の国力がデフォルト額に比べて巨大であること、また成長し続ける国家であり米国自体が担保となっていること、デフォルト原因が単なる政治案件でしかも解決するだろうという見通しがあったことだけでなく、米ドルが基軸通貨で管理通貨制度をとる変動相場制の国だからでもあったのだ。

 デフォルト起こした足りない分の通貨の供給方法に関しては、政府がその気になればすぐ出せるが、万が一に出せなかったとしても、米国の巨大な金融市場の存在と相まって、不足分の通貨を速やかに市場に流通させることは可能だったし、デフォルトによるショックは一時の米ドル安(逆に高くなる場合もある。利益確定売や空売り等、状況によってマチマチだが)などの為替変動によって吸収されるだろうからだ。これが『国家』の強靭性だ。阿呆な政府が存在していてもなお、強靭な国家は平然と生き残れるのだ。


 そして同じことは日本でも、ある程度は当てはまるものと考えられた。米国ほどではないが似たような『国家国民の資産』が世界第二位くらいはあり、成長はニブイものの劣化したとは言えなかったし、ギリシアのような『怪しげな多重債務者』でもなければ、韓国のような歳入を外債に頼るという国でもなかった。少なくとも日本は国家債務に関しては、かなりの程度、正確な情報は提示していると考えられてもいた。それによればGDPや歳入を遥かに超える債務はなさそうだった。

 また円は基軸通貨でもあったし、日本は管理通貨制度を採用する変動相場制の国でもあった。基軸通貨は「簡単にデフォられても困る」という心理が世界中の市場で働く。それは長年続けてきた信頼の裏返しでもある。すぐに紙くずになることはないのだ。何より日本円を使って自国内の通貨供給量をコントロールしている国もあるだろうし、欧米や中国・韓国・東南アジアなどに膨大な投資をしている日本が勝手にコケるのは、連中にとって実に迷惑だ。日本人が勝手にバカさわぎして、勝手にゴッソリ自分の国から資金をヌキに掛かったら、連中の経済に大打撃となる。


 国家の債務『国債』は政府の債務であるのと同時に国民(保有者)には『資産』でもあるという『トレードオフ』の関係にあり、国富の増加に使われる性質のものだったから「パチやキャバクラで遊ぶカネを闇金から借りた」という類の借金とは本質的な意味が違ったし、国債の管理方法には長年の経験と技術があった。

 最悪、通貨供給量の増加(日銀が輪転機を回すこと)でインフレと引き換えに足りない分を補完することも出来たし、そのために円安・債券安になることでショックを吸収することも出来た。無論、国債保有者や国民にとっては国債の価値下落・物価高・失業などの打撃となるが・・・。

 そして、それでもダメなら増税と社会保障・年金医療カットによって財政規律の回復と歳出抑制という手段で国家破綻は回避できるはずだった。その余力があったのだ。


 なにより通常は、この政策を取る前に政策金利を急激に上昇させるはずだ。それはジャンクになり下がった自国通貨を守る方法であり、他方、無責任な政府に対しては、財政均衡策と緊縮財政を強要する『財政の番人』の役割も果たす。無論、これは成長インフレではない『悪いインフレ』だが、この過程で通貨・債券・株式は大抵はトリプル安となり、国民資産も減少する。だが、この悪いインフレという負担を経て政府財政が将来的に安定する道筋が見えたなら(←国家に経済力が残っていれば)また円安・債券安・株式安から『買い!』が入るのも間違いない。底力があれは、底を打てば後は上がるだけだ。そして日本はそういう国であるし、ダメなら政府を打倒すればいいだけの話しだ。

 

 これなら日本国は破綻しない・・・少なくとも、ある程度の国民の犠牲があれば仮に財政破綻を起こしたとしても国家破綻に至ることはない。むしろ問題なのは、国民に犠牲を強いることなくGDP二倍の債務を解消できるか? それがダメなら誰が責任を追うべきなのか? という、比較的楽観的な(しかし納税者にとっては腹立たしい)事案がテーマだったりするほど牧歌的なはずだった。


  ※     ※     ※


 ということは、逆に言えば、もし日本が地獄を見るとしたどういう状況になるだろうか? 有り得べき可能性は、国債という債務による国家破綻(財政破綻の更に上。日本がアルゼンチンやベネズエラのような失敗国家に成り下がること)ではないということだ。

 そうではなく、「多額の国債の存在が『過大債務』という心理的な不安となり、この不安をバックボーンとして、管理出来ない(=債務コントロール技術が国債ほどこなれていない)『別の債務』を契機として、ある時突然、財政破綻もしくは通貨危機を迎えるのではないか?」・・・という可能性が出てくる。

 万が一に日本が破綻する場合には、上述の好条件さえひっくり返すほどの『コントロールミス』のせい、となるのではないか? という疑念だ。


 このコントロールミス・・・破綻回避のための管理技術を喪失するという可能性は『愚かな政府による、愚かな経済政策』という『人為的なミスによる破綻』・・・これしかない。

 なぜなら、日本はGDP比200%もの国債という『借金』を上手くコントロールしてきた国だからだ。国債に関しては『使い慣れている』。国債ほどこなれた道具でない、何か他の『慣れてない』か『考えられないバカ』原因で破滅する可能性があるということだ。そして人間はバカばかりだ。


 実際、バカの事例は枚挙暇がない。発展途上国での『失敗国家』群だけでなく、第一次大戦後のドイツのような『なんか知らないけど、滅茶苦茶マルク刷りましたよ! フレー!!(っ`・ω・´)っフレー!! 』から一兆倍ものインフレに陥ったような、気が狂った興味深い事例さえある。先進国ドイツでさえこの馬鹿さ加減だし、そんなドイツ人を『世界で最も有能で勤勉でアタマ(・∀・)イイ!!』ラインハルト・フォン・ローエングラム公のような カコ(・ω・)イイ!! 人達ばかりと勘違いしている阿呆な人達だらけの世界が、この世の中だからだ。なんで同じ事を繰り返さないといい切れるのだろうか?? むしろ絶望的だ。


  ※     ※     ※

 

 日本にとっても他人事ではないのだ。そして日本のデフォルトはこの形しかありえず、実際にそうなった・・・



          【 この項目、続く 】

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