応援コメント

§5-4-5・2060年から2080年の終わりまでの日本の歩み(後編) 〜経済の成長が、ヒトの生物的限界を超越させた」への応援コメント

  • コロナが、人類に激変を齎すのは間違いないですね。貴方の言う通り、地球外に活路を見い出すしかありません。今、まさしく、私たち、日本人、全人類、激動の時代を迎えるのですね。

    作者からの返信

    @yamato290様

    いつもありがとうございます…m(_ _)m
    この文章を書いた時点でさえ「2020年代にはリーマンを超える世界大恐慌が発生し、そのあとでヘタすれば第三次世界大戦でも起こるんじゃなかろうかな?」という漠然とした不安がありました。それは新コロによって、より強く感じるようになりました。新コロでの経済的な失速を避けるために全世界でいきなり1000兆円を超える未曾有の規模の大規模金融緩和を実施したからです。これは利子を含めて「政府の借金」であり、各国政府の借金ということは人類の借金ということです。そしていつも述べているように「金利が高いなら、いずれ破綻する」「民間が多額の債務を背負っている状況では恐慌が発生する恐れがある」という2つの状況に照らし合わせると、かなり将来は厳しいのではないかと思うのです。

    こういう場合、まずは民間の債務削減→経済成長が必要かもしれません。ヘアカットのような債務の一部削減を民間同士で行うと、規模によっては民間そのものがヘタれてしまいます。かといってこれ以上の人類総体としての経済規模の拡大を地球で行うのは難しいのではないかと思うのです。なので破滅的な核戦争を避けるためにも、そろそろ本格的な宇宙開発に着手する方が良いのではないかと思うようになっています。夢物語ですが、白昼夢というほど距離が遠い夢ではないようにも思います。

    勿論、宇宙に進出すればきっとそこでまた戦争になるのでしょうけど(人類は強欲で愚かなので)、地球の上だけで生きていくには少し手狭になったような気はしています。そもそも、地球環境悪化とかの「悪要因」でもなければ地球から出ていく気にもならないので、良くも悪くもちょうどよい時期に来てるのかも知れません→宇宙進出

    ホモ・サピエンスは怠け者なので、快適な環境から出ていく冒険心などありませんからね(^o^;)

  • 人間という社会性の極めて高い種族が、その能力を発揮するための仕組みが経済活動であり、経済活動を支えるのが金融であると。

    ・・実は、未だに『金融』がちゃんと理解できてませんで(落ちこぼれですみません(^^;)。
    歴史的には、日本だと、いつくらいから『金融』が登場し、そして発展したものなのでしょうか?

    物々交換に代わる『貨幣』的なものは、かなり昔からあったようにも思うのですが、『貨幣』の登場イコール『金融』の誕生なのかなあ?と、ちょっと疑問が沸き上がりまして。
    人や物の流通を促進し、貸し借りを可能としたのが『貨幣』なら、かなり古代から『金融』はあったのだろうか?(中国大陸だと殷や周の時代には子安貝が貨幣的に用いられた、と聞いたことがあるような?)なんて、すみません、愚にも付かない疑問が沸きまして。

    そして。社会は『金融』なくしてはあり得ない、ということが漸く頭に入ってきた感じなのですが、ところが、毎日一生懸命働いていながら、『金融』をまるで理解せずに汗をかいてます。これは不味すぎることなんだなあ、と・・
    経済成長が鍵であり、それを支える要素の一つとしての『頑張って働く』、これは日本人はほぼ問題なく行っていると思います。ところが、経済成長を支える『金融』の仕組みを理解してないので、どこへ向かって何を頑張るべきかがよくわからない。グランドデザインが解らないのです。なんといいましょうか、力はあっても発揮させる方法がわからない、というような・・

    勉強しないと、本当にまずいですね!
    これからも、よろしくお願い致します!


    作者からの返信

    呪文堂様、いつもありがとうございます…m(_ _)m

    まずですが「ワイも素人」なので、得手勝手な事をいい倒しているに過ぎないのがこのコラムです(爆)。よってそんなに知識があるわけでもありません。簡単に言えば「将来の事を正確に予測することが出来ない」ということです。それどころか過去に対してさえ正しい事を語っているかどうかさえ確約できないほどです。なので間違えていたら「ごめんなさい」…ですm(_ _)m

    >金融
    …捉え方だろうと思います。少なくとも和同開珎があった事から考えて、原始的な貨幣経済がその頃からあったとは思いますが、必ずしも現代的な意味での金融があったとは思いません。他方、戦国時代には領国経営や対外戦闘などで武器や戦時費用の捻出など、いまとほとんど変わらないカネ計算が必要だった事が、当時の多数の文書の中から読み解けますので、この頃には既に金融が意味を持っていたと思います。

    そこで「いつ」についてですが、時期は分からないのですが「両替(商)が発生した頃から」が正解と思います。つまりこうです。江戸の人間が大阪に行く時、銭を持っていくのですが、多額になると重くて不便なだけでなく、強盗などに襲われるリスクがあります。そこで「手形」を使い始めました。江戸の金融業者に「高瀬嘉隆之丸が銭○○文を所有している」という証書をもらい、この証書をもって大阪に行きます。大阪に行ったらこの証書を大阪の金融業者…例えば呪文堂さんに持って行き、この証書を元に銭○○文を受け取ります。換金です。そのカネで高瀬丸は大阪でカネを使い、他方、呪文堂さんは年末とかに回船業者なんかに頼んで、この時の証書に匹敵するカネを江戸の金融業者から引き下ろします。これで帳尻はチャラになります…という、この「両替商が成立した時」が「金融」の始まりだと考えています。そしてこの「手形」こそが後の「紙幣」です。つまり「お金」なのです。

    カネのやり取りを手形でやり取りする…これは互いに信頼がなければ出来ないことです。そして信頼を担保する組織化がなされた状況が構築した段階で「金融」が出来たと考えるべきと思っています。そうでなければそもそもお札など、タダの紙切れです。ゼニを時の政府(幕府など)が作りました。これは金・銀・銅などの現物なので、最悪、溶かして現物として処分できました。この現物資産をベースに手形を発給し、この手形をメインでやり取りするようになれば「高額紙幣」と同じ事。よって両替商は銀行になり、中央銀行は「民間銀行」なのです。元が両替商だからです。政府は金・銀・銅の代わりに、国民の税金と経済成長率をという現物資産をベースに国債を発給し、これを市場で買ってもらい現金を手に入れ、同時に中央銀行がこの国債をやり取りする中で金利+国債分の現金を放出する…という、より進化した形態になりました。

    >どこへ向かって
    これも多分、既に正解をご存知なのだろうと思います。「金融投資国家」です。実は江戸時代はそういう時代でした。莫大な富を抱え込んだ両替商が次々と勃興していたのです。彼らは文化のパトロンでもありました。江戸時代は生産力だけでなく投資力も存在していおり、金融知識も相当なレベルにあったのです。例えば堂島米市場は世界で最初の大規模な現代的先物取引市場でした。これらの経験があるにもかかわらず、なぜか「頑張って働く」ばかりになってしまいました。そのカネを対外投資などにぶつければ、30年経てば大金持ちというデータが存在してるのにもかかわらず…です。これは退化です。江戸時代は真っ昼間から売春宿(水茶屋)で遊んでいたような、結構な怠け者国家でした。それでも270年もやっていけた先進国だったのですから、今の方が技術的には豊かで真面目でも幸福感は少ないのかもしれません。

    風俗がよいというのではありません(悪いというつもりもありませんが)。見当違いの努力は心と体と資本の劣化を招くと言っただけです。日本は多額の資産を持っている(円高というだけで金持ち)のだから、これを投資の形で「世界に分け与え」、その結果として世界経済が成長したことによる「配当利益」をもっと素直に喜んで受け取ったらいいと思うのです。我々がしたいことは「苦しい、ただ生活のためだけの仕事」ではないはずです。一人一人がラノベ書いたり、絵を書いたり、声優になったり、(なんでか知らんのですがワイのツイ垢には沢山のフォロワーさんがいる)女装や男の娘になったりと、「自分のなりたいものになる」「やりたいことをやる」が実現されるべきと思うのです。

    なんかこう、身分制度のない、科学技術力は今程度にある江戸時代の方が良かったような気もしてきましたね(爆
    50年に一回の大飢饉はイヤですけど…┌(_Д_┌ )┐

    呪文堂さん、小説、面白いですね(爆
    ワイ、ああいう感じ、好きですね。ただ、なろうだと垢消しくらいそうなレベルですが…(^o^;