「なぜ日本経済は絶対に破滅しないのか?」について宇宙戦艦ヤマトの世界観を使って、イヤになるほど説明する!
§5-4-5・2060年から2080年の終わりまでの日本の歩み(後編) 〜経済の成長が、ヒトの生物的限界を超越させた
§5-4-5・2060年から2080年の終わりまでの日本の歩み(後編) 〜経済の成長が、ヒトの生物的限界を超越させた
○2060年から2080年の終わりまでの日本と世界の歩みから 〜生物は、経済を運営することによって生物であること以上の存在へと昇華する
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この戦後最良の時期を迎えた日本。すでに債務は消えて無くなっていたに等しい。この時に残っていた国家債務は政府および地方政府が合わせたものでさえも対GDP比で50%以下になっていた。毎年GDPが伸び続けていたので、国債発行額を減らしただけでも対GDP比は劇的に低下した。つまり、成長インフレになれば債務は減るのだ。
インフレは通貨の価値が下がることであり、通貨は国債なのだから、国債もまたインフレを起こしてもともと持っていた価値が摩滅する。あわせて経済成長が出来ればGDPが増加する。なら、国債発行額が同じ金額だったとしても割合が減る。分母がデカくなるのだから当然だった。
1990年から2010年代前半までの間、日本はアメリカの後を追いかけていた。しかしその割には、日本はアメリカのような強い成長がなかった。デフレだったのだ。たしかにコレには理由があった。1980年代のバブルのツケだ。この時、市場が抱え込んだ莫大な債務に相当する負債を、国債という形で抱え込んだようなものだった。
しかし金融機関から債務を引き抜いた段階で(負債が失くなり)市場への投資余力が出てくるはずだから、これを元手に再び成長することが出来たはずだった。これが出来なかったのは財務省および政府に問題があったからだ。
理由はなんとなく判る。日本はまた家計金融資産残高を莫大な量、持っていた。つまり『現ナマ』だ。この額のうち、だいたい900兆円くらいが民間人の預貯金に相当する現ナマだ。デフレならば、この動産の価値が保持される。逆にインフレになれば現金自体の価値が段々と減っていくので、結果として国民が損をしてしまう。
経済学的に言えば、「だからこそ現金貯金を取崩し、モノを買ったらいい。そうすれば消費も刺激されて景気が良くなる!」という話しになってくる。しかし日本人には、そういう割り切りはなかなか出来ない。特に『銀行』と『円』に対する信頼が無くなることを恐れたと考えるべきだろう。ということは贔屓目に見れば、財務省や(コロコロ変わった)政府は『国民の資産を守った』という立場なのかもしれない。
だが、この間に労働者の可処分所得は伸びがなかった。多くの者が非正規雇用で、長時間低賃金労働に従事されられた。これも企業の売上がなかったから? ・・・としたら、インフレ抑圧政策の失敗のツケが国民の資産の増加を不可能にしたとは言えないだろうか?
安倍政権になり、ようやく『ごく常識的な』大規模金融緩和策により、デフレより脱却する方向へと進む。
特に良かったのは『単純な不動産バブルの方向に向かわなかった』ということだろう。80年代の失敗が、まだなお生々しく残っていたからだと思われる。そのため、同時期の中国のような超高金利負債を抱えることは無かった。無論、スルガ銀行のように、投資向けの不動産に対する規則破りの異常な融資を続けていた銀行も、あるにはあるのだが・・・
しかしここでも挫折し、国債ばかりが残った。地方債あわせるとおよそGDPの二倍もあった・・・
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日本は2020年時までに対GDP比で200%もの債務を抱えていた。しかし、そもそもの問題として、それは本当に債務なのだろうか?
勿論、債務だ。なので借金だ。なので増加することは望ましくないし、なければそれに越したことはない。
そこで、こんな悪知恵も働かせてみる。
悪性のインフレを年平均3%ほど続ければ、やがて長期金利は5%前後にまで上昇するはずで、そうなれば国債の価値が40%ほど下落する。ここで国が残りの国債を全部買い取り、『證券』化すれば良い・・・という理屈だ。殆どの国債を長期国債に付け替えた後で、これをやる。
バカな政府に政権を委ね(極右とか軍国主義とか共産主義くずれの独裁国家・・・たとえばベネズエラのような)、連中の責任で悪性のインフレを起こして国債の価値を四割引きまで『バーゲンセール』させ、これを買い取る。買い取った後、これを證券にする。證券は債務ではない。財産だ。これで帳簿の上から債務が全額なくなる・・・という理屈だ。
なるほど、非常に荒っぽいやり方で、きっと正しいのだろう。このような政府を国内外の市場が信用するとは思えないが、しかし日本から債務が失くなれば、当然『日本は買い』という判断も出てくる。景気は上向くだろう。少なくとも『バカ政府』のせいで大破局を迎え、その後、責任取って消えてなくなれば、まともな政府の元で「もう一度GDPの二倍程度の債務をするまでは大丈夫だ」という判断も出てくるだろう。
しかし順調な経済成長があれば、これも必要ではなくなるのだ。
成長が継続すれば税収入の自然増が望める。そしてこの時、責任ある政府が財政規律を守ろうとすれば国債の発行は抑えられる。
社会保障費のような大きな歳出にメスを入れ、国民の反発を押えてでも削減すれば国債は減らせる。これは不景気の時・債務に喘いでいる時でも出来る。否、そういう時にこそ、しなくてはならなくなる。しかし経済が成長している時なら、税の自然増でコレのかなりの部分の埋め合わせも出来る。そもそも国債は全てを消滅させて良いものでもないから、ほどほどまで削減させるだけで良い。ならば、返済はなお一層ラクだ。
しかも成長インフレが続けば国債の価値自体が減少する。なので国債を売り飛ばして現金化し(一部は当然、買い直すが)、国内外の市場で消費することでGDPの増加に寄与するのと同時に、削減も出来る。
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そこで、上記の1980-2020年代までのアメリカの政府総債務残高(米国政府の借金総額)を見てみる。
米国の場合、2002年度から現在のデータ様式になってるのでこの時点からのおよそ15年を見てみると、対GDP比で60%(2002年)→108%(2018年)と、ほぼ倍増していた。
なるほど、これも悲惨な数字だ。
実数ならば5.6兆ドル→22兆ドルだ(←1$=100円ならば560兆円と2.200兆円。しかし為替等の問題もあるので日本円では出さない。大体✕100くらいで考えてみると、まずは分かりやすい)。実数だと、もっと悲惨な数字になる。むしろ大爆笑だ。15年で四倍なのだから・・・。
だが、本当に悲惨なことなのだろうか・・・?
この10-15年の間にアメリカは債務を四倍に増やしていた。しかし、それでもピンピンと元気イッパイだった。ということは、インフレ率2.5%の国は債務を四倍に増やしても全然OKと言っても良いのではなかろうか??
勿論、GDPに占める割合が倍化しているから『良い』はずは決して無いが、逆に言えば四倍に増やしてもまだなお対GDP比で100%前後で押さえ込めるということは重要なことだ。つまり、成長している間は債務を増やしても良いという考え方も出来るということだった。
成長インフレは重要なことだった。カネを稼いで溜め込めるという時には選択肢が増える。頑張って身を削る思いで借金を減らせる。逆にばーん!と借金を増やすことも出来た。国債の発行額をゼロにすることも出来る。それでいて福祉や公共事業への経費も(ある程度は)捻出できた。国家の財務状況が良くなることで、国に対するリスク損(スプレッド)も減らせる。投資格付けも上昇するのだ。それは政府への市場からの信任状でもあった。
ただし、これも後になってわかったことだが、結局、人類自体が経済成長しなくてはダメなのだ。2020年までに各国が債務を増やしてもなおデフレから脱却出来なかった理由は『地球は狭すぎた』ことだったのである。人類は乳児期を過ぎ、幼少期へと成長した。もはやベビーベッドでは小さすぎ、より大きな服が必要となっていた。
ちょうど太陽系内惑星文明へと飛躍すべき時期だったのだ。契機が中国だったとしても、いずれ誰かが一番乗りし、続いて人類全体が新たなフロンティアへと旅立たねばならない・・・ただそれだけだったである。小さい地球の上で、暇つぶしがてらに戦争なんかして無駄金使っている場合では無かったのだ。
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経済の成長が、ホモ・サピエンスという生物種の生存環境をも変えた。生物は本来、周辺環境へ適応することでのみ生き延びられる。一時期、隆盛を誇った恐竜が滅んだのは、環境に適応できなかったからだ。
しかしヒトだけは違った。経済成長の結果、周辺環境の方を自分たちに適応させる事を試み、多分、成功した。これがヒトのヒトたる
この経済の視点から2020-30年代の人類史を見てみる。
まず、これに先立つ18世紀における英国の世界帝国への飛躍に関しては、1730年代から顕著になっていた英国内外における投資ブームのバブル崩壊により、脆弱な銀行が預金者もろとも淘汰され、生き残った銀行には資金が集中してポートフォリオが健全化したことが、英国植民地獲得競争における勝者となる原動力だった。
ワッツの蒸気機関の発明による技術的優位の確立は、たまたまこの時代だったからという『だけ』のことであり、この新技術を育成する金融的バックボーンがあったからこその産業革命だった。別の時代だったらワッツは歴史に名を残すことが出来なかったかもしれない、ということだ。
勿論、蒸気機関に関しては『機関』という名のエネルギーに関する技術革新だったことは意義が大きい。文明を支えるのは金融とエネルギーであるし、そのエネルギーにおける高効率かつ低コスト化が可能となった蒸気機関はエネルギー産業の革命であった。それは2199年における次元波動超弦跳躍機関のようなもので、人類に大きな
研究開発予算がなければそこで終わっていただろうし、融資がなければ事業の維持・拡大は望めなかったはずだ。投資があればこそ新たな技術革新が成長できたとも言える。実は同じことは2030年代でも言えた。真逆の形で、だが。
1980年代から顕著になった全世界的な金融産業の急進展や、21世紀になって数次に渡って発生したバブル崩壊と金融緩和によって莫大な資金が市場に溢れた。この資金が黎明期であった宇宙産業へと投資されることになったからだ。これを後押ししたのが『地球環境破壊』と『債務』だった。
前者は物理的に人類の生存環境を脅かすものであったから、絶滅回避に必要とされる技術と法的環境の整備を促した。
また後者に関しては、失った資産と抱え込んだ負債を取り返すために積極的に投資を行ったということだが、この時代は18世紀にとは違い、市場への積極的な金融政策介入があり、潤沢な資金が各国中央銀行から供給されていた。そのため資本それ自体は(莫大な負債にも関らず)過剰のままであり、これを宇宙開拓を支える投資マネーへと振り向けることが出来た。
結果、有望な投資先を探していたところに、不可避的な投資案件(=宇宙開拓)があり、ここに優先的に莫大な投資されたために人類の内惑星領域の開拓・植民が可能なレベルにまで文明が成長した、ということだった。
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経済は生物の進化をも司る。そして経済は金融とエネルギーによって成立する。
ならば経済は生物界の女王であり、カネは経済の女王だ。経済とは、自然界の目に見えない法則のようなものだった。そして成長インフレはその重要な根幹の一本だったのである。デフレは良いことではなかったのだ。インフレが良いものではなかったとしても、だ。インフレという『悪魔』をペットのように飼いならすことが出来た種族・・・これが高度文明を成立させることの出来る生命体だ。
この事実に気づき、そのように進化した種族が人類以外にもいた。不幸で面倒なことに、そういう人類以外の種族は思いの外、好戦的だった。思い知るのは次の世紀になってからだった・・・
そしてその前に、暗黒の2090年代を迎える。世界主要国が連続して、事実上の
【 この項目、続く 】
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