§5-4-4・2060年から2080年の終わりまでの日本の歩み(中編) 〜戦後日本最良の時代の到来。『自律的な経済成長インフレ』の模範例

○2060年から2080年の終わりまでの日本の歩み 〜自律的な成長インフレを達成した『戦後最良の時代』の到来


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 この時代の日本を、世界と経済的な側面から見てみる。


 この時代、日本は『戦後最良の時代』と言われた時代だった。地震や津波といった自然災害の少ない時代であり、一方、世界の他の地域の環境悪化は見るも無残な程、ひどかった。

 地震や風水害に対する対応を常に迫られていた日本に比べ、そもそも巨大自然災害に対する備えの意識と技術の少ない世界各国は、悲惨なほどの大規模な人的災害に発展することが多かった。

 その結果、先進国には難民問題と経済的打撃が、発展途上国は環境悪化による国土の荒廃と国力の衰退が顕著に見られるようになった。

 

 このため先進各国(と中国・ロシア・インドや新興工業国)中央銀行は意図的に金融緩和と財政出動を繰り返し、特に宇宙分野における産業育成と地球環境保全事業、そして地球環境破壊によって生じた不毛地域への再移住や、宇宙植民事業に対する不動産投資によって景気の拡大を図るようになった。

 自然環境破壊による経済的損失が莫大なものとなり、これに長年対処してきた日本の政策が踏襲されたといってもいい。つまり『建設国債・復興債の発行』による、景気刺激・民需創造策が採用されたのである。


 この結果、世界の市中金融機関・機関投資家を主な担い手として、宇宙開発・環境保全技術に対する大規模な投資熱が周期的に起こった。いわゆる『内惑星バブル』の時代を迎えたのだ。


 最初は地球再開発に伴う地下ドームシティ・海洋都市・砂漠緑地化高層都市・軌道エレベーター等の『建設バブル』、次に宇宙開発技術に対する『宇宙技術関連バブル』、そして量子的縺エンタングルメントを利用した超光速通信技術の開発・確立による『ITバブル』、最後に月や火星・その他の小惑星などでの『資源バブル』・・・と、5年から10年に一度のペースで急激な相場上昇と崩壊を繰り返すようになり、莫大な累積債務を抱え込むようになっていった。


 日本にとっては幸いなことに、この時代に連続して発生したバブルに対しても、それまで通り『危ない事には手を出さない』という1990年代のバブル崩壊の教訓が生きていた。なのでリセッションによる世界的な不況を除けば、打撃を受けることはなかった。まるでリーマン・ショックの時のように、日本は無傷でいられたのだ。他の各国が、簿外債務や街金まちきん紛いの非金融系機関ノンバンク経由で莫大な債務を抱え込むようになっていたのとは対照的だった。


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 このような荒れた世界であったが、宇宙開発による持続的な経済成長と規模の拡大があり、このため、日本は自然と財政規律が整えられた。


 持続的な税収入のUPと成長インフレによる国家債務の自然減、国民所得の向上がそれだ。インフレ率は時に3%に到達し、持続した。このため長期国債の金利が段階的に上昇していった。

 これは国債の価値が下落することを意味していたため、外国人による売りが出て、円安をもたらした。この円安が輸出力を担保し、対外投資のリターンの増額をもたらした。


 もともとこの時代にあっても世界最先端の技術を多数保持していた日本にとって、宇宙特需と内惑星バブルは対外輸出の牽引力だった。特に対外投資とそのリターンにあたる『一次所得』が爆発的に増えた。海外および宇宙に対する積極的な投資とM&Aにより、企業の内部留保金はGDPに匹敵するほど蓄積した。


 あわせて航空宇宙技術の進歩により世界・宇宙からも観光旅行客があつまり、この当時の人口約7,000-万人に対して、外国人観光旅行客・短期滞在者が合わせて5,000-万人にも及ぶという、大変エキゾチックな国になっていた。地震や津波・風水害や温暖化に対する技術向上もあり、『安心で安い旅行先』のイメージが定着してきたのもこのころだ。


 おかげで国債の発行がゼロという年も続いた。実際には買い増し分がゼロであり、国債の償還に合わせた買い直し分は市場に供給された。債務を徐々に減らすことが出来るようになったのも、世界各国への技術・製品の輸出と対外投資の恩恵、サービス所得の収支改善によるものだ。

 結果として2020年代には200%以上もあった国家債務が、激しいインフレも無く50%以下へと激減していた。とはいえ、年3%ものインフレは、可処分所得の低い者にとってはかなり手厳しいモノではあったのだが・・・。


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 この時期、日本はついに『年収四万ドルの壁』を超えるようにもなった。

 先進国において成長が止まることを意味していた『年収四万ドルの壁』と言われた経済的な頭打ちの状態は、人類が狭い地球という星の中でのみ経済活動を行った時の一つの限界点であり、これが太陽系文明へと飛躍したことで一気に総生産力がUPしたのだ。

 日本が平均年収400万円を越えたのは2060年代の前半、500万超えは70年代の中、80年代の終わりには700万円近くにまで達し、これが90年代には800万近くにまで進展した。


 これだけ所得が増えれば、持続的な成長インフレも期待できたから、結果として債務は対GDP比で50%以下にまで下がった。本当はもっと下げられたが、むしろ国債の発行量が少なすぎると銀行などの手元資本が不足してしまうため、意図的にこの程度の発行量が続けられた。そのくらい世界中・市中に資金が流れていたのだ。これは『正しい債務の消滅のさせ方』の手本でもあった。


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 この頃になってようやく日本人は気がついた。1980年代から2020年代以降、ほぼ半世紀に渡ってアメリカが貿易赤字・財政赤字という『双子の赤字』を出し続けながら、一度たりとも世界一の座から滑り落ちたことがない理由が、である。何故アメリカは衰えなかったのだろうか?


 アメリカは1980年代から2020年代まで、平均して年に2.5%程度のインフレ率があった(1983-2018年)。その間に、アメリカのGDPは実に5.5倍も伸びていたのだ。つまり約40年弱、2.5%の成長があるとGDPが6倍近くになるという驚愕の事実だった。

 他の国の成長率と比較すると、最も伸びた日本と比べてもその伸び率は倍であり、分母となる元のGDPの巨大さもあって、この時代、米国があまりにも無敵過ぎる強大さを誇っていたことが改めて判る。


 そして、この急激な右上がりの成長に対して、米国一国だけではさすがに消費財・金融系資産(←米国債や株式等も含む)の供給が足りず、その不足分を『輸入』で補っていたということだった。つまりアメリカは巨大な成長を延々と続けていて、この成長力があまりにも強力だったから、中国や日本・ドイツなどから『足りない分』を『輸入』の形で補い続けていた・・・という、ただそれだけのことだった。


 激しい勢いで経済成長していたので、その足りない分を埋めていた=貿易赤字に過ぎなかったということだった。勿論、これも黒字ならなおよい。しかし経済成長しているのならば、貿易収支は赤字でも全く問題がなかったのだ。


 そもそも貿易収支は経常収支における、単なる1項目に過ぎない。主だったものでも『貿易収支』・『一次所得(国外から/への利払等)』・『二次所得(対外援助等)』・『サービス収支(旅行や映像等)』があり、アメリカの赤字というのはこの中の1項目だけが赤字だっただけだ。


 この頃のアメリカを見てみる。

 一次所得は日本と同じレベルで世界最強(この二カ国だけダントツ。三位・四位のフランス・ドイツはこの1/3程度)、サービス収支も黒字であっただけでなく、国民の持っている富に当たる『家計金融資産残高』に至ってはブッチ切りの9,000-兆円(同期比で日本は1.800-兆円)、しかもこの30-40年間の伸びは3倍以上(同期比日本は1.6倍)もあった。


 これらの実数を考えることもなく、1項目だけの赤字を極端に誇張していたにすぎなかった。なんのことはなく、米国内での生産では『間に合わなかった』から輸入していただけのこと・・・だった。少なくともデータからはそう読み取れた。


 財政赤字に関してもそうで、アメリカの場合、この圧倒的な民間活力があるために財政赤字さえ簡単に消すことも出来た。実際、1990年代の民主党クリントン政権時には財政黒字に持っていくことが出来たほどだった。

 持続的な経済成長がいかに必要なことかということだった。それは民間によって作られる。巨大な国内市場を持つことがGDP増進のカギだった。


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 2060年からの二十年、日本は似たような状況になっていた。

 貿易収支で赤字が出ることも結構あった。これの理由がやっと判ったのである。急激な世界成長に引っ張られる形で日本も急激に経済成長した。しかし人口減などの影響で、国内で必要な生産財の全てを、国内で賄うことが出来なかった。そして対外輸出分よりもさらに大量の資源・生産財が必要となり、その結果として赤字を出し続ける状況に至ったのである。

 逆の言い方をすれば、大きな成長があったため、足りない分を赤字を出してでも補填し、その補填分以上の成長の原資としていたのである。かつてのアメリカと同じことが、この時代の日本でも起こっていた。


 そして一次所得は圧倒的に黒字のままだった。対外投資は常に優勢で、海外や太陽系各地に工場を立てたり投資したり、M&Aを仕掛けたりしていた。外国国債や株式に投資していた。そのリターンは莫大ものだった。知的財産にまつわるパテントも大きな収入源だった。技術を持っていることの優位性がカネの形でリターンしていた。カネがカネを稼ぐと言っても良かった。


 たしかに企業の内部留保金が多すぎるのは問題だった。株主や労働者に還元されなれけば国内市場の増進には繋がらない。しかし同時に対外投資に向かっているのならば、このリターンの原資になることもまた事実だった。よって内部留保金が多すぎる国の場合には、内部留保金に税金をかけるのではなく単純に企業増税が正解だということだった。


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 この時期、日本人であることは幸せなことだった。

 なので日本人が宇宙移民することは殆どなかった。この時代でも『日本に生まれて幸せ?』という質問に80%の国民が『幸せ』と答え、『生まれ変わったらもう一度日本人になりたいか?』という質問には、ほぼすべての日本人が『はい』と答えるほどだった。『金持ち移民せず』・・・この金言どおりのことが起こっていたのだ。実際、日本人が本格的な宇宙移民をするのは第一次内惑星戦争前後のことだ。


           【 後編に続く 】

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