§4-2-2・もう一つの2200年〜全地球規模全天打撃全面連鎖破綻への道orz(その2)_2200年から振り返る、EUというドイツ第四帝国の真の姿

 いま見てきたように、2199年の土断場になってもまだこれほど各国は個々バラバラの状況であり、各国政府がいまだ大きな実行権限を有していたはずだ。つまり『自国ファースト』だ。無論、口先ではちゃんと「Make てろん Great Again !」みたいな寝言をほざいていただろうが、実体経済と国民の管理・保護に関しては従来どおり、各国が責任を持って行ったのだ。まずは自国民を優先して・・・だった。


 その意味では、国連と各国政府との関係は、なんとなくEUのような組織に似ているかもしれない。だが、EUは非常に問題のある政治形態なのだ・・・


  ※     ※     ※


 もともとEUは1980年代末、『東西に分裂していたドイツが再統合する』という歴史的な流れの中で、フランスが(いつものようにアホみたいにワガママ放題で)「統一ドイツがヨーロッパの支配者にならないように」何かの足枷を嵌める必要があると感じていたことと、逆に当時の西ドイツが「何があっても東西ドイツを統合したい。でも、ナチスの再来とは言われたくない」という、互いに身勝手な相反する願望を叶えるために、「じゃあさ、統一ヨーロッパっていう、もっと大きな枠を作って、この中に皆が入ったらいいよ!」・・・みたいな、実に馬鹿馬鹿しい政治的な思惑から成立した『よこしまな神聖ローマ帝国』だった。


 EUを構築し、この中にドイツを組み込めば『EUがドイツの暴走を食い止める』とフランスは考えた。一方ドイツは「統一ドイツが民族の悲願。それさえできれば、あとはフランスの言うとおりでいいよ」みたいな実に投げ槍な行動に出た。既にまともな打算さえ無いドイツ人とフランス人のカップルは、『嫌なら、結婚しなきゃ良い』という最も単純で最も正しい選択肢さえ忘れるほど相手に不信感を抱いていた。「バカめ!」だ。そして我々は『金融は国家の要』であることを知っている。そう考えれば、このような流れは、


あれ、全然おかしいよな・・・(・・;?


・・・ということに容易に気づく。政治的なヘンな思惑から始まった統合の結果、EUは金融・財政面でオカシナことだらけになってしまった。

 

 本来、EUが統一国家であるのなら、欧州各国国民の税金はEUの中にある『欧州財務省』に集まるべきだ。そしてEU政府、つまり『欧州統合連邦政府』がEUの国策を決定し、『欧州議会』がこれを承認する・・・という、日本国のような『当然あるべき普通の国家形態』でなければならない。


 そして、これとは別に独立した金融財政企画の立案と実行を行う『欧州統合中央銀行』がなければならない。この『欧州統合中央銀行』は2018年時における『欧州中央銀行』とは全く違う。EU民(ドイツ人とかフランス人はもはやいない。欧州人という統一した一つの国民)からの税金を裏打ちとした『ユーロ』という強力で唯一の『通貨』の発行量を、ユーロ債もしくはEU国債を使い公開市場操作によって管理運営する(←拙文第12話・第13話の内容)、ドコにも属さない独立した『カネの番人』が必要だ。それは日銀やアメリカの連邦制度理事会のような強力な独立機関でなければならない。

 一つの統一した政府に、一つの統一した中央銀行。←この形だ。

 しかし今のEUは全く違う。

 

 ドイツやフランスと言ったEU構成各国は独自の政治経済金融体制を維持したままだ。ドイツ人はドイツ連邦政府に納税するし、フランス人はフランス政府に納税する。またドイツはドイツ中央銀行が存在し、フランスはフランス中央銀行が存在する。これらは第一に自国の経済政策のための金融政策を立案する。ドイツやフランスは自国民の利益を捨て、自国民が貧乏になってでも、ギリシアのために『身銭』を切って『地方交付税交付金』のような『カネを撒いてやる』みたいなことは絶対にしたがらない。ケチなドイツ人や、ビヴ・ラ・フランスなフランス人が、なんで『ギリシア人のようなコジキ』のために、自分がコジキになっても良いなどと考えるだろうか?


 より厄介なことは、そうは言っても金融政策全般はEUの欧州中央銀行が一任されたことになっている。各国中銀と欧州中央銀行とが同時に存在しているという謎だ。これは各国中銀が欧州中央銀行に加盟するという玉虫色の解決法を採用している。

 要するに『各国の中央銀行の集まり』がEUの中央銀行ならば、各国政府の意向を組んだ『単なる出先金融機関』に限りなく近い。ドイツは他のEUの国のために『地方交付税交付金』のような負担をするのは嫌がっている。なら欧州中央銀行(ECB)はドイツ中央銀行の、そうした意向をんだ上での金融政策を案出しなくてはならないだろう。

 

 本来、各国中銀が生き残っているのなら、EU域内での各国通貨とユーロとの関係は変動相場制であるべきだ。各国の経済状況に応じて変動しなければ、得する国と損する国が出てきてしまうからだ。でも、そうではない。なら実のところ、フランやマルクといった『目には見えないが、実は実在している各国通貨』をユーロの中に組み込んでいるだけという『固定相場制』を採用しているに過ぎないのだ。これは異常だ。本来はマルクやフランが存在すべきなのに、『ユーロ』というマスキングをかけた通貨に『付け替えている』のだから。


 実際、ユーロは各国によって紙幣のデザインがマチマチだ。これは各国のプライドを守るということを意味などしない。『各国通貨が、目には見えないけど存在してますよ』という厳然たる証だ。この意味でEUは、日本国のような『一つの国家・一つの通貨』という強力な政府ではないのだ。その意味でEUは無責任でさえある。そして、固定相場制は潜在的に財政破綻のリスクから逃れられない。


 この異常さを『国際金融のトリレンマ』という概念で考えてみる。

 国際金融のトリレンマとは『自由な資本の移動』と『固定相場制』と『金融政策の独自性』の三つが全て満たされるということは出来ない・・・という考え方だ。せいぜい二つしか選べない。ちなみに日本やアメリカは国際的な資本の自由と、自国の金融政策の独自性を維持するために固定相場制を捨てて変動相場制に移行した。これが多分、正解だ。


 では本物のEUはどうか? EUは理念として『ヨーロッパ域内の自由なヒトとモノのやり取り』を標榜しているのだから『自由な資本移動』は採用している。ドイツとギリシアの間では、ヒトのモノのやり取りは自由になっているはずだからだ。またユーロという『共通通貨』を採用しているということはEU内構成各国は『自国通貨とユーロとの間の固定相場制』と同じだ。なのでEU構成各国は『各国独自の金融政策の独自性』を放棄したはずだ。ヨーロッパ統合中銀の役割をするのが欧州中央銀行(ECB)なのだから。


 しかし、このECBの構成メンバーが各国中央銀行によって構成されているから、各国の経済・財政状況を斟酌しんしゃくし、自国政府を忖度そんたくする・・・という『ECBが考えるEU全域のための完全で強力な金融政策』が取りづらいという『機能不全』に陥っているのだ。もしユーロが単一通貨でヨーロッパが一つというのなら、なんでドイツとフランスで定期預金の金利や、国債の利回りが違うのか? ユーロと各国の政策金利が別々にあるのはナゼだ?? ・・・その理由がコレだ。バラバラ過ぎるし、問題解決のツールの選択を間違えているのだ。

 もしEUが本当に一つの国家というならば、強いドイツが弱いギリシアやイタリアに対して地方交付税交付金の形で自分たちの利潤を還元すべきだし、国境がないというのならばギリシャにベンツを売り飛ばした時も『ギリシアやイタリアのような各国政府が保障することなしに』簡単に銀行で決済できるようにすべきなのだ。


 この『EU各国が保証すること無しに』というのは始めて聞いたという方ばかりだろう。

 実はEUの中では奇妙で複雑な操作が行われている。たとえばギリシア人がベンツを購入した時、ギリシア国内の銀行でローンを組んだとする。これはごく普通だ。しかしドイツ側からすると、お買上げ頂いたギリシア人のお客様の返済能力が疑わしい・・・つまり『ギリシア』という国に対するリスクを感じるという当然の不安がある。ギリシアは経済力が弱いし、本来あるべきドラクマはユーロよりも『価値が低い』からだ。そこで銀行間取引において、担保金を請求する(らしい)。そしてこの元本と担保金をギリシア政府が国として保証する・・・ということなのだ。つまりギリシアで経済破綻が起きた時、ギリシアはドイツに対して民間補償をせねばならないのである。これもEU域内で変動相場制を採らないからであり、『域内固定相場制』の結果として損失補填をせざるを得ないような珍現象が出てくるのだ。さらに別の事例を検証する。


  ※     ※     ※


 ユーロという通貨は、構成各国の経済力に依存している。つまり(本来あるべき)各国通貨に依存している。強いドイツマルクと、ほどほど強いフランス・フランやオランダ・ギルダー。規模はデカいが不安定なスペイン・ペセタやイタリア・リラ。そして紙くず同然のドラクマなどだ。これらをぐるっとまとめて一つの通貨とした場合、ユーロの価値は『最強>ユーロ>最弱』の値を取る。当たり前だが・・・。

 別の言い方をする。実際の数字を全く無視して、分かりやすく例えてみると、こうだ。今現在、1ドイツマルク=100円、1ドラクマ=10円だったとする。この二つの通貨をまとめてユーロという通貨を作ったとすれば、1ユーロの価値は『10円以上100円以下』になるはずだ。この時、ドイツマルクは本来の価値よりも『安く』なっていることに気づく。例えば1ユーロ=80円だった場合、本来のドイツマルクより20円分安い。つまり、ユーロという通貨は『通貨バスケット制』に似てなくもないのだ。そしてこれがドイツに莫大な恩恵をもたらしている。具体的に言えば、『ドイツマルク > ユーロ > ドラクマ』だ。言い換えれば、



『マルクは常に安い』 ←ユーロ高&マルク安

『ドラクマは常に高い』←ユーロ安&ドラクマ高


・・・となる。この時、ドイツがEU域外との決済にユーロを使うとどうなるか? 実際の為替相場をガン無視して1ドル=1ユーロ(=80円)だったとする。すると、本来の為替よりもマルクが20円分安いのだから、


『マルクは常に円に対して安い』 ←円高&マルク安。対日輸出が黒字になる。

『マルクは常にドルに対して安い』←ドル高&マルク安。対米輸出が黒字になる。


・・・となる。ドイツは為替操作することなく、自国安を簡単に導き出せるのである。これがドイツが常に経常黒字になっている最大の理由だ。極めて不当な為替操作に相当する行為だ。例えて言うなら、ドイツマルクは(ユーロというニセ通貨でロンダリングした)『域外に対しては通貨バスケット制』という固定相場制に似ている。


 マルクとドルで決済するのならば、本来、マルクの価値はずっと高い。なのでアメリカに輸出する場合、自動車などの製品単価がずっと高い。しかしユーロ決済なので『最強ドイツマルク>ユーロ』分だけ『マルクが安くなっている』のだ。

 そして本来の為替市場の考え方からすれば、ユーロ決済のドイツがアメリカに大規模に輸出して経常黒字を出せば、ユーロの価値は上がり、ドルは下がる。つまりユーロ高&ドル安になる。これでドイツ車の単価が上がり、アメリカへの輸出が減る。


 たしかに、実際にそうなるのだが、EU域内に置いては各国が独自の金融経済政策を採り、また各国国民はEU連邦政府ではなく、ドイツ人ならドイツ政府に、フランス人ならフランス政府に納税するために、『ドイツ企業の儲けはドイツ政府に還元される』一方なのであるから、仮にユーロ高になったとしてもドイツマルクを使っていた頃よりは『マルク安』が続くために輸出量の減衰率は緩やかになり、対外的にはドイツの国富は増加し続ける。そしてEU域内においては経済力の圧倒的なドイツが主導権を握る・・・まさにヒトラーでさえ叶わなかったドイツ第四帝国の成立を見たのである。


 ただし良いことばかりではない。ドイツにとって「もしEU域内での取引をするのなら?」と考えてみる。するとドイツマルクよりも弱い『EU域内の国』との通商ということになる。ドイツ人としてはビミョーだ。


 たしかにギリシアは得だろう。ドラクマよりも遥かに価値のあるユーロで決済できるのだから。それはつまり『ドラクマが本来の価値よりも遥かに高い価値を(なんの根拠もなく)プラスされている』ということだ。『下駄をはいた』状態だ。普通の国ならば当然、貿易赤字になる。しかしユーロは単一通貨なので理論上、ギリシアが赤字になることはない。代わりにユーロの価値が下落する。

 それはドイツにとっては輸出が伸びるという『旨味のある』話しになるのだろうが、EU域内においては事態は遥かに複雑で、『本来、買えるはずのないモノ』をギリシアが購入し、その赤字分をユーロに付け回している・・・に近い。


 そして本来ならばギリシアがEU域内の財政規律に違反するレベルにまで悪化したのだから、EUはギリシアを放逐する、というのが正しいが、政治的にそれが出来ないのであれば、何がしかの補償措置が必要に成る。それが前述の『隠れ根抵当』もしくは『取引上のリスクオフ措置』ということだ。本来なら変動相場制で回避スべきことだった。しかしヨーロッパ人は「国境で各国通貨に交換するのが面倒くさい」からユーロにした・・・というのなら、そもそも『国家』の方を解体するしかなかったのだ。しかし、これもいまだに存在している。

 要するにEU域内ではバラバラの国であり、なにより通貨的な意味からすれば『成功するはずのない統一通貨』の実像だ。この歪みのために、得する国と損する国が出てくる。


 ドイツは不正に利得を上げている。合衆国政府が言う「ドイツは不当に輸出している」というのはトランプ大統領のツイッターのタワゴトでは決して無い。弱いドラクマを抱え込むことでドイツマルクの価値を不当に下げ、アメリカや日本や中国に対する輸出競争力を増強させているのだ。


 しかも為替市場の自由度が、ユーロというマスキングによって機能不全に陥り、正当かつ速やかには働きにくい。その一方でギリシアやイタリア等の他のユーロ圏の国において債務という形で、この機能不全のツケが回る。本来ならばドイツがこうした弱小国に『身銭』を切って救済するべきだが、そもそもドイツにそんな気はない。彼等は統一ドイツが欲しかったのであり、統一欧州はフランス人が勝手に騒ぎ立てたものに過ぎないからだ。


 結果、EUは金融的に見ると、大変不自然で不明瞭・不安定なものでしかなくなってしまった。統一国家にするのなら、もっと本気で推し進めなければダメだ、とも言える。つまり『国家統一とは通貨の完全統一のことであり、一つの政府・一つの通貨・一つの金融政策決定機関』であるべきなのだ。

 本来、金融は『見えざる手』によってある一定のバランスが保たれる。これは『通貨』というシステムの素晴らしい自律的メカニズムで、通貨というシステムがテロン人だけでなくガミラス帝国や帝星ガトランティスなどでも実存していなければならないという理由にもなる。人間ヒトという生命体を構成する基本原理・原則の一つだ。

 ところがEUはこの理屈が働きにくい。単純に『一つの国家には一つの通貨・一つの政府・一つの金融政策』という原則が守られないからである。裏返せば、強力で一元的かつ効率のよい自律的なメカニズムを欠いたシステムにしかならないということだ。2200年の地球人はこんな感じだった。そして結果は『必滅』だ・・・。


  ※     ※     ※


 もはや圧倒的に強力な国家は存在せず、全ての国が弱体化した中で、返しきれないほどの債務を抱えてしまった。一方、地球連邦政府は存在していないか、あってもいまだ脆弱で、特に金融面での責任を負える程の財源もなかった。強力な地球連邦中央発券銀行もなく、強力な地球統一通貨もなかった。各国政府を超越できる程の強力な金融政策を推進する組織もなかった。連邦政府にも『国家の信頼』の裏付けが何もなかったのである。これが2200年の地球の姿だ。


 かつてのポンドやドルといった、ある時代における最強国家が存在し、その国の通貨が世界の基軸通貨となっていたような安定した世界でもなければ、地球連邦政府発行の統一通貨が存在していた世界でもなかった。

 全ての国が莫大な戦時国債を抱え込む脆弱な国々の集まりであり、地球連邦もしくは国連がこれらの国々にとって変れるような統一政府として機能していたわけでもなかった。『全部が無責任』の寄り合い所帯に過ぎなくなってしまったのだ。それでいて、経済活動は息を吹き替えしていた。


 既存の国家群の枠内での延長上としての経済活動の再生は、既存の国家の命脈を保つのには、確かに役に立つ。しかし真の問題は『インフレは通貨の問題』ということだ。この場合、地球連邦なる組織の生死を分けるのは、全世界の債務を完済できるか否かだけだ。そのために必要な金融ツールを選択し、『責任ある単一通貨を発行する』責任と『無限大に責任を負う』義務を履行出来る政府だけが、たとえ死んだとしても再生することが出来る。焼け野原から劇的に復興した焔の不死鳥のような戦後日本のように。


 もしそれが出来なかったら?

 出来なかった事例が、もう一つの2200年の地球なのである。EUという組織が、GDPの五倍以上の天文学的な債務を抱え込んだらどうなるか? ・・・という思考実験と言ってもいい。その結果は全面連鎖破綻しかないのだ。



          【  この項目、続く  】

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