§3-2-6・【超重要】そして最後に庶民の恐るべき犠牲について〜家一軒、ニッケル玉三枚

 では最後に、金融業とも企業とも関係のない、ごくごく普通の庶民の犠牲について考えてみる。

 GDPのおよそ8.5倍、国家予算の72倍の債務を抱えた国の庶民の金銭的負担について実例を挙げる。


 戦後の日本は『財産税法』という異常な預金税で国民から徹底的に搾り取り、帝国時代の債務の返済に当てた。拙文の第24話、第25話の『財産税法〜預金封鎖と預金税』で、その過酷かつ異常な税負担について詳述した。

 ただし、庶民を苦しめたのは気違い沙汰な増税だけではない。同時に激しいインフレも進行していたのだ。戦後5年の間に、日中戦争以前の物価水準の300倍という生半可ではない酷いインフレだった。なるほど、そのために国家の債務は相当減少した。新円切り替えも絶大な効果があり、対外輸出力がアッサリ回復した。たとえ当時の日本の製品がガラクタばかりといえども、帝国のころに比べて一円の価値が1/360なら、ある程度は売れた。特に旧植民地地域には、だ。

 やがて日本の品質は徐々に向上していき、米国市場にグイグイと食い込んでいけるようにもなった。『安くて良い品』という魔法使いになっていくのだが、しかし、より大切なのは激しいインフレと円の切り下げだった。この二つのおかげで通貨・円の価値はダダ下がりになった。そして通貨=国債=債務だから、あっという間に激減した。そう。インフレと通貨切り下げの所為で債務は激減したのだ。

 この厳しい環境で、庶民の生活はどん底まで落ちた。


 この実例もあげる。我が高瀬家だ。

 我が家は戦前、裕福だった。町内会を取りまとめる名士だったようである。戦時中、彼の家の息子はまだ小さく、家主は年老いていた。兵士にはならなかった。そのため何か帝国に貢献したいと考えたようである。勿論、小金持ちであるにも関らず何もしないでは隣近所から何を言われるかわからない。そのため、帝国発行の戦時国債を購入した。当時としては破格の額面300円だった。


 正直、『いつ・なにを・どんな内容の国債だったのか?』・・・が分からないので申し訳ないが、ただ、この金額は当時としても相当な額だったようである。今で言えば、『小さな家が買えたかもしれない』とは聞いたことがある。何分、物価も貨幣価値も生活状態も違う時代なので、単純比較は出来ない。戦前であれば、車の値段はバカ高いだろうし、家はむしろ安かったのだから・・・。

 それでも『相当高額』な方だったようである(←当人に確認しました。戦前、世田谷では家一軒は300円もあれば買えたそうです)。


 戦後、我が家は焼け出された。しかし戦時国債は残った。その返還があった。

 新円の100円玉が三枚だった・・・


 本当の話だ。この第三章で述べた『債務返済』のやり方の全てがコレだ! 

 300%以上のインフレが続く中で、ニッケルの小玉三枚コッキリだった。その日のメシにも足りなかったほどだ。これが債務の返済の仕方だったのだ。そしてインフレと通貨切り下げで国家の債務は激減したと述べた。その結果だ。そりゃそうだろう。ざけんな!!


 おそらく、当時の大蔵省の連中もコレを見越していたに違いない。そして、莫大な額の税収入をむしろ『会社経理応急措置法』・『金融機関経理応急措置法』などを含めた包括的な金融および主要企業の救済に振り向けたはずだ。その余力は十分あったはずだ。なにしろ多額の債務をニッケル玉3枚にバケさせたのだから、余り金が腐るほどあって全然おかしくない。おかしくない!!


 公的資金の投入で銀行は息を吹き返した。同時期に行われた『傾斜生産方式』という鉄鋼と石炭に力点をおいた国家経済政策も、ある程度は意味があったように思う(無い、という学者も多数いるので、深入りはしない)。ただし、重要な点があるので、それだけは述べる。


 国家経済を支えるのはエネルギーと金融だと述べた。金融は生き返ったと言った。少なくとも生き返らせようと必死になっていた。あとはエネルギーだけだ。

 そして日本には莫大な量のエネルギーがあるのだ。石炭だ。

 日本には石炭があった。国内に自給出来るエネルギーがあったことは最も幸せなことだった。なにしろ、輸入しなくていいのだから。

 当時の日本には船舶は無かった。あってもカネがなかった。一ドルは1/360円まで下落していた。外国から輸入するのは、とんでもなくコストが掛かったはずた。しかし日本は石炭だけは潤沢にあった。

 北海道・福島県・山口県・福岡県・佐賀県・長崎県などで大戦中には年6000万トンも産出したことがあったという。1950年以降も5000万トンを超えるレベルにあり、その後の日本国の経済力の進展と世界的な原油コストの下落、環境投資のコスト増などで石炭産業が廃れていっただけなのだ。つまり『日本はエネルギーがある』のだ。これを活用したことが大きい。


 こうして日本は復活への橋頭堡を確保した。国民から気違い沙汰な収奪を繰り返して原資とした。インフレと通貨切り下げで債務を圧縮し、金融関係を整理強化し、足りない分を資本注入した。銀行が生き返り、財閥系を含む大企業が生き返った。ここに国内に莫大な埋蔵量がある石炭というエネルギーを得て再び産業国家へと歩みだした。


 生産が拡大し、国内市場が息を吹き返していった。廃墟からの復興には沢山の資源が必要で、それが仕事を生み出した。インフレが10%前後に落ち着くと、今度はこの持続するインフレが経済成長を加速させていった。高度経済成長期がそれにあたる。これは偶然ではない。当時の大蔵省の記録を丹念に調べると、この年10%のインフレを持続させることで所得を二倍にすることが出来ると書かれ、インフレの終熄は所得の伸びがインフレに追いついた時になる・・・とされていた。つまり池田勇人は大蔵省の役人の書いたことを国会で読んでいただけなのだ・・・


 これが戦後の日本の辿った道だった。国内債務を返済し、成長へのステップアップのプロセスがこれだった。あとは外債の問題だが、最後まで残った帝国の頃の外債は結局、1980年代半ばまで続く。とはいえ、これは日露戦争の頃の外債で、返済期日(満期)が80年とかの超長期債務だっただけのことだ。基本、外債は全部返している。


  ※     ※     ※


 実のところ、国家債務を減らす方法は『インフレによる成長』・・・これしかない。第二次大戦後のイギリス・フランスも最大10%を超えるインフレに悩まされた。物不足・原資不足・生産力不足だ。この状態が5-10年程度続く。そのため国は貧乏になった。国民もだ。しかし債務は減った。正確に言えば『負債が減損した』のだ。そして『第10話・インフレとデフレについて100人のガミラス人の村で考えてみる』で説明したようにインフレによって経済成長が促された。同時に米国に資金が集まり、相対的にポンドやフランの価値も下がった。よって輸出はしやすくなった。この二つの国家も日本ほどではないが、同じ道を辿った。戦後ドイツもだ。デフレで国家債務が減ることは絶対ない。


 だからドイツの歴史を見ても、第二次大戦後にマルクの切り下げという話が出てくるのだ。この場合、輸出力を上げるが目的ではない。

 ドイツの債務が100マルクだったとする。この時に、マルクの価値が1/100に下がったとすれば、債務もまた1/100になる。無いのと同じだ。ニッケル三枚にしかならない。

 ただし通貨で一番大切な『信用』も失うことになる。ということは、その後の経済活動の全てが、この失った『信用』の創造だと思えばよい。今の日本がそうだ。何かがあると円は高くなる。国家債務がGDPの二倍の国で、何故、円が高くなる? 特に世界がピンチの時に、だ?

 つまり『日本は信用できる国』だからだ。


 なんでそんなに信用できるのか? 

 答えは戦後の日本の歩み、つまりこの第三章で述べたこと全てだ。『財産税法』というタブー中のタブーである預金法を使い、たとえ国民が死にかけたとしても債務を減らした世界で唯一の国だからだ。『可能なことは全部やる。不可能なことなら死んでもやる』・・・世界はそれを見てきた。奇跡を起こせる国だった。八倍の債務を焼け野原の中で返してきた連中が、たかが二倍程度の債務を、家持ち・土地持ち・技術持ち・金持ちな、当時より遥かにラクチンな状態で放棄するワケはない・・・そう踏んでいるからなのだ。信頼されている国家の一員なのだ、我らは。


 これが無敵国家・日本の辿った再生への道だった。新生日本の真の財産は『信頼』だった。通貨の裏打ちが信頼であるのだから、これは重要だった。

 辿った道のりは極めて厳しいものだったが、実は王道だった。


『債務は全部返済する』→『そのため税金かき集める』→『インフレと通貨切り下げで債務目減りする』→『減額した債務を返した』→『残り金で金融関係救済した』→『銀行が投資力戻った』→『銀行融資し始めた』→『企業も生き返った』→『リターンが銀行に貯った』→『産業拡大続いて労働者も賃金上がった』→『みんなの預貯金で銀行カネ貯った』→『市場拡大した。GDP伸びた』→『銀行・保険・債券にカネ回った』→『さらなる投資で産業の裾野が広がった』→『カネ周りが国民に一巡した』→『もう戦後でなくなった(まだ貧乏だけど)』→『国債を市場で売却し始めた(1970年代以後に活発化)』→『国債発行で経済規模が拡大した』→『バブルった(1980年代)』→『バブルずっこけた』→『バブル後の金融市場の再整理ハジマタ』→『20年間苦しんだ』→『安倍政権下でマネタリズム的実験政策ハジマタ』・・・の流れだが、要するに、


 債務整理→金融再編と資本力復活→産業復活


・・・この英国の産業革命と全く同じことが戦後の日本でも起こったというだけだ。戦後日本は世界史史上でも希な大規模金融整理作業だったのだ。人類史で唯一かもしれないほど貴重な資料だ。

 逆に言えば、仮に国家が破綻するとすれば、大なり小なりはあってもこのプロセスしかないということになる。

 つまり、宇宙戦艦ヤマト帰還後の2200年もまた、地球連邦政府は同じような事をしただろう。他に方法がないからだ。その時には、まず間違いなく、この時の日本の事例を参考にしたはずだ。それほど歴史上、劇的な復活劇だったのだ。


 庶民の途方もない犠牲の上に、きっとそうなるはずなのだ・・・(;_;)

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