§3-2-5・戦争は全く関係ない(その4)〜戦争で儲けるヤツは「信用できる国や企業にカネを貸したユダヤ人」

 ここで他の話しもすべきと思う。日露戦争時の話しだ。


 日清・日露戦争時、日本の株価はたしかに上昇した。特に個々の戦闘における勝利時、株価は反応して上昇していた。そのため、第一次世界大戦時のように、たしかに「成金」に相当する幸運な者も、それなりの数がいたのも事実だ。それでも株式相場全体としてはまだ黎明期であることや市場参加者が限られていた事を考えれば、参考程度と考えるのがより現実的だと思う。


 その一方で、莫大な戦費を必要とした日露戦争時、日本は自らの未成熟な市場において戦費の調達が不可能で、莫大な戦費を外債で賄うしか手がなかった。当時、帝国の国家予算が3億円の時に、外債総額12億8千万円(13,000ポンド)が用立てられたとされる。

 現代人の感覚からすれば、この予算組み自体が許容できない。無論、当時は「勝ってロシアから賠償ふんだくればいいや」とか、満州地域を植民地化して国力の増進を図るべきという判断から、対露戦は遂行すべきと考えられたのだろうし、実際やった。


 ただ戦局の困難さだけでなく、財政的にも実に大変だったろうと思われる。当時は現在のような管理通貨制度ではなかった。金本位制(実際は英国ポンド)と兌換紙幣の時代であり、予算規模の増加に合わせて金もしくはポンドの保有量の増加(積み増し)が必要となった。

 この分の補填を増税と外債で賄うことになるのだが、国力・戦力の圧倒的な差から日本の外債が売れるはずもなく、公債の価値は六割にまで下落(その分、借りられる金額が減るし、元の保有者は含み損を抱える)、公債応募も全くの不発で戦費調達など不可能という事態に陥りそうだった。


 しかも公債売却に際しては、フランスは露仏同盟もあり日本に冷淡、ドイツ第二帝政も自国内の産業への投資が優先されており積極的でなかった。アメリカはまだ南北戦争後の国内開発の途上にありアメリカ自体が外資を誘致せねばならない状態で、高橋是清の活躍やユダヤ人のジェイコブ・シフの莫大な援助もあり、額面割れ93.5%、利子年6%、償還期限五年(現在では短期に限りなく近い中期債)、債務保証に関税収入を抵当とする・・・で、まずはまとまる。


 とはいえ、これは日本にとって非常に厳しい。国家予算3億円の国がまずは一億円借りられたが年利6%、しかも戦費がウナギ登りで天井知らず。カネがないからカネを借りているのに、国家予算の2%相当が利子返済では話しにならない。これでは元本はいつまで経っても減るわけがない。

 後に戦局の好転により公債の金利負担の減少(新規起債時の利率低減)、もしくは公債の乗り換え等で少しは楽になり、また前述のジェイコブ・シフの多大なる協力により、後のリーマン・ブラザーズ等のアメリカ系投資筋からの援助も得られたこともあり対露戦を戦いきった。

 ちなみにこの時の日本国債の外国人保有割合は1905年度において64.7%とされている(これは2011年度のフランスと同じ割合で、異常)。なお、日露戦争の戦費は約20億円弱で、そのうち大体14.8億円分が国債分。そしてこの中の13億円相当が外債だった。1900年時の対ロシア国防費比は、日本がロシアの1/3程度(歳出に対する国防費率はロシアの二倍だったが、それでもこの程度)。対GDP費比に至っては、日本がロシアの1/8。勝負するにはデカ過ぎる相手だった。


 これだけ聞けば高橋是清とジェイコブ・シフの美談に聞こえるが、この後、延々と債務の支払いを続けることになった。実際、第一次世界大戦後まで返済は続いたほどだ。当てにしていたロシアからの戦時賠償は一切取れず、度重なる増税の不満もあって日比谷焼打事件などの大暴動(事実上の革命騒ぎ)と桂太郎内閣瓦解という事態を招く。ただし、ジェイコブ・シフはボロ儲けしたことだろう。


 こう考えると、戦争で利益を出すのは国家と軍産複合体ではなく、むしろ金融資本家・金融投資家なのではないか?

 少なくとも、彼等の役割をより重視すべきではなかろうか? 無論、鈴木商店のように「期を得た企業」やボーイングのような巨大軍需産業に成長した企業もある。

 だが、カネの流れを作り出せる金融関係、とりわけ銀行・保険業、債券・證券・国債・投資信託等を扱う各種金融投資家やヘッジファンド等の強さを無視するのは問題があると思われる。良し悪しはともかくとしても・・・。



 もう一つ金融業の強さの話しをする。平時においても同様だという話しだ。

 1980年代後半、アメリカと日本が世界の経済力一位、二位であった。当時の実質GDPはアメリカがおよそ900兆円(1991年)、日本がだいたい410兆円(同年)とされていて、差はおよそ2.2倍。だが2017年時では前者が1,700兆円、後者が530兆円となっており、その差は3.2倍に開いている。


 この分の成長力の差についてだが、日本がこの年以後ジリジリとバブル崩壊の悪影響から成長が鈍化したという事実の他に、米国で著しい金融資本の成長があったことが挙げられる。

 この間の成長の実に約30%が金融投資関係の成長益で、この成長が他産業の成長を牽引した。そして、1992年以後8年続いた民主党クリントン政権で複数回の「包括財政調整法」を始めとした金融関係の大胆な規制緩和が背景にあった。


 クリントンは民主党で、一般には増税と公共投資に分配した「大きな政府」派とされることが多い。

 しかし各種の金融インフラの整備、特にデリバティブのような金融商品の規制緩和・・・事実上の既成撤廃と、債券の株式化や投資・株の利益に対して非課税もしくは低減税率等、かなり抜本的な改善を行ったことによる投資環境の好転は大きい意味があった。

 勿論、これらは公共投資を呼び込むための金融改革であったということも言えるだろう。しかし、結果は功奏し連邦政府の財政赤字は1998年には解消、黒字は2001年まで続くことになった。財政健全化がなされたということだ。


 無論、政府純債務残高は2001年時で3.6兆ドル残っていたし、その後、終わりのない対テロ戦争へ突入したために2017年時には純債務は16兆ドルへと爆増した。悲惨なほどの上昇率だ。それでもアメリカは戦争がなければ急速な財政健全化が可能であることを示したし、その回復力の源泉には金融関係の力強さがあるということは言える。


 負の遺産もあった。たとえば2000年代初期のITバブル(ドットコム・バブル)やリーマンショックの遠因には、このアメリカの野方図な金融緩和政策があったのは事実だ。

 特にリーマンショック時、金融業の大規模な連鎖倒産危機が現実味を帯びていたが、この原因がCDS(クレジット・デフォルト・スワップ)だ。CDSは、『その場限りの掛け捨ての保険金』みたいなものだ。

 誰かがカネを貸してくれと言い出した時、「アンタは借金とかあって信用できん。なんでカネ貸してやるけど、万が一のときのために現ナマでアタマ金よこせ」みたいな感じだ。より正確には『万が一、第三者が貸し倒れ起こした時には、その債務回収を引き受けるから、そん時の何%か分の現金、保証金としていますぐよこせ』みたいなもので、通常、これは連鎖倒産を阻止するのにも使われる。


 無謀な貸出を抑制し、また担保に対する根抵当を設定するのに相当するからだ。つまり本来は連鎖倒産を予防するために引当金を十分に保有し、また上限も設定されていたはずだったのだが、アメリカでは2000年代初頭までにほぼ骨抜きにされてしまった。大規模な金融規制緩和だということのようだった。主にクリントン政権の時だ。


 持金ナシで連帯保証人になれるような仕組みに成り下がってしまったと思えば分りやすい。破綻した時のことなど頭にないというくらい劣化した「バカの仕組み」だ。

 そのためサブプライムローンのように、「カネのない人に最初は低利で、後に高利でカネを貸す。ばかした債務は商品化して市場に流す」みたいなリスクの大きい市場が形成され、結果、天文学的な負債を全世界にバラ撒いてしまった。

 現在でも数字は確定しておらず、1.5京円とさえ言われている。「けい」は、兆の一個上の単位だ。実感の持てる人類は、まずいない。

 またそれ以上に、リーマンショックの総損失額が確定していないこと自体が大問題で、定期的に市場つまり世界を不安に陥れている。戦後の日本政府の場合とは違い、債務の総額が明示されていないのだ。これで世界は安心だと言えるはずがない。


 それでも世界経済は回っている。この大破局を良くも悪くも乗り切った方法が強力な金融政策、主に金融緩和による信用創造とその後の各国の財政政策だった。カネの失敗をカネで取り返した、もしくは「先送りした」ということだろう。不完全だとしても、この回復力もまた金融市場の強さのおかげだ。


  ※     ※     ※


 カネの流れが尽きた時、国家は破滅する。よって金融の強さこそ、国家の強さの源泉だ。「ものづくりよりもカネづくり」ということの方が真実かもしれない。

 別の言い方をすれば「ものづくりの為の資金提供」をしてくれているということだ。これは産業革命のパートで説明した。


 この構造が地球文明を構築する真のカタチなのだ。究極、産業資本から金融資本へとシフトしていくのが現代国家のベクトルだ。金融は戦争の母であり、平和の使者でもある。国家活動の指標であり、通貨の価値と流動性の確保が国家経済のキーコンセプトの一つとなり続ける。


「誰が戦争で儲けたのか?」の答えには、確実に金融投資家が含まれる。金融業は国家にとって、また平和であろうが戦争時であろうが常に特別な存在であり続けるのだ・・・


 つまり、金融業は特別だということだった。

 1990年代の日本におけるバブル崩壊時、日本は非難轟々の中、公的資金の注入を行った。しかし、それは残念ながら正解だった。

 1945-50年代の、歴史上もっとも日本が苦しかったときも、そうした。残念ながら、それが正解だったからだ。

 日本の戦後の復興に、朝鮮戦争はほとんどなんの寄与もしなかった。ベトナム戦争もそうだ。金融資本の整理の効果が大きかった、ということだったのだ・・・




          【  この項目終了  】




【補記】

日露戦争の債務償還についてですが、本文では戦前には完済していると書いているのにワイが他のところでは1980年まで引っ張ったとあるのは矛盾してないか?…ですが、ワイの学生の時の資料では日露戦争の債務はWW2前に殆ど完済していたとあったのですが、唯一フランスが為替差損(=実質実効為替レートでの日仏の認識の相違)によりゴネまくって延々と引っ張り、他の債務に繰り込む形にして1980年まで伸びた…という記述がありました。そのため一応、1980年のフラン建て外債償還まで…としてあります。もっとも1985年だ…という話もあって「どれがホントかよく分からん」というのが本音です。

戦前の日本は結構外債を建てていて、日露戦争以外にも関東大震災復興債や地方債などがあり、これの償還も必要で、これらの償還に長い年月がかかったという事は本当です。でも1980年の仏建外債が日露戦争の外債というのはよく聞く話なんですが…。逆にいえば、外債はモメる元…と考えればよいのではないでしょうか?(少しテキトー

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