§3-2-4・戦争は全く関係ない(その3)〜アメリカの戦時中のダウ平均株価で考えてみる

 筆者は以前、第一次世界大戦は『日本が戦争でボロ儲けした最後の戦争』だと言った。

 実例として当時の帝国政府の歳入の数字を挙げた。大戦の間は毎年、税収入が4割づつ増加していった。有り得ない増加ぶりだ。


 しかし、それはある意味特殊要因のおかげでもあった。日本は戦禍に巻き込まれなかったし、先進産業国が軒並み戦争しまくったおかげで、あらゆる物資・資金不足が生じた。この需要を日本が埋められたためにボロ儲け出来たのだ。なるほど、時々こういうこともある。

 しかし、それでも国家が戦争によって利益を出せるというのは正しくない。第一次大戦の日本が例外的に幸運だったと考えるべきなのだ。


 第二次大戦後、戦争に負けた日本やドイツは全てを失った。同様に戦勝国であるイギリスも莫大な戦費によって巨万の富を失い、世界の支配権を米国に譲り渡した。おまけに富の源泉でもあったインド植民地を失い、海外の他の植民地経営からも手を引くしか無くなった。植民地の維持管理費の負担がもはや出来なくなったからだった。

 フランスも事実上の敗戦国であり、米国の支援無しでは立ち行かないほどの貧困に喘ぐことになった。他のヨーロッパも同様だ。


 ソビエトも莫大な損害を受け、さらに冷戦という第二の世界戦争に突入するハメになった。彼等は先に述べたとおり、コッソリと西側からの国際借款と外債によって辛うじて生き延びていたのであって、70年代のソ連を伝えるニュースでは、何もないスーパーに何時間も市民が忍耐強く並ぶという光景が日常のありふれた風景だった。スターリンたちのせいでミュール&メリリーズには戦車以外の何も無くなってしまったのだ。


 結果、1990年から10年以上をかけて、約1,000-兆円相当の外債を返済することになった。実際には利払い分なども含めて、この額よりも遥かに多かったことだろう。そんな彼等の場合は緊縮財政と石油・天然ガスなどの天然資源の輸出だった。これはこれで凄いと思う。それだけの資源がある超大国だったのは天運があったというしかない。また、ロシア人特有の忍耐強さ・我慢強さや、ソビエト時代の『日常品が何もない時代』と比較しても、「デフォルトしても、そんなに違いない」みたいな鈍感さがあったのかもしれない。特に『勇敢な鈍感さ』はロシア気質みたいなものだからだ。


 1980年代、筆者たちは子供心に世界全面核戦争の危機に怯えた。しかし、こうやってカネの流れを見てみれば核戦争など起こり得ないことは明らかだった。『カネ貸してくれるフレンドリーな西側ヤツをぶっ殺すのか?』という冷静な判断ができればソビエトに先制核攻撃などという選択肢は絶対に無い。そんなのやって勝ったとしても、自分の財布を焼き払うような愚行に過ぎないのだから・・・


 結果、ソビエト連邦は冷戦という戦争に敗けた。国家破産したからだ。左翼や阿呆な社会主義者・共産主義者たち知恵のない愚者たちの希望の赤い星であったハズのソビエトだったが、愉快でブザマなことに、資本主義の進化形とされた共産主義が、より原始的な資本主義者にアッサリ敗れて消えて無くなったのだ。享年、69歳。しかも数千兆円という莫大な借金までかかえて、だ・・・(^m^)

ハッピー(≧∀≦)♪


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 こう考えると、なるほど例外はアメリカなのかもしれない。戦争はゲームチェンジャーの様相を持つことがある。パラダイムシフトが起こることがあるのだ。第二次大戦はまさにそうで、世界の富の半分以上がアメリカ一国へと流れていった。

 ではアメリカは自国が豊かになるために第二次大戦をウラで画策していたのか?


 筆者は以前、『アメリカも戦費の負担割合はGDPに対してほぼ350%以上で、やはり大打撃に近い負担を強いられた。この数字は第一世界大戦で敗北したドイツ第二帝政と、ほぼ同じ惨状(ただし実際にはここにヴェルサイユ条約の賠償金が上乗せされる)だった』といった。そして第一次大戦後、ドイツは1兆倍のハイパーインフレを起こした。実はアメリカでさえ、この債務と戦争経済への過度の傾斜から戦後数年に渡って物価が4倍にもなっていたのだ。彼等の戦後ベビーブームの頃の話だ。


 しかし、これに関しては、別の話しをしようと思う。拙文第22話『何もない焼け野原の中に、人類史上最悪の国家債務だけが残った・・・』の中で、第二次大戦の間の日経平均株価の話しをした。なので同じことをアメリカでもやろうと思う。

 つまりアメリカの代表的な銘柄30を基準にしたダウ工業株平均株価の推移について検討してみる。米国が世界で唯一の戦勝国であり、その経済の代表的指標である株価から、何が読み取れるかを確認したいのだ。


  ※     ※     ※


 1929年10月の世界大恐慌時、株価はおよそ390ドルほどあった。これが半年後におよそ1/3ほど減少し、さらに3年後には1/3まで衰退した。この間に金融機関の倒産件数は一万件を超え、世界貿易取引量は60-70%減。米国GDPも半減した。失業率は公表値で25%とされているが、実際はもっと酷かった可能性が高い。この間の株価の下落率はおよそ▲80%近くに達するほどの、極端に異常な状態に陥った。ちなみに1973年次からのオイルショックでは▲40%、リーマンショック時では▲50%とされている。最安値は32年につけた42ドルとされている。


 現在では、このような急激な株価下落は、信用不安による市場の連鎖的な収縮と考えて、積極的な金融緩和で混乱した金融市場に金融拡大と安定をもたらす一方、政府は財政支出を含めた活性化を行うのが通例となっている。マネタリズム的な解釈をすれば、株価暴落によって信用収縮が起こったのではなく、真実は逆で「市場はこの危機を乗り越えるためにより多額の通貨を必要としていたのに、供給を怠った」…この金融引き締めの窒息効果による収入・物価・雇用の減退が主因であるとする「政策上のミスによって世界大恐慌が引き起こされた」的な立場を採る。ちなみに筆者もこの意見である。


 なので現在では、金融危機の時には国債を始めとした債券を使ったり、公開市場操作の買いオペ等を通じて通貨供給量の増加を行う。またもや債務の増大というリスクがあるものの、放置すればどうなるか? はよく判っているから「やむを得ない」と考えるようだ。


 1929年時は、よく判らなかったようである。当時のアメリカは21世紀程の強力な中央銀行と金融政策がなかった。また現在以上に自由放任主義が取られていた。つまり積極的な市場介入を行わなかったために金融市場において信用不安が長く続いてしまう結果に繋がった。当時は世界の経済の中心がアメリカに移っていたこともあり、この影響が全世界に波及したのだ。


 興味深いのはこの後のダウ株価の展開だ。1930年台前半は下落と長期低迷、その後ニューディール政策を始めとした、アメリカではおそらく史上初の積極的な公共投資が行われた。市場における債務の整理の進捗もあったようで、30年代中頃には持続的な経済成長を取り戻した。1937年には一時、185ドル近辺まで値を戻したようだ。それでも半値以下ではあるし、長くも続かなかった。公共投資による効果が一巡したことと、米国地方・連邦債務の増加、そして欧州における国際情勢の悪化があったからだ。事実、40年までは二度と回復することもなく100-125ドルあたりを行ったり来たりしていた。


 40年代は、第二次大戦の影響があった。真珠湾攻撃の後、本格的な戦時体制への移管期まで株価の下落もあった。おそらく経済が混乱したからだろう。欧州への輸出入はドイツの潜水艦隊によるシーレーン破壊戦の影響もあったろう。


 前章で述べたとおり、米国経済はそれでも堅調で対欧州貿易では黒字を出していた(ただし連邦支出は赤字)。これは現在の日本に似てなくもない。国内経済が均衡を保っていたとしても、黒字分がプラス。よって米国債は低迷していても安全なはずだったが、そのプラス分が消失したからだ。ヨーロッパではフランス降伏(この時、またもや100ドルラインまで急降下する。ここは欧州戦局の影響と考えられる)、また太平洋では日本との戦争も起こった。

 この環境下では、多くの資源が国内でまかなえ、国内市場も大きいアメリカでさえ対外貿易の悪影響が出た。

 その後、連邦政府手動による米国の戦時体制への移行により物価は統制され、株価も比較的安定して推移した。つまり横ばいのままだ。では見てみる。


 1941年の12月はおよそ110ドル。その後、アメリカが対日戦および欧州でのドイツ軍への目立った戦果のない1942年の4月頃に戦時中の最安値99ドルまで落ちた。100ドル割れたのだ。その後はジリジリと値を上げ、終戦時には165ドルまで戻した。


 戦後の40年代中期以降は、大戦終了にともなうインフレが起こった。戦時体制から再び民間主導の市場経済に移ったことや、世界中の富の50-70%がアメリカ一国に集中したことによるインフレで、戦後数年で一時、物価が四倍になるほどだった。無論、物品の供給が市場に行き届くにつれインフレは急速に終熄する。つまりこの時期もまた、一時期株価は上昇したものの、また横ばいのまま停滞したのだ。パッと見、1946-47年時に一時期、200ドルを超えるがその後、急落。170-200ドル未満の間を数年間、ウロウロする。自立反転を見せるのは49年の後半以降で、50年になってようやく200ドル超えの上昇。その後は一本調子で上昇するようになっていく…


 ここに朝鮮戦争が起こる。日本にとっては契機と言われるが(実はそれもアヤシイのだが・・・)、この時から徐々に株価も右肩上がりを始める。しかし朝鮮戦争は「忘れられた戦争」と言われ、米国経済に直接の影響を与えなかったものと思われる。チャートを見てみると、1954年までは一時期300ドルのラインを伺うほどに上昇。しかし同年に一度、大きく下落し250ドル近辺まで下げ、そこから再び急反騰し、その後は一挙に上げ一本となる。


 この動きは、戦時に集まった富の多くが米国内市場に流れ始めたことによる、国内の自律的な経済成長が主な理由で朝鮮戦争自体は殆ど影響を与えなかったと考えられる。実際、朝鮮戦争による戦時統制が行われたという話しは聞かない。あくまでも“世界の田舎の地域紛争”に過ぎなかったのだ。1950-54年までは200ドルから300ドル近辺までの上り調子であり、その後の40ドル以上の下落も『調整』と見るほうが良さそうだ。実際、その後は上り調子で1951年には一気に500ドルまで上昇する。ここだけは多分、朝鮮戦争の終わり…という安堵感みたいな効果があったかもしれない(申し訳ない。未確認)。


 こんな感じだ。そして1929年から朝鮮戦争間の株価の推移を、もう一度勘案してみる。

 統計の見方にもよるのだが、一般的に言われてる事はいままで述べたように「世界大恐慌時の株価を回復したのは1954年の年末頃」ということだった。平均株価400ドルに達したのは世界大恐慌から四半世紀もたった25年後くらいからで、これ以後、ようやく持続的な右肩上がりを続けるのだ。



・戦間期

  →390ドル(1929年)→42ドル(1932年)→187ドル(1937年)  

・WW2

  →110ドル(1941年)→99ドル(1942年)→165ドル(1945年)

・大戦後のベビーブーム期   

  →210〜170ドル前後(1946-50年)

・朝鮮戦争期

  →200ドル(1950年)→399ドル(1954年)→500ドル超(1955年)


 これは別の見方をすると、30年代のニューディール政策のような大規模公共投資も、第二次世界大戦とその結果による富の集積も、戦後のインフレも何もかもが「全く関係ない」ということだった。いや、この言い方は適切ではない。ある国家において右肩上がりの持続的な成長には、何か他の原動力がありそうだ、という言えそうなのではないか?




          【  この項目続く  】

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