§3-2-2・戦争は全く関係ない(その1)〜朝鮮戦争は日本の復興に何の役にも立っていなかったという真実

 筆者は、前回、金融業の大切さについて論じた。

 戦後日本において、祖国復興の要諦ようていは、なりふり構わぬ金融業の救済だと述べた。GHQによる横槍で『戦時補償特別措置法』なる悪法が出来てしまったが、本来は負債を背負った戦時協力企業・銀行を真っ先に救済すべきだった。


 特にこの場合の企業救済とは、戦争遂行に当たって犠牲を強いられた民間企業ではあるが、同時にそういった企業に資本投下をしていた銀行そのものを救済することを意味していた。銀行が『貸し倒れ』しないようにするために、民間企業であっても救済するしかなかったということだ。今回は、日産の事例とは全く意味が違うのだ。

 なので日本は、こっそりとそうしたのだ。当時、飢えかけて死にかけていた国民から無慈悲に吸い上げた税金を公的資金として、銀行や企業に投入したのだ。特に金融業は特別で、たとえ国民を犠牲にしてでも救済しなくてはならなかった。

 これが、新生日本の復活のカギだった。銀行を助け、負債を整理し、資本力を強化して新規産業に投資する余力を作り出す。これが上手くいったので、日本は戦後復興の橋頭堡を築くことが出来た。


 しかし、異論も出てきそうである。典型的なのは『朝鮮戦争の特需のおかげ』である。降って湧いたような戦争のおかげでボロ儲けしたから日本は復活できたのだ、と・・・


 しかし、世間一般に流布している「朝鮮戦争の特需があったので日本は復興できた」もまた『間違い』なのだということに、すぐに気づく。事実は違う。そんなの無くても日本は自律的に復興できた。日本独力で十分可能だった。

 前述のように、銀行が血税を注入されて生き返り、技術をもつ企業が救われて国家経済を前進させる原動力となったからだ。いま述べた一連のプロセスのことだ。

 しかもドッジ・ラインと呼ばれる一連のインフレ抑制策の所為で、本来ならばより速やかにインフレが終熄できたはずだった事とか、前述のような戦時補償特別措置法により却って精算事業が邪魔されてしまった事など、むしろ迷惑で遠回りしてしまったくらいだ。


 銀行や企業が戦時中に被った莫大な損害は、債務引き抜きと業態整理、そして公的資金の注入で資産整理された。その結果、銀行を中心に健全化が図れた。企業に関しても国家経済の牽引役となることが出来る(場合も)あった。旧財閥系の重工業部門は、GHQの規制緩和もあって息を吹き返したが、その前に金融注入があったから規制緩和まで生き延びることが出来、健全化した金融部門からの投資によって成長した。なので戦争とは無関係〜いや、『あまり関係ない』程度の関連性だ。


 朝鮮人の内戦によって利益は得ていない。当時の国家歳入を見れば事実が見えてくる。

 当時の日本の国家歳入、つまり租税収入は1950年から55年まで、ほぼ1.1-1.2兆円と横ばいなのだ。税収入は増えてない。つまり、『企業は儲けてない』のだ。税収入がそれを物語る。


 俗世で言われているように、もし日本が朝鮮戦争でボロ儲けしていたら、国家歳入は爆増しておかしくない。そもそも無いところから搾り取るような日本政府だ。まだインフレもマトモに終熄していない時に、ナゼ税収入が上がらないのか? インフレは経済を成長される原動力にも成り得ると何度も述べてきた。この後に続く日本の高度経済成長の時代、物価インフレ率は10%を続けていた。この時には税収入は伸びていた。1955年から1965年までの間、日本の税収入は1.1兆→3.8兆に三倍に増えているというにも関らず、だ。

 朝鮮戦争に特需があったことは事実のようだが、その割には儲けは殆ど出てない。企業に利益があったなら、即税金として没収されたことだろうからだ。

 なら、答えは簡単だ。つまり『朝鮮戦争では儲けてない』のだ。


 逆の事例を挙げて比較する。戦争で儲かった・・・という事例だ。

 成金続出の第一次世界大戦がソレで、この時の帝国政府の歳入を見てみる。第一次世界大戦は『普仏戦争のときのようにすく終わる』と考えられていた。泥沼になったのは1916年以降だ。そこで1914-1918年まで続いた大戦と、税収入のタイムラグを考えた16-19年までの帝国政府の歳入について考えてみる。


 開戦後の1916年、帝国歳入はおよそ8億円だった。翌17年、いきなり10億円に増える。1918年は15億円。19年は18億と毎年ほぼ4億円づつ増えている。この時期、国家の歳入が四割づつ増えていったのだ。これは言うまでもなく第一次世界大戦がもたらした好景気だ。

 総合商社の鈴木商店の話は特に有名で、大戦間の売上は16億円と言われれた。1918年時の帝国の国家予算を上回る。スエズ運河の船舶の1/10は鈴木絡みだったとされるほどだ。このような事例が続発したほど異常な好景気のために、国家歳入が爆増したのだ。

 現代で例えるなら、今年の租税収入が約70兆円。来年は約90兆円。翌年は130兆円。最後の歳は約160兆円。ビッグサプライズだ。この文章の本質である『GDPの2倍の債務をどうするか?』などというケチくさい論など、始めから書く必要がなくなるほどだ。


 その後、1920年代は大体、20億円の歳入で横ばいだったことを考えると、『実際に戦争で儲ける』とはどういうことかというのが、恐ろしいほど判る数字だ。ということは、朝鮮戦争は『我らには無関係の戦争』と考えるべきだ。逆に言えば、第一次世界大戦は『戦争で儲かった』最後の事例だ。


 確かに朝鮮戦争に関しては、日本にとって幸運だったこともある。それは財閥解体が中途半端な形で終わり、また重工業などの各種産業に掛けられていた規制が緩和したことだった。アメリカの敵がソビエトとなり、日本の占領に関してはアメリカ主導で行えるようになったこと、そして日本を共産主義の防波堤として復活させるために重工業分野の保護・育成を許諾したことは大きかった。


 実際、朝鮮戦争は日本を守る戦争だったとされている。中華民国に続いて大日本帝国が赤色化することは欧米では、かなり現実味を帯びて考えられていた。ユーラシア大陸が『真っ赤に染まる』のを阻止するための介入戦争、それが朝鮮戦争だった。朝鮮人にとっては気の毒な戦争だった。逆にアメリカが日本に資本主義化へのステップバックを図ったのは当然の流れと言えた。


 つまり朝鮮戦争の意義は経済ではなく、極めて政治的なものだ。アメリカが日本を資本主義国の強力な同盟国に引き入れるという決意を固めさせ、そのために国防や政治協力を含めた広範な規制緩和と、日本を復興させ、強力な資本主義国家の一翼を担わせるという政治決断だけが重要だったと考えるべきだ。朝鮮人はただの捨て駒だ。価値の無い集団と見做みなされたので、見捨てられただけだ。日本やドイツのように『なんとしても仲間に組み込む』という『敵に回すと厄介な強い敗者』に対する態度ではなかっただけのことだ。ただそれでもアメリカ人は善人で、ある程度の自腹を切ってでも韓国に駐留軍を置いている。本来ならば全く必要のない遠征軍だ。トランプ大統領が禁みじくも言っていたように「カネのムダ」そのものだ。在韓米軍は撤収すべきという意見を合衆国が持つのは当然のことだ。費用負担は全額韓国がすべきだ。


  ※     ※     ※


 このように戦争は国家の富に大きく貢献することはない。特に近代国家においてはそうだ。むしろ平時の方が国富は増大する。

 理由は簡単で『金融業が成熟している』からだ。金融が国家を引っ張っている。昔のように、戦争の主目的が略奪だった時には戦争は富の増大に意味があった。しかし現代は違う。通貨が通貨を生み、市場を作るのだ。大切なのは『通貨を生み出す国家への信頼』だ。国家の信頼が失くなれば通貨は紙切れになる。ならば、戦争とは『負ければ、その国の信頼が失われる』・・・その意味しか無いのだ。


 ここからは、そういう話しを少ししようと思う。日本復活とは少しズレるかもしれない。しかし憲法9条のある平和国家・日本が、戦争だらけの帝国の頃よりも国富が増大しているのはナゼか? の理由にはなるだろう。それは過去70年の我々の道程が、そんなに間違ったものではないということを意味してもいる。


 戦争は国富の増大にはもはや寄与しない。関係ないのだ。このときもそうだ。日本の復活に朝鮮戦争は、僅かな『特需』以上の貢献などないし、その特需も『全く大したこと無い』のだ。

 そうではない。日本人が血を吐く思いで血税から金融と産業基盤の債務を整理し、これをベースとして安定した平和が長く続き、その間に時間をかけての、着実な金融業の強化と国内市場の成長があったからこその繁栄だったのだ。国富は平和の配当なのだ。


 では逆に『戦争』で、実際に利益をあげるのは誰だろうか?

 次回はその話しをしようと思う。




       【  この項目、あと三回続きます  】

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