§3-1-2・何もない焼け野原に、史上最悪の国家債務だけが残った・・・

 まず1945年の大日本帝国敗戦時までの、だいたいの流れを整理してみる。


  ※     ※     ※


 1941年前から日本は対中戦争を展開していたが、この方面の終戦の可能性が絶望的に見えなくなっていた。つまり莫大な戦費を費やし国庫に打撃を与えていたのみならず、その後に起こるであろう、これまた莫大な中国経営に必要な植民地投入分の資本力を減衰させていた。その後、対米戦争に突入し、ますます多額の戦費を必要としてしまう。特に1942年からは戦費調達に外債を期待することもできなくなっていた(戦争相手になったため)。


 大日本帝国は、タダでさえ脆弱な帝国だった。1930年代以後、世界的に進んだ経済圏自国中心主義(ブロック経済)化によって、『本国+植民地』という経済圏の確立で自国の経済力の強化を図るしかない状況になっていた。これは世界的な傾向だった。

 つまり、現在のアメリカのように『米国の貿易赤字&財政赤字の損失分を、米国債の外国購入分によって賄う』というような方法が取りにくくなったということだった(ちなみに2017年現在、およそ30-33%の米国債が日本・中国を始めとした各国政府系金融機関+中東や中国などの各民間市中銀行・投資系金融機関が保有している)。多国籍貿易の恩恵を受けることが出来にくい時代だった。


 現代は、逆にいえば「誰かの債務を誰かが肩代わりする。しかも『カネになる』方法を使ってバケさせる」という、かなりトリッキーな時代ともいえよう。リーマン・ショック後の人類の動きを見れば、それは顕著だ。仮に当時が現在のように、先進的帝国主義的国家群が手を組んでいたのなら、いまでも我らは大日本帝国の臣民だったろう。それで幸せかどうかはともかくとして・・・。


 さて、この孤立主義・ブロック化の結果として、大日本帝国は未成熟なブロック経済の中に『押し込められる』形になってしまった。帝国本国の未熟な資本主義体制・特に民間市場規模が小さい(貧乏人が多いということ)ことからくる国内総生産力の相対的な低さに加え、一向に発展しない朝鮮・台湾植民地経営への投資。そして大陸と海洋との二正面作戦を強いられてしまうことによる負担増だ。しかも、対米戦争は通商破壊作戦の様相を呈しており、帝国経済の屋台骨を砕いた。


 この厳しい状態の時に、さらに莫大な戦費が必要となったのだが、それはこの劣弱な帝国内金融市場もしくは帝国臣民にまかなってもらうしか方法も無かった。戦時国債などの各種『愛国国債』の発行という手段だった。そして、1944年次において対GDP費200%の債務残高を抱えてしまった。これは2017年次の債務残高236%にほぼ匹敵する。現在は1944年と同じということだ。


 では、実際にだいたいいくらのカネが掛かったのか?だが、一般には1900億円(当時)程度とされている。これを他の戦争を比較してみると、


・日清戦争のGDPが開戦時約13.5億円の時に、戦費は2.3億円。対GDP比の戦費はせいぜい20%

・日露戦争のGDPが開戦時約30億円足らずの時に、戦費は18-19億円。対GDP比は60%。

・日中戦争〜太平洋戦争の場合、1937年次のGDPが約230億円の時に、最終的な戦費が約1,900-2,000億円。大体、800-850%。


・・・最後の一つだけが桁外れ過ぎることに気づく。


 ちなみに当時の敵国・アメリカはどうだったかというと、会戦劈頭かいせんへきとう時の1939年のGDPが約900億ドルで、戦費総額が大体3,000-億ドルと言われている。戦費の負担割合はGDPに対してほぼ350%で、やはり大打撃に近い負担であった。彼等にとっても決してラクな戦いではなかったし、世間一般に流布しているような「ボロ儲けの戦争」とは程遠い。

 

 さらに言う。このアメリカの350%の戦費負担は、実は第一世界大戦で敗北したドイツ第二帝政と、実はほぼ同じ比率なのだ。第一次大戦後のドイツはこの後、ヴェルサイユ条約で賠償金を課せられたこともあって、実に物価が1兆倍にも及ぶハイパーインフレを起こしたことはよく知られている(←なお、この件に関しては次回でも述べる)。アメリカとて、ある意味、破滅ギリギリだったと言えなくもないのだ。


 では太平洋戦争中の期間、日本国の経済状態はどうだったか?

 当時の日経平均株価を見てみると、戦争中のほとんどの期間、意外にも『横ばい』だった。特に『暴落』ということが無かったのだ。

 大体35円から45円の間を推移していて、それ以前の状態とほとんど変わらない。驚くべきことに『株価の推移だけ見たら、戦時も平時も違いは判らない』だと思ってもらえればよい。


 これをどう解釈するか?だが、筆者が思うに『戦時統制がある程度効いていた』と『軍需関係を中心とした公共投資効果がある程度出ていた』ので、経済的には『なんとか運営できていた』だと考えている。

 国家が戦争するにおいては生産力の増強が必要で、このための資金需要は先程の『愛国的戦時公債』によって賄われ、また国家の非常事態ということで途方もない財政出動も行われた。この資本注入により、産業はそれなりに運営されていたということだった。


 また、拙分「第9話・ガミラス人の優しさ 〜通商破壊作戦の重要性」でも述べたように、海洋国家日本の通商破壊作戦の打撃が出るのに数年かかった(それまで資源などの備蓄がある程度進んでいたため)。これに重なるように、本土空襲による産業システムへの打撃が顕著になりだしたのが昭和19年度以降ということなのだろう。


 実際、悪影響が出始めたのではないか?と思わせるのが、日経平均株価の1944-45年度の動きだ。この時、株価は44円から38円へと急降下している。この下落〜つまり経済力の低下が、米国による通商破壊作戦と空襲による産業・市民生活への直撃弾となったということである。

 これ程の下落は1940年から41年度の45円から35円程度までの急降下を除けば、戦時中には他に存在しない。


 ちなみに、1940年の場合の下落の理由を考えてみる。

 当時は、ちょうど世界が劇的に動いた時期で、欧州の超大国フランスの敗北と英国の対ドイツ戦における苦戦がまずは挙げられる。当時は英国がナチスに敗北してもおかしくないとさえ見られていたし、少なくとも講和するのではないかという機運があった。

 それは無敵大英帝国の事実上の終焉で、世界中がポンド市場で資金調達をしていたことを考えると、この不安感が日本にも打撃として現れていたと考えるべきだ。実際、日本は日本国債(外債)を、この頃まだロンドンで調達していたし(実際、日本が外債調達を辞めるのも前述のように1942年から)、ポンドはまだなお世界の基軸通貨だった。米ドルがどれほど強くても、米ドルにだけ頼るということはなかった。英国は痩せても枯れても世界帝国だったのだ。


 つまりナチスのしていたことは「みんなの大切な金融市場おさいふを焼き払う」という愚策であり、当時、我々が生きていたとしたら「もういいから英国とナチスは仲良くしてくれ」と嘆いていたかもしれない。アングロサクソンのサクソンとはセックスのことで、セックスとはザクセンの事だということをよく知っている。兄弟がケンカする理由はない、と思うのは自然だ。何しろ当時の英国王室も、元はドイツ系なのだし・・・。


 また1940年は、日本に対する米国の経済封鎖政策の影響というのもあったかもしれない。ABCD包囲網なる対日経済圧力があったされ、実際にくず鉄の対米輸出禁止などの一連の懲罰制裁も行われた。ただしABCD包囲網などというものは無かったという人もかなりいるのも事実ではあるが・・・。

 これらの影響を受けた結果、戦前に激しく株価が落ち込んだのではないかと想起される。しかしこれ以外では、思いの外、帝国経済は頑張っていたのだ。

 この『ゴルディロックス状態』が破滅するのは1945年8月15日以後のことだ。


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 1944-45年度の日経平均株価の10円近くの下落は、資源不足に加え、本土空襲による工場・住宅地の焼失という産業資本そのものの消滅の影響だ。と同時に、深刻な資金不足に陥っていたはずだ。戦時国債の爆発的な増大と、産業・住宅などの個人資産の消滅、そして税収入の激減に見舞われていただろう。特に戦時国債は利払を伴う。

 この時の日本の国債は各種国債が発行されていたため一律ではないが、日本国債に関して言えば30%の利払が謳われていた。つまり、「30%もの利払を約束しなければ、誰も買わない」ほど酷い債券であったということだ。ちなみに20%を超えればジャンクボンド扱いになるとされている。当時の水準からいっても30%の利払いはジャンクの水準だろう。


 これは『経済力がほぼゼロになるほどズタズタにされた挙げ句、返済するのが無理なほどの莫大な債務を抱え込んだ』という、まさに絶望的な状況を意味していた。この状態で、帝国は消滅した・・・


 日本政府の負債は1941年次は300億円だったが、1946年次(つまり45年度分)には1,900-2,000億円にも膨れ上がっていたというのは、前にも述べた。これは国家予算に対して70倍にも及ぶ天文学的な数字だ。

 しかも戦時の各種国債の債務の返済もしないといけないという状況も存在していた。元がないのに支払いはしなくてはならないのだ。それも異常な高金利負担で、だった・・・。

 また国債に関して言えば、前述のように1942年度以降は外国からの調達ができなくなった。と同時に利払も辞めていた。これは現在風にいえば対外デフォルトだ。これは1952年度まで続いた。


 そのため、戦時国債のほぼ全ては国内で消費されたが、これは殆どを日銀と帝国政府が引き受けていた。これが大変良くない。拙文「第11話・通貨と国債の関係について 〜シニョリッジの正しい解釈」の中で『悪性のインフレを招く』悪手だと述べた『引き受け』だ。これら全ては結局の所、国民に直接覆いかぶさる『負債』なのだ。泣くのは庶民と企業だ。


 他方、税収入の根源たる産業基盤は完全に失われた。また個人の富もかなりの部分が焼失していた。税収入の見込がほぼ立たないという状況だった。何もなかったのだ。


 絶望というには、あまりにも希望がない状態であった。

 しかし日本はここから世界史上、類例を見ない圧倒的な奇跡を起こす。日本人の凄まじい苦痛であがなった、血の結晶ともいえる繁栄への道標だ。

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