§2-3・日本が国債を発行し続ける理由〜国債は「ただの債務」ではないから m(_ _)m

○買いオペ・売りオペと国債増額の理由


 たとえば深刻なデフレーションが起こっている場合、梃入れ策の一環として市場にお金をばらまきたいとする。

 その時には市中の銀行や機関投資家などが持っている国債や手形などを購入する。なので民間銀行や機関投資家などが、あらかじめ国債を購入している事が必要となる。順番から行くと、


 国が国債発行→【売却】→ 民間銀行や機関投資家などの市場へ(国は予算Get。市場は国債の利払分Get)

 市場の国債 →【購入】→ 中央銀行へ(市場は現ナマGet。中央銀行は国債の利払分Get)


 このため、まず国債を市場で買ってもらうことになる。


 ただし民間銀行や機関投資家は、別に購入義務はない。自分たちの都合によって買ったり買わなかったりを自由に決める。なので「引き受け」という義務ではなく、「買い取り」になる。これだと市場原理も働くし、市場が納得して国債を購入する。


 たとえば、その国があまりに債務が大きすぎたり、経済活動に希望が持てなかったり、他の国の金利が上昇してそちらに投資したい時には、国債を買わない(or売る)ことになる。逆に利払いに魅力があったり、利払額が少なくても「さしあたり安定資産なので」購入したりする。


 そして中央銀行が梃入れとしてお金をばらまきたい時、中央銀行が「このくらいの量を、このくらいの金額で買いたい」と告知する。それを見て「現金が欲しい」と思ったら、手持ちの国債を売り払い通貨を入手する。

 例えば、日本国債を売り飛ばし、手に入れた現金をドルなどに交換し、より金利の高い国の企業や公共財に投資して、より大きな儲けを狙ってみる・・・とかだ。無論、「現金が欲しくない」と思ったら売らなくてもよい。全てが自由意思に基づく。


 このような市中から中央銀行が国債などを購入し、結果、通貨を市場に流す施策を「買いオペ」という。

 これなら市場は国債購入時には利払いを期待して、また売却時には現金が手に入ることを期待出来る。

 中央銀行は市場の様子を伺いながら、必要とされる金融緩和の質と量を考えねばならない。つまり市場の信託を受けているということで、開かれた市場というイメージが国家の信頼につながり、それは通貨(と国債)の安定にもつながる。

 本来は市場の資金不足を補填するのに使われたが、現在ではデフレ脱却を目的とした政策的手段の一つとして使われることが多い。


 そしてより重要な事が、あともう一つ。この形態であれば「国債の発行量の増加があっても、通貨供給量が無責任に増えたわけではない」ということだ。


 国が国債を発行する。それをまず市場でさばく。捌いた分のカネは国庫に入り、これは政策を通じて国民に再び還元される。市場に戻るということだ。


 なるほど、国家(=政府)は国債という形で負債を増やした。がしかし、代わりに市場から国債売却分のカネを回収したに過ぎないとも言える。そして民間には「国債」という名の「資産」が増えた。その増加分は国家の負債分と等価だ。そして民間保有の一時的に減った通貨量は、政府支出の形で再び民間の市場へと還流される・・・ということになる。

 これが「買い取り」の本質的な意味だ。


 国債をいきなり中央銀行が直接「引き受ける」だと、そのまま通貨が増えてしまう。無秩序な通貨供給量の増大とそれに続く悪性のインフレの危険性を孕む。

 しかし「買い取り」であれば通貨供給量の増加分は、いずれ市場に還流される。バランスシート上の収支が一致する・・・つまり「増えていない」のだ。


 ここに中央銀行が「買いオペ」で市場の国債を購入すると、市場には売り払った分の「国債」と同じ額面の「通貨」が流通する。

 このため市場では資金の一時的な増加が起こり、これがインフレを招き、経済成長を促す。つまり国力・国富の増大が起こせるのだ。しかも自国通貨が大量に市場に出回ることで為替でも自国通貨が下落するし、金利も下がる。それは貿易輸出時にメリットにもなる。これは魔法だ。「国債を上手に使えば、国家債務は増えずに国力の増大が図れる」もしくは「国家債務の増大分が国力増進分である」ということだ。


 国債の引き受けは無秩序な通貨供給量の増加、つまり悪性のインフレの危険性を孕むが、国債の買い取りは通貨供給量の増大→市場規模の増大という「還流」なので、カネの量が増えたのではなく経済成長による国富が増えたと考える。またインフレをコントロールする技術としても使える、ということだ。


 あともう一つ。国債はいつでも自由に売買できる流動性の高い債務(ということは保有者にとっては「資産」でもある)なだけでなく、償還日がある債務だということだ。つまりある一定期間の後、国が買い戻さねばならないのだ。

 そう考えると国債が約900兆円もあるということは、結局は900兆円、国の税金を使って支払わねばならない・・・と考えがちだ。


 しかし、国債は「資産」でもあるのだ。同じ額面の「円」と同価値であるだけでなく利子ももらえる。なので償還日までに、もしくは償還日の後でまた国債を「もう一度購入する」ということも十分あり得る。その国の成長性や信頼性があれば、また国債を購入するということだ。これは買いましではなく、「買い直し」にあたる。

 いままで10年債を持っていたが、償還日が来たので、いま持ってる10年債を償還してもらって、すぐまた新規に10年債を購入する・・・ということだ。


 このように、期限切れの国債をまた新しく付け替える形で買い直す・・・を繰り返せば、それはもはや永久債に近くなる。つまり利子目当て、もしくは信頼できる換金性のある安心資産ということで半永久的にズーッと国債を持ち続けているのと同じだ。

 こうなれば、国は利子を支払い続けるだけで「償還の支払いをしなくても済む」と考えることが出来るのだ。事実上、誰も手放さなくなれば償還の必要もなくなるからだ。

 これはむしろ、日本という企業の株式を保有しているのとほぼ同じだ。利払いという株式の配当がもらえると思えば良い。


 永久債だと、むしろ買うのが怖くなる。将来、何が起こるかわからないからだ。勝手に国家滅亡されても困る。こっちのカネがパーになるからだ。しかもこの債務の購入者はみな「そういうものだ」と判っているから、似たような状況になったときに市場で動かしにくいというのも難点になる。

 逆に、好きな時に自由に売買出来、しかもある一定期間の後で返金してもらえるという資産なら、その都度適切にチェックできるからこそ、より信頼度が増すというものだ。

 そして償還期日が来たら、次々と乗り換えていって貰えれば、国としてはその債務は「返済しなくていい」ことになる。払うのは利子分だけだ。



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 なので、日本という企業には「成長戦略」が必要となる。つまり国家の信頼が必要なのだ。成長しつづけている企業の株は長期に持ち続ける価値のある資産だ。成長できる国家であり続ければ、国債はいくら刷りまくっても「債務にならない」と考えることが出来るのだ。株式と同じで。

 そして成長戦略期はインフレ政策だった。適切なタイミングで適切なタームと量の金融緩和が必要なのだ。

 唯一本当の心配事は、膨れ上がる利払いを絶対に不渡りにしないこと、たったそれだけだ。



 これが日本が対GDP比200%の各種債券を発行しつつも、なおも発行し続ける理由だ。


 また国債増額は借金の増加を意味するものの、国家債務の増大にはならない、という見解の源泉でもある。


 同時に「バンバンお金を刷ればいい」が間違えている理由ともなる。正しくは「市場が買い取る余力のある間はバンバン国債を刷ればいい」だ。出来なくなれば国家破産デフォルトだ。そしてデフォルトを避けるためには経済成長を続けるしかない。


 適度なインフレの持続的継続状態が必要で、経済成長が続いて民間が潤い、市場が国債を買い続ける余力を常に生み出し続けるしかないのだ。そのためには国債を発行しインフレ政策を取るしか無い・・・という循環が、21世紀の資本主義国家の厄介な国家運営の一方法論となる。


 で、この逆の操作も当然、ある。 

 市場が加熱し過ぎて景気は良いけどインフレになったので、少し冷却させたいという場合は「売りオペ」という、この逆の操作を行う。中央銀行が保有している有価証券や手形などを「売る」ことで、その対価相当の現金を市場から回収できる。

 無論、この売りオペ時に市場参加者が「中央銀行が売りに出した国債を買わない」とか「金利が少し高めになってるので買う」などと、自由に判断出来る。


 この「買いオペ」「売りオペ」を基本とする金融政策を公開市場操作という。日本でやっている金融政策だ。

 次ページで、この例を100人の村で例えてみることにする。

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