§2-2・通貨と国債の関係について 〜シニョリッジの正しい解釈と100億円札がない理由

 ある国の経済成長を促すために、インフレを積極的に利用しようというやり方がある。この手法を用いる場合、「市中に通貨を供給してやる」必要がある。


 ではどうやって通貨の供給量を増やすか?


 中央銀行が紙幣を作って、勝手に空からバラ撒いてもお金は増える。これで確実にインフレにはなる。

 しかしインフレが行き過ぎて、逆にお金を回収する必要に迫られた場合、はたして市民が空から降ってきた紙幣をシュレッダーにかけてくれるかは甚だ微妙だ。

 必要以上の圧倒的な量のお金が市中に流通したままでは、コントロールできない悪性のインフレのタネとなる。



 また外国人がそういう国と商取引をする場合、当該国の紙幣に価値を見出すことも出来ない。

 ヘリでカネをばらまく国の通貨を後生大事に保有していても、ある時突然カネが増えていて、結果、通貨の価値が下落していた・・・では、所有する気にはならない。

 しかもこれは外国人も自国民も同じ。なのでその国は誰からも信頼もされないだろう。

 無責任なお金ということでは、お菓子のおまけについてくる「こども銀行券」と同じだし、利子もお菓子もついてない。



 このやり方では、その国の通貨は誰も信用しないだろうし、使わないだろう。持ってるだけで勝手に目減りするでは、馬鹿らしくてタンス預金さえする気にならない。では、どうやって信用を作るか?


 要は「ソレ(紙幣であれなんであれ)を通貨として、国が保証する」のであれば良いはずだ。

 一万円札なら日本国が「その紙切れを一万円として保証する。国家として永久に責任を持つ」と言い切れれば良い。この行為で信認して貰えればOKのはずだ。


 例えば昔は兌換銀行券だかんぎんこうけんというのがあった。

 そのお札で、金額相当の金などの地金じがねと交換できた。なので、国家に何かがあっても安心で、結果、通貨に信頼が出来た。

 しかしこれだと基本的には、金などの地金の保有分しか経済活動が行えないという制約を受けてしまう。


 そこで紙幣の価値の裏付けを地金ではなく「ある国の信用を価値基準として」お金を作るようになったのが不換紙幣で、大抵の国ではこの方式を採る。

 というのも、地金の保有量に無関係に任意で通貨を作ることが可能で、これで経済成長の進展にあわせて通貨を適切に供給することが出来るようになるし、また通貨量をコントロールしてリフレーションなどの通貨政策を、より自由に採用できるようになるからだ。これなら経済規模の拡大を支えることも出来る。

 


  ※     ※     ※



 ではどうやって「紙切れ」をお金に、つまり紙幣として世界中の人に信用させるべきか?

 ここで国債を使うのだ。


 国債は、ある国家が元本・利払いを保証し、自由に売買でき、しかも必ず返金することを確約した国の債券だ。買ってもらうために利子も付ける。


 これは、ある国が「我が国の未来を信じて、借金引き受けてくれ!」とお願いしているようなものであり、強国や大国なら「まあ、そうそう簡単に消えてなくなることもないだろう」という信頼から、「持ってるだけで利子付くし、売買も出来る」なら買っとこ・・・という気持ちになってくれるのを期待している。


 タンスの中に現金入れておくくらいなら、国債買った方が利子が付くだけ儲けもの、と思って貰えれば幸いなのだ(無論、個人国債はいろいろと特殊な制約があるので、このような気楽はないかもしれない。特に日本は)。

 信頼している国だから、資産として投資してもいい、ということだ。最悪、ヤバくなったら売り逃げも出来る。損切りは覚悟せねばならないかもしれないが・・・。



 ところで日本の場合、一万円札を一枚作るのに20-25円程度かかる。

 紙やインクの原材料や機械などの製造コストがそのくらいかかるのだ。ということは一万円一枚作ると「▲¥25-」と、発行体(たとえば発券中央銀行)が赤字になる。


 勘違いしやすいが、「一枚25円の一万円札を印刷したら、残りの¥9.975-が儲けに」・・・は、ならない。そもそもまだ一万円ではない。偽造出来ないように精巧に描かれた、手のひらサイズの美術品級の「紙切れ」に過ぎない。製造原価25円の。


 ここで国債を使う。

 一枚25円の精巧な紙切れを、一枚一万円の国債と交換するのだ。


 国債は、日本が「その債券は一万円の価値があります。日本国が全力で保証します。絶対に!」ということだから、一万円札と一万円相当の国債とを交換することで、始めて「紙切れ」が「一万円札」になる。

 国が一万円分の信用保証をしたのと同じことだ。

 ただの現価25円の「紙切れ」を「その紙切れは一万円の価値があります。日本国が全力で保証します。絶対に!」ということだからだ。



 硬貨の場合はこれとは違う。

 金・銀・銅・ニッケルなどの地金の取引価格が存在していることから、製造原価+地金の金額よりも『価値の低い』額面の硬貨を作れば、その差益分(←出目)が結局は政府(←硬貨発行体)の儲けになる。例えば500円玉の製造現価は大体、50-60円くらいなので、この差額分が政府の利益になる・・・という具合だ。


 ただし硬貨は摩耗しやすい。つまり含まれているハズの地金がすり減るので実質、硬貨の価値が下がるし、地金が高騰すれば硬貨を作れば作るほど赤字になる。

 あと硬貨に『戦争時の希少金属の保管庫』の役割を担わせることがある。例えばニッケルやアルミがそうで、戦車や艦船などの装甲板にニッケルは必須だし、航空機の外板にはアルミが多用されるが、日本ではどちらも産出しない。なので平時には硬貨として市場に置いておき、戦時には硬貨を回収して溶かして使う・・・というやり方だ。


 これとは別に、通貨の価値が過度のインフレによって下落した時、潰して地金を金属資源として取り出すということも起きる。

 出処が必ずしもハッキリしなくて申し訳ないのだが、2015年11月には韓国で、83年製の10ウォン硬貨600万個を溶かして銅を取り出し、売り飛ばして捕まったという話が流れたことがあった。韓国ではインフレが進んでウォンの価値が低下し、10ウォン硬貨から取り出せる銅の価値が25ウォン相当になったために起こった事だという。普通の国なら犯罪となる行為だ。


 あともう一つだけ。日本においては硬貨は日銀ではなく政府が発行しているということになっている。この場合は国庫の預金を担保金としている。これは硬貨の額面が、原材料の貴金属現物価格との間に差があり(←出目。硬貨の額面と、現物価格+製造費との差)時々の乱高下の影響を受けやすいことや、前述のように戦略物資の貯蔵庫としての役割(←戦時には政府判断で、溶かして兵器に転用する)や、金や銀や銅といった『担保の証拠となる現物』が実在しているために、無限大に増やすことが出来ないことと関係している。


 紙幣ならこの逆で、国家の経済力・将来力等の『総国力』が担保なので、無限とは言わないまでも将来を含めた国家の総力を担保に出来る。よって大量に発行できる。

 逆にいえば、経済規模がウンとデカくなった場合、貨幣では足りなくなってしまうことが十分あり得る。国家の税収入70兆円を、全額1円玉で納付・・・ということになったら、下手したらアルミ価格が暴騰しかねない。しかも重くて不便過ぎることだろう。

 よって硬貨は、補助通貨として使う程度の『規模が小さい』程度にとどまっている。大規模取引では使われない。国庫の担保金分しか保証されていなくても、まあ、十分だろう(つまり、大規模取引では使わないから、そんなに必要ないということ)ということにもなるのだ。さらに言えば、硬貨は海外通貨と両替出来ないことになっている。紙幣は出来る。

 硬貨は『日本国』と刻印され、紙幣は『日本銀行』と書かれているのはこのためだ。そもそも求められている役割が全然違うからだ・・・


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 よって紙幣は硬貨とは違う効用がある。

 紙幣はもともとは紙切れだ。しかしいま「一万円と書かれた美しい25円の紙切れ」=「一万円の国債」となったのだから、いまや国債は通貨の一部であり、一方、紙幣は期限のない手形のようなものだ。保証人は国家だ。

 そのため紙幣は中央銀行にとって「負債」に勘定されるのが通例だ。返済義務のある債券と等価交換したからだ。歴史的にいうなら、紙幣は『硬貨の預かり証書』だった。この証書を持っていれば、硬貨と等価交換出来た。兌換だ。ということは要するに『手形』もしくは小切手のようなモノだったのだ。


 兌換紙幣の場合、紙幣は同等価値の地金と交換せねばならないので発行額分の地金を用意しておかねばならないし、返却の義務を国は負っている。なので負債勘定されていた。


 管理通貨制度に移行し、不換紙幣が流通するようになっても、この兌換紙幣の時の考え方の流れを(責任持って)引き継ぎ、「発行体である中央銀行として、その額面の価値を守る施策を行う」べき責任を負う「債務証書」である、という考え方から負債と考えられている。少なくとも日本ではそうだ。バランスシート上では紙幣は負債なのだ。


 逆に利益つまり「通貨発行益シニョリッジ」は国債の利払い収入になる。国債をゲットしたのだから、当然だ。

 時々、「25円で一万円札を作ったのだから、差額の9,975-円が通貨発行益になる」という完全に誤った論を聞くことがあるが、これが間違いであることは「ならばなぜ100億円札がないのか?」という単純な理屈から判る。9,999,999,975-円の出目が出るのなら、日本国の債務など高額紙幣を印刷するだけで消えてなくなるからだ。つまり管理通貨制度において、紙幣には出目は存在しない。

 総括すれば、日銀のポートフォリオ的に言えば、紙幣発行は『負債』でマイナス分は製造原価。『利益』は国債の利払い分・・・ということだ。



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 なので、経済活性化のために市場にお金を流したいというのなら、国が国債を発行して、これを中央銀行に『買い取ら』せればよい。

 国庫には金が溜まり、これを公共投資などに使う。この形だと国債の発行量の増額が、そのまま通貨供給量の増額につながる。


 企業や労働者など公共事業体に国からお金が流れ、潤い、彼等が銀行にまず儲けた金を入れることで銀行の体力が高まり、これが再投資の形で他の企業などの貸付元本となる一方、労働者などが銀行から引き下ろしたカネが使われれば、それが市場を潤し、他の企業を潤す。

 他の企業の利益は労働者などにも還元される。結果、企業や労働者が豊かになり税収入が増えて国庫は安定する・・・これがシンプルなモデルだ。

 乗数効果と呼ばれる波及効果も期待でき、またカネの使われ方もパチンコや風俗でも全然構わないことも分かる。パチ屋や風俗も(不当労働搾取など違法行為がなければ)ただの一企業であり、脱税しなければそれでよいのだから。


 しかし、このやり方だと通貨がなんの制約もなく大量に市場に流れてしまい、結果、悪性のインフレになるリスクが出てくる。実際、第二次大戦時に戦費捻出のために多用したため、日本では戦後の物不足・生産力不足を背景に必要以上の膨大な通貨流通が原因で悪性のインフレになった。


 そして、そもそもこんな状態を『買い取り』と言えるのか? という疑問も出てくる。

 買うというのは市場を通して同価値のものを交換する行為を言うのであって、「国家→【国債】→中央銀行」は、国の債務を中央銀行が『引き受けた』に過ぎない。

 裏取引に近く、なあなあの関係で横に流したに過ぎず、誰か(=市場)のチェックも受けないことで市場原理も働かない。しかも大抵は結果が悪かった。悪性のインフレになった。


 そこで現在はもっと洗練されたやり方を採る。

 公開市場操作というやり方だ。

 銀行や市場がある程度成熟し、民間が資本や生産財を蓄えている場合に使う。なにより「引き取らせる」のではなく「買い取る」のだ。


 その概念を次に説明する。

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