§1-2・次元波動エンジンこそ真の核心

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 さて、本当に重要なのはこの後、「残された地球人は何をしたか?」・・・これこそが本来論ずべきテーマだ。しかし、この間の地球側の動きは、実はあまりハッキリしていない。

 ハッキリ判っているのは「ヤマトがイスカンダルに行った」「一年以内に帰ってきた」「人類は生き延びて再生した」の三つ。


 厄介な事に、2199年のBBY-01ヤマト出発から帰還までの間には二つの全く異なる展開が予想できる事に気づく。


 カギは「次元波動超弦跳躍機関」すなわち「次元波動エンジン」の存在だ。

 この波動エンジンが量産出来た場合と出来なかった場合とで、ヤマト帰還までの人類が辿ったプロセスが大きく変わってしまうのだ。


 というのも波動エンジンが量産出来れば、2199年時の全ての問題はアッサリ解決してしまうからだ。


 波動エンジン量産化の暁には、人類はヤマトの帰還を待つまでもなく、他の可住惑星の探査および移住が可能となる。当然、途中ではガミラス帝国との交戦が予想されるが、これを撃退できるだけの装備をもたせることも可能だ。少なくともBBY-01ヤマトはガミラス相手にやってのけた。


 単純にBBY-01ヤマト(=“デッカイ火を噴くノアの方舟”)を量産出来れば、究極、全人類を移民もしくは地球から脱出させる事も可能で、それが出来なくてもヤマトの他に二隻目・三隻目の「イズモ計画」艦を新造し、次々とイスカンダルへと送り出すことで『コスモクリーナー(orコスモリバースシステム)』の確実な確保を目論むのが、ごく常識的な判断だろう。


 極端な話、移民先が見つからなければガミラス帝国に逆侵攻し、彼等と彼等の植民地を侵略・征服すれば良い・・・程度の考えに行き着くこともあり得る。

 いや、一年で絶滅すると追い詰められた人類にとって、これほど簡単な結論に飛びつかない方がオカシイくらいだ。そもそも彼等が我らに侵略してきたのが発端なのだから。

 まるでゲルマン民族の大移動やフン族によるヨーロッパ地域の侵略と似たような光景が、アンドロメダ局部銀河団の大きなスケールで再展開されているに過ぎなくなるのかもしれない。


 つまり「次元波動エンジン」を量産出来れば、実のところ「宇宙戦艦ヤマト」という世界観自体が自壊する。

 オリジナル版では「既に人類は死にかけていて、二隻目のヤマト型宇宙戦艦を作る余力さえ失っている」とし、2199版では「“波動コア”がないとエンジンが作動しない」という物理的制約をかけている。特に2199版ではこの問題に気づいていて、世界観を変えないようにという工夫からこのような設定にしたように思われる。


 しかしそれでも問題は残る。前者は「まるで宝くじ一等賞に人生の全てを賭けているヤル気のない一文無しのように、座して死を待つつもりなのか?」という命題をクリア出来ず、後者は「波動砲にあからさまな不快感を示したスターシアが、戦後の地球防衛軍戦力増強計画時に波動コアを(多数の艦艇分も)供給してくれるのか?」という問題をクリア出来ない。


 とはいえ、いま此処で試みたいのは、宇宙戦艦ヤマトという偉大な作品の欠点あら探しなどでは、断じて無いのだ。「破産国家の典型的なパターンの考察と、破産国家の立て直し方」を分かりやすく論じたいのであって、そのための「親しみやすいたとえ話の例」として使いたいだけなのだから。


 別の言い方をすれば、話したいのはカネの話であってエンジン技術の話しではない。話しをするのなら、波動エンジン製造会社の株式購入とリスクについて・・・というテーマであるべきだ。

 実際、波動砲はイスカンダルとのライセンス契約に違反している可能性もあり、その場合には莫大な違約金もしくは特許侵害で訴えられる可能性がある。南部重工がそうだとしたら日本経済に大きな衝撃を与える・・・の視点から捉えるべきだからだ。


 そこで、この問題に関してはこれ以上の深入りは避け、大まかに有り得べき可能性だけ論じたあと、本題に入ることにする。語らなければならないことがある場合は避けないが、ヤマトの世界観自体の欠点探しは絶対しない。リスペクトすべきだからだ。


 それより遥かに重要なことがある。

 エネルギーこそ、文明のもといだという真実だ。


 イスカンダル・スターシアは「ちょっとした見当違い」で次元波動エンジンを人類に提供してくれたのでは? と先ほど述べた。

 しかし、隠されたもう一つの真意があったという可能性も否定できない。つまりエネルギー不足に陥っているであろう人類に対しての技術支援をほどこしてくれたという可能性の方だ。


 圧倒的な潜在能力を秘める次元波動エンジンは、たった一基で全人類のエネルギー需要を賄うことが十分可能だ。ほぼ無限の力を持つ。これを武器に悪用することは許諾できないが、地下都市での生存のための発電機としてのスピンオフには許容しても良い・・・という意図があったのではないか? ということだ。 


 しかしこれに関しては判らない。仮に彼女にその意図があったとしても、人類に伝わったようにも思えない。なので、これ以上の詮索は辞める。逆にエネルギーの重要性を述べるに留める。



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 エネルギーが失くなれば人類は死滅する。

 真冬に電気・ガス・石油など暖を取れなくなれば困る。真夏に陽の光が注がなければ、一昔前なら大飢饉になったほど、困る。そもそも太陽というエネルギー源を失えば、死ぬ。


 同時に、個々の生と種族としての生存と同じ程度に重要なのが、産業の崩壊だ。

 人々の日々の営みに必要な生産活動の総和が文明ならば、産業は生産活動そのものだ。これを支えるのがエネルギーであり、生産活動に不可欠だ。真の文明の母と言っていい。


 カネがなくなっても、しばらくは生きていける。物々交換の原始的な時代に戻るのだろう。しかしエネルギーがゼロになった時、おそらく長くは持たない。空気・水・食料、この次に必要なのがエネルギーだからだ。もっとも前者三つも生体エネルギーの生成に使われるのだが・・・。



 ではエネルギーが尽きたらどうなるか?

 この具体例はまだないが、似たような事例はある。典型的なのは1973年のオイルショックだ。

 直接の引き金は第四次中東戦争に端を発し、原油価格が四倍になったことだ。それまで3ドル程度の非常に安い石油にエネルギー資源を頼っていた欧米や日本のような資本主義社会に大混乱が起こった。


 燃料高騰が市民生活や経済活動に大打撃を与えた。各種公共事業は打ち切りもしくは先延ばしとされた。全ての物価が上昇し、日々の電力供給さえ困るようになった。日本ではトイレットペーパーや洗剤といった石油系製品の価格が急騰し、買占めと呼ばれる狂乱状態に陥ったほどだ。


 ではなぜそうなるのか? エネルギー価格の上昇は、全ての産業に影響を与えるからだ。

 たとえば、ある農作物の加工品があったとする。この製造プロセスと消費者まで届ける過程を超シンプルに考え、わずか十段階として考えてみる。


「農作物の育成→加工工場へ出荷→工場で他の農産物を加える→食品製造→包装→出荷→仲卸で保存→再出荷→商品陳列→消費者購入」の、この十段階のみとする。


 この時、エネルギー価格の高騰が起こるとどうなるか? エネルギーは全ての生産プロセスで必要とされる。なので全てのプロセスに費用負担が必要となる。例えば一律に+3%分のエネルギーコスト増があったと考える。するとコストは単純な足し算にはならず、飛躍的な費用負担を強いられることに気づく。


 農作物の育成→加工工場へ出荷のプロセスで、まず農作物の育成に+3%掛かり、103%に輸送費+3%が掛かる。

 工場で他の農産物を加える時に、この二重掛けされた+3%分のトータルコストに更に+3%が上乗せされる。他の添加農作物も+3%の費用増があったのでこの分を合わせての+3%負担増だ。

 食品製造は、このトータルコストに+3%増が必要だ。包装・出荷・仲卸で保存時・再出荷・商品陳列時にはそれぞれに+3%で済んだとしても、包装製品の製造に+3%が必要だし、また原材料費以外にも人件費などの諸経費も価格高騰にさらされる。同時にこの価格高騰がさらなる価格高騰を招いてしまうのだ。


 生産する全てに+3%増が必要で、それを混ぜ合わせて加工するときにも+3%、作業工程にも+3%・・・と全ての行動にエネルギーが必要で、その全てに+3%が上乗せされてしまうという悪夢の無限ループだ。


 しかも根本的な供給過剰状態にならない限り価格が下がらない。時間が立てば立つほど累積して+3%が上乗せされていくのだから、まさに負担増地獄だ。

 たとえば呼吸一回あたり+3%のコストが掛かり、その支払いが+3%のローン建てだと思えば良い。すぐに経済が窒息死するのが実感できるはずだ。

 

 これがエネルギー不足による価格上昇の恐ろしいところだ。

 人件費の上昇というのなら、ロボット化とAIなどの活用により人手の削減でコストダウンが計れるかもしれない。しかしエネルギーは全ての活動に一律に掛かる負担となる。

 それは複利計算のような二重掛け・三重掛けのような負担増であり、省エネ対策や代替エネルギーの確保など抜本的な対策を徹底させでもしない限り、コスト削減の方法がないのだ。これが他とは決定的に違うところだ。


 結果、経済活動が停滞してしまう状態でも物価が持続的に上昇するというスタグフレーションに陥る。

 弱った経済がさらに生産力を減衰させ、減少した物品がさらなる物価上昇圧力となり、さらに市場が縮小し経済力が弱ってしまって・・・の悪循環に陥る可能性があるのだ。

 


 これは日本が長年患ってきたデフレとは全く違う。

 デフレは端的に言えば「物の価値が下がる」ので「作っても儲からないなら作るのを辞める」という意味での生産活動の収縮であり、物価上昇は招かない。物の価値つまり値段が下がるのだから、当然だ。


 だれもがデフレ期、労働賃金が上がらなかった苦い記憶があったと思う。それは、自分たちの作った生産物の価格が低かったために、賃金も抑え込まれていたからだ。つまり賃金上昇というインフレ圧力が無かったからだ。


 反面、物価は安定していて、しかも価格は低かった。

 これはデフレ期に円高が重なっていたためだ。物価安定は物の値段が下落傾向にあったからであり、価格が安かったのは低価格耐久財を中心として中国や東南アジアなどの低賃金諸国で生産した物品を、低価格で輸入できたからだ。


 所得の低い層にとっては恵み多い時代だった。

 だからデフレでブラック企業が横行していたとしても、大規模な暴動が日本で起きなかった理由の一つにはなる。またニートしていても、なんとか食いつなぐことが出来た。物の値段が低いレベルで安定していたからだ。

 低所得でも、なんとか生きていけたのである。


 ところが上述のようなスタグフレーション時には、生産活動が収縮しても物価が上がるのだ。これがエネルギー不足で引き起こされる危険がある。


 エネルギーの経済に対する作用は特別で、故にエネルギー産業は国家にとって特別の産業と言える。この産業は国家の根本であり、衰退が許されない必須の産業なのだ。この産業のない文明はない。


 2199年時は、このスタグフレーションが起こっても全く不思議ではない。つまり「エネルギーがあるかないかで人類の置かれた状況が極端に変わってしまう」ということなのだ。

 そこでこれからエネルギー状態の有無によって、全く異なる二つの2199-2200年時の人類活動について詳述する。


 とはいえ、地球人とヤマトがどのようなプロセスを経たとしても、実は結果は同じことだからだ。

 要するに「莫大な戦時国債を抱えて、死ぬ」という結論には変わりはない。


 戦争反対という意見には、一聴の価値がある、ということだ・・・

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