初詣
卵
初詣
三年付き合っている彼氏と初詣に行ったときのことだ。
彼は待ち合わせに一人の女性を連れてきていた。うつむきがちに背筋を丸め、地味な土色のロングコートで体を包んだ彼女はいつも華やかな彼とは一見対照的だったが、彫りの深い顔立ちや色素の薄い虹彩で、よく見ると彼の血縁者だと分かった。姉なんだよ、と紹介されて、人は装いと立ち方でこんなに印象が変わるものか、と妙な感心をしてしまった。
初詣の長い行列を進む間、彼は随分と甲斐甲斐しくお姉さんを気遣っていた。人ごみで気分が悪くはないか、寒くないか、着込みすぎて暑くないか。お姉さんが無口に首を振るばかりなものだから、彼の心配は募る一方に見えた。
「姉さんは引きこもりだったんだよ。最近は、こうして外に出られるけど」
その明け透けな説明にも、彼女は背筋を丸めて頷くだけだった。
参拝を終えた後、彼が偶然見つけた知り合いに挨拶に行ったお陰で、お姉さんと二人きりで待つことになった。
二人並んでベンチに腰掛け、溢れる参拝客やいくつも並んだ屋台を眺めながら、散発的に言葉を交わす。
彼のこと、世相のこと、天気のこと、目に映る景色のこと。何を言っても、一言二言の答えが返ってくるきりでろくな会話にならない。
人ごみは苦手ですか、と訊くと、いえ特には、と首を振る。
あんまり会話に弾性がないので、少しの厭味を込めて、落ち着いていますね、と言ってやる。彼女は、弟とは違うでしょう、と答え、なぜか笑った。その笑顔が、彼の見せる表情にとてもよく似ていた。デートの夕食を準備よく予約していたときに見せるような、少し得意げな笑顔。
じっと座って待つ内に、体が冷えてきた。
「甘酒でも貰ってきましょうか」
そう言って立ち上がったお姉さんに、一応少しだけ遠慮してみせてから有り難く甘えることにする。とはいえ、この人に一人で行かせて大丈夫だろうか。一緒に行ってやらなければいけないのでは。二人で連れ立ってこの場を離れたら、彼が戻ってきたときに困るか。いや、困らせておけばいいじゃないか、こちらも随分待たされているんだから……。
私の益体もない考えを見透かしたのか、彼女は、大丈夫ですよと笑い、なぜか土色のコートを脱ぐ。下には鮮やかな赤のセーターを着ていた。それが、他の参拝客のどんな晴れ着よりも眩しく見えた。
そして、彼女が背筋を伸ばすと、空気が変わった。
物理的には、ただ姿勢を正した分だけ、ほんの数センチだけ背が高くなったに過ぎないのに、存在感が内側から吹き上がる風になって大気中の塵を払うように、視界に真冬の透明な光が差した。
一、二歩進んでこちらを振り返ると、風に前髪が巻き上げられ、彼女の彫り深い顔、色素の薄い、紅茶色をした瞳が光を受けて輝く。
「それじゃあ、行ってきますね」
私は返事も忘れて、その姿が人ごみに分け入っていくのを見つめていた。
彼女が進むと人ごみの流れが変わる。ただ歩いているだけで人目を引くのだから、人々はその進行を妨げないよう自然と道を譲るのだ。そうして、触れもせず、一声をかけることさえなく群衆を動かしながら、彼女は大通りを歩くように軽やかに去っていった。
二人分の甘酒を持って戻ってきた彼女は、再び地味なコートを着込んで背中を丸めてしまった。
「才能、です」
彼女が言うには、ああした少し目立つ立ち居振る舞い、少し自分を華やかに見せる仕草というのは、物心ついたときには自然とできるようになっていたそうだ。
「そういうのって、自分では気づかないもので。ほら、子供の頃って、誰にでもできることと自分にしかできないこと、区別がつかないじゃないですか」
ため息を一つつき、紙コップの甘酒を美味しそうに啜って、彼女は続ける。
「だから、さっきみたいなことをしょっちゅうやっていて……、弟は随分困ったんでしょうね。色々と喧嘩の絶えない
「はあ」
何と返せばいいか分からず、私は曖昧に頷く。
「恥ずかしい話ですけど、それで人目につくのが嫌になって、長いこと家に引きこもっていて。でも今は大丈夫。こうして目立たなくなる方法も分かって、弟とも仲よくなりました」
さっきのことはあの子には内緒にしてくださいね、と言ってお姉さんは笑った。
姉が人前で目立つのと、家の中で引きこもってしまうの。どちらが困るのか、一人っ子の私には判断がつかなかった。だから、よかったとも悪かったとも言えずまた曖昧に頷いてしまう。
「姉さん、大丈夫だった?」
彼は戻ってくるなりそう言った。あれやこれやと世話を焼く姿は確かに仲のいい姉弟にも思えるけれど、何か少しだけ居心地の悪さを感じる。
「お姉さん、やっぱりあなたと似てるね」
わざとそう言ってやると、彼は面食らったように数秒硬直してからため息をついた。
「全然だろ。俺と姉さん、仲はいいけど正反対ってよく言われるぜ」
ああ。
仲のいい姉弟なら、そんな風に言わないのに。
初詣 卵 @yakiniku_tabetai
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます