きっかけ その2






漠然とではありますが、きっかけは他にもあります。


一つは、二枚の絵でした。

義務教育課程の教科書にも載っている、有名な絵画です。


ウジェーヌ=ドラクロワ。


ピエール=オーギュスト・ルノワール。


あえて、題名は明記しないのは、ご愛敬あいきょうと言う事で。


共感覚とまでは行きませんが、

私のどこかで、映像と、色と、風を感じました。

その、一部を込めたのが、拙作の『白の遣い手』です。


私が、二つの絵画を見て、何を思い、何を形にしようとしたのかは内緒です。


しかし。アレなんですよね。

後者の絵画は、某有名な漫画の登場人物と紐付けられ、その手の層に爆発的に広がったと推察しております。


ここが、私のうつわの狭苦しい事、見苦しい限りなのです。


それこそ、入り口のきっかけに正解などありません。

ただ。

絵画を知る。見る感覚が、その登場人物を介して映るのでは?

純粋な視点で、邂逅した時に味わう鮮烈な感覚とは、一線を画するのでは?

に捉えてしまう、〝何様視線〟の私が居て、本当に恥ずかしくなります。


刀剣しかり。戦艦しかり。

私の中での、探偵漫画の金字塔。

ヒロインのセリフを借り、叫びたい気分になります。


しかし。


後世に伝える手段であるならば。

それも一つの正解なのでしょう。


見て、感じて、捉える先にある結末は、一つとして同じ物はない、二つとない崇高すうこうな感性。


互いの感性の出会いにこそ、作品は内なる世界で湧き、

世に放たれ形となって生まれ変わり、誰かに届くもの。


糾弾ではなく、意識を傾けるもの。


傾けた先で、知ろうとする事。


出会う新しい世界を、相手を尊敬する事。


お互いが違う事は、分かり切っているので、

「違うよね」から入る姿勢は愚の骨頂だと、私は思うのです。


視野を狭くして、気付きに触れられない、心底残念な世界が広がってしまうだけだと思うのです。


もったいない。

と、同時に、取捨選択を狭い範囲で行わなければならない事に繋がる。

などと考えたりします。はい。





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