『本の虫の本』

JUNK.O

本の虫の本

 私は、自分の娘には本を与えないようにしている。


 小学生の頃の話だ。私の弟はメガネをかけて、いつも本ばかり読んでいた。

 陰気な子だったし、クラスではいじめられていたらしい。読書のペースは驚くほど早く、内容も確かに覚えている、そんな子だった。


 母は彼を褒めて本をどんどん買い与えていた。

 野放図に育つ私とは対照的に甘やかされていて悔しい思いをした記憶がある。


 私は図書委員会をクラスの皆から押し付けられたため、休み時間をずっと図書室で過ごす弟を叱ったものだ。

「そんなことをしていると本の虫になるよ」と言ったふうに。今でも覚えているし、弟の図書カードはずっと取っておいてある。

 彼が最後に借りた本は私が確認をしたものだった。最後の日付には「本の虫の本」と貸出の印がついたままだ。


 冗談でそう書いたわけではない。冗談だとしたら、なんと悪趣味な冗談だろう。

 ちゃんとそういうタイトルだったし、表紙は鮮やかな色彩のいろんな虫のイラストだったのも記憶している。

「本の虫の本」を借りた日、彼は日がな一日その本を読んでいた。


 翌日の事だ。

 弟がはじめての脱皮をした。人間の皮膚がまるですべて剥け、内側から緑色の新たな皮膚が現れた。

 母は体裁を気にするタイプなので、医者にみせるということはできなかった。


 次の日、再び弟が脱皮した。脱皮をするたびに形態から人間らしさを失っていく。

 二回目の脱皮で新たな手足がみっしりと生え、古い手足を失った。それでも「本の虫の本」を読むのは相変わらず続けていた。


 三日目の脱皮。唯一、人間の面影を残していた顔も芋虫のそれになる。母は精神病院に入院した。父は弟につきっきりになった。この晩から弟は口から糸を吐くようになる。


 四日目。弟は自分のベッドの上で糸を吐き続けた。気味が悪いので父とホテルに外泊。


 五日目。ベッドの上には蛹ができていた。触れると生々しいまでに温かさと鼓動を感じて、私は吐いた。


 六日目。ついに父の気が触れた。弟だった蛹を割ってしまったのだ。蛹の中からはオレンジ色の体液が吹き出し、私も父も吐いた。その日、父も精神病院に入院した。

 後片付けは私がした。でも、父の気持ちもわからなくない。あの大きさの蛹から一体どんな形になった弟が出て来るのか。いや、それをもう弟と呼んでいいだろうか。


 結局、私は祖父母に育てられる事になって、あんな出来事が起きたことを知っているのは私だけだ。

「本の虫の本」は結局どこかにいってしまった。そもそもあの本が原因なのかもわからない。実在したのか探したが、見つかってもいない。

 奇書コレクターの友人にこの話をしても笑われてしまった。

 本を読みすぎると本当に虫になる、という可能性も否めないから、私は本とはなるべく関わらないようにしているし、娘にもなるべく読書に興味を持たせないようにしている。

 それでも不安だ。保育士の話では、どうやら娘は読書が大好きらしい。

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