第13話 赤の屈辱

 Hiヒロニウムは悪を呼び込むとAさんは言った。まるで誘蛾灯のように。


 となれば、僕の胸ぐらを掴み上げている、このお姉さんもきっとそうなのだろう。何て言うことだ。昨日に引き続き、しかも朝っぱらからとは、ついていないどころではない。即ち、もう泣きたい。


 お姉さんはトーストを銜えながら、なんか怒鳴っている。


「っから! んめぇ、んええんのぃいとだろ!! ってら、しぇろや!! あたぁ、まぉおっちまぁあったん!!」


 なるほど、民族が違う。何を言っているのかわからない。使っている言語レベルの問題ではない。もはや異星人といっていい。


 僕は、きゅう。となる。意識を失いそうになる。彼女の腕力は凄まじいものがあった。さすが未開民族。と言ってる場合ではない。僕は必死になって、おそらくは異星人だろうと通じるだろう、ボディランゲージを駆使する。諸手を上げて、首を何度も振る。曰く、人類、ミンナ、友達ヨ。


「んぁああ!? っけんてのかぁあ!? っから、ったしはっこうまぁあ、ってろんだ!!」


 と、ここでアクシデント。いや、全部が全部、アクシデントなんだけどね。手をじたばたをしてたら、お姉さんのトーストに当たってしまって、ぽとんと地面に落ちる。


「ああ!! あたしの朝ご飯が!! てめ、何、しやがる!!」


 得心。彼女はトーストが邪魔でうまく喋れなかったのだ。つまりトーストさえなければ、最初から上手に話せたはずで、それをやらなかってことは。


 よっぽど朝ご飯、大事だったんだろうなあ。


 自分のしでかしたことに、頭が痛くなる。実際なった。お姉さんから、思いきり脳天を殴られたからね。


「ふざけんな、おらぁああ!!」


 勢いそのままに、顔面を地面に打ち付ける。鉄の味。あれ? これ、何度目だ?


「ったく、朝から冗談じゃねえぜ」


 お姉さんは、トーストから砂利を丁寧に取り除いている。


 僕は口から土を吐き出しながら、立ち上がる。ぺっぺっ。こんな目に遭うなら、百田と一緒に登校すればよかった。変な距離感で。


 最悪だ。すべては校長のせいだ。あのヒゲオヤジのせいだ。PTA会長に怪文書、送り付けよう。そう決意していたところ、お姉さんが怪訝そうな表情を浮かべていた。トーストを噛りながら。


「……おまぇ、もう起きあがれんのかよ!?」


 その言葉の意味がわからなかった。あまりにハイコンテキストなニュアンスを含んでいる。ここで、下手な選択肢をチョイスすれば、さらなる状況悪化は免れない。


 ここで、僕が選んだ最前手を一つ。


 流れるように膝を突き、額をアスファルトに擦り付ける。This is the DOGEZA. That’s amazing Japanese style! 恥や外聞なんて捨てちまえばいいんだよ。相手は人種が違う、ヤンキーなんだよ。異文化圏の人に、矜持を保ってどうするんだよ。郷に入れば郷に従え。When in Yankee as the Yankees do. 意味がわからなくていい。僕を感じてくれ。


 お姉さんはきょとんとしていた。先までの捩られつづけていた眉毛が嘘のようだ。よく見ると、とても切れ長の目をした美人さんだ。


「何やってんの、おまえ?」


 僕は躊躇なく返答する。間違いは許されない。


「この度は!! 姉さんに!! ぶつかるどころか!! 大事なパンに!! 粗相をしてしまって大変申し訳なく!!」


「……ああ、それはもう、どうでもいいんだよ。さっきの一発でお相子だ。それより、身体は何ともないのか? もう動けるのか?」


「私めの!! 身体の心配など!! 勿体なき幸せにして!! おかげさまで!! こうして詫びを入れることができます!!」


「……あ、そう。なら、いいんだけどよ。面倒だから、頭、上げろよ。終わったことだ。気にすんな」


「ありがたきお言葉!! では、姉さんに、失礼して!!」


 立ち上がった僕の身体を、姉さんは鼻の頭を掻きながら不思議そうに眺めていた。意外なことに、姉さんは僕よりも小さかった。


「お前、ひょっとして、学園の生徒か? だったら訊きてぇことがあんだけど」


「滅相もございません! 何なりとおっしゃってください!」


「あたしさ、親父の都合で、昨日、こっちに引っ越してきたばかりなんだ」


「へへい! そりゃ、この町も大喜びってもんさぁね!!」


「でさ、○△□ゴニョゴニョになっちまったね。悪いけど、■●▲ゴニョってくんない?」


「はは!?」


○△□ゴニョゴニョになっちまって」


「へへ、聞き取れませんぜ!?」


「だ! か! ら! 迷子になっちまったんだよ!! 学園まで連れてってくれ!!」


「へえ、あっしが? 姉さんを学園に?」


「そう、何度も言わすな。迷子になったんだよ。どこ行っていいか、わかんねえだよ」


「迷子、ダセえ(爆笑)」


 僕の脳天は再びスパークする。さっきより激しく、猛烈に。


 姉さんは顔を真っ赤にさせている。ちょっと涙目になって。

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