間章5 会議は踊る

 タンブーロの街で最も豪勢な建造物がどれかと言えば、評議会の議場であろう。

 使用する者が少なく、使われる頻度も少ないが他国の使者やらそれに準ずる人物を案内する場でもあるために、それ相応の格式というものが必要となる。

(まあ、要するにタンブーロがどれだけ富を蓄えているか見せる場でしか無いのよねえ、ここ)

 アスティアは昨日の今日で評議会が開かれる事に不審を覚えながらも正装で議場の廊下をしずしずと歩いていた。

 夏は過ぎきったとは言え、北はまだまだ残暑が厳しい季節である。流石に大司祭の正装ともなれば、何重にも重ねられた装束が厚ぼったいことこの上ない。彼女個人としては、もう少し涼しくなってからなら正装も苦ではないと思うのだが、評議会に呼び付けられる様な問題は彼女の意思を無視して起きている。季節を選べと命じたところで意味が無いのは当たり前であった。

(まあ、そうは云ってもリサに作って貰った呪符の御陰で汗はかかずに済んでいるけれど)

 まだ暑いこの時期に厚ぼったい法衣を重ね着して汗一つかかずにいるなどと言う離れ業の習得でもしていない限り、まともな精神状態で会議に臨めるわけがない。暑い中汗をかかないという状況はそれはそれで拙いが、汗だくと言うのも化粧や汗を吸って纏わり付いてくる法衣を考えればどちらが良い状況とも言い難い。

 であるならば、重ね着していても問題が無い状態を作り出せば良いのだ。室温を下げるか、法衣の方に何らかの細工をするかである。

 どうせ暑いのは参加者全員一致したところなのだから、室温を下げることが一番手っ取り早い解決法なのだが、魔術による盗聴を防ぐため、議場自体に対魔力結界を張り巡らせている都合上、長時間維持する魔術は望ましいものではなかった。

 すると、部屋の壁面を覆う結界を妨げない様に個人を包む術式が望ましいものとなるが、そこまで繊細な魔力制御を可能とする術者はいる様でいない。その上で、本人ではなく他人に使える様な形にするとなれば、どれほどの習熟が必要なのか想像に難くない。

(友達価格でも一財産よねえ、これ。今考えれば私達の徒党って本当に中原に冠たる一芸に秀でた人達の集まりだったのよねえ)

 並の探索者が一月掛けて稼ぐ額を請求され、別段悩むことなくその場で支払ったアスティアであったが、後からふと思い返し、自分の異常さに気が付いた。

 タンブーロに住まう者ならば誰しもが──程度は兎も角として──罹患している不治の病、金銭感覚麻痺症候群と呼ぶしかないものである。

 特に、彼女は第八層まで潜って唯一生還している徒党の一員であったのだ。今でも一国を簡単にあがなえるぐらいの貯蓄を数カ所に分散させてあるし、清貧を旨とする生活をしている御陰でそれが減る兆候はない。

 しかし、昔の付き合いもあり、自分が所謂庶民から見た場合ぶっ飛んだ金銭感覚を身に付けてしまっている事は自覚している。

(まあ、自覚していてもこの場合余り意味は無いわねえ。使わないと富が廻らないもの。そこら辺、無自覚で回していたラティオやその意味を重々承知して回していたアレウスなんかは凄いわよねえ。リサも回している方だけど、回さないと自分の研究が出来ない事を考えると、彼女はある意味で別枠よね。フリントは組合絡みで自腹切って回している節があるし、私は立場上使えないものねえ。寄付や御布施と云う手も立場上潰されているし、困ったものよね)

 財産が一定箇所で蓄積されているということは、富の移動が滞っていることを意味する。流石にアスティア一人が蓄財したところで経済が廻らなくなるということは本来ならばあり得ないが、額が額である。彼女がどこか一箇所から全額回収しようものならば、冗談抜きで何処かの国が一瞬で傾く。他の徒党員ほど金を惜しげもなく使っていなかったため、気が付いたらとんでもない額が貯蓄されていた。現役時代は何かあるごとに小口で寄付をしていたが、神殿の代表ともなれば小口で寄付するのも神殿の沽券に関わるためできやしないし、だからといって大口で寄付するとなれば、他がそれに追従する必要が生じて面倒なことになる。災害に遭った民への自分名義での援助、新しく建てられる神殿にかかる費用をいくらか肩代わりしたり、今の自分でもやれることで金を使ってはいるのだが、預けている金を運用している商会が増やしている額の方が大きく、一向に減らないどころか増しているのが現実だ。完全に財産を塩漬けしているわけではないのが救いではあるが、今や積極的に経済を回せる者がアスティアしかいなくなってしまった以上、それを理解している分彼女の気は重かった。

(まあ、既存の富を集積しているのでは無く、迷宮から掘り出したもので稼いだお金だから一概に既存の経済の流れを堰き止めているとは云えないけれど、聖職者としては問題ですものねえ。今はまだ探索を引退してから時が経ていないから大きな問題にはならないでしょうけれど、いずれは私を引きずり落とすネタとして攻撃してくる者も出てくるでしょうし、過ぎたるは及ばざるが如し、よねえ)

 些か重い気分に陥りながら、中庭に北から燦々と照りつける太陽を感じてふと目を向ける。

 未だに青々とした瑞々しい葉は秋の訪れを未だに感じさせず、これで蝉が鳴いていたら夏と錯覚しそうな天候である。

(そう考えれば、奇襲と云えば奇襲よね。収穫より前ですもの)

 一部の評議会員が未だにラヒル陥落を信じようとしない一つの理由に今が収穫前に当たるからということもある。

 “覇者”と言えば農兵で知られており、彼の精鋭と名高いバジリカ兵も常日頃は自分たちの食い扶持のために屯田をなしている。

 そこまでして収穫を増やそうとしている“覇者”がそれを捨ててまで北進するとは思えないと考えているのだ。

(だからこそ、“覇者”はその思考を逆手に北上してきたんでしょうに。もう少し後ならば、ファーロス一門の一部をラヒルの方に戻した筈。そうなれば、ここまで簡単にラヒル近郊を制圧できなかったでしょうし、一回きりの切り札を切るには最高の場面だったという事かしら)

 そうこう考えごとをしている内に、目的の議場へと辿り着く。

 供をしている助祭が議場の警護兵に声を掛け、短い問答の後、ゆっくりと議場への扉が開いていった。

 再びしずしずと議場の中へと歩み入り、扉の外で一礼している助祭に目配せをしてから自分の席へと向かう。

 中では既に他の参列者が席についてアスティアの方を見ていた。

 それに臆することなく、ゆっくりと自分の席へとアスティアは歩いて行く。

 席に辿り着いてから、

「お待たせ致しました。午前の礼拝に思いの外時間を取られましたの」

 と、一言詫びを告げてから一礼して座る。

「まあ、なにぶん急な事でしたからな。定例のお勤めを休んで貰う訳にも行きますまい」

 議長席に座る初老の男が取り成すかのようにアスティアの言葉を受け入れた。

 この場にいる者の大半がタンブーロの商家であり、まだ“古の都”が現存していた当時からの老舗も参加している。

 今の議長も伝承が確かならば“古の都”が水没した頃には既に存在していた商家の頭取である。

 むしろ、評議会の議員に選出される商家で千年より新しい家を探す方が難しいであろう。

「それで、もう話し合いは始まっていましたの?」

 分かり切っている質問をアスティアは先ず飛ばしてみた。

 入室した時点でまんじりともせずに自分の到着を待っていた様子が見て取れた。

 ならば、会議は少なくとも始まっていなかったのは確かである。

「流石に神殿の代表も無しには始められませんからの」

「あら、それは二重に申し訳の無い事を致しましたわね」

 予測通りの返事を受け、アスティアは参列者全員に向け軽く一礼した。

「大迷宮の探索でどこよりも貢献している神殿の方に無理は云えませぬ。それも大司教直々のお勤めをこちらの都合で中止すれば、あらぬ噂も立ちかねませぬからな」

 不満の声を上げようとしていた者たちを、その一言で議長は制す。

 実際、迷宮都市やタンブーロで金を作り出して回しているのは迷宮から希少なものを持ち出す冒険者たちである。彼らが自分たちではどうにもならない負傷や毒、病気を患ったときに尋ねるのが神殿の施療院である。清貧を旨とする神官が代金を請求することはないが、相応の布施を寄付するのが慣わしであり、ものによっては相当の金額が動く。探索中に致命傷を負った死んだばかりの身体に魂を戻す奇跡などは只人が一生涯でようやく築き上げることができる財産と同じ額を積まなければ教団は動かないとまで噂されている。

 これから分かることは、大迷宮の探索者の一部は王侯貴族が動かせる財産よりも尚多くのものを持っていることと、少なくともタンブーロの神殿には探索者から寄付された金が多く積まれていると言うことである。

 商人は金があるところで商売する以上、探索者と教団は大きな顧客なのだ。

 その一方の最高責任者に臍を曲げられては支障を来すからには、機嫌を取るのも宜なるかなと言ったところである。

 逆を言えば、それが分かっていて嫌がらせをするのならば兎も角、明らかに何か忘れている連中が跳ね上がっているのが今のタンブーロであり、議長が額に汗を滲ませながら慌てて取り成そうとしていること自体が異常なのである。

(……さて、一部の工作された商家に同調している莫迦が多いだけなのか、それとも全部工作済みなのか……。どう考えても私向きの話では無いのよねえ)

 心中で溜息を付きながらも、議長への感謝の念を込めてアスティアは和やかな表情を敢えて崩さずにいた。

 自分が脳筋よりの思考をしていることは冒険者時代から重々承知しており、元々評議会の様な場には似つかわしくない人間だとも理解していた。できうることならば自分より向いた人間が代わりに出席して欲しいところなのだが、そうもいかない理由が幾つもあった。結局自分が出た方がましという現状をどうすることもできずに時間だけが過ぎていた。

 アスティアの態度を見て安心した議長は、

「それでは、評議会の本会議を始めたく思います」

 と、会議の開催を宣言する。

 間髪入れずにアスティアは挙手をし、議長に発言の許可を求める。

「大司祭殿、何かありますか?」

「ええ。今日の会議の議題は何なのかしら? 臨時会議を開くとの連絡しか来ていないから、何の準備もできていないのだけれど? この状況では、何か教団に不利な事があった場合、流石の私でも拒否権を発動せざるを得ないわ。私の裁量権の範囲にある議題なのかしら?」

 アスティアは容赦なく先制攻撃を仕掛けた。

 彼女が言った通り、通常の会議では事前に議題は通達される。それが各々の組織で受け入れられるものかどうかを計り、持ち込んだ意見同士をぶつけ合い結論を出すのが流れだ。

 それが今回は全く話が流れていないために、組織としての判断が付かない。

 アスティアはそれなりの権限を有しているが、タンブーロと迷宮都市に関するものだけである。この地における教団の権益が損なわれない限り、教団の結論と反する意見であろうと彼女の一存で譲歩する事は許されている。

 ただし、教団の意向がはっきりと分かっており、それに反することで彼女が蒙る不利益を享受できる場合に限っては、だ。

 流石のアスティアと言えど、無条件に教団を敵に回す事はできない。

 だからこそ、タンブーロ設立当初──付け加えるならば迷宮都市開闢以来──から力を貸し続けることで隠然たる影響力を有するタンブーロ神殿に許されている完全無欠の拒否権を使わざるを得ないと判断した。

「御尤もな御意見ですな。ですが、議長である私にも通達が無い以上、私からは何とも申し上げられません」

 議長の答えを聞き、参列者がざわつき始める。

 通例では議長は議題を必ず知っている。

 何故ならば、会議を開催することを決断できるのは議長の権限であり、議長以外の何者かが会議の開催を求める場合は議長に議題を通達することが必須と決められているからである。

 その取り決めが守られていないと議長から告白されたと言うことは大きな意味を持っていた。

「ならば、誰がこの会議を開くと決めたの?」

「我だ」

 アスティアの問いに鱗人リザードマン特有の独特な発音でリ’シンが短く答えた。

「……ああ、然う云う事」

 納得したアスティアは一つ頷くと挙手していた手を下げた。

 タンブーロの評議会で街の始めの頃からある老舗や神殿の他に強い影響力を持つ勢力は幾つかある。

 盗賊組合はその一つであるし、迷宮都市の冒険者組合も最たるものの一つと言えよう。

 しかし、それらよりも尚強い勢力が一つだけ存在している。

 “江の民”である。

 彼らは、自分たちの聖地である大迷宮のある島を探索者たちに対し特別な配慮を持って貸し出している。

 それが問題で“江の民”と一部の評議会の議員が変な拗れかたをしているのが昨今の問題である。

 その“江の民”の代表であるリ’シンが招集したとなれば、議題は決まり切ったものと考えられた。

 本来ならばそう考えるところなのだが、昨日の歓談会で知ったことを勘案すれば、もっと面倒なことに切り込んでくることは確定である。

 ただ、それにしては早い動きすぎて、どうにも違和感を拭えない。

(丸で、最初からこうなると想定していた者が居るとしか思えないわね)

 やはり議長席に近い盗賊組合の長をちらりと見たがもし画策していたとしてもおくびにも出さぬ男相手だ。アスティアではそこら辺を見切ることは不可能であった。

 ただ、昨日のフリントの反応から、盗賊組合の長が全てを理解した上で動いているとは考え難かった。

 故に、彼女は全てを計算して画策したものはこの場になく、自分の分かっている事実を少しずつ計算に入れて都合の良い方向に決議を誘導しようと幾人かが働いた結果、違和感を感じるようになったと推測した。

(そもそも、腹芸は私の守備範囲ではないのに。アレウスかリサに回したいぐらい)

 そういう生まれのアレウスや言葉を喋れば海千山千のタンブーロ商人相手に平然と手玉に取るリサと比べても意味がない事ぐらい理解しているが、それでも心中では愚痴を言いたくもなった。

 教団や迷宮都市に恩義を感じてなかったらどうでも良いとばかりに投げ出せたのだが、捨てるに捨てられない柵で雁字搦めとなっているのだ。やれるだけのことをやるしかない。

「では、リ’シン殿。どうぞ」

 議長に促され、リ’シンは立ち上がり、

「我から云うべき事は一つ。先までの交渉は全て無かった事となった」

 と、告げた。

「おお、それでは今まで通りに──」

「ふむ。議長に発言の許可すら得ていない者に答える必要は無いが、答えるとしよう。昨日を以て貴殿らは大迷宮に関する権利を一切合切失った。これより我ら“江の民”は正当な権利を持った者とのみ交渉をするものとする」

 都合の良い事を言おうとした商家を一瞥してから、リ’シンは完全なる没交渉を宣言する。

 口をぱくぱくと開け閉めする商人を後目に、

「理由を聞いても宜しいか?」

 と、盗賊組合の長が議長に目配せしてからリ’シンに尋ねた。

「我らが試練を越えた者が帰ってきた。故に、その者が大迷宮に関する一切合切の権利を持つ者と我らは断ずる」

「おやまあ。何年ぶりに出たという話ですかね。まあ、我が組合と致しましては、別段損益を蒙るものでは無いと判断致します」

 笑みを隠そうともせずに、盗賊組合の長はリ’シンの発言を承認した。その顔付きは明らかに面白くなってきたと他人事を楽しむ風であった。

 盗賊組合としてみたら、大迷宮の探索さえ続行できれば発言力を失うことはないのだから、誰が“江の民”に認められた人物であるかを知ってのこともあって、今回の件は既に他人事の域なのだろう。正直、一部の商家の動きさえなければ、アスティアもそれに続きたいところである。

 残念ながら、教団全体で見れば商家とは持ちつ持たれつのところもあるため、アスティアははっきりと向こう側の過失が判明しない限りその様な選択を選べない立場にあった。

「それでは、“江の民”としては我々と没交渉にすると云う事ですかな?」

 商家の大半が様々な理由から動揺しきっているため、致し方なく議長は自ら話を進める事とした。

「大迷宮の探索に関する事柄についてはそうなる。大迷宮から発掘されたものに関しては商家と契約している徒党の間の問題故に我からは口を出すことはない。大迷宮及び迷宮都市のある島の使用料に関しては、貴殿らから受け取る理由はなくなった。一方で貴君らがあの島に関わる事全てに関する口出しをする理由もなくなったと見なしている。もし、それらを破る気ならば、我らは即座に貴公らを排除することをここに宣言する」

 条件次第とは言え、リ’シンの発言は限りなく宣戦布告に近い台詞であった。

 先程とは比べものにならないぐらいざわつきが強くなる。

「巫山戯るな! 一体何の権利があってそこまで要求するのだ!」

「あんたは莫迦か? 迷宮都市のある島及びその地下に広がる大迷宮と最下層にあると云われる“古の都”は“江の民”の聖地であり、我々は彼らの許可を貰って探索しているに過ぎない。地主の好意に甘えての行動を逆ギレで詰め寄ろうとするとは頭が湧いているのではないか?」

 それまで笑っていた盗賊組合の長が凄味のある厳めしい表情で立ち上がった商人を睨み付けた。

 商人は短い悲鳴を上げてそのまま椅子に腰が落ちた。

 一喝しただけで醜態をさらした商人にそれ以上どうこうする気もなくしたのか、盗賊組合の長は大きな溜息だけ付いて視線を議長に戻す。

「静粛に。盗賊組合の云い分ではないが、我らは間借り人であると云う事を忘れてはならない。この間迄の議論もそこだけは外していなかったと考えている。それとも、それすらここに居る評議員一同忘れたと考えなければならないのかね?」

 これ以上場が荒れるのを嫌った議長は全員にはっきりと通告した。

「教団と致しましては、“江の民”と結んだ盟約を重んじるとしか云い様がありませんわ」

 致し方なく、アスティアは教団の立場を鮮明にした。

 本来ならば周りに影響を与えぬためにも最後の最後に意見を述べたいところであったが、誰かがいの一番に賛成しなければどうにもならない破局がやって来ることが明白であった。

 教団が影響力を駆使して流れを作ることは悪しき前例となりかねない。俗世に如何なる形であれ介入できると世間に知られることが教団にとって望ましいことではないことぐらい重々承知している。

 しかし、“江の民”とタンブーロの対立、それだけは是が非でも防がねばならないのだ。

(今のソーンラントがタンブーロに介入できるとは思わないけれど、二つに割れていればその限りでもないし、その気が無いだろうファーロスに魔が差すことも有り得るわ。多少の無理は押し通さないと)

 アスティアは自分に不向きな政治向きの判断と討論をなしてでもやりとげる必要があると覚悟を決めた。

「終わりましたかな? とりあえず、喫緊の議題が上がったところ恐縮ではあるのですが、私の方からも通告せねばならぬ事がありましてな。少しばかりお時間を戴きましょう」

 議長が愛想笑いを浮かべながら、外に合図を送る唯一の手段である控え室の鈴に繋がる紐を勢いよく引く。

 その強い勢いに何事かと議長の動きを見ていた者が目を剥く。

 何やら気も漫ろだった者たちも周りの雰囲気を見て何があったのかを確かめるべく議長の方を見た直後、騒々しく議場の扉が開け放たれる音が響いた。

 完全武装した衛兵が有無を言わせぬ勢いで飛び込んでくると、そのまま参列者の大半を組み伏せた。

「ええ。どうにもタンブーロを売ろうとしていた不埒者が思いの外居るみたいでしてね。申し訳ありませんが、議長特権で検挙させて頂くことにしました」

 流石のこの展開はアスティアにとっても青天の霹靂であった。

 当然、彼女は取り押さえられなどしていないが最近言動が怪しかった者たちは勿論、そこまでおかしいとも思ってもいなかった者たちすら素早く捕縛されていた。

 なんとか心を平静に保ちつつ、周りを見渡してみても誰もがぽかんと驚きを隠せずにいた。

 平然としているのは議長と盗賊組合の長ぐらいで、状況証拠からこの二人がこの捕り物の黒幕だと声高に言っているようなものであった。

 昨日一緒になってどう動いたものか悩んでいたリ’シンもことの進展の急な動きに戸惑いを隠せていなかった。

「いやはや申し訳ありません、リ’シン殿。貴方を利用してしまったようだ」

 ふくよかな顔をくしゃくしゃに崩した満面の笑みで議長はリ’シンに頭を下げた。

「随分と寂しくなったものだな」

 何と言えば角が立たないのか非常に悩みながらも、リ’シンは周りを見渡してからそうとだけ呟く。

 事実、衛兵の波が引いた後、残っている参列者を数え上げれば誇張抜きで両手の指で数えられる程度しか残っていない。本来ならば両手両脚の指では足りない定数の筈なのに、だ。

「まあ、致し方ありますまい。タンブーロの独立不羈の精神を捨てた者達です。吊されるのがお似合いでしょう」

 今し方捕まえた連中の末路を匂わせ、議長は肩を竦めて見せる。

 笑みを浮かべ続けては居るが、明らかに目は笑っていなかった。

「一気に有力商家の上が居なくなるのだけれど、回せるの?」

 アスティアとしては昨日から問題と見なしていた迷宮都市とタンブーロの機能不全を回避する策があって行動を起こしたのかどうか、それが一番の疑問であった。

 何やかんやで彼女にとっての支持母体は迷宮都市の探索者であり、最悪教団中枢とは冷戦状態に持ち込んでも何とかできるが、迷宮都市にそっぽを向かれると教団内での影響力にも問題が生じるため、探索者が不利を蒙ることは何が何でも避けたい話であった。

「ははは、成程成程。大司祭様はそれが心配で慎重な立ち回りをされておられたか。何、別段問題は生じませぬよ。いずれにせよ、あの男がこの街に戻ってきた以上、変えねばならぬ事が多いですからな。いや、何、渡りに船と云うものですな」

「狸よねえ」

 アスティアは思わず天を仰いでそう呟いた。

 頭取が捕まった商家のごたごたが収まるまで多少の混乱は生じるが、アレウスが帰還したことで“江の民”との新たなる約定を結び終わるまでは大迷宮の探索に纏わる契約を動かせる状態ではないと計算しきっての発言である。

 探索者に対する商家の影響を薄めないために、今回の事件の方に重点を置いて探索の制限を掛けようとしているのだ。正しく、狸の所業としか言い様がなかった。

「狸ですなあ」

 盗賊組合の長も苦笑する。

 彼からしてみれば、アレウスの方に重点を置くことができれば組合の影響力を増す絶好の機会でもあるのだが、そこら辺の状況を完全に把握している議長を敵に回してまですることでもない。アスティアに説明すると同時に、自分たちに対して釘を刺してきたと理解した上で、アスティアの感想に同意するしかなかった。

「どこまで狙い通りだったのだ?」

 二人の感想を歯牙にも掛けず、リ’シンは思い切って踏み込むこととした。

 この様な鮮やかな手際を見せ付けた議長が何も考えずに動いたとは思えない。

 しかしながら、このところずっと続いていた評議を思い起こせば、どうにも腑に落ちないものもある。最初からこれを狙っていたのならば、もっと他のやり様があったのではないのか。

 むしろ、リ’シンから見て、今回の件は何か取って付けた感じを覚えたのだ。

「さて? タンブーロの街は如何なる勢力にも与さず。これを墨守する為ならば、あらゆる手を打ちますとも。ソーンラントの調略が進んでいるのは知っておりましたからな。どう始末を付けようか悩んでいたところに、ラヒルの陥落、あの男の帰還と続けば望外の結果も得られましょう」

 議長の方も然る者で、敢えてリ’シンの読みが外れていないことを平然とばらした。

「……えーっと、この結果は計算外ってこと?」

 少しばかり考え込んだ後、アスティアは恐る恐る自分の出した結論を口にした。

「私が狙っていた落着点とは随分と違いますな。まあ、この方が断然素晴らしい結果なのですがね」

 再び肩を竦ませながら、議長は満足そうに頷いて見せた。

「だけど、どう考えても探索者が又あぶれるわよね?」

 アスティアは自分たちの徒党が全滅した後で起きた幾つかの有力徒党の壊滅とそれに連鎖した古参商会の倒産からのそれらが子飼いにしていた弱小徒党の崩壊を思い起こしていた。

 何せ、アスティアが評議会に参加するようになって間もなく起きた出来事である。その後始末に追われた記憶は今も生々しく残っている上、もう二度と関わりたくないという思いを抱き続けてきた。

 どう考えても、先程の政変は同じ様な話を再び巻き起こす前兆にしか見えないのだ。

「探索者だけではなく、タンブーロを売ろうとしていた商家の雇われ者もですな。そこら辺は自助努力を期待致したいところですが、さてはて」

 議長はこの先のことを如何にも楽しそうに語る。「まあ、この程度のことでどうにもならなくなるのでは、どちらにしろ生き残れますまいて」

「この先、ね。議長殿は如何お考えなのかな?」

 盗賊組合の長は興味深そうに尋ねる。

 アスティアもタンブーロを実質上切り盛りしている人物の展望には興味があり、議長の次の言葉を待つ。

 ふと見て見れば、リ’シンも議長を注視していた。

 その気配を感じたのか、考えを纏めるためか暫し瞑目し、

「タンブーロは決してどの勢力にも肩入れしてはならない。ソーンラントにも、ハイランドにも、そして、“覇者”であろうとも」

 と、徐に口を開いた。

「原則論ですかな?」

 街を開いて以来守り続けてきている最大の鉄則である独立主義を盗賊組合の長は何のために今また再び口にしたのか、議長の本意をつかみ取れなかった。

「タンブーロの成り立ちから、今の有り様までを全て勘案すれば、自ずからその結論に辿り着きます。儲けに走る余り、その足元を見失った連中は我らが誅さねばならない。自浄能力を失ったタンブーロにどの勢力が遠慮致しましょうか?」

 議長は大きく溜息を付いた。

 その態度を見て、明らかに議長は自分とは何か違う見通しをしているとアスティアは確信した。議長がこの行動に走った核心に踏み込めたと直感したのである。

「どこかのものになるぐらいならば、自分のものにしようとする?」

 従って、アスティアは議長の考えを完全に引き出すため、呼び水となる質問を投げかけた。

「今はソーンラントのみが我が町に接しておりますが、いずれは“覇者”も寄ってきましょうし、ハイランドも勢力を伸ばしてきましょうな」

 議長はさらりと誰もが予測していないことを言って退けた。

「ハイランドが?」

 考えてもみなかった相手を指摘され、思わずアスティアは素っ頓狂な声を上げてしまった。

「ええ、ハイランドが。それこそ、アスティア様の方が御存知なのでは?」

「……どういう意味かしら?」

 議長の言にアスティアは警戒心を抱いた。

 実家のことを知っているものは数少ない。少なくとも、タンブーロでは誰にも公表していない。何せ、実家の方では表向き存在していない人間なのだ。いざ何かあった時のためだけにある程度の教育を受けてはいるが、それだけである。

 それでも、人並み以上にはソーンラント絡みの知識は持っており、その出所を知っていれば誰もが知っていてもおかしくないと判断するだろう。

 故に、議長が如何なる手段を用いてか、自分のことを調べ尽くしていたのではないかと疑ったのだ。

「どうもこうもなく、貴方の徒党の一員だった方の御実家の話ですよ。特に、“軍神”の長兄、ディアス・ヴァシュタールが恐ろしい」

 議長は真顔で呟いた。

「“軍神”の長兄、ですか?」

 盗賊組合の長が首を傾げる。

 彼の態度も当然のものであろう。タンブーロは地理的にソーンラントに囲まれており、ソーンラントに関することは何から何まで調べ上げる。そうでもしなければ、命取りになりかねない、その様な土地柄なのだ。

 一方で他の国に関しては些か疎いところもある。

 フリントがアレウスから他国の話をせびったように、その種の情報を欲してはいるがそこまで手が回らないのが現状だ。

 それでも、ソーンラントの政情に強い影響を及ぼす隣国の情報はそれなりに手に入れている。

 ハイランドで言えば、“軍神”に関する情報は最優先で調べ上げているが、流石にその後継者ともなると軽く調べ上げる程度である。

 議長の発言は、軽く程度ではなく相当踏み込んで調べ上げていることの傍証とも言えた。

「まあ、どうやら当人が自分の業績を隠したがっている様子でしてね。父親が父親だから、陰に隠れがちですが、商人からしてみればこの長兄が最も恐ろしい。銭の恐ろしさを理解し、銭を使い熟している。今まで居なかったタイプの為政者となりましょうな」

 頻りに喉が渇くのか、こまめに水を飲みながら議長は静かに語る。「正直、我らが街にも彼の御仁の信奉者が居ても驚きは覚えませぬな。まあ、弟君に甘い御方らしく、弟君の邪魔となる様な事はしていない様子ではあるのですがな」

「何故そこまで詳しい訳? 自分の目で確認した事があるのかしら?」

 脅威と見なしその情報を重点的に集めていたとしても、ここまで詳しいとなれば流石に疑問を持ちたくもなる。

 その上、当の本人が自分の情報を出回らないように隠しているのにそこを含めて知っているのだ。アスティアからしてみれば、実際に直接見てきた結果としか思えなかった。

「いえいえ。流石にそこまでの時間はありませんよ。まあ、実際行って見て見たい気はするのですが、こちらの正体を知った上で歓待されそうですからな。流石に、私が然うされるのは拙い」

 議長は思わず苦笑しながら、静かに溜息を付いた。

「拙い、ですか?」

 思わぬ言葉を聞き、アスティアは首を傾げた。

「ええ。タンブーロの議長がハイランドで歓待されたとなれば、ソーンラントが動かぬ訳がありますまい。どんなに秘密裏であったとしても、人の口に戸を立てられませぬ。寧ろ、私自身がハイランドに入った時点でその動向が知られたものと考えるべきでしょうな。出し抜くにも限度はある」

 真面目な顔付きで議長は起こり得るだろう望ましくない話を推測して見せた。

 タンブーロの評議会議長ともなれば動かせる資金の額は一国の予算にも匹敵するであろうし、近隣の“江の民”や“山の民”への影響力も計り知れないものがある。特にソーンラントが人間至上主義に傾倒してからは猶更であり、人間との交易の大手窓口となっていた。

 その様な自治都市がソーンラント以外のいずれかの勢力に傾倒したならば最後、“江の民”と“山の民”がその勢力と新たに盟約を結び、完全にソーンラントと手切れをすることとなるであろう。

 そして、その様な事態を防ぐためならば、ソーンラントは恥も外聞もなくタンブーロを攻め滅ぼしに来るのは間違いない。

 議長がその事態を怖れるのは当然のことであるし、この場で話を聞いている者ならば誰しもが予測していることでもあった。

「信用できる手の者を送って調べただけなの? 本当に?」

 ただ、アスティアとしては納得できないものがまだ残っていた。

 得ている情報が彼女からしてみれば余りにも具体的過ぎるのだ。何せ、直接の情報源と数年間行動を共にしていた自分の方が知らないことをこうもぽんぽん説明されれば困惑が先立つ。アレウスの実家周りのことを間接的にしか聞いていないとは言え、そのアスティアが間違いなく真実であると思える話をこうまでされると、本当に自分の目で見てきたのではないかと疑いたくもなった。

「今一度繰り返しますが、私がうかうかと動いて揚げ足を取られる事は拙いのですよ。少なくとも、商人の中ではディアス卿は知られている方。故に、商人ならば誰もがその動きに注視していると云って良い。誰にも気が付かれずに接触する事など不可能ですな。逆を云えば、商売の種を求めて手の者を送るのは怪しまれない訳でしてな。他の地域の商人の動向を探るために、常に心利きたる者を送り込んではいますよ。寧ろ、送り込んでいない方が怪しまれるぐらいで」

 疑いの目を向けるアスティアに対し、噛んで含める様に今一度言葉を尽くす。

 商人の世界では当たり前のことも、他の業界では知られていないことは数多い。この一件もその様な話の一つではあるのだ。教団に繋がりのあるアスティアや“江の民”の代表たるリ’シン相手に教えてしまうことは些か博打染みているのだが、アレウスとの関係を考えればいずれは知れてしまう可能性が大である。ならば、最初から教えておいて、行動に制限を掛ける方が良いと賭けたのだ。

「どう云う事なのだ?」

「商人の扱いが上手いのですよ。物の流れで生じる銭の価値を良く理解している。故に、他国では恐ろしく高い税を課せられている商人を引き寄せ味方にする為、商人から見れば理想的な政策を展開しておりますな。各国で名の知れた商会が密やかに“軍神”の本領で名を隠して店を出しているのは確か。御陰で、“軍神”が作った借金の殆どは全てディアス卿の息が掛かった商人の手に収まった模様ですなあ」

 予測通り乗ってきたリ’シンになぜ商人がディアスに傾倒するかを端的に説明する。

「それって凄い事なのかしら?」

 生まれが生まれとは言え、所詮は予備としての扱いであったアスティアからしてみれば、戦塗れの土地持ち貴族が借金にあえぐのは当然と言う心象しかない。その赤字を防ぐために様々な手配りをするのが当主の仕事であり、いずれ自分が継ぐと分かっているのであれば、借金を若いうちから減らす算段を付けるのはある意味で既定路線と言えた。

 この議長が持ち上げるほどディアスが優れているのならば、当たり前と言えば当たり前の事柄なのだ。故に、アスティアには議長が驚愕する理由にぴんと来なかった。

「そうですな……。アスティア様の徒党が稼ぎ出した額まで行くと行き過ぎですが、お一人お一人が手に入れた財産ぐらいは溜まっていた借金を少なくとも四層を探索し始めた徒党が一年間で稼げる程度迄に圧縮したと云えば、分かり易いですかな?」

「……どう遣れば出来るのよ……」

 自分で一度稼いだ額で例えられたため、アスティアはアレウスの兄が行ったとされる事績に唖然とした。

 先にも説明したがいざと言う時のために土地持ち領主としてのいろはもさわり程度は教育されている。されているが故に、領主としてのディアスの才覚が並大抵の物ではないと推し量れたのだ。

「表向きは弟君のダリウス卿が所領の生産性や産業を興したが故の振興とされておりますが、その種銭や借金塗れの家門がどうして資金を集められたのかを考えれば、ディアス卿がいたからとしか云い様がありませんな」

 畏敬の念を隠そうともせずに議長は大きく溜息を付いた。

 議長とてこのタンブーロの街が開かれた頃から続いている老舗の頭取である。タンブーロの内と外の環境差も理解していれば、自分の商会だけでも小国の予算に近しいだけの金を差配している。

 故に、自分が動かせる金額と同額の借金を背負っていたとして、それを返済しきった上で新たな事業のために融資を受けられるかと考えたとき、自分では到底適わぬ偉業であると悟った。一度背負った膨大な借金の恐怖に打ち震え、今一度新たに借金できるか自信が持てなかったのだ。

 直接相見えたことがないからディアスが実際どう感じ、どう考えているかは想像にしか過ぎない。それでも、伝え聞こえてくる話だけでも見えてくるものはある。

 だからこそ、議長は直接会うことを怖れてしまった。間違いなく、ディアスには商人を惹き付けて止まない何かがあるのだ。自分もその例外ではなく、実際に会ってしまったら、全てを賭けてしまうだろうと予測できてしまっていた。

 議長はそれが何よりも怖かったのだ。

「兄弟共に才人と云う事?」

 議長の発言からアスティアは正しく情報を読み取る。

 理解するものが彼らのやったことを知れば、並大抵の才ではすまない事がよく分かる。

 商人に渡りを付けて莫大な借金を更なる運営資金に化けさせたことも、問題なく回っていた所領の改善も並大抵の才でなせる業ではない。

 控えめに表現しても、奇才としか言い様がなかった。

「ええ、三兄弟共に文武両道の正しく才気煥発としか云い表せない英傑でしょう。まあ、末弟殿は長の病で所領にて療養中の模様ですがねえ」

「“軍神”の後継者ならばもっと情報が出回っていないとおかしくなくて?」

 末弟の存在を敢えて無視してアスティアはこれだけの人物の情報が耳に入り込んでこない事を訝しんだ。

 流石に、隣国、それもソーンラントにとって天敵である“軍神”の跡取りたちの話ならばその才を含めて噂の一つや二つ流れてこない方がおかしなことである。

「それだけ“軍神”の功績が輝かしいものなのですなあ。未だ山のものとも海のものとも分からない跡取り達が目立たぬ程に」

 議長はアスティアの言の正しさを理解しているからこそ苦笑するしかなかった。

「……情報操作がされているという事?」

 アスティアは盗賊組合の長の方を見るが、戯けた顔付きで肩を竦めて首を左右に振った。

 ハイランドまで守備範囲が届いていないとも情報操作されていることに気が付いていながら迷宮都市とは関わりないとして捨て置いているとも取れる態度であったが、どちらにしろ自分たちには関係ないことと割切って気にしていないと言いたい様であった。

 実際、そこまで手を伸ばす人員の余裕がないのは確かであるし、今回の件も独力で議長の企てに気が付いて手を貸していたのか怪しいところであるからして、回したくても人手が足りないと言ったところが正解なのだろう。

「それがないとは云いますまい。ただ、重要なのは、もし仮に所領が富んだとしたならば、それが誰の手柄かという話ですな。誰が計画し実行しようとも、最終的にその結果をもたらしたのは領主となりましょう? 跡取りがそれを行おうとも、当主の成果となりましょう。別に当人がその功績を盗む気が無くとも、功績を挙げたものが隠し通せば結果的にはそうなる」

 議長は別段面白くもなさそうに続ける。「“軍神”がそれを為したのならば、誰もが納得してしまう。やはり、戦だけではなく、政にも才があったのか、と。そして、そうなる様に誘導する者が居たならば?」

「そうだとしても、隠し通そうとするものに義理立てする理由がなければ見通せるのではなくて?」

 ちらりと盗賊組合の長を見ながらアスティアは首を傾げてみせる。

「まあ、致し方ありますまい。我らが盗賊組合の情報源の一つがディアス卿の手の者でしょうから、彼らの不利になる事は口に出しますまい」

 さらりとタンブーロの盗賊組合がハイランドに対して義理立てする理由を持っていると議長はばらす。

「おっと、議長。まだそうと決まった訳ではないよ? ただのハイランド出身の用心棒だったり冒険者だったりするかも知れないからね。情報通の旅人は大事にしたいところさ」

 盗賊組合の長は戯けた振りで軽く否定をする。

 実際、それが本当だとすれば評議会の議員である者が他国に与している事を意味する訳であるから、先程拘束した連中と似た様な処罰を与えなくてはならなくなる。黒でも白でもない灰色であるならば、目こぼしできないほど柔軟性に欠ける組織ではない。

 盗賊組合の長としては否定するしか術はなかった。

「然り、然り。そこら辺は持ちつ持たれつですからなあ」

 議長の方もその種の利便を様々な勢力からある程度受けている。見返りにタンブーロの話を回すのだから一方的ではないとは言え、あまり大っぴらに言って良いことでもない。

 従って、二人とも狸の様な表情を浮かべて意味深に笑い合う。

丘小人ホビット絡みの話か」

 二人のやり取りを聞き、リ’シンはぽつりと呟いた。

「彼らも古の昔は我らの同胞だったのですが、アーロンジュ江南岸に住んでいた者達は迫害され、ハイランド方面に落ち延びていきましたからなあ。北岸の自由都市群近郊に住まう同族とはそれなりに遣り取りが続いているという話もありますし、ここらまで足を伸ばす者も少なくありませんからなあ」

 ほぼ有史以来の老舗の頭取でもある議長からしてみれば、丘小人もまた同胞であると認識していた。

 当人が語った通り、本来ならばタンブーロの近くにも住んでいたはずなのである。

 ソーンラントが人間至上主義に染まった時代に“江の民”や“山の民”諸共丘小人も虐殺したのだ。生き残りは江の北やハイランドへと逃げ去っていった。

 迷宮都市やタンブーロでも逃げ込んできた者たちをかくまい、安全な場所に逃がしたこともあり、ソーンラントに対して不審を募らせた時代でもあった。

 その縁もあり、所謂珍しい性格の丘小人がタンブーロに足を延ばしてくることも多い。

 そして、その様な丘小人は噂話が好きであった。

「誰が何処かの家中の意思に沿って動いているなぞ調べる事が難しいですからな。それに、旅人の世間話は貴重な情報源ですしの」

 相変わらずの狸面で議長はすっ惚けながらほほほと笑う。

「道理でハイランドの動向に詳しい訳ね」

 呆れた顔付きでアスティアは肩を竦めて見せた。

 情報を隠し通そうとしている相手からどうやって手に入れているのかは不思議であったのだ。

 丘小人を含めたハイランドとの繋がりを最初から密やかに持ち続けていたからこそ、アレウスの正体に気が付く者がそれなりにいたのだ。

 どこから漏れ出したのかびくびくしていた自分がある意味で馬鹿馬鹿しくなったのである。

「ソーンラントと国境を接し、アーロンジュ江の上に位置する以上注視せざるを得ない国なのは間違いないですからな。その上、商人を対等な人間として向き合う領主がいる以上、タンブーロから走る者が出かねない。タンブーロがいくら商人の街ではあるとは云え、それはこの街だけに限られている事。人間至上主義によって根付いてしまった、商人が人の上前をはねる存在という悪評を払拭するかも知れない為政者に肩入れしたくなる気持ちは分からんでもないのですが、タンブーロの発達に全てを捧げてきた先人達の成果を捨ててまで為すべき事かと云えば……実に難しいところですからなあ」

 苦り切った表情で議長は大きく溜息を付いた。

 商人としての考えを通すのならば、集めた情報からどう考えてもディアスに全て掛けて問題ないと判断していた。

 ただ、彼は一介の商人という訳ではない。タンブーロ評議会の議長なのだ。迷宮都市の冒険者、“江の民”、“山の民”、それにタンブーロに住まう者たちの生活と安寧を全てその両肩に担っているのだ。自分の利益だけを追っている訳にも行かない。

「そこまで先を見通した英傑が無名なのは怖いぐらいね」

 情報を上手く制御しているとは言え、所詮は人の口に戸を立てることなどできやしない。

 如何にアレウスの兄たちが優れていようとも、全てを隠し通せるはずがないのだ。

 しかし、現実には自分たちの功績を隠し通して、天下にその才能を知らしめずにいる。名を鳴り響かせるよりも大したことを実行している相手を怖れずして、何を怖れれば良いのか。

 アスティアは教団に情報を回すべきかどうか悩み込む。

「“軍神”の名が天下に鳴り響いている今、ヴァシュタールと云えば“軍神”、“軍神”と云えばヴァシュタールと世間の人は考えますからな。ディアス卿の名が広まらぬのも当然ですし、あそこの三兄弟はいずれも“軍神”の跡取りとしての評価が高いのも才を隠す良き隠れ蓑となっておりますな。事実、あの方々の話で伝わってくるものの大半は武功ばかりですしね」

 軽い調子で盗賊組合の長が世の中に知られている話を振る。

「戦上手なの?」

 “軍神”の子供ならばそうであろうなと言う直感めいた感想を抱きながら、アスティアは真偽を問う。

「それはもう恐ろしく。初陣以来負け知らずとお聞きしますよ。特にディアス卿は先読みの達人で、“軍神”が打ち砕いた軍勢を休ませる事なく敗走させ続けるとか。丸で退路を最初から知っていたかの様に読み当て、的確に兵を伏せることに定評がありますな。弟君のダリウス卿は石橋を叩いても渡らぬほどの慎重な性格、少しでも負ける可能性を見出したら堅く陣を守って犠牲を減らす事に手を尽くすとか。ですが、機を掴んだとみたら、誰もが真似をできぬ苛烈な攻め手をもって敵を蹂躙するとの話ですな。兄弟共に“軍神”の跡取りとして恥じぬ戦振りを見せるそうですよ」

 何も前知識なく聞かされたのならば、話を盛過ぎだろうとしか思えない逸話を盗賊組合の長は真顔で語る。

 それだけで、その場にいる者はそれがさわりしか説明していないのだと気が付かされた。

「それで他国に知られていないの? 逆に凄いわね」

 故に、アスティアは疑問を隠せなかった。

 それほどまでの功績をどうやって隠し通すのか、である。

 本人が隠し通そうとしたとしても、己の主の優秀さを広めたがる配下の者や、従軍していた領民の口まで封じられるものとは思えない。

「まあ、ハイランドなぞ中原からしてみれば片田舎ですからなあ。“軍神”が表舞台から消え去らぬ限り、七光りと考えられましょうよ」

 議長は端的に理由を語る。「“軍神”の口から自分の考えだと説明されたのならば、参加の者も、敵対している者も大抵信じてしまうでしょうなあ」

「逆を云えば、それだけ“軍神”が異常だと云う事か」

 リ’シンは深々と溜息を付く。

 彼ら“江の民”はソーンラントに注視しているがため、ハイランドや他の国々の情報には疎かった。従って、“軍神”のことを噂程度でしか知らず、本当の意味での恐ろしさを理解していたとは言い難かった。

 ただ、ファーロス一門とは嫌でもやり合っていたために、当主であるサムスンと互角以上と評されていた“軍神”を全く注視していなかった訳ではない。敵の敵は味方たり得る可能性があるのだ。

 しかしながら、ソーンラントと“江の民”の争いはある意味で国の内の問題であり、国の外の勢力と手を結んでまで何とかしなければならないという辺りまでは追い込まれている訳ではなかった。

「ええ、それは間違いなく。“軍神”が居なければ、ハイランドは今頃帝国かソーンラントに併合されていたでしょう。それを撥ね除けたどころか、少なくとも国境線を少しずつ外側へとずらしているのですから、例外中の例外でしょうよ」

 やはり呆れ顔で議長は実際起きている事を言う。

 帝国やソーンラントと比べてハイランドは人口が少なく、当然結果として兵力に劣る。

 兵力と戦力が直ちに一致しないのは確かなのだが、それでも兵力差というものはじわじわと蝕む様に骨身に利いてくる。量に質で勝っても、消耗戦に陥れば結果として量に劣る方が負けるはずなのだ。

 しかし、“軍神”がハイランドの対外戦争に関わって以来、決して兵力差による敗北を喫したことは一度もなかった。

 地の利を活かして消耗戦を避け、決して長対陣に倦むことがない将兵を粘り強く率い、決定的な一撃を加えられる場面を決して見逃さない。農閑期にしか大動員を掛けられない相手ならば平然といなし続けて無為に時を過ごさせたり、常備兵を中核に攻め込んできた精兵相手に奇襲で短期決戦を仕掛け、見事成功させるなど得手不得手が見えてこない変幻自在の用兵をいとも簡単に実行する。

 その上、決して略奪を行わず、現地調達するにしても足りなかった糧秣を金で購うのである。戦で金を稼がず、蓄財を消費した上借金まで背負う。いささか、世の中の常識とは異なる立ち位置にいる人物としか評しようがなかった。

「寡兵にて大軍を退けるのを常とするのだから、確かにおかしな話よね」

 当然、そこら辺の知識はあるアスティアも“軍神”の行動の目的はよく分からなかった。

 ある意味で、そこら辺はアレウスと似ている気がしないでもない。

「まあ、そこら辺は遣り様があると云えますがね。寧ろ、アスティア様はよく御存知の筈だ」

 議長はアスティアが妙な事を言いだしたとばかりに首を傾げてみせる。

「又それ? 私、何でもかんでも知っている様に見えるのかしら?」

 困惑しながらアスティアは少しばかり棘付いた返事をする。

 どうにも先程から、誰も彼もが自分が理解していることは他人も理解していると勝手に確信した発言をしてばかりいる気がしていた。確かに、アスティアは常人よりはものを知っているが、それでも所詮はまだ若輩者である。何もかもを知っているという訳ではないし、アレウスほど勘所を掴むが上手いという訳でもない。

 ただの女と言う気はないが、海千山千の評議会の議員と一緒にされたくはなかった。

山小人の鋼ドワーヴンスティール

 アスティアが苛ついている理由に見当を付け、議長は短くそれだけ言う。

「それがどうしたの?」

 議長がどこに話を持って行こうとしているか、アスティアは理解できなかった。

 山小人の鋼が何を意味するか分かってはいても、それが世の中にどう影響しているかまでは理解していない。生まれ、育ち、環境からしてアスティアはいびつであった。

 その上、彼女の常識は迷宮都市にて築き上げられたのだ。与えられた情報から正しく答えを出すにも彼女の中の当たり前と世の中の当たり前に大きな差異があった。

「アレを誰もが使える様になっていたとするならば?」

 議長も己の前提が間違っていた事に気が付き、遠回しに世間と迷宮都市の違いを示唆する。

「……然う云う事。随分とお金が掛かりそうな話ね」

 ようやくアスティアも議長が何を言いたかったのか理解した。

 大迷宮を探索する徒党の前衛が用いる武器は大抵鋼製である。

 アスティアもそれを見慣れていたために、世の中鉄鋼で溢れていると錯覚していた。

 しかしながら、山小人の集落でもない限り、鋼を作り出すだけの火力を持った炉を用意できなかった。

 それ故に世間で出回っている金属器の大半は青銅製となる。

 鋼鉄製の武具を買い求めるとなれば、城まではいかなくとも、相応の屋敷が買える財産を用意しなければならなかった。

「まあ、そうなりましょうな。実際、“軍神”はそれに頼っている訳ではありませんがね」

 乱雑に扱う事が宿命づけられている道具は手に入れたらそれで終わりという訳には行かない。長く使うためには相応の手入れが不可欠となる。

 鋼鉄製の武具は買うのもそうだが、手入れにも青銅器と比べれば莫大な費えが必要となる。その上、手入れができる相手も限られている。兵器として使うには本来ならば不安定すぎて向いていない。

 ところが、ハイランドではいささか事情が異なる。北西に山小人の一大居住地があるのだ。山小人が欲する物資とある程度の時間さえあれば、仕入れも手入れもぎりぎり何とか回せなくもないと判断できる程度には落ち着く。

 それでも、健全な領地経営を考えるならば青銅器を使った方が真面であると誰もが考えてしまう程度ではあるのだが。

「だが、青銅器に対して鋼は優位に立てよう? 多少の無理ならば押し通す価値もあるのではないのか?」

 リ’シンは不思議そうに尋ねる。

 “江の民”であるリ’シンがこの様な疑問を有するのは当然である。“江の民”は自ら鍛冶を行わない。金属器は他の種族から仕入れるのが常である。従って、修理は他の者任せであるし、ある意味で使い捨てに近い扱いである。

 その様な種族背景があるため、自前でどうにかできる様にすることを前提とした考え方に疑問を覚えた訳である。

「難しい処よね。結局道具って使ってなんぼの物だから、必要なときに使えないだと意味が無い訳だしね。だからこそ、多分“軍神”は完全に鋼の武具に軸足を動かせないのではなくて?」

 冒険者もある意味で似た様なものである。迷宮の中で得物が壊れた場合、修理している暇などない。地上に戻った後直すにしろ、その場では予備の得物を使うしかない。どの程度使えばどの様に壊れるかは経験である程度想定が付く。従って、探索に必要なだけの得物を持ち込み、壊れた端から新しいものを使っていく。

 ただ、そうは言っても一人が持ち込める装備の重量はある程度決まり切っているため、限度というものは存在する。

 だからこそ、兵站の重要性と無理のない計画について誰よりも肝に銘じている。

 何者かの意図で干乾しにならない様、用心を重ねるし、決して無理をしない。

 自前で用意できるならそれが一番良いと誰よりも理解しているのも駆け出しの頃そこら辺で苦労した冒険者である。

 故に、大迷宮を探索する者達は誰よりも信頼できる商会を求めるのだ。

 そして、大迷宮で財をなす者は大抵自分の身の程を理解した者であり、その一人であるアスティアからしてみると、“軍神”が鋼の武具の魔力に取り憑かれていない恐るべき人物に思えた。

「恐らくはその通りで御座いましょう。整備の為に山小人の鍛冶師を雇えたとしても、彼らが望む環境を与えられるかはまた別問題でありましょうし。敵陣営が鋼に乗り換えない限り、今の儘でも問題ないという判断もありましょう。まあ、詰まる処は金の問題でしょうな」

 議長は議長で冷静に金勘定から“軍神”の懐具合を見ていた。

 決して略奪を許さず、現地調達も銭で購う以上、国から出る恩賞と自領から得られる税収だけで全ての軍費を賄っていかねばならない。それなりに恵まれた土地とは言え、“軍神”が毎年の様に行う戦の費えを全て賄えるほどではない。どこかで金を節約せねば破綻するとなれば、金食い虫である鋼の武具に全てを賭ける訳にも行かないのが現実である。

 それに、鋼の武具だよりで戦をしているのではなく、“軍神”を“軍神”たらしめているのはその神の軍略としか言い様のない恐るべき戦術眼である。ある意味で、敵からしてみれば、鋼の武具だよりでどうこうしていてくれた方が有り難かったに違いない。

 財政的な足枷がなくなったその瞬間、手を付けられなくなるのが目に見えているのだ。

「……それを解決した“軍神”の子供達は山小人の鋼を使う算段を既に得た、と?」

 議長の含みのある言葉を盗賊組合の長は見逃さなかった。

 そう、“軍神”は既に金の制約を息子たちの尽力で脱しているのだ。

「そうやも知れませんし、そうではないやも知れませぬ。……と、云いたい処なのですが……。ハイランドを掌握した暁には、間違いなくそうなるでしょうな」

 議長は何とも据わりが悪そうな態度で恐る恐る答えた。

「……誰かが、やらかしたの?」

 ぴんときたアスティアはタンブーロ絡みの問題だと当たりを付けて鎌を掛ける。

「誰かと云えば……今は無きラティオ殿なのですが……」

 恨みがましい顔付きで議長はアスティアを見た。

「え、うちの徒党?」

 流石にその解答は予測外であった。

 ある意味で一番怪しいのは当のアレウスなのだが、アレウス自身が最も迷宮都市の独立性に対して強い意思を示している以上、面倒事を起こす動機を持つ者はいないと見なしていたのだ。

 それが、死んでから既に数年経ってしまっているかつての仲間の名前を聞くこととなったのだ。正しく、思いも寄らぬ場所で亡霊を見た思いである。

「ええ。ラティオ殿が名工を集めまくった御陰で、ここタンブーロでは鋼の精錬に対する技術の蓄積が確りと為されました。冗談抜きで後は金と労力の問題という辺りまで」

「それでも、自分たちの技術を売ったりはしないわよね?」

 困惑した顔付きでアスティアは議長に尋ねる。

 鋼の利器を制作できるということは大きな利点と言える。それだけで生涯食うに困らぬと言っても過言ではない。だからこそ、弟子がその技を盗もうとあの手この手で師匠を観察するのに対し、越えてはいけない一線を越えた弟子の腕を師匠が断ち切るという話が後を絶たないのである。

 ラティオが最高の装備を得る為に集めた職人が多く住むここタンブーロとてそれは同じことなのだが、それでも鋼を打てる程度では巨万の富も稼げないし、大迷宮から産出される未知の素材を相手にするには心許ない。繋がりのある職人同士で技の伝授をしあったり、情報の交換をする程度の度量がなければ技術の進歩から置いていかれる環境となっている。

 だからといって、無条件で技術や情報を売る様な者はいない。それぐらいはアスティアも心得ていたが、議長の言葉に何か不安となるものを感じたのだ。

「元々ハイランドには山小人だけではなく、人間の鍛冶師の中にも鋼の武器を打てる腕利きが居る風土です。そこに、弟子の引き抜きやら、密やかな援助をする者が出たらそれであちらに技術革新の流れが生まれかねないものと見ております」

 議長は己の推測を控えめに告げる。

 同じ鋼と言えど、山小人と人間では作り方が違う。

 山小人は他の種族では真似できない方法で古の昔から大火力の炉を作り上げている。その炉を作り上げられ、有望な鉱脈のある土地が山小人の居住地として選ばれている。

 居住地外の山小人は居住地で作られた鋼の鋳塊インゴットを仕入れて、そこから道具を鍛え上げる。

 一方の人間はより低い温度で作り上げられる鋳鉄を作るのがやっとであり、これは脆いために一部の農具で使われる程度のものである。その鋳鉄から鋼に鍛え上げる技を持つ者が腕利きの鍛冶師としてどの勢力からも引っ張りだことなる。

 基本的にタンブーロに居る鍛冶屋は人間が多く、中でも鋼の武器を打てる者は数少なかった。第四層を探索できる者が何とか調達できるかどうかと言うのがラティオ以前の相場と言えた。

「あらやだ。アレウスがその気になったら中原の趨勢が一気に動いちゃうわね」

 アスティアもそこまで言われれば議長の懸念が何かに気が付く。

 彼女からしてみれば、アレウスが迷宮都市の不利益になることをする訳ないと確信しているが、直接彼と付き合いがないものから見れば恐怖でしかないであろう。

 彼の“軍神”の息子が大迷宮探索のために鍛え上げられた技術を無視するとは考え難い。

 一般論で考えればその結論に至るのは当然であり、それを避けるためならば如何なる手段も辞さず、と思い詰めるのも当然と言える。

 問題は、アレウスがタンブーロに如何ほど貢献したか、そしてこれからどれだけ利をもたらすかを想定した場合、短絡的な手段を執る訳には行かないと言うことであった。

 それ以前に、アレウスを暗殺できる存在がこの中原に一人でもいるかという話にもなるのだが、結局、執れる手段は正攻法でお願いするぐらいしかないのが現実であった。

「この街に来る前から山小人の鋼で打った太刀を佩いていた方ですからなあ。鋼の価値を理解しているでしょうし、本国からの指示があった場合どう動かれるやら……」

 然程心配していない口調で議長は悩ましいとばかりに溜息を付く。

 幸か不幸か、議長はアレウスとそれなりに面識があり、こと迷宮都市の事情ならば実家よりもこちらを優先することに確信を得ている。だからといって、アレウスの人間性に全てを委ねる様な真似はタンブーロ評議会の議長としてはやってはならないことである。常に最悪の事態を想定し、そうならない様に常日頃から手を打つ必要がある。

 言ってしまえば、ここまでのアレウスに対する話は一種の愚痴でしかない。

「まあ、迷宮都市に不利になる真似はしないと思うわよ? ただ、アレウスの内なる願いに忖度しかねない者達が結構居るのよねえ」

 アスティアは溜息を付きながらちらりとリ’シンを見た。

「まあ、噂のハイランドがここらまで侵出してきて、話が通じる様ならば、ソーンラントを見限る可能性は否定出来ぬぞ?」

 リ’シンは悪びれるところ一つなく、平然と旗幟を鮮明にする。

 彼自身、“江の民”の中では他の人類種に対して友好的な部類である。ソーンラントに対しても古の盟約通りの関係に戻るのならば隔意なく付き合う気はあるほどだ。今までの両者の関係を考えれば聖人君子と言っても過言ではない人格者である。

 しかし、そうは言っても、彼もまた人に過ぎない。今より良い条件で自分たちを高く評価する勢力が現れればそちらになびくのも致し方のないことである。

「“江の民”は致し方ありますまい。“山の民”もそうなるとお思いで?」

 ソーンラントと“江の民”の関係を考えれば、彼らがハイランドを頼もしいと判断してそちらと手を結ぶことは至極当然の成り行きである。ある意味ソーンラントの自業自得と言える事柄であるし、タンブーロの街にしてもソーンラントに対して良い印象を持ち合わせていないのだから翻意を促す説得を積極的にする理由がない。

 だからこそ、盗賊組合の長としては、それより先の展開を知っておきたかった。

「我らに納得できる条件を示し、尚且つ渡りを付けてくれと頼まれた場合……特に断る理由もないから説得するであろうよ」

 別段隠す問題でもないのでリ’シンはさらりと仮定の話をした。

「侵出してきたらと云うのが救いですなあ。暫くは帝国と相争う訳でありましょう?」

 問題の先送りでしかないとは言え、ハイランドがソーンラントの領域を侵攻してこない限り“江の民”が動かないと判明したのだ。そのハイランドも暫くは対帝国で動きようがないと想定されている。それがどの程度になるかは分からないが、少なくともタンブーロを立て直すための時間的猶予は与えられていることを意味した。体制が変われば闇に潜らなければならない盗賊組合としてはそこら辺は死活問題であった。

「相争えば時間が与えられましょうな。逆に、帝国をあっさりと押し返した場合、帝国を落とすよりはこちらに侵出する事を選ぶやも知れません。油断はできないでしょうな」

 議長は静かにそう指摘する。

 万全の態勢である帝国と真っ正面からやり合うよりは、“覇者”が攻め込んできたために動きの取りようがないソーンラントの領域を切り取る方があらゆる意味で楽なのだ。真面な判断を持った者ならば、どちらを先に攻め取るかは自明の理である。

 議長も盗賊組合の長も政略面における“軍神”は兎も角、ディアスのことを侮ってはいなかった。

「すると、早急にタンブーロの内側を引き締める必要がある訳ね。その為の今回の動きだったって事。意外と深い理由があったのね」

 ここまで説明を受ければ、アスティアもこの二人がなぜ結託して大迷宮探索の利を捨ててまで今回の政変を強行したのか見えてきた。

 ハイランドが万全の態勢で侵攻してくるか、ファーロス一門が“覇者”に敗退するよりも前にタンブーロの方針を定められなければ、タンブーロもまた草刈場になりかねないと判断したのだ。一時的な利益の損出や混乱に目を瞑ってでも最低限意見の一致を見込める状況を作り上げなければ最悪の事態に陥ると確信したからこその行動と言えた。

「近頃の動きを勘案すれば、早ければ早い程良かったので。いささか拙速すぎた気もしますが、相手に気取られるよりは増しかと考えましてな」

 議長はそう言いながら大きな溜息を付いた。

 当然、彼からしてみても今回の決断が最良のものであったとは思っていない。次善ですらないのは承知の上で、動いたのだ。

 結果として、ソーンラントの甘言に乗っていた者たちが何ら準備をしていない状況で動けたのだから、それだけは不幸中の幸いと言えた。

「だったら私も一つ提案するわ。マティロ商会を評議会の議員に組み込みなさい」

「それはまた……思いきった事を……」

 アスティアの提言に議長は言葉を失う。

 彼女の言葉に大きな利があることは議長も理解しているのだ。

 ただ、タンブーロの街の歴史は古く、評議会に議員を送り込める組織の利権の問題は根が深い。この街で一二を争う力を有する議長とて、できることとできないことがある。

 今現在大きく儲けたとは言え、この街の利権に対して少しも食い込めていない新参者に席を与えることを良しとする者は少ない。一時的に混乱している今ですら、現状残っている古参の者たちに捻り潰されよう。

「そうね、今ですら難しいでしょうけど、今ならまだ難しい程度で済むわ。ダイオ・マティロは機を見るに敏、今のタンブーロが続く様ならば、あっさりと逃げ出すわよ。逃げ出す先がちゃんとあるんだから。その方が拙いでしょう? マティロ商会をタンブーロに絡み取らない限り、あっさりと捨てるわよ」

 アスティアははっきりと言い切った。

 ダイオが恩義に感じている相手はタンブーロ自体ではなく、彼を見出して選んだリサと莫大な富をもたらしたその仲間たちである。特に、今でも財産の大半を預けているアレウスに対しては大きな恩義を覚えていよう。何せ、アレウスの収集品を預かっているということ自体が大きな信用としてマティロ商会への融資をどこも二の足を踏まずに行うのだ。アレウスはそこまで思い至っていないが、ダイオにとってアレウスからの信頼こそが最高の武器なのである。ある意味で既に他の事業に移る種銭はあるのだから、迷宮探索支援業から撤退して徐々に他業種に移ること自体、一代で伸し上がったダイオとしては別段悩む事柄でもない。その上、それがアレウスのためになるともなれば、一切合切悩むことはなく転ぶであろう。

 もし、これを止められる者がいたとしたならば、今は亡きラティオだけであっただろう。

 何故ならば、ラティオの行っていた最高の装備を調えるために最高の職人を招聘するという遣り口で大きく儲けていたのはダイオであり、アレウスとは違う形で恩恵に与っていたのだ。

 彼が大きく羽ばたいたのもその義理堅さが元であり、アレウスたちが迷宮に挑む気がある限り、今の仕事を続けるであろう。逆を言えば、アレウスが大迷宮から足を洗った時、ダイオがそれまで通り仕事を続けるかどうかは状況次第と言うこととなる。

 少なくともアスティアはそこまで見切った上で、タンブーロとの縁を深めさせろと提言していた。

「まあ、新しい血を入れることも必要でしょうな」

 これから先の調整を考えて議長は些か憂鬱な気分に陥る。「今、マティロ商会に抜けられるのは非常に拙いですからな。そこら辺を説得材料にするしかありますまい。幸いな事に、残っている者たちはタンブーロの未来を考えた行動を取れるものだけですからな」

「どこまで計算していたのやら」

 その狸染みた表情を見てアスティアはある意味で掌の上で踊らされていたと気が付く。

 明らかに、議長は最初からマティロ商会をどうやってかして引きずり込む算段を練っていた。多分、アスティアの提案は渡りに船と行ったところだったのだろう。自分から言いだした場合、素直に他の者たちが聞き入れたか怪しいところである。

 アスティアが言いだしたという形を取ることで自分への風当たりを減らす目論見だったのだろう。

「立て直し程度は考えていましたとも。まあ、マティロ商会が逃げる可能性は頭から抜け落ちていたのは否定しませぬがね。アレウス殿が大迷宮から撤退することはないと考えていましたから」

 アスティアの読みを裏付けるかの様に議長は種を明かした。実際、マティロ商会と関係の深い彼女が言うからこそタンブーロを捨てるという可能性の高さを感じさせる重みがあった。

 問題はマティロ商会との癒着から評議会入りを勧めている可能性も否定できない点だ。しかし、評議会に引き込まずに逃げられた場合、大迷宮の探索者がどれだけあぶれるか予測も付かなくなるため、現状だと誰が考えても呑まざるを得ない話であるからしてその点は目を瞑るしかないと言えた。

 ただ、この議長であるから、そこまで計算して発言させているのではないかとアスティアとしては疑いたくもなる。

「……ないと、思う?」

 自分を踊らせた件は一先ず置いておくとして、アスティアはもう一つの問題の方に重点を置く。

 彼女は自分の経験から、アレウスがいざとなったら大迷宮探索を軽く捨て去るのではないかと危惧していた。

 確かに、アレウスとリサだけが大迷宮の謎の解明に本気で挑んでいたと言える。金目的ではなかったために冷静に少しずつ探索していこうとしていたのもそれを裏付けていたと言えよう。

 ただ、徒党が壊滅したときに、あっさりと徒党の解体を決断した辺りそこまで強固な思いを抱いていないのではないのかと疑いを抱いたのだ。

「帝国の動き次第でしょうなあ。ディアス卿の考えの上を行った場合、二度とこちらには戻れぬかも知れませぬ。アレウス殿はあれで家族思いですからな」

 街で起きたことならば議長も盗賊組合の長も大抵のことを把握している。アレウスがタンブーロを去るまで実家に手紙と土産を送っていたことを知らない間抜けが評議会に名を連ねることはまずない。いくら傭兵組合が“軍神”寄りでもタンブーロ支部はタンブーロのことも考えた行動となる。実家のことをはっきりと口にしなくとも、アレウスが故郷に手紙を送っていること自体を隠し通す様な真似はしない。

 そして、議長はアスティアと逆でアレウスが大迷宮の底にあると言われる“古の都グ’レゴル”に対して並々ならぬ思いを馳せていると睨んでいた。

 そうでもなければ、態々この街に戻ってきはしないと確信していた。

「そこら辺が貴方と私の彼に対する認識の違いなのね。“古の都”だけに拘りを持っている訳じゃないと知っている分、私はそこまで確信を持てないわね」

 この街に焦点を当てているリサは兎も角、アレウスは有史以前の世界樹に関わる何かを追い求めている。その何かまでは結局分からず終いであったが、世界樹の欠片を手に入れたときの表情を思い返せば、この地で欲しかった自らの仮説を裏付ける何かを手中に収めた満足感だったのではないかと今では確信している。

 故に、もし仮に大迷宮の寄り深い場所へと潜れなくなったとしてもそれはそれで良しと片付けてしまいそうな割り切りを有していたからこその徒党解散だったのではないかと推察しているのだ。

「アスティア様は徒党の仲間だったからでしょうな。アレウス殿が解散を決断しなければ、今でも探索者の儘でいられたという事も引っ掛かっておられるのでは?」

「……まあ、それは否定出来ない要素よね」

 議長の直截的な物言いに思わずアスティアは苦笑する。「確かに、探索者としての自分に未練を持っているわ。教団が私以上の使い手を育て上げられなかった時点で遅かれ早かれこうなったにしても、神託を受けた以上は行ける処まで行きたかったわ」

「神託を無視してまで教団で囲い込むのは問題はないので?」

 不思議そうな表情を浮かべ、盗賊組合の長は前々からの疑問を聞いてみた。

 確かにアスティア自体は教団の世話になっているからその意向を無視できない。

 しかしながら、その教団の存在を教団たらしめているのが彼らが信仰する神々の存在である。

 アスティアは彼女が信仰する神から啓示を受けてこの街にやって来たのだ。要するに、彼女が大迷宮に挑むこと自体が神の意志なのだ。それを無視させることは神の意志に反するのではないか、いては彼らの信仰を自ら否定する様なものなのではないかと思い当たったのだ。

 盗賊組合の長などと言うものをやっている以上、彼自身も利権と政治絡みの世界の住人である。そこら辺に関する青臭いことを言う気はないが、自分たちの存在意義を否定してまで術者を確保するのはどうかと思ったのだ。

「私が受けた神託は、『己の腕を磨き、衆生を助けよ』ですもの。腕を磨くとはどこまでを意味するか、人に寄るわよね」

「成程成程。貴女は未だに腕を磨ききったとは考えていないと云う事か」

 なぜか大いに共感しているリ’シンが何度も頷く。

「まあ、全滅の仕方が仕方でしたからね。あれは用心深く行けばそれなりに切り抜けられたと思うから、少なくとも第八層の探索ぐらい迄はやりきれたかな、と思っちゃうのは致し方のないことなのかしらね」

 結局のところ、アスティアが引っ掛かっているのは情に絆されてラティオを止めきれなかったという一点に集約されていた。あの時、いつも通り冷静に判断していれば、もしくは始めて踏み入れる場所に余力がほぼない状態で挑むと言う自分たちで禁忌と決めた行動を窘めることができていたら、そう毎日思い悩んでいた。

 あの時答えを出せなかったこと、それこそが最大の心残りであった。

「まあ、亡くなった御二方が生き残っていれば強気にも出られたのでしょうがな。貴女様方の徒党は一際腕が抜きん出ていましたからもしかしたならば、と誰もが考えてしまうところがありましたからなあ」

 議長の発言はタンブーロの住人誰もが思っていることであろう。

 少なくとも、第八層の探索がアレウス達の徒党によって行われていたのならば、今以上の発展があったのは間違いないことなのだ。

 その状況下であるならば、どの様な理由を付けても教団の意見は迷宮都市とタンブーロの総意として撥ね付けられたであろう。

「育てて貰った恩と面倒事から守って貰った恩を無視できる性格だったら話は別だったんでしょうけどね。まあ、これもまた天命ならば致し方なしと云った処かしらね」

 後悔はすれども、己の判断であったのだからアスティアは一切合切の責任を放棄する気はなかった。

 故に、彼女はこの話題の最後は寂しげに笑って終わらせるのが常だった。

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アレウス廻国記 高橋太郎 @iashi

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