消えない火 一

 そこにいるのは、ぼんくらムスメの、娃子ではないか。

 まったくもって役に立たん、只の化け物。

 ほんとにこの世に、娃子ほどひどいムスメがおるもんか。あれだけ世話になって置きながら、ロクな看病もしやがらん。

 まあ、オヤがオヤだから…。いや、それにしてもひどすぎる。こんなに体を壊すまで働いたて養ってやったと言うのに、それだけじゃないぞ。あの顔にどれだけ金を使ったと思っている。さらに、どれだけのものを買ってやったと思ってる。どれもこれも、安い金じゃないぞ。

 この世のどこに、あの化け物にこれだけのことをしてやるもんがおるものか。

 この情け深い大恩ある、オカアサマだからこそじゃ。

 それなのに、寝てばかりでロクな看病もしやがらん。この、恩知らずの金食い虫!!

 娃子は人間じゃない。鬼だ。だから、あんな顔になったのだ。この世に、あんな恐ろしい鬼を残しておけるものか、おのれ、死なば、娃子もろともじゃ。

 


 今、絹枝は最後の火を燃やし続けている。

 消えそうで消えないのではなく、燃えそうで消えないおこりは、これからも消えないだろう。

 そんな絹枝が簡単に死ぬはずはない。引いては棺おけの中からでも手を伸ばし、娃子を引きずり込むだろう。それくらいやりかねない。

 


 絹枝の辞書に「負け」と言う字はない。

 常に勝って来た。そう自負している。例え、物質的には恵まれない時があったにせよ、真面目さ、心の美しさで人に負けたことはない。誇り高き人間である。

 確かに、ちょっとしたミスはあったが、トータルで言えば、絹枝の完璧勝ちであった。今の病気も負けではなく、娃子に無理をさせられた結果である。

 また、その死すら、負けとは思ってない。人は皆、いつかは死ぬ。それが早いか遅いかだけである。それどころか、常に勝って来た。負けないのだから、負けを認めないのだから、勝ちである。

 


 いや、絹枝の負けである。年齢差から言っても、絹枝の方が先に死ぬのは致し方ないとしても、あの時、娃子を殺してしまわなかったこと、いや、娃子を手にした時から、勝負は付いていたのだ。あの時から、絹枝は負けたのだ。娃子と言う、化け物をこの世に送り出してしまったことが負けである。

 だから、些細な形だけの「勝ち」にこだわったのだ。

 

 秀子と絹枝の年齢差は二歳。アネの秀子は絹枝より、二年早く小学校へ行き、二年で交代させられた。その絹枝も二年学校に通った。その後は、それぞれ紆余曲折の絡み合いだったが、秀子が死んで二年。二つ違いのイモウトの絹枝は秀子の後を追うのか。寿命は公平に同じ年数生きるのだろうか。


 

 あの時、絹枝は言った。

 娃子を引っ張り込んだ呉服屋で、その辺にぶら下がっている着物地を指して言った。


「これ、買ええや」

「それは、お嬢さんには地味すぎますっ」


 その店員が言い草が気に入らなかった絹枝は、娃子を睨みつけながら言ったものた。


「なあに言やがれ。すぐ、三十になるわ」


 この時、娃子は十八歳。確かに、十八歳のムスメもやがては三十歳になる。

 あれから、12年。娃子も三十歳になろうとしている。だが、決して、すぐに三十歳になった訳ではない。

 この12年の間に、市電は廃止され、屠殺場とさつじょうも無くなり、火葬場は移転した。近くに市営住宅が建設され「部落」は消滅した。

 娃子が通った洋裁学校も今はない。いや、既に市内には洋裁学校は一校しか残ってない。服地屋も手芸品店もの一軒を残すのみ。町には既製服があふれている。

 街の移り変わりはともかく、この12年間には、娃子と絹枝の間にも色々あったではないか。

 あれは、あの時、いみじくも、絹枝は自分で、自分の死を言い当てたのである。



 迂闊な数字を口にするものではない。

 それは「自分の寿命」に他ならない。
















 

  








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