割れない風船 三

 12月に入ると暖房が入ったが、無いよりはマシと言った程度でしかなかった。冷房は効き過ぎるくらいだったのに、何たる差だろう。

 ある夜、娃子は前の病棟に行き、夜勤の看護婦に個室に入れてほしいと頼んだ。そうでなければ、同室の人に迷惑がかかると訴えた。幸い人当たりのいい看護婦で、娃子の意を汲んでくれた。もっとも、絹枝のわがままぶりは皆周知しているところである。


 

 娃子はたまに家に電話をかける。庄治のことが気になると言うより、変な物売り等に家に入り込まれるようなことがあっては大変だからである。それは、今のところなさそうだが、会社から電話があったと言う。

 ついに、来たか…。


 娃子は会社に電話した。悪いけど、一応会社を辞めてくれと言うものだった。絹枝の入院前から、ずっと休んでいるのだ。これ以上、迷惑はかけられない。娃子は了承した。

 在籍は2年余りだったが、その4分の1くらいは休んでいる。仕事が個人作業であることや専務や主だった人の性格が良かったこともあり、嫌味を言われることもなく働けた、いい会社である。たまに、昼食も近くのお好み焼き屋に連れて行ってくれたり、花見など季節ごとのリクレーションも楽しかった。

 そんな中、娃子より年下の事務員が入って来た。近くの主婦で子供が二人いる。もう完全に、娃子を見下し目線で見ていた。それでも、表面上は何事もなく過ごしていたが、あるリクレーションの時、彼女は言った。


「あんた、じゃない」


 これには、近くにいた男性社員が驚いていた。


「性格、悪ぅ」


 長身のイケメンがボソッと言った。だが、この事務員はなぜか数カ月で辞めてしまう。 

 その後、社長が家を建てた。それもキャッシュで。新築披露に娃子たち社員も招かれ、そこには、写植を習いに行ったところの所長も来ていた。娃子は所長の側に行き、いい会社を紹介してくれたお礼を言った。


「ここは、親分がいいから…」


 そうなのだ。この所長も、娃子のことを考えてくれたのだ。

 すっかりご馳走になった上に、帰りには土産までもらった。ピンクと白の花型の角砂糖だった。

 そんなある日、あまりに足が痛むので、近くの整形外科へ行かせてもらえば、レントゲンを見ながら、医師は思いがけないことを言った。


「脱臼したことありますか」


 脱臼…。そんなことは一度もない。


「亜脱臼ですね」


 亜脱臼と言われても、今一ピンと来なかったが、要は股関節がズレていると言うのだ。そして、今後、良くなることはなく、悪くなっていくだろう。そのためにも足を方がいいと言われ、重りの付いた装置で足を引っ張ることになったのだが、この病院のオバサン看護婦は他に男性患者がいるのに、平気でスカートをまくり上げるのだ。それが嫌だったのと、やはり裁判関係で休んだりで、その病院にも行かなくなった。

 それにしても、亜脱臼とは…。また、どうして亜脱臼になってしまったのだろう。

子供の頃から、お転婆でもなければ、激しい運動もしたことはない。


 そう言えば絹枝が昔語りで言ったことがある。


「早よう、歩くようにならんかのう、思いよった」


 赤ん坊の股関節は、ずれやすい。おそらく、早く歩かせたいばかりに、まだ足がしっかりしない内から歩かせようとしたのだ。覚束おぼつかない足取りで、手押車カタカタで歩かされていた記憶がある。いや、それ以前から乱雑に足を引っ張り上げていたことだろう。そんなこんなで、股関節にずれが生じたのだ。だが、歩けるようになった赤ん坊は、今度はじっとしてない。


「少しゃ、じっとしとけや ! 」


 と、怒られたものだ。そんな幼児の頃から、足の痛みを訴えても無視された。それもあるが、今までに股関節亜脱臼と見抜く医師がいなかったのも確かである。

 何はともあれ、この足で歩いて行くしかない。

 そして、歩いて行く先は家と職場。朝はバタバタと弁当を作り出かけて行くが、駅で弁当を持ったままトイレに入るのが嫌だった。当時の国鉄の駅はどこもそんなにきれいではなかった。

 娃子は下痢にも悩まされていた。神経性の下痢である。さらに、仕事は肩を酷使する。肩が凝ると言うより、熱を持って来る。薬局で目にした「カプシプラスト」を買い、風呂上がりに大判のまま貼った。ずーんと肩全体に指圧の様な、何とも心地いい刺激だった。

 カプシプラストとは、1974年に大正製薬から発売された温熱効果の外用薬である。それを毎週貼った。貼らなければどうしようもない。だが、薬面が黒く皮膚に付く。石鹸で落ちるからよかったが、その後、黒からピンクになり、薬の跡は付かなくなったが、効果も薄れた気がした。


 帰りたくない…。

 帰りの駅のホームに立っている時の言い様のない重苦しさ。

 帰れば、そこには「家」と言う戦場が待っている。絹枝が今夜も、娃子が帰って来たら、あれを言ってやろう、これも言ってやろう、もう、言わずにはおれないと待ち構えている。

 一度、主任に言われたことがある。


「何か、怒られているみたいな感じがする」


 そうなのだ。

 家での会話はケンカごしでしかない。そこは気を付けているつもりだが、つい、日常会話でもそれが出てしまう…。

 だが、それが、娃子の日常である。また、そこしかねぐらがない…。

 その塒もただ、動物的な眠りしか出来ない。その眠りの前には争いがある。争いの後の苦しい眠り…。


 そんな毎日だったが、それでもあのままずっと働きたかった。

 絹枝を病院に任せて働けばよかったのだろうか。いや、すぐに病院から再三の呼び出しを食う。絹枝が昼と言わず、特に夜ともなれば大声で、娃子の名を呼びまくることだろう。また、仕事を続けるとなれば、庄治と暮らすことになる。今は半ボケとなっている庄治と暮らした方がいいのか、こうして病院にいた方がいいのか、どっちがいいのか、娃子にもわからないが、会社には迷惑をかけたと思っている。



 そして、やっと、個室に移ることが出来た。さらに、この病棟は暖房も程よく効いていた。また、痛み止めも8時間に置きに打ってくれた。どうして病棟によってこんなにも違うのだろう。

 隣の個室に、娃子と歳の変わらない女性が入院していた。検査待ちだと言ったが、取り立てて具合が悪そうにも見えないのに、ハハオヤが付き添っていた。


「ああ、ガンじゃなければ、ええんじゃけど…」


 当時、ガンと言えばまだ「」扱いだった。娃子は大丈夫よと言った。だが、洗面所でハハオヤは言った。実はガンなのだと。

 だから、大人のムスメの入院にハハオヤが付き添っているのだ。


「そしたらねえ。ガンと知ってから、ムコは見舞いに来んのんよ」


 やりきれない…。 



 そして、暇つぶしの見舞いに来た正男が言った。


「妙子さん、死んだで」


 妙子が死んだ…。

 絹枝よりは、少し年下である。以前、すねを指で押すと、跡がなかなか消えないと言っていたが、病院通いの話も聞いてない。急なことだったようだ。

 それを、娃子は何か遠い出来事の様に聞いていた。これが普通なら驚きもするだろうが、今までの疲労と先の見えない現状では言葉もなかった。

 それにしても、早い死である。

 


 一方の絹枝は後悔していた。これ程後悔したことがあっただろうか。


----ああ、娃子を甘やかしすぎたの。かわいそうじゃ思うて甘やかしたんがいけんかった。じゃけん、こんな恩知らずになってしもうた。こんなことなら、もっと厳しゅうしとくんじゃった。今から、思うても遅いが。


 絹枝は恩知らずが大嫌いだった。

 犬でも3日飼えば恩を忘れないと言うに、世の中、揃いも揃って恩知らずばかりでないか。

 義男は言うに及ばず、特に、娃子にはあれだけしてやったではないか。背骨から軟骨が飛び出る程に働いて色々してやったではないか。


----やっぱり、オヤコじゃ。


 そうだった。娃子と義男はオヤコだった。オヤがオヤなら、コもコである。全くもって、犬畜生にも劣る恩知らずである。絹枝は多くを望んでいるわけではない。万分の一の恩返しを望んでいるに過ぎない。その恩すら、こうやってあだで返される。


----やっぱり、血の薄いモンはダメじゃ。


 その点、正男はこうして見舞に来てくれる。


----ああ、娃子なんか、貰うんじゃなかった。


 と、後悔に余念のない絹枝だった。



 娃子は病室で正月を迎えた。病院食は雑煮こそ出なかったが、仕出しのおせちが出た。そして、あの刑事口調の医師は病院を辞め、代わりの医師が紹介された。新しい担当医は穏やかな感じの人だったが、絹枝の症状には手を焼いていた。あれだけ検査をしてもその原因すらわからない。やせ細った絹枝はそれでも口だけは達者であった。


「殴るど」


 と、娃子に言う。


「殴る元気もないくせに」


 看護婦が言ったので、二人して軽く笑った。

 明治の女は芯が強いとか言われているが、秀子も絹枝も強いのは自分が元気の時だけだった。ちょっと病気になればその芯はすぐに折れてしまう。それでも秀子には、まだの一面があったが、絹枝にはそれがない。本能のおもむくままに生きて来た。

 娃子は手持ちの金がなくなった。


「よう使いやがる」


 と、絹枝は渋々金を出した。白い筒状の布を捨て、中の折り目のしっかり付いた金を自分の財布に入れた。娃子の財布はものすごく膨らんだ。

 その頃には食事も出なくなっていたので、娃子の食費がかさんだ。院内食堂もあるが、高いだけであまりおいしくない。あのつんけんしたオバサンのいる売店で買うしかなかった。

 その後の絹枝は弱るばかりだった。当然といえば当然である。何も食べず薬も飲まず、点滴だけで生きているのだ。その頃になって娃子も少しは夜も眠れるようになった。

 点滴も24時間となり、足首を切開して点滴のチューブを差し込んだが、翌日には抜けていた。次は腕を切開してチューブを差し込んだが、このままではまた抜けてしまう。娃子は腕を縛った方がいいのではないかと言った。そして、ベッドの柵に甘く縛られた。酸素吸入の管も最初は自分ではずしていたが、すぐにそのままになった。それでも手を動かしたり、時には奇声を発することもあった。

 

 そして、ある朝、看護婦が言った。


「血圧が下がってます」


 血圧が下がる?

 その意味がわからないまま、看護婦がざわつき始めたが、娃子には絹枝の様子がそんなに変わった様には見えなかった。それでも家の人を呼べと言うから、庄治と正男に電話した。その後、人の血圧が下がると危険なのだと言うことを知ったのだが、電話での庄治の言葉の意味がこれまたわからなかった。


「死んだら、解剖してもらえ。そうしたら、葬式せんでもええんじゃ」 


 解剖?

 いくら、半ボケの庄治にしてもあまりにも唐突な言葉だ。解剖とは頼めばホイホイとやってくれるものだろうか。仮に、解剖したとしても、それで葬式をしなくていいというものではないだろう。


 解剖にも種類がある。人体の構造を調べるための正常解剖。病死した人の状態や変化を調べるための病理解剖。変死体の死因を突き止めるための法医解剖。また、

法医解剖は、さらに法律上の分類によって司法解剖と行政解剖に分かれている。


 庄治の解剖すれば葬式はしなくてもいいと言うのは、正常解剖の献体のことだろう。確かに献体の場合、遺骨が帰って来るのは2年後である。それを庄治の頭では、2年後なら葬式はしなくてもいいと、解釈したようだ。


 何より、男とは働いて女房子供を養うのが当然の時代に、自分の稼いだ金以上の酒を飲み、逆に女房に養ってもらったと言うのに、その女房の死に際して、葬式をしなくてもいい方法を思いつくとはどこまでも身勝手な亭主、いや老人でしかない。

 もっとも、身勝手さはお互い様で、この点ではお似合いの夫婦と言えた。 

 その後、正男がへらへらしながらやって来た頃には、絹枝は持ち直していた。それを確認すると正男はすぐに帰って行った。

 

 絹枝も持ち直したとは言え、元の様に悪態をつくほどの元気はなく、幻覚におびえるようになっていたし、その姿はみっともなかった。


「幻が見える」


 だが、娃子は絹枝がいくら幻覚を見ようが、死ぬとは思わなかった。これからも生きて生きて生き抜いて、心臓だけが動いている状態になっても生き続け、今後ずっと娃子を病院に縛り付けてやらいでかの一念で生きている。いや、これからも生き続けることだろう。
























 














  

 












 

 






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