妙子の場合 二

 「事実は小説より奇なり」とは、正にこのことではないのか。


 誰が、こんなものすごい筋書きを書くだろうか。

 例え、書いたとしても、バカバカしすぎて、誰も読まない。

 だが、現実には存在した、するのだ。そして、その一番身近なところで見聞き出来るとしたら、こんな面白いことがあるだろうか。当事者でないだけ気楽であり、それも、高見ではなく内側から。それこそ、マネージャー的立場で一部始終を見物出来るのだ。

 そして、外へは芸能レポーターよろしく、最初は深刻ぶった顔で声を潜めつつ、見たことを話し始める。そして、最後は最も楽しい、せせら笑いで締めくくる。

 これがあるから、秀子のにも耐えられると言うものだ。


 コのない夫婦が夫のメイを養女を迎えた。それには夫の浮気防止の意図もあったが、その後も浮気癖は治まらず、果ては浮気女との間にコが出来た。すったもんだの挙句、女とは別れた。その後、自分が養女であることを知ったムスメは反抗的になり、放蕩の果ては脳梅毒で精神に異常をきたし、精神病院に入ったままである。

 これだけでも、ちょっとすごいことであるが、ここにはさらにその上を行くがあった。

 何と、妻のイモウトも養女を育てている。また、その養女のジツのオヤと言うのが、ここから歩いて5分くらいのところに住んでいるのだ。もっとも、イモウトは遠方で暮らしているが、年1・2回はやって来る。これだけでも、養女がそのことを知った時、どんな反応を見せるか楽しみであるが、また、この養女が普通のムスメではない。

 とにかく、この恒男と秀子夫婦とそれぞれの身内は、揃いも揃った粒よりのであった。


 

 そんな中に、一人。貧しくても、清く正しい女性がいた。絹枝である。

 秀子がこの家を買う時の金は絹枝から出たものであるが、その金を秀子は未だ一円も返してない。絹枝が楽に暮らしているのならともかく、絵にも描けないような貧乏暮らしをしていると言うのに、絹枝は秀子に一度たりとも、貸した金を請求したことはない。だからこそ、秀子もそのことを黙っていられなかったのだろう。町内でこのことを知らない者はいない。


「私ら、あの人のマネはようせんわ」


 と、誰もが口を揃えて言ったものだ。


----何と、清々しい人やろ…。


 金のことだけではない。この娃子と言う養女。絹枝が望んでもらい受けたと言うのではない。離婚したジツのオヤの義男が養育費を払いたくないが為、前妻のところから連れ出し、絹枝に押し付けたと言うのだからひどいものである。それだけではない。娃子は火鉢の中にセルロイドのおもちゃを自ら火鉢の中に落としてしまい、それで顔面に火傷を負ってしまった。何度も生死をさ迷いながらも、娃子は生き延びた。そして、顔面一杯のケロイド顔で今も生きている。


「のう、娃子にアメ一つ買うちゃりもせんのんで」


 娃子の為に金を使い果たした絹枝であるが、その後は土方のような仕事をし、必死に娃子を育てている。それなのに、義男は知らん顔である。再々婚した義男には3人の子がいた。だが、いつでも、娃子は無視である。絹枝が言うのも無理はない。あまりに素っ気なさすぎる。


----男オヤて、あんなもんやろか…。


 妙子にはコがいない。そこで夫に聞いて見るも、なぜか言葉を濁してしまう。 


----そら、いくらオヤコや言うても、あの顔ではな。それに、よそへやったコやし。


 世の男など、こんなものである。子煩悩な男の方が珍しい。


 当の、娃子は絹枝の丹誠の甲斐あってか、大人しいいいコに育っていた。茂子とは大違いである。だが、茂子も言った。


「そら、絹枝オバチャンのコやもの。あんなやさしいオバチャンやったら、誰かてええ子になるわ。ならいでか」


 さらに、茂子は続けた。


「オバチャン。ここにいてたら、頭おかしゅうなるわ。うちのオカアチャン、怒ってばっかり。それも何を言いたいんか、さっぱりわからんっ」


 そうなのだ。秀子は茂子を頭ごなしに怒ってばかりいた。そのせいかどうか、実際に茂子の頭はおかしくなった。

 どうしても、娃子と茂子はされる。茂子は恒男のメイであり、娃子は義男のムスメであるが、秀子絹枝の姉妹に育てられていると言う共通項がある。だが、何たるこの違い。

 片や、放蕩ムスメ。本来なら、娃子こそ僻み根性満載のムスメに育ってもいい筈なのに、そんな気配すら感じさせない、どちらかと言えば明るい性格である。


「わしとアネでは精神が違う」


 と、絹枝が自慢したくなるのもわかる。絹枝は、娃子を甘やかすどころか、厳しく接しているくらいである。


----まだ、小さいのに、きついこと言うんやなあ。


 と、思ったことも少なからずある。だが、それは絹枝の教育・躾だと思った。


----そやから、娃子ちゃんが、あない、ええ様に育ったんやわ。


 だが、秀子も負けてはいない。


「今に見とき。直に絹枝も、娃子からやられるわ。何が不可抗力やねん。あんなあ、何が悪い言うて、コドモに火傷さすオヤが一番悪いねん。ちゃんと見てへんかった言うことや。私ら、茂子にケガさしたこと、いっぺんもあらへんで。それにな。茂子がああなったのも、絹枝が甘やかすからや。私がちゃんと躾しよ思うてんのに、その端から絹枝が甘やかすんやから。結局のところ、行き当たりばったりでしか、コドモ見てへんから、あないことになってまうんやわ。そら、娃子は、まだ、小さいよって大人しゅうしてるけど、年頃になったら、さぞ…」


 と、この時は、恒男と顔を見合わせ笑っていた。それは、まるで、パブロフの犬のように、その口元から今にもよだれが滴り落ちそうなだった。


「女にとって一番大事な顔をあないされて、誰が黙ってるかいな。そら、大事おおごとになるやろ」

「そら、そや。誰が考えても一緒や」


 その後、娃子は顔の手術をしたが、思わしい結果は得られなかった。そのことが余計にでも、秀子と恒男のに火を点けた。

 娃子と茂子のことでは、多いに分が悪い秀子と恒男だか、近い将来勃発するであろう「娃子の乱」にワクワクが止まらない。


----ふん、今に、見とれ ! そん時になって、吠え面かい、てもええで。その顔、よう見たるよって。


 とっくに冷めた夫婦でも、この点だけはピタリと一致した。さらに二人とも、絹枝にもした。


「娃子は、そんなにならんわ」


 これも、絹枝の負け惜しみと思っている。だが、妙子も正直先のことはわからない。ひょっとしてと思わぬことはない。まあ、どっちにしても、妙子とてこれからが楽しみである。これから、とっくりと見物させてもらうとしよう。

 だが、恒男はその結果を見ずに逝ってしまった。さぞ、心残りだったことだろう。


 その後、娃子は洋裁学校へ通い、またたく間に絹枝の着ているものは、普段着からして、娃子が縫ったものばかりになった。さらに、やって来る度に新しいスーツを着て来る。また、その柄のいいこと。まさか、絹枝がこんなにセンスがよかったとは…。

 それだけではない。ちょうど正男一家と同居し始めた頃である。孝子と博美に何枚も服を縫ってやり、果ては、茂子にもワンピースを作ってやったが、秀子にはスカート一枚作ってやらなかった。

 そりゃそうだ。貧乏でろくに洋服も買えなかった絹枝が、娃子を大阪の美容整形外科へ連れて行く時の、みすぼらしい格好が思い出される。


「着るもんないんやったら、別にやらいでも。貸してあげたらええのに。一枚も貸してやらへんのやから…」


 と、妙子はため息交じりにしっかりと近所に触れ回ったものだ。今となっては、秀子も後悔していることだろう。あの頃、服の一枚でも貸してやったら、絹枝のことだ。秀子にも何か作ってやったことだろう。

 10年後。ようやく秀子にチョッキを作ってやる気になった絹枝だが、その時には秀子はこの世にいなかった。お陰でそのチョッキは妙子のものとなった。

 あまりに欲をかくものではないと言うことだ。



 そんな妙子にも歳の離れたイモウトがいた。そのイモウトが三十半ばで結婚をし、男の子を生んだ。だが、このイモウト夫婦は水商売をしていた。イモウトも働かねばならず、そこで、妙子にコドモの面倒を見てくれるよう依頼してきた。無論、それ相応のことはしてくれ、妙子に異存はなかった。

 コのない妙子はオイをかわいがった。だが、オイには軽い知的障害があった。それでも、かわいいオイには変わりなかった。

 そんなオイを、絹枝はそれこそ「ジィッーー」と凝視していた、かと思えば、プイと顔を背け、その後は全くの無関心。オイを扱いした。

 これには、妙子は驚いた。


----この人、こんな人やったんか…。


 娃子と言う異形のムスメを育ているのだから、よそのコにも。特に「」のコにもやさしいだろうと思っていた。それにしても、このあからさまの無視は一体何なのだ。


「たっちゃん」


 と、娃子と博美はオイの相手をしてくれ、孝子がよそのコに関心がないのもわかるが、まさか、絹枝がこんな人間とは夢にも思わなかった。

 妙子の知っている絹枝は、たまにきついことも言うが、明るく情のあついハハオヤだった。

 秀子からどれだけバカにされようとも、正夫を庇い、何より、娃子をここまで育て上げて来た。また、あのマミちゃんもかわいがっていたではないか。

 その後も絹枝のオイ無視は続いた。いや、オイを見ると、露骨にそっぽを向くのだ。そこへ博美がやって来た。


「おう、博美博美ぃ」


 と、まるで、オイに見せつけるかのように、これまた露骨に博美をかわいがる。またも、秀子の言ったことが思い出される。


「妙ちゃん、あんたは知らんやろけど、絹枝なあ、あれで結構、娃子をたんやで。娃子はな、茂子とごて感情を爆発させへん。せやよって、余計恐いねん。あの娃子が本気で怒ったら、さぞかし…。大変なことになるでぇ」


 そう言えば、いつだったか絹枝も言った。


「娃子貰わんと、博美をもろときゃ、よかった思うてのぅ」


 妙子は一瞬、絹枝が言っていることの意味がわからなかった。娃子と博美の年齢差が10歳としても、娃子を義男から押し付けられた時、正男はまだ独り身だったではないか。その時は、いつものきつい冗談と聞き流してしまった。


----何か、思い違いしてたんやろか…。



 人には扱いやすい人間と、扱いにくい人間がいる。それは、肉親の場合でも同じである。

 孝子と博美では圧倒的に博美の方が扱いやすい。秀子ですら、つい、博美の方に用事を言い付けていたものだ。

 その秀子が死んでからの正男も何かと言えば、博美に用事を言い付けた。一つには秀子と言う、うるさいたがが外れたことにより、孝子が根が生えたように動かなくなってしまったこともある。最低限のことしかやらない。また、迂闊にものを言えば、即座に「なにいぃぃ ! 」と噛みつく。その点、博美は機敏であった。それをいいことに、何でも博美に言い付けるのだ。


「また、うちや」


 博美が文句を言うのも無理はない。傍から見ても、博美を便利屋扱いしていることくらいわかる。これでは博美がかわいそうだ。さすがに妙子も言った。


「正男さん。何でも博美ちゃんばっかりやらせんと。孝子ちゃんにも言わんかいな。それより、あんたも少しは用事せな ! 」


 正男は笑っているだけだった。そのことも絹枝に話した。


「博美ちゃん、ホンマ、ようやってるわ」


 と、妙子は博美を褒めただけである。だが、絹枝は、娃子を小突きながら言ったものだ。


「お前もちゃんとせえよ」


 そう言った時の絹枝の意地の悪そうな顔…。


----この人、こんな人やったんか…。


 娃子の顔を見る間でもなく、妙子は後悔した。博美を褒めただけのつもりが、娃子にとんだとばっちりが行ってしまった。いや、あの秀子ですら言っていた。


「娃子なあ、何やらしてもきれいで早い。それだけやのうて、教え方も上手いわ。博美は野菜を無駄にせんようなったし、孝子かて使こた包丁すぐに片付けるようになったわ」


 それなのに、絹枝は、娃子の何が気に入らないと言うのだろう。それどころか、秀子は絹枝が死んだら、娃子を引き取るつもりでいた。そして、自分と茂子の面倒を見させる気でいた。それは叶わぬ夢となってしまったが、そんな娃子を気に入らないどころか意地の悪い目付きで、娃子をバカにする。それも、年下の博美の前で…。


 そんな妙子も絹枝が、娃子にの喪服を作ってやったと聞いた時は少なからず驚いた。


「ええ、絽の喪服持っている人はいてませんよ」


 何だかんだ言っても絹枝は、娃子のことを気にかけていると思ったものだが、またも驚いた。確かに、娃子は絽の喪服は持っているが、普通の喪服は持ってない。さらに、秀子の死後、絹枝は自分用の喪服を仕立てたと言う。

 

----えっ、何で、絽の喪服が先なん? 

「なあんか。そんなもん、着物じゃに、袖くらいちょっとごまかして着りゃあえんよのう」


 つまり絹枝は、着物は誰とでも出来ると言う。だが、絹枝の身長は、娃子の目の高さしかない。また、洋服の袖丈は7センチ違う。それを絹枝はごまかして着ればいいと言うが、それは無理と言うものである。ゆきが7センチも短く、不足の着物など到底着れたものではない。


 そして、やっと、妙子は気が付いた。


----ああ、この人は、聖母やなかった…。


 思えば、この近辺に絹枝の「」を広めたのは他ならぬ、妙子自身である。

 素晴らしい人だ。まさに、聖母だと誉めそやして回ったものだが、そうではなかった。やっと今、気が付いた。


 それだけではない。この絹枝と正男の姉弟。今までは秀子の陰に隠れて見えなかっただけかもしれない。結果、悪いことはすべて秀子に押し付けることが出来た。

 正男は大人しいだけの男。絹枝は気は強いが慈愛深い女と思っていた。だが、秀子亡き後、この二人の「地」が見えて来た。

 正男は猜疑心こそ強くはないが、やっていることは秀子と同じである。絹枝や自分の身内には金を使わない。今まで、絹枝にあれこれしてもらったと言うに、岩おこし一つでチャラにしている。娃子などは論外なのだろう。

 また、絹枝も優しいハハオヤではなかった。娃子に物は買ってやるが、心はやらない。いや、博美が成長した今、娃子など蚊帳の外。

 絹枝にとって大事なのは、血のつながったオトウトの正男、メイの博美でしかないのだ。


 それにしても、娃子は。この娃子と言うムスメの頭の中はどうなっているのだろう。こうなって来ると、娃子の沈黙が、顔同様、不気味でならない妙子だった。




























 

  














 






 
















































  


 



























 




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