異常なるもの 四

 「気随きずい気儘きまま気まぐれ」が絹枝の三大性格である。この3つの性格がその都度、モグラ叩き式に出て来る。気随気儘は怒りとなって表れるが、気まぐれの方も負けてはいない。よって、怒りも、同じ怒りばかりでは飽きてしまう。新たな怒りの為にまたも気まぐれを起こす。

 何を思ったのか、次の大阪行きには庄治を連れて行くと言った。思えば、この20数年、旅行などしたことのない庄治である。庄治は新幹線に乗るのも初めてだった。

 人は、娃子を素直だと言うが、本当に素直なのは庄治である。

 これ程、無邪気に生きた男はいない。子供の頃は悪ガキ、青年期には飲む打つ買うで粋がり、軍隊で体は鍛えたものの、戦後は酒と楽な失対の仕事だけの日々。精神的には年をとっただけの子供であり、その悩みはもっと酒が飲みたい、もっと遊びたい、楽をしたいでしかなく、その後は体の衰えを感じる度に老いを素直に受け入れて来た。


----もう、無理はでけんの。


 60歳をすぎてからの庄治の老いには目覚しいものがあった。特に最近は動作も緩慢になり、口のろれつもおかしく、同じ言葉を意味もなく続けて発するようになり、酒を飲んだ後はぼんやりテレビを見、9時ごろには床に就いた。もはや、絹枝が娃子に文句を言うのを面白がり、便乗怒りするような気もなくしていた。

 それでも旅行となると初めはニコニコしていたが、やはり疲れたらしく、着いた日の夜は、孝子が作った卵抜きのエビフライで酒を飲み、すぐにも寝てしまいたかったが、そこに、どうでもいい乱入者がやって来た。

 義男だった。偶然やって来たのかと思ったが、どうやら則子が絹枝たちを見かけたらしい。義男も絹枝と同じである。言いたいことは言わずにはおれない。いや、言うべきであり、自分の正当性を知らしめたい。知るべきだと押しかけて来た。


「わしが、今まで秀子の為に、正男の為にどんだけのことをしてやった思うとんや。それを、勝手に金を引き出しゃあがって。親戚付き合いせん言うたんぞ ! そうじゃろうが、正男ぉ。のっ、ネエサン、こんなんで」


 自分から親戚付き合いをしないと言って置きながら、今は正夫が言ったことにしている。この点も、絹枝と同類である。


「そんなら、お前んとこのムスメゃなんなら」


 絹枝がまだ、義男の行為を脅迫だと騒いでいた頃、思い立ったら、即行動に移すのも絹枝である。警察がダメなら、直接文句を言いに行くと立ち上がり、引き止めても聞く耳など、端から持ってない。仕方なく、娃子も正男も付いて義男宅へ行くも、在宅していたのは次女だけだった。

 次女はリョウシンが留守だからと、玄関払いをした。まさか、以前、則子と一緒にやって来た時、熱を出していた寝ていた時の、娃子が対応に怒った則子から、次に絹枝たちかやって来たら、同じことをしてやれと言われていたのか。とにかく取り付く島もない対応だった。

 絹枝はその時のことを言っているのだ。


「あん時ゃ、娃子は熱を出して寝とったんじゃ。そんでも、お前んとこのムスメは熱もなけりゃ元気じゃったのに、突っ立ったまんま、留守じゃ言うただけで。それに、親戚付き合いせん言うたんは、お前の方じゃないか ! 」

----手土産、一つ持った来たことないくせに !


 弁護士ならともかく、義男なんぞに負けない絹枝だった。側で、庄治は眠そうにし、正男は座っているだけだった。


「うちのムスメは、まだ、子供じゃあ」

「何が子供ならっ。博美より年上じゃないか。いや、孝子よりも上じゃあないんか。孝子はのう、美容師で働きよんじゃ。それに、博美でもあんなことせんわ ! 」

「そんなら、正男はどうならっ ! 」


 娃子は止めろと言った。何をいつまで不毛な言い争いをしているのだ。

 

「お前は黙っとれ ! 」


 娃子はコップの水を義男にかけた。ちょっと離れていたが、これは見事にヒットした。

 義男は黙って、娃子を睨みつけた。憎悪の目で睨みつけていた。その様子を絹枝は笑いながら見ていた。


----ざまあ、見やがれ。

----こいつ、知っとんか…。


 娃子は帰れと言った。二度と来るなと言った。


「なあんも、してやらんかったけんのう」

「わしゃ、わからんようにしてやったんじゃ ! 」


 それが、娃子のためだと思い、余計にでも何もしてやらなかったと義男は言ったが、それはウソである。

 この国では、どんな人間でもオヤになった途端、尊敬される側に回る。オヤとは無二の存在であり、茄子の花とオヤの小言は千に一つの無駄もなく、オヤのすることにはすべて理由わけがあるとされる。

 そう、オヤには人権があるが、コにはない。だから、オヤがコを殺しても罪には問われない。無理心中と言う言葉で片付けられてしまう。

 心中とは、男女の相対死にを言うのであって、オヤのコ殺しの言い訳に「無理心中」と言う言葉を使うべきではない。だが、コのオヤ殺しは許されない。さらに、オヤの罪はコの罪である。


「コには、罪はない」


 とは、わざわざ、コに罪を着せるための言葉である。 

 また、この国の大人達は子供をバカにし過ぎる。自分が鈍感だったから、子供もそうだと思ってしまう。鈍感なオヤを見ていれば、逆にコは敏感になる。いや、子供とは敏感なものである。その敏感さを大人はいとも簡単に否定する。

 そんな子供たちがオヤになれば、同じく否定をする。仕付けと称してその腹いせをやるのだ。こんな面白いことはない。

 さらに、オヤには「オヤ」であると言う驕りがある。どんなコでも、オヤを慕うものと思い込んでいる。

 この国のコは、オヤの従属物でしかなく、正面切って、オヤの悪口でも言おうものなら、それこそ袋叩きに合う。つまり、煮て食おうと焼いて食おうと、オヤの勝手。それが許される、この国はオヤ天国である。


 世のオヤ達に告ぐ。

 育てられないコは、施設に送ってほしい。施設がどんなところか知らないが、手っ取り早く、身内に押し付けるようなことは止めてくれ。押し付けていいのは、精々祖父母くらいである。絹枝たちのオヤは秀子のコを見殺しにしたが、これはあの時代だから出来たことである。

 特に、ムスメの場合、他人の男と暮らしてはいけない。その時は子供でも10年経てば、女である。その時、冷静な男がいるだろうか。ムスメが初潮を迎えた途端、そこにいるのは他人の女でしかない。それまでの「オヤコ」としての情?そんなものはないに等しい。仮にあったとしても、一瞬で吹き飛ぶ。


「世の中、そんな人ばかりじゃないよ」


 世の女たちの多くは、男と言うものがわかってない。わかってないから、平気でこんなことが言えるのだ。

 男の一番の願望は、世界中の女とやりまくりたいである。ジツのムスメにも手を出す鬼畜もいるのだ。

 事情あるムスメを引き取り、その後、自分たちのムスコが生まれた。ある時、オトウトがその事実を知った。そして、それまでアネとして接していた女に襲い掛かった。その時は激しく抵抗し、難は逃れたものの、そのことを知ってもオヤたちは何も言わなかった。そんなものである。

 だからと言って、施設が素晴らしいと言うのではない。ある施設では「サトオヤ制度」があり、夏冬春の学校が休みの時、家庭と言うものを知らない施設の子供を預かってもらうのだが、サトオヤ先のオトウサンからセクハラされる…。

 男とはそんなものである。それが男である。

 だが、それでも施設に預けろと言うのは、そこには「恩」が発生しないからである。施設とは人の税金で成り立っているところであるが、納税者が「恩」を押し付けるだろうか。米の一粒迄、恩に着せるだろうか。

 誰かに養われると言うことは、それだけで無条件降伏を強いられ、計り知れない重い恩を背負わされることになる。


 近年、ムスメのいるシングルマザーはモテルと言う。だが、ムスメのいるシングルマザーは結婚してはいけない。男はそのムスメに迄、目を向けているのである。では、結婚しなければいいかと言えばそうではない。交際男性にムスメを合わせてはいけない。親しくなれば、警戒しなくなる。男はそれを狙っている。我がムスメに他人の男を近づけてはいけない。


 もう一度言う。

 人生は、オヤと見た目で決まる。

 


 あくる日の夜は、孝子と智男を除くみんなで外出した。難波の一つ手前の駅で降り、歩いた、とにかく歩かされた。ネオンから遠ざかり、道は狭くどんどん暗くなり、やがて住宅街へと入って行った。この先に何があるのだろうと思っていると、誘蛾灯ゆうがとうの様にポツンと灯りが見えた。そこは普通の食堂だった。そして、店のカウンターに座り、ウナギ定食を食べた。店を出るとすぐに絹枝は娃子に言った。


「いづもやの方がうまかった」


 娃子と一緒にいづもやでウナギを食べて以来、絹枝は折りに触れ「いづもやのウナギはうまい」と言っていた。だから、今夜はいづもやに連れて行くものと思っていた。何より、ここはウナギ屋ではない。娃子はここまで歩かせるのなら、あれほど絹枝がいづやのウナギと言っているのだから、いづもやに連れて行けばいいのにと思わずにはいられなかった。


「ここ、安いしな」


 確かに、いづもやは1200円、ここは900円だが、安いには理由わけがある。正男は何でも安いもの、いや、安いものにしか飛びつかない。そして、義兄のための外食もケチった。


「ジイサンはわしらが大阪でええことばっかりしとると思うとったんで」

 

 娃子と大けんかをして以来の、庄治の呼び名はジイサンであった。

 絹枝と娃子がよくいそいそと大阪に出かけていくのは、行けば何かいいことが待っているに違いないと庄治は思っていたようだが、今は正男宅になったしまった家に来ても、特別なことは何もない。そのことを庄治に知らしめる意味もあったようだ。


 そして、帰宅すると階下の主婦から、マサオが来たと聞かされた。このマサオというのは庄治の腹違いの弟である。偶然、オトウト同士が同じ名前であり、こちらも大阪に住んでいた。

 娃子がマサオに初めて会ったのは中学生の時だった。寺の坊主に連れられてやって来たが、娃子は坊主の顔すら見たことはない。正男を連れて来ただけで何も言わずに帰って行った。この坊主と庄治たちがどの様な関係なのか知らないが、こうしてマサオを連れて来るくらいだから、親戚筋に当たると思うのだが、とにかく庄治一家とは関わりたくない様子が見て取れた。それは、一にも二にも、娃子がいるからである。うっかり親しくすれば、金を貸せと言って来るかも知れない。それで避けている、葬式屋の片棒を担いでいるだけのエセ坊主である。

 マサオが帰った後、庄治が言った。


「あの坊主が、うちのことをあれこれ言うて、は食べるんが、やけん、飯はで食いんさい言うたげな」


 まだ、川で貝掘りが出来た頃、その貝を絹枝は庄治に寺へ届けさせたこともある。


「貝なんか持って行ったもんやけん、こんなもんばっかり食いよる思とったんじゃのう」


 だが、マサオは言った。


「のっ、ニイサン。わしゃ、粥食うてもええ。ニイサンと話しながら、粥食うた方がなんぼええか」


 その日の夜はすき焼きだった。だが、その後はマサオから礼状も年賀状も来た事はない。そして、また不意にやって来た。娃子が21歳の時だった。


「歳、取ったらキョウダイが恋しゅうなるんや」


 さらに、成長した、娃子を見て、知り合いの息子に「」青年がいる。その男との縁談を持ちかけた。絹枝にしても、思わぬ展開だった。このマサオも離れているとはいえ、同じ大阪に住んでいる。また、こうして話をしてくれるからには悪い相手ではないだろうと期待した。そして、娃子の写真を撮って帰ったが、またもその後は音信不通。

 これには絹枝は怒った。写真を持って帰ってその後知らん顔とは何事か。今度やってきたら、只では済まさない。これには庄治も返す言葉がなかった。

 当然あれから引っ越したことも知らず、前の家に行きそこで引越し先を聞いてやって来たが、ちょうど行き違いになってしまったと言うわけだ。仕方なく階下の主婦に土産の奈良漬を預けて帰って行った。

 絹枝はマサオに文句はいい損なったが、奈良漬の土産は喜んだ。それにしても、今頃になって何でまたやって来たのかと思わないではいられなかった。


「金よ」


 絹枝は奈良漬を食べながら言った。それしか考えられなかった。今まで手土産一つ持って来ず、この前は帰りの切符も買ってやったというのに、不義理を恥もせずにやってくるのは金しかない。それでも今回は全くの骨折り損になってしまった。


「オヤのあたたみを知らけんの」


 思うようにならないとすぐに癇癪かんしゃくを起し、物に当たる庄治に対して絹枝が言ったことである。では、マサオはどうなのだ。悪ガキの庄治を奉公に出した後は、それこそリョウシンの温みを一心に受けて育っただろうに。オヤに愛されて育ち、今は二人の子のオヤであるのに、平気で他人の尊厳を踏みにじることが出来る人間にのだ。


 よく、キョウダイは他人の始まりと言うが、これはおかしな話である。

 我が子と言っても、半分は他人の血である。半分しか血のつながりがないのが、我が子である。たかが、されどと言う気はないが、なぜか、その半分にしがみつく。

 その点、キョウダイはそれぞれのオヤから血を受けている。最も「濃い存在」ではないのか。


「そりゃ、そこに他人が付くじゃない」


 そう言うアンタにしても、夫の身内からすれば他人であるのに、ムスコのヨメは他人だと言う。いかに血筋と言えど、他人を入れなければつながって行かないのが「血」である。同族結婚が良くないことを知っているくせに、他人を嫌う。

 他人とともに生きて行かなければならないのに、他人を毛嫌いする、この国の住人たち…。


 娃子にはよくわからない。 

 














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