写植とは

 写植とは「写真植字しゃしんしょくじ」のことである。

 写真植字は19世紀中頃からイギリスやアメリカで研究・試作されていた技術であるが、アルファベットは文字毎に幅が異なり、単語間にスペースがある等、複雑な組処理が必要で、印字する文字が見えない写真植字では困難だった。このことが欧米の写真植字の実用化を阻んで来た。

 そんな中、写真植字を初めて実用化したのは日本人である。石井茂吉(写研)と森澤信夫(モリサワ)が1924年に特許出願し、1929年に実用化した。

 戦前は活版印刷が大勢を占めており、写植は軍関係や映画の字幕等の特殊用途以外では殆ど使われることはなかったが、戦後は広告・カタログ・パンフレット等の「端物」と呼ばれる印刷物の需要増加や印刷のオフセット化が進み、文字で多彩な表現ができる写植が普及、活版印刷の独擅場だった書籍の組版も写植が取って代わろうとしていた。


 娃子も写植のことは知っていたが、この町ではまだそれ程の普及はない。しかし、活版印刷そのものより、会社に展望を見いだせない今、挑戦してみる価値はあるかなと思った。絹枝も庄治も年老いてくれば、すべては、娃子にかかって来る。その時に収入の道だけは確保して置きたかった。

 研修後は就職先も紹介してくれると言う、写植機の販売会社に電話をして見た。確かに就職先の世話もすると言ってくれた。研修期間は一カ月だが、交通費も含めると3万ちょっとかかる。それくらいの金は持っていたが、やはり、迷う…。

 いや、電話をかけ、話を聞いた時点で、娃子は決断していた。

 会社には辞めることを伝え、オジサンと角田さんには、これからは写植をやると言った。


「すまんかったのう。こんなとこしか世話出来んで」


 と、オジサンは言ったが、それは違う。ここで働けたことには感謝している。角田さんとも久美子とも仲良くなれたし、お陰で貯金も出来た。だが、娃子は次のステップへ進む。


「わしものう。もうこんな、活字のケツ追うような仕事しとうないんじゃ。わしは火を使う仕事やったらええそうなんじゃ」


 火を使う仕事と言っても、先立つものがなければどうしようもないではないか。


「そん時は、アイちゃん、出せや言うて来るんじゃない」


 と、角田さんは笑いながら言ったが、もう、金は貸さない。それでも、感謝の気持ちとして、最後に饅頭を手渡した。 


 この頃には、詩のサークルは自然消滅状態となり、同人誌もここのところ目立った活動もない。やはり、これらの活動は世話役となる人がいなければ続いて行かない。絵の会は存続しているが、エリも呉服屋のムスメも結婚し、新しい会員も入って来たが、以前ほどの活気はないと看板職人が言っていた。

 健君は、週に3回透析を受けつつ、家で子供たちに絵を教えている。子供相手なら、体がだるい時に座ることも出来る。たまに、絵の会に顔を出すそうだ。皆、それぞれの道があるのだ。

 

 娃子は仕事を辞めたことを絹枝には言わなかった。朝は今までと同じ時間に家を出る。研修は10時からだが、そこまで行くにはバスと電車で1時間ちょっとかかる。娃子は家から駅まで歩くことにした。駅まで、娃子の足で30分。時間に余裕があるのと、少しでも節約したかった。研修費だけでなく、月末には絹枝に生活費を渡さなければならない。だが、朝の時間に余裕があると言うのはいいものだ。娃子はちょっとした学生気分を味わっていた。事実、女子大生に間違えられたこともある。

 

 研修の講師は、まだ若い女性で事務もやっていた。


「私は教えることは出来るのですが、実際に打つことは出来ません」


 娃子が習ったのは、モリサワ式である。活版は活字を拾う、版を組むだが、写植は印字、打つと言う。

 写植機はそこそこ大きいものだった。先ずは上のドラムに印画紙(フィルム)を巻き付ける。印字の大きさは号数ではなくポイント。目の高さにレンズ筒の丸束があり、文字の大きさに合わせてレンズを変えて行くだけでなく、斜体、平体も出来る。1ミリの4分の1間隔の歯車で字間を調整し、文字版は左右に2種類セット出来る。また、文字盤の種類も多く、写植独自の文字だけでなく勘亭かんてい流もある。

 その文字盤がスライドする。文字を探し当てたらレバーを押すが、上のドラムにはが表示されるだけで、間違えて打ってもわからない。打ち終わればドラムを閉め、暗室へ持って行き、現像液に浸ける。要は写真である。

 ここまでが写植機の仕事であり、版組み・製版は別の作業となっている。


 この時の研修生は7人。全員、娃子より若く、会社から派遣されて来ていると言っていたが、別の2人はどこかの施設からやって来ているとかで、大人しいのだが飲み込みが悪かった。自費でやって来たのは、娃子一人だった。

 肝心の写植機だが、操作を覚えればそれでいいと言うものではない。そこはやはり、文字を探すことには変わりない。最初は誰でも四苦八苦する。

 「一寸の巾、ナベブタ、シンニョウ、ハコカマエ…」と文字配列の覚え方もあるが、そう簡単に探せるものではない。確かに活版とは文字配列も異なるが、やはり、娃子には活版印刷で培った勘がある。


「『々』がどこにあるかわからんのんじゃ」


 昼休みに一人の男子が言った。「々」などは約物と言い、その場所も大体決まっている。


「そんなら、これは…」


 と、他の人からもわからない文字を聞かれたものだ。そして、月も終わりに差し掛かった頃、試験があった。70点以上取らなければ合格とはならない。娃子は合格したが、施設の二人は届かなかったようだ。その後、娃子は就職先の人と会うことになった。

 その人は専務であり、30代半ばと若く、それこそ、誠実さが服を着ているような人だった。人を見た目だけで、その時の印象だけで判断する気はないが、おそらく、そんなに期待を裏切られることはないだろうと思った。


「衣装代に倒れるぞ」


 娃子がそれまでの職場を辞めたことは、薄々感づいていた絹枝だったが、次の働き先がともなれば、それなりの格好で通勤することになる。だが、娃子はこの一カ月ので、それほど着飾ったりした人はいないと思った。だが、今までの研修とは訳が違う。これからは、朝は5時半に起き、弁当を作り、化粧をし、6時半のバスに乗らなくてはならない。そして、電車、また、バスに乗る。その方が大変である。それでも自分の決めた道である。やるしかない。

 朝の車内のほとんどは通勤客である。やはり、空気が違う。これからは自分もこの空気の中で生きて行くのだと思った。そんな時、途中の駅から乗って来た1人の男。もう、オッサンだが、とにかく、娃子から目を離さない。視線を外そうとしても、凝視して来る。こんなこと、慣れているとは言え、初日から、それもこれから毎日同じ時間に乗り合わせるのだ。

 駅に着き、すぐに立ち上がりドアから出ようとした時、肩を叩かれた。思わず振り返れば、あのオッサンだった。


「糸くずが」


 今時、どこの誰が糸くずの付いたような服を着ていると言うのだ。こうやってまで、娃子の顔を近くで見たいのだ。わざとぶつかられ顔を覗き込まれたこともある。なぜか、男はこれをやるのだ。

 娃子は黙って歩いた。早くバスに乗らなくては、こんなことに構ってはいられない。



 この会社の社長夫妻には子供がいない。専務は奥さんの歳の離れた弟だった。社長は絹枝と同年代に見えたが、無口でいつも写植機に向かっているような人だった。会社の切り盛りは専務がやっている。

 写植機は8台あり、この時は女性は一人だった。奥に製版室があり、こちらは製版主任と女性が3人。また、入り口に古いタイプの写植機が置いてあった。初日と言うこともあり、先ずはその機械で新聞記事を打つようにと言われた。


「ああ、字はよう知っとるね」


 しばらくして、やって来た専務が言った。すぐに女性の隣の機械で仕事をすることとなった。写植主任から、原稿を貰い文字の大きさ等の指示を受け、機械に向かう。

 こうして、娃子の写植オペレーターの仕事が始まった。

 何と、10時頃にお茶が出て来た。専務の奥さんが入れてくれたのだか、この専務夫婦、先ずは美男美女の部類に入る。子供は小学生の男女が二人。そして、奥さんは、娃子にもにこやかに接してくれた。世の中には、こんなにも穏やかな人・夫婦もいるのだ…。

 肝心の仕事だが、やはり、印刷物の仕事である。例によって、そこら辺の紙へ走り書きの様な原稿もあり、自分で文字を拾い、組版を作って行くようなものだから、一行の文字数を数えたりもする。

 印刷とは、形は変われど、不完全なものを渡されて、完全なものを要求される仕事に変わりない。

 幸いなことに、仕事面は評価してくれた。隣の女性が驚いたと言う。写植をやり始めたばかりなのに、打つのが早いと。だが、この彼女、朝から居眠りしている時がある。それに気づいていながら、主任も何も言わない。そして、また、新しい人が入って来たと思ったら、何と、以前この会社で働いていた男性で、出たり入ったりを繰り返しているのだとか。ここは出戻って来ても、受け入れてくれるところなのだ。

 だが、今度は娃子が驚いた。この若い彼。印字打ちがものすごく早い。娃子も早さでは決して人に引けは取らないが、彼は頭抜けていた。しかし、早いのも確かだが、ミスもそこそこ多いそうだ。俗に「千三つ」と言い、千文字打って、ミスが三つくらいなのがベストとされているが、それでもこの早さは、やはり捨てがたい。

 そんな彼がどうして、この会社に出入ではいりを繰り返しているのか知らないが、まだ、22歳と若いのに結婚して子供もいる。とても子持ちの男には見えないので、女は寄って来る。結婚していると言わないで遊んでいるそうだ。

 そして、製版部の頭にちりちりパーマをかけた、娃子と同い年の漫画家志望の女がいた。地黒で化粧気はなく、時には野球の背番号のように大きい「8」と描かれたシャツを着て来る。たまに弁当を持って来たかと思えば、作ったのはハハオヤと言うオチ。


「私は若く見える」


 と言い、そので、社内の長身のハンサム男を追いかけ回している。こちらは独身の23歳で問題はないが、さっぱり相手にされないどころか嫌われている。それにしても、そのアフロとオバハンヘアーの中間みたいな、ちりちり頭がどうにかならないものだろうかと思う。そこそこに、色んな人がいるものだ。

 そんなことより、娃子は仕事が楽しい。出来るだけ早く仕上げて次に取り掛かりたいが、一番好きなのがチラシである。慣れてくれば、書体も任される。チラシとは、限られたスペースの文字をどれだけ目立たせるかである。写植は字間を詰めることが出来る。特に片仮名の横打ちでは1ミリづつ詰めて打っても読みづらくはない。出来るだけ大きな字でアピールするため、例えば、24ポイントの文字はその下の20ポイントで打てる。また、勾玉の様なスペースに徐々に文字の大きさを変えて打つなどの面白さもある。

 活字の中にも「無い字」があり、その時は、二つの活字から、偏と旁をそれぞれ削り取り、一つの活字にすることを「作字」と言う。

 写植も作字をする時がある。勘亭流ともなればさすがに文字数は少ない。勘亭流の文字盤には「呂」がなかった。そこで、娃子は「宮」を大きい文字で2種類ほど打っておいた。そこは製版の人も慣れたもので「宮」から「呂」だけを切り取って使ってくれた。

 惜しむらくは、完成品を見ることが出来ないことである。だが、チラシの場合はたまに新聞に入って来る。自分が打ったチラシが見られるのは嬉しいもので。そのチラシは貰って帰えった。


 最初の1カ月は定時で帰っていた、娃子だが翌月からは残業をするようになった。そして、残業時にはパンが出た。このパンを取って置き、朝のお茶の時に食べた。たまに、ラーメンの時もある。その時は、食事はいらないと家に電話した。残業すれば、帰宅は8時頃になるが、土曜日は残業がない。駅ビルで買い物をする時もあるが、どちらにしても競艇帰りの客と一緒になるのが嫌だった。酒の匂いをさせ、グタグタとうるさい。若い女を見ると絡んで来ることもある。娃子は、帰りの車内ではひたすら文庫本を読んでいた。


 今に始まったことではないが、娃子は家に帰りたくない。仕事を辞めて、久々の専業主婦となった絹枝だが、うるさいことには変わりない。給料日には、駅で絹枝の好きな一口サイズの餅を買い、今までより多めの金を手渡せば、この時だけは機嫌がいい。


「風呂、おごってくれえの」


 と、銭湯券もねだる。銭湯券は10枚分の値段で11枚買えた。その券はテレビの上に置いていた。


「まだ、なんかのぅ。ああ、こりゃあ、調べよんじゃの。うん、そうじゃわ。調べてもらやぁ、わかるわ」


 裁判の日がまだかと言っているのだ。裁判日などは、裁判所と各弁護士の都合で決まるものである。只の順番待ちでしかない。

 そして、絹枝が待ちに待った裁判の日がやって来た。娃子は専務に事情を説明し、当座の休みをもらっただけでなく、今後も休むことがあるかもしれないと伝えた。専務は了承してくれた。



  

 









































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