埃立ちぬ 四

 幸子はふつふつとわき上がる思いを抑えられないでいた。

 さあ、これからが自分の本当の出番である。この前はみんな顔見世程度だったが、四十九日法要の済んだ今日は待ちに待った日であった。

 思えば先見の明があったというものだ。秀子の夫の恒男の死期が迫った頃から、秀子の将来を見据えての計画が出来上がっていた。それはピタリと当たった。幸子自身もここまで青写真どおりにことが運ぶとは思ってなかった。

 まず、秀子にアパート経営を勧めた。事実、これは秀子にとって収入源の確保をしてやったのだから、感謝されるべきことである。しかし、いくら収入を確保したからと言って、口だけは達者だが、その実、寂しがり屋の秀子が一人の暮らしに耐えられる筈もなく、これは誰か面倒を見させるものを側におく必要があると思った。そこで、目をつけたのがオトウトの正男である。秀子は嘉子との同居にいい顔はしなかったが、誰が考えてもジツのオトウトとの同居は当然のことである。だが、幸子が正男との同居を急かせたのには訳があった。オイの邦男が秀子に取り入ろうとしていたからだ。

 邦男は正男とは違い、油断のならない男である。義男よりも強かだと幸子は睨んでいた。そんな邦男にこの家に入り込まれては鬱陶しいだけでなく、幸子のその後の出番がなくなるというものだ。その点、正男は秀子の言い草ではないが、屁のつっかえ棒にもならぬ男であり、如何様いかようにも出来る。

 このアパートも正男の家も、日当たりの悪くなった秀子の部屋の代わりに入り口近くに洗濯機だけを取り付けた「離れ」も、すべて幸子が取り仕切った。身内には厳しいが、他人には甘い秀子から金を引き出すのは容易なことだった。 

 そして、正男は一家はやってきた。当然、嘉子とのいさかいもあったが、この点は絹枝がうまく処理してくれた。

 また、秀子は絹枝の方が先に死ぬと決めていたが、幸子はそれはどちらでもよかった。そんなことより、秀子と幸子では、秀子の方が先に死ぬと決めていた。事実その通りになった。ただ、秀子は茂子のことを案じていた。今は月に一度面会に行っているが、出来れば退院させてやりたい。無論、そのためには誰か面倒を見る者が必要である。そこで、幸子は絹枝に打診してみるも、端からそんな気はなさそうだった。


「看る義理はないわ。条件でも付けてくれりゃあ、別じゃが」


 そんな秀子が一度だけ、娃子の名を口にしたことがある。娃子に自分や茂子の面倒を見させると言うものだったが、幸子は即座に反対した。


「何言うてんや。誰の子や思てんねん。そないなことしたら、この家、義男に乗っ取られてまうわ。やめとき、やめとき」

----娃子の顔なんぞ、見たない!!


 まさか、秀子が、娃子の顔を毎日平気で見ていられる人間とは思わなかった。


----あんな顔と一緒に暮らせるのんは絹枝だけやなかったんかいな。


 いや、幸子は見た。絹枝が娃子を睨みつけていたのを。いつも、作り笑顔満載の絹枝だが、本心はこんなところだろう。


----やっぱりな。誰かてそうやわ。

 

 さすがに、秀子が絹枝の持っている金に目を付けている、そこまでの事は思わなかった。確かにこの頃の絹枝は羽振りがよさそうだが、そんな金、知れたものだ。いや、秀子が、娃子に固執したのは金だけではない。娃子の洋裁だけでない、家事能力の高さにも起因していた。金があって、家事が出来、どこへも行きそうにないムスメ。

 秀子もそれ以来幸子に、娃子の話はしなかった。

 では、秀子が死んだ後、誰に茂子の面会や何かの時の世話をさせるかと言うことだった。そこで、幸子が調は心配はなかった。


「ここは、茂子のもんやから、マーヤンによう言うとくわ」


 そのことを伝えると秀子は安心したかのように死んでいった。絹枝より先に死ぬのはさぞ悔しかっただろうが、幸子は自分の目の狂いなかったことにほくそ笑んでいた。

 さあ、これで、茂子と正男に「恩」が売れる。茂子自身は何も出来ないが、それは世間の評価に繋がることであった。今まで、絹枝に独り占めされてきた評価を、横取りしてやるのだ。 



 娃子の知識では、養子縁組が解消されれば、当然財産権も失う。また、子のない夫婦が死んだ後は、その直系親族に相続権が移る。秀子のオヤはもういないので、絹枝と正男が相続すると言うものだった。それでも、あるいは何か勘違いしているかもしれないと思い、図書館で調べてみたが、別段間違ってはなかった。だが、誰も、娃子の話を信用しないばかりか無視する。

 そこで、娃子は絹枝に相続の事実を伝え、言うべきことは言えと言った。絹枝も娃子にここまで言われては黙っていられない。


「今後の事やけどなあ、絹枝さん」

「そりゃ、私も欲しいですわ」

「絹枝さん、この前は何もいらん言うたやないの」

「この前は言おうにも、風邪をひいて、よう声が出んかった。言おうにもはっきり言えんかったんで、そりゃ、私も人間やから欲しいわ。それに」


 すかさず、邦男が割って入る。


「ああ、あの金のことは、オバサン言うてたで。利子付けて返したったて」


 本当に秀子そんなことを言ったのかはともかく、絹枝も引き下がらない。


「ああ、あの五万円のことね。あんなもんで納得出来んわ。今時五万円で何が買えるんね、着物も買えんわ。それに邦子は、アンタ、もう、ここの籍は切られとるじゃない。関係ないわ」


 実は、この邦男も失敗している。


「オバサン、ここ、くれや」


 ある時、秀子に言った。こことは、庭いじりの好きな秀子が家の日当たりを犠牲にしてでもどうしても残したかった20坪ほどの庭のことである。

 秀子はがっかりした。邦男もその妻も気遣いをみせてくれたのはそのためだったのかと。秀子としても正男一家を追い出し、そこに邦男をと考えたこともあったが、この庭を狙っていたとは…。

 その後、周囲にも邦男にはやらないともらしていた。秀子としては、絹枝が死ぬのが先であり、正男も病院とは縁の切れない体であるし、ひょっとしたら案外正男も先に死ぬかもしれない。いやいや、物事は絹枝が死んだ後で考えればいい。それでも、秀子は邦男がやって来るのを楽しみにしていた。


「そのことやけど、この前も言うたやろ。勘当されてても、権利はあるねん」

「いや、それはないよ」


 またも、則子が言った。


「いや、あるねん!私は聞いたんやから。そういうことに詳しい人に、勘当されてるんやけど、財産の権利はあるなぁて。そしたら、あるってその人が言うたんやから、あるねん!」


 と、またも幸子は間違った情報をトコロテンのように突き出す。詰まるところ、幸子は何も「爆弾」を持ってないと言うことだった。秀子が遺言を書く筈はないにしても、幸子になら、何か言い残したかもしれないと思ったが、そんなものはなく、結局この日も「」に終わってしまった。


 翌朝から、幸子の早朝日参が始まった。そして、やってくれば上座に座り、テーブルを叩きながら言う。


「ここは茂子のもんや。茂子のために金を貯めといたらな」


 だが、茂子に財産ができれば入院費も払わなければいけなくなるのではないか。


「アンタはそんなこと心配せんでもええんやから。なあ、マーヤン。ずっとここに居られるようにしたるさかい、門かて、別に作ったらええんや。まあ、一番ええのは、博美に恒男さんの方から婿を取ってな。それが、それで、すべてが丸う治まるっちゅうもんや」


 言わせておけば、幸子は図にのる一方であった。

 だが、当の博美は幸子が帰った後、きっぱりと言ったものだ。


「いやや、郁男なんかいやや。婿いうたら、郁男しかいてへん。けど、あんなん絶対いやや!」


 郁男とは邦男の長男である。博美と同い年であるが、背の低い両親の子供はやっぱり背が低い。下に妹がいるが、こっちは特別背が低い様子もない。それでも、成長期に運動すれば背は伸びるが、当の郁男は運動嫌いと来ている。だが、博美が郁男を嫌うのは単に背が低いだけでなく、郁男そのものが嫌いなのだ。そうでなければ呼び捨てにしたりしない。妙子も言っていた。


「あの郁男て子。理屈っぽいわ。大人のすることに何でも口を挟むし、しゃべり方かて鬱陶しいし」


 さらに則子もやってくる。


「正男さん、ここ、出んならんやろ」

「何でね、もう茂子はこことは関係ないし、このままでええんよ」

「そやけど、向こうが黙ってえへんやろ」


 娃子は則子も案外わかってないのだなと思った。今の茂子には何の権利もない。ここは絹枝と正男ものだ。このことは則子も知っていると思っていたが、則子が言いたいのは、何はともあれ、向こうの連中がこのまま黙っていないだろう。そこで、自分達を「味方」に付けた方がいい。只ではないけど、その方が得だと持ちかけているのだ。

 そして、夜は義男にバトンタッチされ、その時に必ずタバコをくれと言う。秀子が買い置きしていたショートピースがかなり残っていた。今夜も座るや否やタバコをくれと言うから。娃子がもうないと言った。

 いつもケースからタバコを2、3箱出してくるのは孝子か博美だった。それを孝子が不服そうに言うから、娃子はそれならタバコケースを隠せと言った。娃子に言われて気が付いたのか、急いで博美が押入れに隠した後、義男はやって来た。例によってタバコの催促をするが、ないと言うものは諦めるかしかない。

 ちなみに、残りのタバコだが、この家でタバコを吸う者はいない。娃子は正男に職場に持って行き、誰かにあげろと言った。後日、タバコのお礼にとハンカチを貰って来た。


「ここは相続人が居らんけん、国のもんになるんじゃ」


 何を言いだすのかと思ったら、今日はこれか…。

 これは誰が考えてもおかしな話である。義男もそれを承知で言っているのだ。とにかく無知蒙昧な正男と絹枝なら、この程度のことでも引っかかる、いや、引っかかってくれ。


「ええっ、そんなことになるんか、それならどうしゃあええんか」


 と、食いついてくればしめたもので、何でもいいから揺さぶっているだけである。


「だから、そうならんように、ええようにしてやる。まあ、ここはわしにまかせや」


 秀子の死からこっち、正男一家は我が世の春を満喫していた。うるさいはいなくなり、家賃収入もすべて自分の懐へ入って来る。秀子宅のメインの部屋で寝起きし、自宅は物置代わり。その自宅玄関にはいつの間にか横長の靴置き棚が作られ、そこに靴やサンダルがあふれ返っていた。

 娃子はサンダルは夏冬の2足しか持ってないが、ここには4足分以上のサンダルが土間一杯に広がっていた。

 妙子も言っていた。正男の金使いが荒くなったと。それは義男も気が付いている。秀子の死によって金を手にした正男が妬ましくてならないのだ。何とかして、その金を引き出そうと躍起になっている。今も世話料をせしめようとロクでもないことを言い出したが、さすがにこれは無理があると言うものだ。

 義男は数年前に家を改築している。平屋建ての家をいつかは二階家にすると、早くから息巻いていたが、誰も人の家の改築話に興味などない。結局、二階家ではなかったが台所を広げ小さい部屋を継ぎ足した。

 そして、なぜかこの男も庄治と一緒でテレビを見て泣くのだそうだ。普段は大きなダミ声で吠えまくり、調子のいいことしか言わない。都合の悪いことは笑ってごまかし、こと君男の話になれば俄然勢いづくしか、脳のない男である。


「針のムシロに座らされえ、顔に泥を塗られえ…」


 と、この男が何度口にしたことか。昔、君男が夫婦ケンカの挙句、妻を殺した。その時のを今だに言い続けているが、この度は正男が金を手にした口惜しさと、我が子の結婚のためにも、なりふり構っていられないのだ。何と、ムスメだけでなく、ムスコも結婚すると言う。だが、こっちは相手の女が気に入らない。大学卒業後、そのまま北海道に居つくことになった長男の結婚相手は、大阪時代からの付き合いのある女性だった。その彼女が短大出であることが義男は気に入らない。これでは釣り合わない。


「せめて、阪大くらい出とってもらわな」


 せめて、阪大 ?

 阪大とは、せめてと言われるような大学だろうか。


「ムスコがええ言うてんやから、しゃあないやろ ! 」


 則子はムスコの結婚に理解を示すものの、どちらにしても金のいることである。


----少しは、分け前よこせ。


 それが、イトコ同士ではないか。只でくれとは言わぬ。いや、金をくれるのなら、の連中を追っ払ってやる。何しろ、気の弱い正男と違い、ダミ声で押しの強い義男である。味方に付ければ損はないと言っているのに、金のことになると、正男もケチだった。こんなケチだとは思わなかった。また、この時は正男の煮え切らなさが幸いしたが、次の日は昼間からやって来た。


「お前、あっち行っとけ」


 と、娃子に言い、今は物置化している正男宅の方へ絹枝と正男を連れて行こうとするが、娃子にすれば冗談じゃない。また、何かロクでもないことを、このアホ二人に吹き込まれては大変と付いて行った。だが、それは、いつでもどこでも通用する、娃子のためのだった。


----お前にゃ、縁のない話じゃ。


 実は、智男にも付き合っている女がいた。

 娃子もそのことは知っていたが、相手の女の里は鹿児島だった。それならと、義男がを買って出る。それも、鹿児島まで嫁取りに行ってやるから、旅費と世話料を出せと言うものだった。

 だが、智男の結婚話はすぐに立ち消えになった。


「振られたんじゃ」


 と、絹枝は言ったが、こんな男と結婚しない方がいい。外では好青年風に見えても、正男同様、家の事には無関心な男である。また、彼女は一度この家に来たことがあると言うが、この足の踏み場もないような惨状をみて何も思わなかったのだろうか。


「そん時は、こいつら、三日、もっと前から、家片付けよんねん」


 と、正男が笑いながら言ったものだ。何と、彼女が来るとわかった数日前から、あの孝子が博美と一緒に家を片付けたと言う。

 日頃、片付けないのは孝子である。博美は自分のものは片付けるが、孝子のものまで片づけない。いや、片付けた端から散らかしていくのが孝子である。

 今も針金ハンガーにかかったセーターや上着が、タンスの引き出しに数えきれないくらい引っかけてある。当然、タンスの中は空っぽ。

 娃子は、セーターは引き出しに二つ折りにして丸めて入れることを教えた。博美が「ああ」と言う顔をしていた。

 

 結局、この話も不発に終わってしまったが、それでも尚、義男は正男から金を引き出すことを諦めた訳ではない。金のためなら、我が子のためなら何だってやる。それがオヤと言うものである。



 娃子は絹枝が怒るのを承知で言ったことがある。この一族にはこれはという男はいない。絹枝の血筋だけでなく、恒男の方も含めてのことだが、その点、女連中はそれぞれ「努力家」である。


「そうやの。おらんのう」


 絹枝にしても、正男がもっとしっかりした男ならと思わないではなかった。あまりに頼りなさすぎた。それに、絹枝は秀子が死んでからの、正男の自分に対する態度が全く変わらないことへの不満があった。今までのことは秀子への遠慮もあり、何より金を持ってなかったので、何も出来なかった。だが、今はこの家すべてを我が物顔に使い、金もすべて取り込んでいるではないか。


「正男もかわいそうに、アネにいじめられて」


 と、今まではそう思っていた。

 その悪い秀子が死んだのだから、これからは正男も自分にやさしく接してくれるものと思っていた。今だにドサ芝居の気が抜けない絹枝は心の中で、これからは、正男と二人手を取り合っていけると期待していた。


「残ったのは二人だけやから、これからは何でも話し合おうやないか」


 これくらいのことは言ってくれると思っていた。また、少しは金も握らせてくれる…。

 ところが、実際は金をくれるどころか、正男の態度も言葉も今までとなんら変わりなく、すべての金を平然と自分の懐に入れているではないか。金だけではない。幸子の言いなりになっているのも気に入らない。どうして、アネである自分を頼らずに、他人を頼るのだ。


----今まで、あれだけしてやったのに……。

 

 正男にとって、娃子とはゴミのような存在でしかない。  

 そんな娃子から、いくら、ここは絹枝と正男の物だと言われても、到底信じられない。また、幸子は「ここは茂子のものだ」と言っている。それも、あれだけ自信たっぷりに言うのだ。ここは、娃子の間違い…。

 それなら、市役所の法律相談で弁護士に聞いて見ようと、娃子は言った。運よく翌日がその日だった。3人が駅に着いたのが12時半だった。


「相談は1時からやから1時に行ったらええ」


 娃子はすぐにも行こうと言ったのだが、正男は駅ビルの中へ入って行く。仕方なく用もないのに駅ビルの中を見て回り、一時に市役所に行けば、順番待ちの人でごった返していた。結局かなり待たなければいけないことになった。あのまま真っ直ぐに市役所に来ていれば、こんなに待たなくても済んだのにと思わないではいられなかった。こんな時でも絹枝は何も言わない。正男の欲の深さに立腹するも、正男の言葉には従うのだ。


「そら、あなたらのものですがな」


 結局は、娃子が弁護士に説明した。それを聞いた弁護士は即座に答えた。娃子の方が正しかったとわかっても、蛙の面に水の正男だった。


----そんなら、それで、ええわ。


 そこで、いずれ早めに登記を付けようと言う事で、絹枝と娃子は帰ることにした。


 娃子たちが帰ったのを見澄ましたかのように、君男が測量士を連れて来た。




















































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